■台湾をこよなく愛する片倉佳史さん

片倉佳史さんのすごいところは、とにかく台湾にはまりきっているところ、その徹底したフィールドワークと緻密な記述・文章構成力にある。
彼の著書をすべて読破し、何度かブログ上にコメントしお返事もいただいたが、本当にすごい人だ。
いつだったか民放TVの台湾ロケ番組に出演されていたが、失礼ながら彼の文章とメタボな体格に格差がありすぎて驚いた。
私も台湾や中国のことをあれこれと書いてはいるが、彼のように深いところまで入り込んでいないことに恥ずかしさを覚える。
台湾に興味のある方はぜひ彼の著書をお読みください。

以下は台湾の雑誌「光華」に掲載された記事;
對於想來台灣深度旅遊的日本人而言,片倉佳史是個響亮的名字。長年旅居台灣的他著作眾多,除了固定為日本出版社撰寫台灣觀光指南外,他所主持的網站「台灣特搜百貨店」(http://katakura.net/),收錄他所整理的台灣懷舊旅行深度資訊,自2000年開站以來,瀏覽人數已突破20萬人次,是許多日本人來台觀光前「做功課」的好所在。
片倉佳史さんは、台湾でディープな旅行をしたいと思う日本人の間で有名な存在だ。台湾在住歴の長い彼の著書は多く、日本で出版するガイドブックを定期的に執筆する他に、サイト台湾特捜百貨店を主宰し、台湾の情報を整理して提供している。このサイトは2000年に立ち上げて以来のべ20万人がアクセスしており、台湾旅行を計画する日本人にとって絶好の「予習」の場となっている。

片倉佳史對台灣的日治時代建築、原住民,以及鐵道文化等議題特別感興趣。他的著作《台灣日治時代遺跡》及《台灣土地‧日本表情──日治時代遺跡紀行》曾被翻譯成中文出版,收錄有他六、七年來跑遍全台各地、在荒煙蔓草間探訪日治遺跡的珍貴紀錄。
片倉佳史さんは、特に日本統治時代の建築物や原住民族、鉄道文化などに興味を抱いている。その著書『台湾日治時代遺跡』『台湾土地・日本表情』は中文でも出版された。6~7年かけて各地を歩き記録してきたものだ。

片倉佳史出生於1969年,身材壯碩、戴著眼鏡、細心熱情的他,畢業於早稻田大學教育學系。大學時因熱愛海外旅行,他曾跑遍四十幾個國家,但一直到1993年由於轉機緣故,他才首度來台。片倉坦言對台灣的第一印象並不深刻,但隨著來訪次數增加,他才逐漸體會台灣的魅力是深藏不露的。「不像香港或上海,第一次去時或許很震撼,但多去幾次就完全沒感覺了。台灣有豐富的歷史與文化,令人著迷!」1969年生まれ、体格がよく、熱心で繊細な片倉さんは早稲田大学教育学部出身、学生時代は海外旅行が大好きで40ヶ国余りを旅したが、初めて台湾へ来たのは1993年、トランジットで立ち寄っただけだった。その時は特に深い印象はなかったのだが、その後何回か来るうちに、しだいに表面には現れない台湾の魅力に気づき始めた。「香港や上海は、初めて行った時は衝撃を感じますが、何回か行くと何も感じなくなってしまいます。それとは違い、台湾には豊かな歴史と文化があり、夢中になりました」と言う。

大學畢業後,片倉進入出版社工作,工作繁忙壓力大,和他大學時遨遊四海的體驗完全不同。還想「繼續瞭解這個世界」的他於是辭掉工作,在1996年來台定居,希望以自由作家的方式寫稿維生,並且持續探索這個讓他著迷的島嶼。
大学卒業後は出版社に就職したが、仕事は忙しく、世界各地を歩いた学生時代の経験とは相容れないものだった。「もっと世界を知りたい」と思った彼は仕事をやめ、1996年に台湾に渡り、フリーライターとして収入を得ながら、この大好きな島を探索することにしたのである。

剛來台時,片倉完全不會講中文,但又想趕快替日本刊物寫專欄賺錢,由於他對歷史特別感興趣,加上許多經歷過殖民統治的台灣耆老都會說日文,沒有戰爭經驗的他於是決定將心力投注在日治時代的台灣史上。而他的中文,也在無師自通下,逐漸流利起來。
台湾に来たばかりの頃は、まったく中国語が話せなかったが、かつて日本の植民地だった台湾には日本語の話せるお年寄りが大勢いた。早く日本の出版物に台湾のことを書きたいと思っていた彼は、歴史にも非常に興味があったので、日本統治時代の台湾史に力を注ぐことにしたのである。そうするうちに、しだいに中国語も流暢になっていった。

日本輿論界對於台灣日治時代的殖民歷史,由於政治立場不同,而有著南轅北轍的評價:左翼主張者傾向徹底否定,完全以這段殖民史為恥;右翼人士卻常全盤肯定,並至今仍追緬、自豪於這段卓有治蹟的光榮歲月。片倉希望自己跳脫這些包袱與爭議,「我既不是左翼,也不是右翼。若硬要歸類,就說我是『台灣翼』吧!」他打趣地說。
台湾の日本植民地時代の歴史に関して、日本では政治的立場の違いからまったく異なる二つの意見に分かれている。左翼はこの時代の歴史を恥として徹底的に否定し、逆に右翼は植民地の治績を栄光として懐かしむ。片倉さんは、こうした論争とは無縁でありたいと考えている。「私は左翼でも右翼でもありません。あえて分類するなら『台湾翼』ですかね」とおもしろいことを言う。

片倉佳史認為殖民統治當然不值得鼓勵,但他的探訪不是為了去追究歷史的對錯,而是希望回到人民的角度,去瞭解這些日治遺跡與本地庶民間的關係。
もちろん植民地統治は良いことではないと考えているが、彼がこの時代の遺跡を訪ねるのは、歴史的に正しいことかどうかを追究するためではなく、日本時代の遺跡と現地の庶民との関係を理解したいからである。

譬如殖民政府曾大量在台興建日本神社,作為同化並拉攏台人的政治手段。但在1945年二次大戰結束、國府來台後,這些神社不是被拆除,就是被改建為忠烈祠。目前殘留下的神社遺址,充分顯現出政權更迭的歷史痕跡。
例えば、植民地政府はかつて、同化政策のために台湾各地にたくさんの神社を建てた。1945年に第二次世界大戦が終わり、国民党政府が台湾に渡ってくると、これらの神社は撤去され、あるいは忠烈祠に建て替えられた。現在残っている神社の跡は、こうした政権交代の歴史を示している。

除了日治時代台灣史外,片倉還是個不折不扣的「鐵道迷」。就像侯孝賢的電影《珈琲時光》裡,淺 野忠信所飾演的男主角一樣,片倉三不五時會帶著錄音機,在台灣各地錄製火車聲響,回家反覆聆聽賞析。外人或許很難理解這些聲響的趣味何在,但對「電車迷」來說,裡面盡是滿滿的感動。
日本時代の台湾史を探索すると同時に、片倉さんは正真正銘の「鉄道ファン」でもある。侯孝賢の映画『珈琲時光』の中で浅野忠信が演じる男性と同様、片倉さんもレコーダーを持って台湾各地へ列車の音を録音しに行き、家に帰ってそれを鑑賞している。列車の音の何が面白いのか、と思う人も多いだろうが、鉄道ファンにとってこれは感動に満ちたものなのである。

片倉舉例:一般台灣火車的到站廣播,都是以國語、台語、客話的順序放送,但有一次他在台東坐火車時,當地火車的廣播次序因為地方人口組成特殊,而調整成國語、台語、阿美族語。簡單的聲響中反映著台灣多族群文化的內涵。
例えば、と彼は例を挙げる。台湾では列車が駅に入ると、国語、台湾語、客家語の順でアナウンスがあるが、ある時、台東で国語、台湾語の次にアミ語のアナウンスが流れたという。シンプルな音の中に台湾のエスニックの多様性がうかがえる良い例だ。

他表示許多日本鐵道迷最鍾愛的台灣火車,是嘉義阿里山的森林小火車。這段火車由於使用具有高爬坡力的Shay式蒸氣火車頭,目前全世界非常罕見,加上爬坡路段時而平緩,時而陡峭,「聲音就像一頭活生生的動物,起起伏伏地不斷克服障礙,努力向上奮鬥,我每次聽都感動極了!」
日本の鉄道ファンが最も好む台湾の列車は阿里山の森林鉄道だという。急勾配を登るシェイ式蒸気機関車で、今では世界でも珍しいものだ。阿里山鉄道では勾配が刻々と変わるので「列車の音もまるで生き物のように変化し、懸命に障害を乗り越えながら登っていくのです。この音を聞くたびに感動します」と言う。

來台9年,片倉佳史可說是不折不扣的「台灣通」。問及他最想推薦給日本人的景點,馬祖北竿島的閩北建築、旗山美濃的南國風光,以及南橫公路的自然景觀都一一入列。寫了這麼多本旅遊書,他由希望日本客不要只在台北打轉,「台灣民間還有很多極棒的景點,等著我們大家一起親近!」
台湾に来て9年、片倉さんはもう正真正銘の「台湾通」だ。日本人に推薦したい景勝地は、と問うと、馬祖北竿島の福建北部式建築、旗山美濃の南国風情、そして南部横貫道路の大自然などを次々と挙げる。日本人には、台北ばかりでなく、もっと地方へも足を運んでもらいたいと思っている。「台湾には素晴らしい場所がたくさんあり、皆が来るのを待っているんです」と。



追記;青木由佳さん
台湾にはもうひとり面白い日本人がいる。彼女の台湾を見る視点はユニークそのものだ。
以下は台湾の雑誌「光華」に掲載された記事;
一個日本女生眼中的台灣;
1972年次的青木由香從小愛畫畫,畢業於多摩美術大學染織設計科。她就跟許多日本大學生一樣,有著趁年輕儘量去海外增廣見聞的想法。但對台灣,她一直抱持著「那麼近,老了再去也不遲嘛!」的想法。
1972年生まれの青木由香さんは、子供の頃から絵を描くのが好きで、多摩美術大学染織デザイン科を卒業した。日本の多くの若者と同様、できるだけ海外へ行って見聞を広めたいと思っていたが、台湾については「こんなに近いんだから年を取ってから行けばいい」と思っていたそうだ。

2001年,當時已玩遍35國的青木首次來台觀光,結果,她先是瘋狂地迷上腳底按摩,再無可救藥地沈迷於台灣茶,最後徹底地愛上這個她原本興趣缺缺的寶島。2001年、当時すでに35ヶ国を歩いた彼女は初めて台湾に来た。そこで、まず足裏マッサージにはまり、続いて台湾茶の魅力に取り付かれて、最初はあまり興味のなかった宝島・台湾が大好きになった。

個性開朗,滿臉笑意的青木表示,日本的工作壓力大,生活節奏急促,不像台灣步調輕鬆,生活起來比較自在。尤其台灣充滿情味,對外國人態度友善,更重要的是「按摩太舒服啦!茶葉太好喝啦!東西太好吃啦!」她大聲地說。
明るく、いつも笑っている青木さんは、日本では仕事のストレスが大きくて生活のリズムが速いが、台湾ではゆっくりとリラックスして暮らせると言う。それに台湾は人情味にあふれ、外国人にも友好的だ。しかし何よりも「マッサージは気持ちいいし、お茶はおいしいし、食べ物もおいしすぎる!」と言うのである。

青木最喜歡台灣充滿生命力的夜市,因為「裡面充滿各種奇怪的食物」,譬如她最愛的臭豆腐、蔥抓餅、珍珠奶茶等小吃。日本不是沒有夜市,但只有在特殊節慶時才會出現一、兩天,不像台灣每天都有,舉凡各種華人料理及東西美食,都可在擁擠熱鬧的市集中一一品嚐。
一番のお気に入りは活気あふれるナイトマーケットだ。臭豆腐や葱抓餅(ネギ焼き餅)、タピオカ入りミルクティなど「へんな食べ物がいっぱい」だからだ。夜市は日本にもないわけではないが、お祭りなどの特別の日に出るだけで、台湾のように毎日あるわけではない。台湾の夜市には中華と世界の料理が集まっている。

以設計為業的她,因此決定在台灣與日本兩地間尋求生機。她用插畫、設計、攝影等方式,努力向日本雜誌推銷她所熱愛的台灣,希望「幫台灣人賺日本人的錢」。她開始在台定居,努力學習中文,並靠定期接一些日本傳過來的設計案維生。
デザインを学んだ彼女は、台湾と日本の両方で収入を得る方法を考えた。イラストやデザイン、写真などの方法で日本の雑誌で台湾を紹介し「台湾人が日本人の金を稼ぐ手伝い」をしている。こうして台湾に定住して中国語を学び、定期的に日本から送られてくるデザインの仕事もしている。

去年青木由香出版了中、日文對照的圖文書《奇怪ㄋㄟ:一個日本女生眼中的台灣》,內容是她在長住台灣後,以日本人的角度觀察台灣人的日常生活作息,再以黑色幽默式的筆法與畫風,點出兩地生活習俗差異的趣味之作,她並自己包辦全書的寫作、插圖,與版面設計。
去年、彼女は中国語と日本語対照の著書『奇怪ね:一個日本女生眼中的台湾』を出した。日本人として観察した台湾人の日常生活をユーモラスな語り口とイラストで表した内容で、台湾と日本の生活習慣の違いがわかるおもしろい作品だ。文章もイラストもデザインもすべて彼女が手がけた。

例如她觀察台灣人在KTV唱歌總是自由隨性,常幾個人互搶麥克風各唱各的,完全不管其他人,其他人也各玩各的,根本沒人仔細聽;不像日本人到了KTV,還是保持著平時的拘謹有禮。而台灣人走路普遍緩慢,也不愛留意後面是否有人趕路;不像日本人彷彿「忍者」,隨時保持在警戒狀態。而本地四處可見的紅白條紋塑膠袋,則被她冠上「國袋」之名。
例えば、台湾人はカラオケに行くとマイクを奪い合って各自が勝手に歌い、他の人が歌っている時は聞かずにそれぞれ好きなことをするが、日本人はやはり礼儀正しく人の歌を聞く。台湾人は道をゆっくり歩き、後ろの人が急いでいるかどうかなど気にしないが、日本人は「忍者」のように常に警戒して歩いているという。また、台湾ではどこでも使われている紅白の縞模様のビニール袋を、彼女は台湾の「国袋」と命名する。

這本書風趣直率又帶點無厘頭的風格,使其問世後頗受台灣讀者青睞,但也有些年紀比較大的「愛國讀者」不以為然,覺得這種內容多半是對台灣的刻板描述。一向古靈精怪的青木則說,她本來就對那種「我最喜歡台灣了」的寫作風格沒有興趣。正是因為台日兩地文化差異很大,讓她覺得「台灣很奇怪ㄋㄟ」,才會對台灣深深著迷。こうした率直でナンセンスなスタイルが受け、この本は台湾でベストセラーになった。しかし、やや高齢の「愛国者」はあまり気に入らないようで、内容の多くはステレオタイプのイメージに過ぎないという声もある。しかし彼女は「私は台湾が大好きなんです」というスタンスの本はおもしろくないと思っている。両国の文化にギャップがあり、それを「台湾は奇怪ね」と感じたからこそ、彼女は台湾が好きになったのである。

現在,青木也和台灣人一樣,和人約定見面有時也遲到,也懂得去迪化街買年貨,還知道去永樂市場為自己的畫框選擇襯裡布料。她的書尾,是篇名為〈成為台灣人的一天〉的短文,陳述她在台灣努力生活,想要學好中文的心情。從哈台到長住台灣,青木努力適應異鄉生活,或許日子一久,他鄉總會變故鄉。
今、彼女は台湾人と同じように約束の時間に遅れるし、年末には迪化街へ買出しに行くし、永楽市場に作品の額に使う布地を買いに行く。本の巻末に「台湾人になる日」という後書があり、台湾で一生懸命に暮らし、中国語をマスターしたいという気持ちが書かれている。台湾好きが高じて定住し、異郷に適応しようとする青木由香さん。いつか異郷が故郷になる日が来ることだろう。
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by officemei | 2010-01-11 01:22 | ■台灣