■为何抱怨(なぜ不平を言うのか)2/2

第一,要确认和保障公民的基本权利,特别是财产权利。确权特别是对财产权的确认很重要。现在我们大陆在这方面存在许多问题。你不要认为什么是你的,那个房产证是没有用的,我们知不知道哪一天拆掉吗?不知道。我们不在家的时候甚至在睡觉的时候房子就被拆掉了。我们的农民的土地,说是“集体所有”,可在许多地方已沦为了少数人所有,搞一个什项目就让农民无地可种,无业可就,可社会保障的三无农民。我们的工人在工厂工作了几十年,突然说改制了,你就得下岗而且什么也没有了。这样的事,到处都是啊。今天在座的提倡要民众不抱怨的上海学者白领们难道不知道吗?事实上,上海也有的。最近我在做一个纪录片子,其中一个故事是有关一个上海女市民到北京上访的。她跪在地上说:“天啊,给我房子,我要一个地方安身,我在生存啊”。假如我们一个宣称执政为民、以民为本的“社会主义国家”,连我们老百姓最基本的权利都不能保障的话,我们有什么理由让我们民众不抱怨,让我们的民众理解我们的政府。我们没有这个理由。我今天在这里要告诉你们或我们的当政者,你要让你的人民不抱怨,你要让你的人民对你理解,你要让你的人民不走上街头,你首先给明确和保障他们最基本的权利。这个权利不是封建社会给予他们的权利,而是现代社会的公民权利。没有这一点,请问我们有什么理由,我们有什么资格,让我们的民众不抱怨?没有!
第二,要有权威的司法制度,要让司法成为民众权利救济最后的底线。一个现代社会,社会成员之间或民众与公权机关发生了纠纷,并不可怕,可怕的是权利被侵犯了,得不到应有的救济。假如我们的司法不能保障民众的法定权利,我们的司法不能成为社会公平公正的底线,我们有什么资格和理由要那些权利受到损害的民众不抱怨呢?事实上,我们今天司法体制存在许多问题,我们的民众已不那么相信司法能给社会带来公平和公正。无论一个什么样的判决,当事一方都有可能告诉你,“我不服!,因为司法腐败!”为了这个不服,公民选择上访,选择进京寻找大领导的上访,他们中有人为“领导批示”在北京坚持数年。而我们的执政者却对信访这种典型的人治制度津津乐道,甚至把其当成主要的社会救济方式。而现实中,民众则在长期的上访中因被劳教或送进精神病医院失去了对国家司法的最后信任。在这种情况下,要求我们的民众“不抱怨”就相当于给他们麻醉剂。是不理要求我们的民众被打左脸,还把右脸给你吗?这是不行的!我们要抱怨这个不公平的司法制度,而且不仅仅是抱怨,我们还要抗争。因为有了这个抱怨和抗争,我们才能建立一个公平公正而有权威的司法制度。
第三,要有真正的代议制度,让我们的人民代表真正能代表人民。我们每一个人不可能直接管理这个国家和社会,我们需要自己的政治代表。现代民主制度中的代议制是人类社会文明的结晶。我们可以通过选票决定谁来代表我们的利益。这种制度,我们有吗?从行文法来说,我们是有的。但现实中,我们现在还没有。我不知道今天在座的有多少参加过人民代表大会的选举,你们投了谁的票?我不知道谁是我的代表?我们只知道有三个代表,但是我不知道我的三个代表在什么地方?我们需要改变,假如这一点也不能改变,你怎么叫我们的人民不抱怨呢?你在中南海要求全国人民不抱怨,你在复旦大学告诉大家不要抱怨,还开展不抱怨运动。我告诉你们,不改变这种制度性的缺失,民众就会有抱怨,而且也不可能有什么不抱怨的运动。
第四,要有一个开放的媒体,让民众的抱怨有正常的宣泄。假如今天我们所有人都不能真实地表达自己的不满,他们只能在家里抱怨,可能最后走向街头,用大砖头表示他的抱怨。为了让我们的民众不抱怨和不走向街头,我们就需要给他们抱怨的机会,让他们有正常的渠道发泄他们心中的不满,而不是给他们一个类似鸦片的“不抱怨运动”。

第一、国民の基本的権利、とりわけ財産権を確認し保障されなければならない。今中国にはこの面で多くの問題があります。今の不動産権利証に意味はありません。いつ強制収用されるかわかりますか? わかりませんね。私たちが不在の時や、さらには寝ている時に家が壊されるのです。農民の土地は、「集団所有」だと言われますが、多くの場合少数者の所有になってしまっていて、何かプロジェクトが来たら農民は土地を失い、仕事を失い、社会保障のない、三無農民になってしまいます。労働者が何十年も仕事をしてきた工場から突然リストラと告げられ、失業してすべてを失う。こういうことが至る所で起きています。今日ご参加の民衆に不平を言わないことを呼び掛けている上海の学者、ホワイトカラーの皆さんはご存じないのでしょうか? 実際は上海でも起きています。最近私は記録映画を作りましたが、その中には上海の女性が北京に陳情に行く話があります。彼女は地面にひざまずいて「なんてことなの、私の家を返して、私は住む家が必要なの、私は生きてるのよ!」と言いました。もし人民のために統治し、人民を基とする「社会主義国家」といわれている我が国が、庶民の最も基本的な権利すら保障できないのなら、一体民衆に不平を言わせず、民衆に政府を理解させる根拠はどこにあるのでしょう。そんな根拠はありません。私が今日みなさんや我が国の統治者に言いたいことは、もし人民に不平を言わせたくなければ、もし人民に理解してほしければ、もし人民が街頭に出るのを止めたければ、まず先に彼らの基本的権利を保障しなければならないということです。その権利は封建社会が与える特権ではなく、現代社会のすべての国民の権利です。それがなければ、我々にどんな理由があって、どんな資格があって、民衆の不平を禁じるのでしょう?
第二、信頼できる司法制度が必要です。司法を民衆の権利救済の最後の砦にしなければなりません。現代社会では、社会構成員間あるいは民衆と公権力機関との間に紛争が生ずることは、恐れるべきことではありません。恐ろしいのは、権利が侵害されたときに、必要な救済がなされないことです。もし我が国の司法が民衆の法律上の権利を保障できなければ、司法は社会の公平公正のセイフティーネットにはなりえません。とすれば我々はいかなる資格があって権利を侵害された民衆の不平を禁ずることができるでしょう? 実際、我が国の司法制度は多くの問題を抱えており、民衆は司法が社会に公平と公正をもたらすとはあまり信じていません。どんな判決でも、一方当事者は「司法が腐敗しているから、私は不服だ!」と言う可能性があります。この不服のために、国民は陳情を選択します。北京に行ってえらい指導者に頼る陳情を選択し、中には「指導者の指示」を求めて北京で何年も頑張る人もいます。ですが、我が国の統治者は陳情という典型的な人治〔法治に対する語〕について自慢げに語り、はては主な救済方法とさえみなしています。現実には、民衆は長期間の陳情の間に労働矯正所に送られたり、精神病院に強制入院させられたりして国家司法に対する最後の信頼さえ失ってしまいます。このような状況の下で我々が民衆に対して「不平を言うな」と言うのは彼らに麻酔注射をするに等しいことです。民衆の左の頬を打って、その上右の頬を差し出すよう命じますか? そんなことはできません! 我々はこの不公平な司法制度に対して不平を言うべきです。そして不平だけでなく、闘わなくてはなりません。不平の訴えと闘いによって初めて公平公正で信頼できる司法制度ができるのです。
第三、正真正銘の代議制度が必要です。人民代表に本当に人民を代表させなくてはなりません。私たち一人一人が直接この国家や社会を管理することはできないので、自分たちの政治的代表が必要です。現代民主制における代議制は人類文明の結晶です。民主制では選挙によって誰が我々の利益を代表するのか決めることができます。そういう制度が我々にあるでしょうか? 法文の上では私たちにもあります。ですが実際には、まだありません。今日来ておられる方の何人が人民代表大会の選挙に参加したことがあるでしょう? 我々はだれに投票したのでしょう? 私は自分の代表が誰かを知りません。私たちは三つの代表〔江沢民が唱えた。共産党は先進生産力、先進文化、人民の根本利益の三つを代表しているという主張。〕を知っていますが、私の三つの代表がどこにあるのか知りません。私たちは変える必要があります。もしこれさえ変えられなければ、どうやって不平を黙らせることができましょう? 中南海にいて人民に不平を言うなと要求しても、復旦大学にいてみんなに不平を言うなと言っても、不平を言わない運動を展開しても、このような制度上の欠陥を改めない限り民衆は不平を言うし、不平を言わない運動など広がるはずがありません。
第四、それによって民衆の不平を正常に発散させる、開かれたメディアが必要です。もし今日、全ての人が現場で本当に自分の不満を表明できなければ、家で不平を言うしかなくなり、最後は街に繰り出し、レンガ片で自分の不満を表明することになるでしょう。民衆が不平を言わず街に繰り出さないためには、アヘンに似た「不平を言わない運動」を展開するのではなく、彼らに不平を言う機会を与え、彼らに正常なルートで内心の不満を発散させる必要があります。

我说的这些观点,主办方也许不高兴,没有关系,下次不请我。而且,我认为主办方也不会不高兴,因为你们主张不抱怨。那么请首先不抱怨我,假若这一点也做不到,那就很难说得过去了。而且,我也并不是为了与主办方作对。我讲这些,实际上就是在表达我们这个社会应如何对待弱者的情绪,特别是制度建设方面的内容。这实际上也一个大国应的。今天上午几位演讲人都提到了中国已成为了大国,而且正在走向世界。我则认为,如果我们没有进行必要的制度建设,何来的大的国呢。中国社会的软实力在什么地方?首先在于我们的制度建设,在于我们人民对我们制度的认同。假若我们的民众有一天告诉你,无理拆迁、司法不公、被代表等等都成为不可能时,我们才有资格说中国已有成为一个大国的可能。这就是我们的实力,这就是中国走向社会、走向世界的真正的实力。谢谢各位。
私が以上の観点を述べたことは、主催者を怒らせたかもしれませんが、大丈夫、次回は私を呼ばなければいいんです。また、私は主催者は怒らないだろうと思います。なぜなら彼らは不平を言わないことを主張しているのですから。まず率先して私に対して不平を言わないでください。もしそれさえできないのであれば、とても筋が通りません。しかも私がこういう話をするのも、主催者と対立するためではなく、我々の社会が弱者の気持ちに向き合うようにする制度建設のためです。これは大国として当然のことです。今日の午前中の講師の方々は、皆さん中国はすでに大国になり、世界に向かっていると話されました。私はもし必要な制度建設がなされなければ、一体どこが大国なのかと思います。中国のソフトパワーはどこにあるのでしょう? それは、まず制度建設に、人民の制度に対する信頼に求められるべきです。もし民衆が、不当な強制収容、司法の不公正、代表の押し付けなどが無くなったと言った時、初めて中国は大国になったといえる資格が生じると思います。それこそが私たちの実力、中国が社会に向かい、世界に向かう時の本当の実力です。ご清聴ありがとうございました。
原文は「博客中国」より;
訳文は「思いつくまま」より; 


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