■ 嗚呼!大陳島
私は国慶節の日を四度北京で迎えたことがあります。1975年から1978年の国慶節でした。
毛沢東が北京天安門上で高々と(キンキン声で)中華人民共和国成立(建国)を宣言したのが1949年10月1日のことです。その日の中国は、実は中華民国と中華人民共和国の二政権が支配していたのです。
中華民国は首都南京や上海を奪われましたが、その日はまだ広州に政権が存在していました。その後、重慶、成都と転々とし、1949年12月7日に台湾に移るまで中華民国政府所在地は中国にあったのです。更にその後も北は舟山諸島から南は海南島に至るまでの沿岸の島々は、中華民国支配下にありました。
1950年になって共産軍(人民解放軍)が海南島や舟山列島等を占領(解放)しますが、10月の朝鮮戦争出兵(義勇軍と言われています)で作戦は中断します。
当時はまだ中華民国軍(国府軍)が福建沿岸の金門・馬祖島と、浙江沿岸の大陳列島を「大陸反攻」の拠点として、中国沿岸を海上封鎖する力を持っていたのです。
1953年、共産軍(人民解放軍)は再び沿岸の島々の奪還を目指します。
1955年、中華民国政府はやむなく大陳島撤退を余儀なくされ、住民や守備隊は台湾に移ることになりました。「反攻大陸」の橋頭堡であった大陳島が失陥したことは大打撃でした。
2013年現在、中華民国の行政下にあるのは台湾本島とその周辺島嶼、そして福建厦門沖にある金門馬祖です。
中華人民共和国国慶節の日に、1955年のターニングポイント・大陳島撤退(大陳島解放)を考えてみました。