■大連にて故山口一郎教授を偲ぶ

このまちは中国北方地域のなかで唯一私の肌に合うまちだ。

いつ来ても何かほっとするようなまちの匂いを感じる。
緩やかな坂、港、市電、レトロな洋館、日本時代の建築物といった「アカシアの大連」(清岡卓行著)の世界と、都市開発によるモダニズムが新旧交々の雰囲気を醸し出している。
北京のような大味なだだっぴろさ、瀋陽のような暗さ、天津のような汚れを感じない、こじんまりと小奇麗にまとまったまちだ。
多分に神戸と対比して見てしまう。
どうも私の感性は水っぽさ(ネオン街とは違うよ)を求めているような気もする。
海や河と緑の山・丘、それに街路樹・濡れた葉や草、多少湿っぽい空気、そんな背景に人の生活と息吹を感じる都市の様相が旨く配合されていればじっくり腰を据えてその中に自分を置いてみたくなる。
だから北は総じて辛い。南が肌に合う。
大学時代の一期後輩(実は同い年)で、今は日立に勤務する阿部という男がいるが、彼も頻繁に中国出張があって、私はふと思い立つと彼の携帯に電話をかけるのが習性になってしまった。
不思議なことに十中八九つながる。
同じまちにいて再会したのは上海での一度きりだが、お互い同じ大陸のどこかにいるんだという安心感があって、学生時代一途に中国語を学んでいた頃の気分に些かでも浸ることができリフレッシュできる。
で、彼は大連出張が多く、逆に私が大連にいるときは何故か他のまちにいる。
(敬遠されてるのかな?)

故山口一郎神戸大学名誉教授とは、ずっと以前、北京で職場も住居もご一緒させていただいた。
先生は文部省出向の単身赴任、私は未だ学生気分の抜けない好奇心旺盛な20代なかばの青二才で、大学教授から見れば、やんちゃな学生と思われていたに違いない。
更には、先生も私も同じ兵庫県民であったことも、可愛がっていただいた背景の一つかもしれない。

北京では、建国門外斉家園外交人員公寓に私たちは住んでいた。
当時としては市内一の高層(15階建て)マンションで、唐山地震の折には激しい揺れと今にも崩壊しそうな音により圧死を覚悟したくらいだ。
今年も二度北京を訪れたが、我が「斉家園」は健在だった。
但し周囲は一変し、高層ビル群の中で精彩はなかったが。

先生とは外食仲間であった。
たまには自炊もするが、お互い単身の身軽さもあってよく食べ歩いた。
先生と食卓を囲む時間と空間は、私にとっては有意義且つ楽しい授業でもあった。
近代思想史の学者で、著名な孫文研究家である先生とご一緒しているにも拘らず、実は私は一度もご専門の講義を拝聴していない。
失礼な言い方ではあるが、先生との会話はアカデミックな色がまったく無かった。浅学な私のために身近な事象から解きほぐして語られたので、より興味深く鮮明に心に残っている。

帰国後数年を経て、神戸(鴨子が原)のご自宅に何度も先生を訪れた。
先生は神戸大学を退官され、関西大学に移られた。お忙しい時間を割いて、私の結婚式にもご出席くださりスピーチまでいただいた。
当時、先生は「今度、大連に日本の文化センターのようなものをつくるんだが、きみ行ってみないか」と何度もお誘いを受けたことがある。
当時私はどうして先生のお誘いに応えなかったのか? 
そんなことが想い出され、先生を偲んで一人酒を酌む。

大連。
いい響きだ。
真冬の大連は経験が無いので、寒さに滅法弱い私にはそれが気になるが。
明日は山東半島煙台へ向かう。
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by officemei | 2005-10-09 22:08 | ■遼寧