■煙台にて

空港に着くと久しぶりの顔が出迎えてくれた。

姫路の老舗レストラン「新北京」の王世鐘さんだ。

後継者に後を譲って神戸の自宅に家族を残し、母方の里、ここ煙台で悠々自適の生活を送っていらっしゃる(当地で日本語を講義されている由)。
この人は生まれも育ちも学校も関西なので、華僑というよりも知性的関西人と言ったほうがぴったりくる。


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夕刻までのひととき、合歓の木の街路樹、坂道、市場、旧市街「所城」の胡同等を二人で散策し、その後一人住まいのお宅にもおじゃまし、近くのレストランで食事をともにした。
話は尽きなかったが王さんは明日神戸に一時帰国(?)されるし、私は朝から面談があるので9時前に散会。

山東省内では済南、湽博、青島を訪れたことはあるが、このまちは初めてだ。
王さんの話によると、煙台という地名はそもそも明の時代に倭寇の来襲を狼煙で報せる砦に由来するらしい。
「芝罘」という地名が中国近代史の中にかなりの頻度で出てきたと記憶しているが、東隣のまちが「威海」即ち清朝末期の海軍基地「威海衛」だし、日清戦争後の条約などでこの芝罘という地名が年表のどこかに出ていた筈だが、残念ながら手元に調べるすべが無い。
煙台市の中に「芝罘区」とあるから、ここは嘗ての「芝罘」なのだが。

山東省は嘗ては貧しい地域だった。
「討荒」といって、この地から旧満州へ流れていった人は相当多い。
宋の時代、水滸伝の舞台梁山泊の兄さんたちも多くは地元山東の食詰め者で、清朝末期の義和団の乱も山東人によって起こされた。
古代においては山東には斉の国があり、国都臨湽は当時一番の盛況を誇る大都市であったし、孔子の故郷である魯の国も現在の山東省内にあるので、燦然と輝く中原文化の版図に属するが、東端に位置するこの辺りは同じ山東でもその圏外、未開の地であった。
そもそも「中原」とは現在の黄河中流域周辺を指すから、沿海地域などは文化及ばぬ野蛮な地という概念が古代から中世まで存在していた。
近代になると、ドイツが青島に租借地を構え洋風の街並みが現出する。「青島ビール」の味はドイツの技法を今日まで伝えており、ここ煙台は19世紀末からの歴史を誇る「張裕」ブランドのワインとブランデーで全国、否、全世界に名を馳せている。
清朝末期、列国は相次いで沿海地域にその橋頭堡ともいうべき租借地を築き、ここに初めて洋風文化が根付いた。
以来上海を筆頭に、天津、大連、青島、そしてここ煙台等の地は、異文化体験を有するまちとして位置づけられ、それらのまちも人民共和国建国から文革の終焉までは逼塞を余儀なくされていたが、開放路線の始まりとともに蘇生し、既に約25年近く中国の経済発展の牽引役となっている。

大学時代の恩師である故井上隆一教授は、戦時中に山東の「坊子」という田舎町の駅長をされていた。
酒を酌み交わしながらその当時のことをよくお聞きしたことが今も脳裏に刻まれていて、山東に来ると恩師の面影をふと追ってしまう。
この恩師によって私の今日があり、弟子の私は今もこうして中国の地を飛び回っている。
(お元気な頃の井上隆一教授と奥様)
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さて現代の煙台はどんなまちなのか。
初の訪問で時間もさほど取れないので、まだ嗅覚に匂いを感じないが。
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by officemei | 2005-10-09 22:12 | ■山東