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■为何抱怨(なぜ不平を言うのか)1/2

昨夏、上海復旦大学での于建嶸先生(社会科学院研究員)講演内容。
正論だ、このような言論がまかり通るような社会になってほしいと思う。

原文は「博客中国」より;
訳文は「思いつくまま」より; 

于建嵘;「让一个和谐的中国走向世界」
2009年8月14日在复旦大学

于建嶸;「円満な中国を世界に向かわせよう」(中国民衆はなぜ不平を言うのか)
2009年8月14日復旦大学にて

各位下午好。
我演讲的题目是“让一个和谐的中国走向世界”。
为什么要讲这个问题呢?因为这个演讲会的主题是“新新中国,走向世界”。而什么才是“新新中国”呢?主办方在这个会议筹办时提出了一个命题,就是希望提倡民众要“不抱怨”,甚至还想在中国推动一个什么“不抱怨”的运动。对此,我心中充满了疑虑。
在我看来,我们今天要特别关注的问题,不是民众可不可以抱怨的问题,而是为何抱怨的问题。前不久《人民日报》下来的一个非常有影响的刊物,约我写的一篇文章。当时我在河南的洛阳调查,他们给我打电话,希望我在这篇文章讲一讲的官员和民众“都不容易”的问题,而且重点要讲我们的人民应体谅政府和官员不容易,让我们的人民体谅国家领导人“不容易”,并就这样官员和领导人看了后就会高兴,也有利于社会和谐。我当时是这么回答说的:“官员不容易是事实,如果官员感到干不下去了,可以下台啊。从来没有求着他们来管我们。”我们民众可以理解你们官员的某些做法,但是官员不应该以此为理由让我们不抱怨。所以我说,这样的文章我不写。他们又跟我谈说我们还是希望你写一篇文章,说现在中国社会发生了这么多的问题,能否让我们的人民知道一个和谐的社会是一个相互理解的社会。我说,这一点是不错的。但是一个国家的安定首先要民安定,而民要安定首先关心民生,假如一个社会都不关心民生,假如我们的知识分子都不看到民间的疾苦,你要民众如何理解呢?我们只要走近真实的中国社会,我们离开上海大都市白领阶层的生活,你就会感觉到各种抱怨充满了中国社会。如果有机会,我建议你们可以看一看石首事件的录相,你就会感觉到几万民众用砖头,用愤怒面对我们武警的时候,我们难道说一说你们不要抱怨,你们要理解政府,你们要克制就行了吗?不行的。我们不能简单地指责我们民众不理智,而更需要去研究民众为何愤怒,为何走向街头,为何敢于与武警对峙。甚至可以说,面对社会不公和腐败,抱怨是民众的一种权利,他们有权抱怨。作为执政者或学者们,没有权力去指责我们的民众抱怨,而是要想办法去改变它,要让我们的民众不产生或少产生抱怨。
那么,如何才能使民众不抱怨或少抱怨呢?我讲两个故事,也许对大家有所启发的。

皆さんこんにちは。
私の講演のテーマは「円満な中国を世界に向かわせよう」です。
なぜこの問題を話すのかというと、この講演会の全体テーマが「新新中国、世界に向かう」だからです。では「新新中国」とは何か? 主催者側はこの会議の準備の時に一つの命題を出したのです。それは民衆に「不平を言わない」よう呼びかけ、ひいては中国で「不平を言わない」運動を起こすというものです。これに対し私は多いに疑念を抱きました。
私が見るところ、私たちが今日特に関心を注がなければならない問題は、民衆が不平を言うべきかどうかという問題ではなく、なぜ不平を言うのかという問題です。最近『人民日報』系列の非常に影響力のある雑誌が、私に記事の執筆を依頼してきました。当時私は河南省の洛陽で調査していましたが、彼らは私に電話してきて、役人も民衆も「どちらも大変だ」という問題、とくに民衆が政府を思いやるべきだということ、役人は大変だということ、人民は国家指導者が「大変だ」ということを思いやるべきだということを重点に書いてくれと言うのです。そしてそうすれば役人や指導者が見て喜ぶし、社会が円満になるのに役立つことにもなると言うのです。私は当時こう答えました「役人が大変だというのは事実だが、もしやってられないと思ったら辞めればいいんですよ。誰も彼らに面倒見てくれとは言ってないんですから」。民衆は役人のやり方を理解することはできても、役人はそれを理由にして不平を封ずるべきではありません。ですから、私はそういう文章は書けないと言いました。彼らはそれでも私に文章を書いてほしいと言いました。そして中国社会にこんなに多くの問題が発生しているけれど、円満な社会とは相互理解の社会だということを人民に分からせるような文章は書けないだろうかと言ったのです。私は、それならいいと言いました。ですが、国の安定はまず人民が安定することであり、人民を安定させるにはまず民生に配慮しなければなりません。もしある社会が全く民生に配慮しなければ、もし知識人が庶民の苦しみを見なければ、どうして民衆に理解を求めることができましょう? 私たちが本当の中国社会に近づくことによって、上海のような大都市のホワイトカラーの生活を離れることによって、皆さんは様々な不平が中国社会にあふれていることを感じることができます。みなさんがもし石首事件のビデオを見たら、数万の民衆がレンガ片を持って、怒りに燃えて武装警察隊と対峙している時に、私たちは彼らに向かって「君たち不平を言ってはいけない、政府を理解しなさい、君たちが我慢すればいいんですよ」と言えるでしょうか? できません。私たちは安易に民衆を分別がないと非難することはできません。必要なのは民衆がなぜ怒っているのか、なぜ街頭に出ているのか、なぜ武装警察隊と大胆にも対峙するのかを研究することです。また、社会の不正と腐敗を前にして、不平を言うことは民衆の一種の権利です。統治者あるいは学者たちには、民衆の不平を非難する権利はありません。むしろ、問題を改める方途を考え、民衆の不平が少なくなるようにしなければならないのです。
では、どうやったら民衆の不平が少なくなるのでしょう? 私は皆さんのヒントになりそうな二つのお話を紹介します。

第一个是有关河南洛阳一个老太太的故事。最近几年我在调查地下教会或者叫做家庭教会。去年,我到了河南的洛阳,在一个偏僻的农村,我见到一个家庭教会聚会点的联系人。她是一个老太太,这个老太太家里已经没有别的人了,就她一个人了。家庭非常的贫寒,什么都没有,但是她的家里却是一个聚会点。看到她老人家生活很艰难,我感到很辛酸,但她本人却非常乐观,总是笑容可掬。我对她讲:“你老人家生活这么艰难,每个礼拜天都要做这么的活动,而且你心里充满了快乐,心中永远那么释然,为什么呢?”她这么告诉我的,她说:“我当然快乐,因为我没有什么可担心的。你看一看天上飞的鸟都有生活,上帝那么关心它,难道上帝不关心我吗?”她说,我今天所面对的困难,所有的一切都是应该的,所以她不抱怨。这是一个真实的故事。这个老太太面对苦难所表现出来的态度,我在许多信仰宗教的民众那里都看到过,他们把现在和未来都交给了他们的上帝或神。
问题是,我们中国人的大多数并不信仰宗教,我们不知我们的上帝或神在什么地方。我们很少去思考人生终极的意义,我们更多的是现世主义者。因此,我们也就很难要求我们的民众从上帝或未来世界中去寻找到内心的和谐和平静。我们只能站在这个充满了不平的世俗世界,惊叹天上的飞鸟的快乐了。

一つ目は河南省洛陽のあるお婆さんの物語です。ここ数年私は地下教会もしくは家庭教会を調査しています。去年、私は河南省洛陽のとある辺鄙な農村に行き、ある家庭教会の集会所の連絡担当者に会いました。その人はお婆さんで、他に同居する人はなく、一人暮らしです。家は非常に貧しく、何もありませんが、その彼女の家が集会所になっているのです。お婆さんの生活の苦しさを見て、私はとても辛い気持ちになりました。ですが、彼女自身はとても楽観的で、いつもニコニコしています。私は彼女に「お婆さんは生活がこんなに苦しいのに、毎週日曜日にこういう活動をして、しかも幸せいっぱいで、いつものびのびしていられるのはなぜですか?」と聞きました。すると、彼女はこう答えました「私は何も心配することがないから、幸せです。空を飛ぶ鳥だってみな生活しているでしょ。神様は鳥にさえ心を配っているのに、私に心を配らないわけがないでしょ?」。彼女は、彼女が今日抱えている困難のすべては、当然のことだから不満はないと言っていました。これは本当の話です。このお婆さんが苦難に向かって示す態度を、私は多くの宗教を信仰する民衆の中に見てきました。彼らは現在と未来をどちらも彼らの神に差し出しているのです。
問題は、我々中国人のほとんどが不信心なので、神がどこにいるのか知らないことです。中国人のほとんどが人生の究極的な意義を考えない世俗主義者です。ですから、我々も民衆に対して神や未来の世界に内心の円満と平静を探すよう求めることはできません。我々はこの不正に満ちた世俗世界に生きているので、幸せそうに空を飛ぶ鳥を見ても感嘆するしかないのです。

第二个故事是我在台湾访问的经历。2004天我应邀到台湾去访问。台湾的邀请方给我的条件是在大学做一个演讲,然后可以进行15天的旅游、参观。当时我向邀请方提出一个要求,我说:“你能不能这样,我讲完后,你给我一张地图,你派一个司机,在派一个买单的,我说走什么地方就走什么地方行不行?”他们说,没有问题,你随便走。于是演讲完之后我从台北走到台南,我问所有见到的台湾老百姓一个问题。
“假如官员把你的房子拆了,怎么办?”99%的人回答说不可能,没有我的同意他怎么敢拆我的房子呢?只要这个房子是合法的房产当官的不敢的。我说假如拆了怎么办?他们会告诉我,到法院去告拆房的人,法官会依靠法律给我判决,而且是判他们赔很多钱。比如是合法并且是我同意拆是10万块钱赔偿,而不经过同意,法官就会判他赔100万。
我接着问:“假如法官不依法判决,怎么办?”人家又回答我说:“不可能”。我们的法官在很多问题可能腐败,但是只有我有明确的产权和证据,他不能也不敢腐败。
我接着问:“假如法官腐败了,怎么办?”他们会说,我找我的议员去告他。我的议员就会来进行调查,我的议员调查之后会就会开新闻发布会,我的议员就在议会提出建议,这个法官和这个政府官员麻烦就大了,他们呆不下去了,他们就完了。
我接着还问:“假如议员也腐败了,怎么办呢?”我一问到这个假如的时候,人家很讨厌我了,说你这个大陆人怎么那么多假如?没完没了的假如,议员再腐败,也会特别高兴管我这个事情。因为议员就是希望发生这个问题,因为有了这个问题,议员只要进行了调查,再经媒体一报道,这个议员就会成为英雄,成了英雄不仅可以当县议员、国会议员,最终还有可能成为阿扁。我说我不相信,议员也会腐败的,会不管你们的事的。他们说不会的,不信可以试一下。一般台湾的老百姓家里面有名片,收的最多的名片就是议员联系卡。我就要他们给议员打电话,一打电话,议员只要在不远的地方马上就会赶到。台湾的基层议员一来,一般都很兴奋,问遇到什么问题,都表示会为选民主持公道。
我接着还问:“假若议员就不是管你的事了,怎么办呢?”。台湾的老百姓告诉我,这很简单,下次选举时不投他的票,让他当不了议员就完了。
我在台湾的访问经历很短。却让我想了很多问题。台湾社会也许存在许多问题,但由于初步建立了民主制度,实现了威权体制向民主体制的转型,台湾老百姓对整个体制有一个基本的认同。他们也许对某个领导人或某个政党不满,有很多抱怨,但不会对整个体制不满,甚至想推翻它。其实我走过世界很多地方。在一些现代民主国家,民众对待我的问题都有基本相同的答案。今天为什么讲台湾,因为我们往往以许多理由,以我们的民族文化、宗教信仰来否定一个现代的社会制度。台湾跟我们有着一样的血缘,一样的文化,基本相同的文化,为什么台湾民众有那么多“不可能”,而我们却不是这样呢?我总结为四个方面。

もう一つのお話は、私が台湾を訪問した時の経験です。2004年に私は台湾に招待されました。台湾の招聘者が私に示した条件は大学で1回講演することだけで、それが終われば13日間の観光、視察ができます。当時私は招聘者に一つの条件を出しました。「私が話し終ったら、地図を1冊と、運転手を一人、それにお金を払う人を一人つけてもらって、自分で好きなところに行くというのはどうでしょう?」。彼は「いいですよ、ご自由に旅行してください」と言いました。そこで私は講演が終わってから、台北から台南に行きました。そこで私は会った人すべてに同じ質問をしました。
「もし役人があなたの家を壊したら、どうしますか?」。99%の人がそんなことはあり得ないと答えました。「私の同意なしに何で勝手に壊せるんだ? もしその家が合法的なものなら役人はそんなことできない」と言いました。私がもし壊したらどうするかを聞くと、彼らは裁判所に壊した人を訴えると言いました。「裁判官は法律に基づいて判決を下すし、多額の損害賠償を命ずる。例えば合法で同意の上の収用の場合に10万元の補償だったら、もし同意がなければ裁判官は100万元の損害賠償を命ずる」と言うのです。
私はさらに続けて、「もし裁判官が法律通り裁判をしなかったら、どうします?」と聞きました。人々はまた「あり得ない」と答えました。「我々の裁判官はいろいろ腐敗もあるかもしれないが、明確な財産権と証拠があれば裁判官は腐敗することはできません」。
私は続けて、「それでも裁判官が腐敗したら、どうします?」と聞きました。彼らは「議員に訴える。議員はやってきて調査し、調査が終わったら記者会見を開き、議会で提案を行うから、そうなったら裁判官と役人はまずいことになる。彼らは辞めなければならなくなる」。
私が続けて、「もし議員も腐敗したら、どうします?」と聞きました。私がこの質問をした時には、相手はすっかり嫌気がさして、「大陸から来たあんたは何でそんなにもしもが多いんだ? 議員はいくら腐敗してもこういう問題には関わりたがるもんだ。なぜなら議員にとってそういう問題が起きれば、調査して、メディアで報道されれば、その議員は英雄になれる。英雄になったら、県議会議員や国会議員になれる。そしてもしかしたら陳水扁にだってなれるかもしれない」と言いました。私は「信じられない、議員だって腐敗して、あなたの問題を取り上げないかもしれないじゃないか」と言いました。彼らは「あり得ない、信じないんだったら試してみよう」と言いました。ふつう台湾の民衆の家には名刺があり、その中には何枚も議員連絡カードがあります。私は彼らに議員に電話するよう求めました。電話すると、議員は遠くに行っていなければすぐに駆けつけてきました。台湾の末端議員は、皆とても興奮して、どんな問題があったのか聞き、有権者のために不正を正すと言いました。
私は続けて、「もし議員があなたの問題を取り上げなかったらどうします?」と聞きました。「簡単なことさ、次の選挙の時に彼に票を入れなければ、彼は議員を続けられなくなる」と台湾の民衆は答えました。
私の台湾訪問はごく短期間でしたが、多くの問題を考えさせられました。台湾社会には多くの問題があるかもしれませんが、権威主義体制から民主主義体制への移行が実現し、基本的に民主制度が確立しているので、台湾の民衆は体制全般に対して基本的に信頼しています。彼らはあるいは特定の指導者や特定の政党に対しては不満で、不平をたくさん言っているかもしれませんが、体制全般に対する不満ではなく、まして転覆などは考えていません。私が行ったことのある世界の多く民主主義国でも、私の質問に対する民衆の答えはほぼ似ています。今日なぜ台湾の話しをしたかと言うと、我々は民族文化とか、宗教など多くの理由をつけて、近代的な社会制度を否定しますが、台湾は我々と同じ血縁、同じ文化、ほぼ同じ文化を持っているからです。なぜこれほど多くの我々には当たり前のことを、台湾の民衆は「あり得ない」と言うのでしょう? 私はその為に必要な要素を4つにまとめました。