■中国映画(華語電影)について 1/2

金融海嘯襲擊全球的低迷時刻,哪一個產業的成長率竟能奇蹟式地勁揚30%?
答案是中國電影業。

金融危機以来、世界経済が低迷する中で30%の成長率を見せる産業とは何か。
答えは、中国の映画産業である。

大陸民眾的平均年薪只有二萬多元人民幣,影視產品盜版猖獗,北京、上海的電影院票價高達60~70元人民幣,比香港、台北還貴。
中国大陸の平均年収は2万人民元余に過ぎず、海賊版が溢れているにもかかわらず、北京や上海の映画館のチケットは1枚60~70元、香港や台北よりも高い。

在所有產業慘淡經營的2008年,大陸電影票房竟出現「井噴式」的火熱演出,創下人民幣43億元的驚人紀錄,2009年更可能突破60億人民幣。
あらゆる産業が低迷した2008年、中国大陸の映画興行収入は43億人民元に達した。2009年は60億人民元を超えると見られている。

電影界人士解釋,正因為年輕人買不起車子、房子,但是花數十元人民幣就可以進電影院享受一場聲光娛樂,中產階級消費力崛起,造就了龐大的內需市場。
映画関係者によると、中国の若い世代は、車や家は買えないが映画は楽しめるというので人気があり、中間所得層の購買力が高まって内需市場が成長してきたという。

e0094583_1119748.jpg事實上,今日中國大陸的電影榮景幾經轉折,得來不易。
二十多年前,主導製片的中共國營電影製片廠出現嚴重虧損,1982年中國人大副委員長廖承志提議,向香港借將,找來張鑫炎導演,由國家體委會借調18名武術人才協助拍攝功夫片《少林寺》,上映後風靡了中國、香港、東南亞等華語市場,更造就了初登銀幕的李連杰成為一代巨星,從此拉開中國與香港合作拍片的序幕;李翰祥的宮廷歷史大片《火燒圓明園》、《垂簾聽政》也是在這種氣氛下誕生的作品。

だが、中国の映画市場はこれまで常に順調に成長してきたわけではない。
20余年前、映画製作を主導する国営電影製片廠は大きな赤字を抱えていた。1982年、人民大会副委員長の廖承志の提案により、香港から張鑫炎監督を招き、国家体育委員会から武術選手18人を集めてカンフー映画『少林寺』を制作した。これが中国や香港、東南アジアの華語市場で大ヒットした。初めて映画に出演した李連杰(ジェット・リー)は一躍大スターになり、また中国・香港共同制作のブームに火をつけることとなった。

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風水輪流轉,1997年香港回歸前夕,香港電影業因一味搶錢、粗製濫造、黑道介入等複雜因素,導致「亞洲好萊塢」的盛名急轉直下,市場逐漸被西片佔據。中國也適時祭出合拍大利多,香港電影人湧進大陸拍片,找到春天。

時代は変わり、1997年の香港返還が近付いた頃、香港の映画産業は儲け主義の粗製乱造、マフィア介入といった状況に陥り、「アジアのハリウッド」の名は地に堕ち、市場は洋画が主流となる。こうした中で、中国は共同制作を働きかけ、香港の映画関係者の多くが中国で活動することとなる。

現在,華語電影又來到了大轉折的路口,兩岸電影業在目前政治大和諧的時刻,無不期望透過合作拍片,共榮華語電影。然而,中國大、台灣小,兩岸電影文化的優勢如何互補?
現在、華語映画は再び大きな十字路にさしかかっている。台湾海峡両岸の映画産業は、政治的な緊張緩和に伴い、共同制作による繁栄を期待している。映画文化における両岸の優位性はそれぞれどこにあり、どのような相互補完が可能なのだろう。

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北京京承高速公路往東北方向一小時車程外的北七家出口,郊外的寶隆服飾公司是中國大型古裝電影服裝製作的大本營,尋常的工廠外表並不特殊,室內走道的牆上掛著《英雄》、《滿城盡帶黃金甲》、《十面埋伏》等大型海報,訴說著光榮戰績,來自台灣的導演蘇照彬正在和日本造型設計師和田惠美討論新戲《劍雨江湖》劇中人物的服裝造型。

北京の京承高速道路を北東へ1時間ほど行った北七家、ここの宝隆服飾公司は時代劇の衣装製作の本拠地だ。中に入ると『英雄(HERO)』『満城尽帯黄金甲(王妃の紋章)』それに『十面埋伏(Lovers)』などのポスターが貼ってあり、その実績を物語っている。台湾の映画監督・蘇照彬と日本人デザイナーのワダエミが新作『剣雨江湖』の衣装について話し合っている。


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10月底新片已在上海開鏡的蘇照彬,正緊鑼密鼓地籌備前製定裝作業,和田老師所繪的一本厚厚彩色草圖攤開在桌上,化妝師在旁為演員戴頭套、打粉,「臉上來個刀疤,」他說,等會換上戲服後,再看看整體感覺。

10月末に上海で撮影を開始した蘇照彬は、ワダエミが用意した分厚いデザイン画をテーブルに広げる。傍らではメイク担当者が俳優にかつらをつけている。「顔に傷をつけてくれ」と蘇照彬は指示し、衣装を着せて全体の感じを見る。

1985年因日本導演黑澤明作品《亂》而榮獲美國奧斯卡獎最佳造型設計獎的和田老師,是近幾年中國大型古裝片的主力設計師,當年拍攝《亂》片,籌備3年;此次8月中才拿到《劍雨江湖》劇本的和田老師,深感時間緊迫,但仍為劇中的殺手、俠士、官宦人家、百姓等設計出七十多套華麗服裝,簡單的大色塊藍布與紅布,極簡的東方設計,深具視覺效果。
1985年に黒沢明監督の『乱』でアカデミー賞最優秀衣装デザイン賞を受賞したデザイナーのワダエミは、ここ数年は中国の時代劇映画の衣装に力を注いでいる。『乱』の撮影には3年の準備期間があったが、『剣雨江湖』の脚本を手にしたのはこの8月で、慌ただしいスケジュールである。それでも刺客や侠客、宦官、庶民などのために70余りの華麗な衣装をデザインしてきた。シンプルな青や赤の生地を用いた東洋的なデザインは視覚効果を持つ。

e0094583_1131447.jpg《劍雨江湖》是典型的亞洲跨文化合作,工作現場國語、廣東話、日語、英語混合使用,攝影師黃永恒、武術指導董瑋,以及其他基本製作班底多為香港人,這是蘇照彬繼2005年的驚悚片《詭絲》後另一部更大型製作。
『剣雨江湖』はアジア各国による共同制作で、現場では北京語、広東語、日本語、英語などが飛び交う。カメラマンの黄永恒、武術指導の董瑋、それに基本クルーは香港人が中心だ。蘇照彬にとっては2005年の『詭絲(シルク)』以来の作品で、規模はずっと大きい。

兩年前蘇照彬應華裔導演吳宇森的製片張家振之邀,希望為馬來西亞女星楊紫瓊量身打造一齣武俠片。劇情敘述一位武功高強的女殺手想金盆洗手,易容改裝過起平民百姓生活,她在小鎮上結識一位純樸樂觀的男子,一心想過著與世無爭的日子時,江湖各路人馬卻不放過她,因為她擁有人人都覬覦、可練成絕世武功的達摩遺體,於是一場腥風血雨的殺戮就此展開。

e0094583_1135910.jpg2年前、蘇照彬は呉宇森(ジョン・ウー)監督のプロデューサーである張家振に招かれ、マレーシアの楊紫瓊(ミシェル・ヨー)のために武侠映画を製作することになった。物語はこうだ。女刺客は、その世界から足を洗おうと思い、姿を変えて庶民の生活を始める。町で純朴で楽観的な男性と知り合い、穏やかな日々を送りたいと思うが、江湖は彼女を見逃してくれない。彼女は、絶大な術を身につけられる達磨の遺体を持っているからであり、それを狙っての殺戮が始まる。

張家振找到中國小馬奔騰公司、香港寰亞公司,以及台灣三立電視、遊戲橘子公司共同投資,成本1,150萬美金(約合新台幣3.7億元)。卡司除了楊紫瓊,還有台灣的大S、戴立忍、張震,港星于文樂,中國王學祈,韓星鄭雨盛等人,是一部劇情懸疑、娛樂性高的武俠片。
張家振は、中国の小馬奔騰公司、香港のメディア・アジア、台湾の三立テレビと遊戯橘子などに共同出資を持ちかけて1150万米ドル(約3.7億台湾ドル)の資金を集めた。キャストは楊紫瓊の他に台湾の大Sと小S、戴立忍、張震、香港の于文楽、中国の王学祈、韓国の鄭雨盛などで、サスペンスに満ちた武侠映画である。

身為《劍雨江湖》製作團隊中唯一一位來自台灣的電影人,又肩負導演的成敗重任,蘇照彬的思考很簡單,「台灣太久沒有拍過大型古裝片,兩岸製作條件差異太大。」他比較說,在上海和浙江橫店影視基地拍戲的成本約是台灣的五分之一,「中國的道具和服裝製作夠專業,人力與物力的優勢明顯,我想繼續走導演路,來中國拍片,路線可能更寬廣。」
『剣雨江湖』製作側で唯一の台湾人である蘇照彬は「台湾では長いこと大型の時代物は製作していませんし、両岸の製作条件は大きく違います」と言う。その話によると、上海と浙江省横店の撮影所での撮影コストは台湾の約5分の1ですむ。「中国では道具や衣装の製作が非常に専門的で、人手も物も十分そろっています。今後も監督を続けるなら、中国で製作した方が道はより広がると思います」

「好戲需要大舞台!」中國上海社科院研究員花建在《文化+創意=財富》一書中的這句話,最足以形容目前中國的電影現況。中國的電影舞台有多大呢?
「優れた芝居には大きな舞台が必要である」と、中国上海社会科学院の花建研究員は著書『文化+創意=財富』の中で中国映画の現状を言い切っている。中国の映画の舞台は、どれほど大きいのだろうか。

1993年,中國廣電總局開始進行一連串電影改革:首先是國產片由原本的國營中影公司統一發行,改為由各製片廠與地方發行單位自行決定,讓民間參與;1996年開放民間企業、社會團體和公民以贊助或投資方式參與電影製作;2000年開放中外合資經營電影院,但中方投資比例不得低於51%;2003年允許外資進入中國製片業等。
1993年、中国広播電影電視総局が映画改革を開始した。まず、それまで国産映画がすべて国営の中国電影公司によって配給されていたのを改め、民間の映画会社や配給機関が自由に配給できようにした。1996年には、民間の企業や団体、一般国民が映画製作に出資することが認められる。2000年、外国企業との合弁による映画館経営が自由化され(中国側の出資額は51%以上)、2003年には外国資本が中国での映画製作に加わることが認められた。

e0094583_11402952.jpg政策的開放,讓民間看到了投資機會,中國電影產量也從2001年前平均每年100部的歷史徘徊數字,2004年突破200部,2007年再翻一倍,增加到400部,至今一直維持在這個高檔數字。
これらの自由化により、民間は投資機会を得た。中国映画は2001年までは年間100作品程度だったのが、2004年には200本を突破、2007年には400本まで増加し、その後も高い水準を維持している。

電影票房收入更是大幅成長,2003年SARS疫情蔓延時,中國戲院停映3個月,全年票房只有10億元人民幣(張藝謀的《英雄》一片就囊括2.5億元);但之後每年以平均增加5-6億元人民幣的速度上升,2008年中國電影業傲視其他電子與傳產業,成長幅度30%,來到43億元人民幣,短短6年,電影票房翻了4倍多。
不少人預估,不出10年,中國將成為全球最大的單一電影市場。

興行収入も大幅に成長した。2003年のSARS流行時には中国の映画館は3ヶ月営業を停止し、年間の興行収入は10億人民元(そのうち張芸謀の『英雄』が2.5億)にとどまったが、その後は毎年5~6億元ずつ増え続け、2008年には他の産業の低迷を余所に、30%の成長を遂げて43億人民元に達した。わずか6年で4倍まで増えたのである。多くの人は、10年以内に中国は世界最大の映画市場になると見ている。

「未來3-5年將是中國電影的黃金時代,票房一定突破百億人民幣,現在還只是起步階段,」2002年成為民間第一家拿到電影發行經營許可證的中國保利博納公司總裁于冬信心滿滿的說,美國三億多人,電影院有三萬多廳,每年片量六百多部;大陸若以現在一年平均增加600塊銀幕的速度來計算,2009年底可達到4,600塊,以1979年中國的觀影人次曾達9億人來估算(當時票價一毛錢),至少還有10倍的成長空間!
「今後3~5年は中国映画の黄金時代となり、興行収入は100億人民元を突破するはずです」と話すのは、2002年に民間企業として初めて映画配給権を得た保利博納公司の于冬総裁だ。アメリカは人口3億人で映画館は3万軒、毎年600本余りが配給されている。中国の劇場は現在、年間600スクリーンのスピードで増加しており、2009年末には4600スクリーンに達する。1979年の映画館入場者数がのべ9億人(当時の入場券は1枚0.1人民元)だったことから計算すると、まだ10倍は成長すると見られる。

e0094583_11393411.jpg除了大量投資興建電影院外,中國電影市場不像台灣、香港,無所限制地開放外片進口,任憑市場被好萊塢電影霸占;2001年底WTO敲開大陸國門,迫使中國開放外片進口,但至今一年也只有50部配額,其中美國片不得超過20部,國產片因被保護仍有利基。
中国の映画市場は台湾や香港のそれとは異なり、ハリウッド映画を含めて外国映画の配給には制限が設けられている。2001年末、WTOは中国に外国映画への門戸を開くよう要求したが、今も年間50作品までと制限がある。中でもハリウッド映画は年間20本までとし、国産映画が保護されている。

以觀眾喜好程度來看,讓港台電影業稱羨的是,民族意識高漲的大陸觀眾竟然不愛好萊塢,最愛國產片。2004年票房冠軍──張藝謀導演的《十面埋伏》(1.53億人民幣),打敗《魔戒3》(8,633萬人民幣);2006年《黃金甲》(2.3億人民幣)也超越好萊塢大片《達文西密碼》(1億人民幣)。
香港や台湾の映画関係者がうらやましがるのは、民族意識の高い中国ではハリウッド映画はあまり好まれず、国産映画に人気があるという点だ。2004年の興行成績トップは張芸謀の『十面埋伏』で1.53億人民元、『ロード・オブ・ザ・リング』の8633万人民元を上回り、2006年は『満城尽帯黄金甲』の2.3億元が『ダ・ヴィンチ・コード』の1億元を上回った。

不過,好萊塢勢力不容小覷。若以入關前後為分界點,2001年前每年不過進口10部美國電影,就已占據中國票房的半壁江山,當時中國電影資金少、設備陳舊、人才缺乏、產業機制不成熟,根本不是好萊塢的對手。但隨著改革深化,由計畫經濟走向市場,吸納各方人才,2003年大陸國片票房首次超越進口片(占55%),至今維持五五波態勢。
だが、ハリウッドの力を軽んじることはできない。WTO加盟を分岐点とすると、2001年まではアメリカ映画は10作品までと限られていたが、それでも市場の半分を占めていた。当時は中国映画の制作資金は少なく、人材も不足し、制度も未整備でハリウッド映画には歯が立たなかったのである。だが、改革が進むに連れて人材が集まり始めた。2003年に国産映画の興行成績は初めて外国映画を上回って55%を占め、今もこの数字を維持している。

e0094583_11373117.jpg值得深究的是,從2003年開始,「合拍片」就是大陸電影市場的「主打」產品。
2006年在大陸賣座的電影如《神話》、《七劍》、《頭文字D》等,都是中港台合作的作品;2008年有8部合拍片創造佳績,2009年票房破億者也多是合拍片。

注目したいのは2003年以降、外国との共同制作が中国映画の主流となったことだ。
2006年に大陸でヒットした『神話』『七剣』『頭文字D』はいずれも香港・台湾との共同制作で、2008年は8作品、2009年に1億以上を売上げた作品の多くは共同制作である。

中國開放與其他國家合拍電影已有30年歷史,1979年長期封閉鎖國的中國,為塑造改革開放形象,亟欲透過文化、體育等軟性外交手段與世界交流,當時的中宣部部長胡耀邦建議,在文化部之下成立中國電影合作製片公司(中製公司),作為統一管理窗口,開啟了中國與境外合作拍片的序幕。
中国と外国との共同制作には30年の歴史がある。1979年、長年封鎖してきた中国は改革開放のイメージを高めるために、文化やスポーツなどを通した世界との交流を望んでいた。そこで胡耀邦の提案で、文化省の下に海外との共同制作の窓口として中国電影合作製片公司(合作公司)が置かれ、共同制作の歴史が始まった。
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