■テレサ・テンを偲んで

晴時多雲偶陣雨 晴れ時々曇り、たまに雨。

北部台湾の天候は一日にめまぐるしく変わることがある。
特に基隆のあたりはよく雨が降る。イメージとしては「雨の基隆港」という感じだ。
快晴の台北から高速道路を走って30分余り、基隆のはずれ大武に入ると曇ってきた。
そこから北部台湾の海岸線に沿って、萬里郷を経由し金山郷へ向かうと小雨になった。
金山のまちで軽い食事をとった。ここは北部台湾では有名な媽祖廟があるところで、さながら小さな門前町の体をなしている。
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「美人腿」という俗称の筍に似た惣菜がちょうど旬でそれを食した。
白い肌で、一端が太く、もう一端が細くなった植物の茎。美人の太腿を彷彿させて言い得て妙なネーミングだ。
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金山郷に金寶山という墓苑がある。高級別荘地ならぬ高級墓地で、一区画ごとの広さは日本のそれと比較しても20倍を下らない。
その一画にひときわ広い鄧麗君(テレサテン)の墓所がある。
何年か前にはわざわざ墓参のためにここへ来たが、このたびは基隆での仕事のついでに寄ってみた。
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今年は逝去10周年にあたる。
1995年5月8日にタイで急死した。
まだ40代前半の若さだった。
彼女のファンは日本にも多いが、全世界の中国人社会で彼女を知らない者はいないほど大きな存在だった。
日本ではテレビの臨時ニュースで急死が流れ、全世界の華人社会では臨時特別番組が組まれ、各地で追悼集会が行われた。
台湾では「国葬」並みの葬儀が行われた。

開放前の中国においては、「明るいうちは鄧小平が支配し、夜は鄧麗君が支配する」と言われたほどに、厳しい時代の中で彼女の歌声が民衆の安らぎとなった。
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因みに私は彼女が日本の歌謡界にデビューして以来のファンで、当時のLP盤からカセット、CD、ライブのDVD版までほとんど所有している。
開放前の1975年から1978年の間を北京に暮らした私にとって、彼女の歌声がどれほどストレスを癒してくれたことか。
年に二度ほどクーリエで香港に出張する機会があったが、必ずレコード店で彼女のカセットを漁った。当時は勿論、中国国内で彼女のレコードやカセットは合法的に手に入らず、北京に持ち帰り毎夜ボリュームアップして聞くのが楽しみだった。



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鄧麗君手稿;
不了情;

財団法人鄧麗君文教基金会
台北市松山区延吉街30巷10号 TEL0225776141
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筠園(鄧麗君の兄が経営するレストラン)
台北市忠孝東路4段553巷18号 TEL0227642401
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さて、中国CCTVがテレサに関するドキュメントを放送したことがあるが、彼女の反共活動については当然紹介していない・・・
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邻家小妹邓丽君 02 
邻家小妹邓丽君 03 
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by officemei | 2008-09-25 19:08 | ■台灣