■金門島

e0094583_11264230.jpg「この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」 (角川文庫)という本があります。
第19回山本七平賞受賞の歴史ノンフィクションです。台湾海峡の制海権を中華民国が確保し今日に至っている、その基となる金門島死守に関連した物語です。

内容紹介;
1949(昭和24)年6月、九州・延岡の海岸から小さな漁船が夜陰にまぎれて静かに離れていった。船が目指すのは、真っ黒な海原のはるか彼方にある台湾。その船には、日本陸軍の元・北支那方面軍司令官、根本博中将が乗っていた。
傍らには、「俺の骨を拾え」と言われて随行を命じられた通訳が一人。この時、蒋介石率いる中国国民党と毛沢東率いる中国共産党との「国共内戦」が、まさに決着を迎えようとしていた。共産軍の攻勢によって、大陸から撤退し、いよいよ金門島まで追い込まれた蒋介石。根本は蒋介石を助けるために「密航」を敢行したのである。
「義には義をもって返す」。根本には、終戦時、蒋介石に言葉では表せぬほどの恩義があった。その恩義とは一体、何だったのか。
密航の途中、座礁や船の故障で、九死に一生を得ながら、根本は台湾に辿り着く。感激した蒋介石から根本は「林保源」という中国名を与えられ、金門島に赴く。そして、次々に作戦を立案し、押し寄せる共産軍に立ち向かった。
解説は、歴史研究家の秦郁彦氏。知られざる現代史の真実が今、紐解かれる。

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私は何度もアモイ側から金門島を望んだことがあります。
いわゆる金門島(いくつかの島の総称)は、福建省の厦門市(アモイ)と海を隔てて接しています。大陸側(中華人民共和国)からの至近距離で2.1kmしか離れていないこの島は、今に至るも中華民国(台湾)の実効支配下にあり、かつては国共内戦の最前線でした。
1949年、国民党が台湾に移ってのち、この地は国府軍の軍事的拠点となり、一般人の出入りは厳しく制限されます。1958年には有名な金門砲戦(823砲戦)が発生し、多数の死傷者を出すも国府軍は金門島の防衛に成功。その後、1992年11月7日の戒厳令解除後は多くの観光客が訪れるようになりました。
この金門砲戦とは1958年8月23日から10月5日にかけて、中華民国が実効支配する金門島に対し中国人民解放軍が砲撃した戦闘をいいます。戦闘開始2時間で4万発、1日で5万7千発の砲弾が飛び交いました。当時中華民国は国連常任理事国で、国連は中華人民共和国に対し非難決議を行いました。アメリカは第7艦隊を台湾海峡に派遣、核の使用も検討されたのです。
その後21年間にわたり形式的な隔日砲撃が繰り返されるも、1979年(米中国交樹立の年)にようやく終息します。
現在金門島は、いわゆる「三通政策」を受けて、中国からも台湾からも観光客が訪れる観光地となっています。つわものどもが夢のあと・・・

在五十年代臺海兩岸的對峙與炮火之中,這裡是硝煙彌漫的戰場,曾經血流成河、哀鴻遍野,但誰會想到在自然的更替和歲月輪迴中,往日的戰火已化為今日的幽靜與閒適?有一句話說:「我們曾經以為擁有漫天星斗,如今方知只是匆匆看客。」活在這個世界上,還有什麼好爭的呢?
張愛玲有一句名言:「歷史,是一個美麗而蒼涼的手勢!」但金門的歷史蒼涼而不美麗,過往戰爭的殘酷,經歷烽火的歲月,只有金門人才有最深切的感受。慶幸的是在解除軍事管制後,今日的金門已呈現一片觀光榮景,金門的風土民情、文化背景和自然生態,正期待著大家的認識與瞭解。
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by officemei | 2014-03-04 02:31 | ■台灣