■ 前陸軍少尉小野田寬郎逝去

e0094583_10281019.jpg終戦(1945年)から29年目になる1974年まで、フィリピンのルバング島のジャングルに立てこもった小野田寛郎さんが1月16日に亡くなられました。
驚いたことには、人民日報系の環球網でさえも、「第二次世界大戦の日本軍少尉が死去。連合国軍の投降命令を無視して29年間、頑強に抵抗」との見出しで、小野田さんの死を報じたことです。
記事は、小野田さんの経歴を「1922年3月に日本の和歌山県海南市で生まれ、1944年に陸軍中野学校二俣分校に入学。ゲリラ戦と情報戦の訓練を受け、卒業後はフィリピンのルバング島という小島で任務を遂行」、「1945年に日本が降伏したとの米軍のビラを見たが、内容と日本語がおかしいとして信じず、米軍の投降勧告を拒絶して、作戦を堅持した」などと小野田さんの経歴を簡単に記載。
1974年に日本人冒険家の鈴木紀夫さんに発見された際にも「指揮官の命令がなければ投降はしないとの姿勢を貫いた」と紹介しています。

このニュースを受けて、ネットでは、「この方は、すばらしい日本人だ」、「敵ではあるが尊敬せずにいられない」、「29年頑張った老兵。ジャングルを探検する勇者(中略)これらのひとつひとつが日本の強大さを構成しているのだ」、「政治や戦争という要素を別にして、これは尊敬するに値する軍人だ。われわれには、このような人物が欠けている。日本の武士道精神は本当に、恐るべきものだ」などの書き込みが見られました。
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実は、私が初めて小野田さんのニュースを知ったのは、1974年の台北でした。
当時、台北の街頭で買った新聞がこれです。

武士(もののふ)とはどんなものか、考えてみたくなる気がします。合掌・・・
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曾被視為「二戰最後投降日軍」的前日本陸軍少尉小野田寬郎16日病逝東京一家醫院,享壽91歲。他在二次大戰期間被派到菲律賓盧邦島作戰,大戰結束後約30年之間他潛伏在盧邦島叢林生活,返回日本後還開設野外求生學校,教導求生技巧。
日本媒體報導,小野田的親人表示,他6日因感冒身體不適住院,16日傍晚因肺炎病逝。
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小野田1922年生於日本和歌山縣,1942年12月被徵招進入和歌山步兵61連隊,1944年9月進入陸軍中野分校接受游擊戰訓練。1944年11月被派到盧邦島擔任守備任務,美軍攻佔盧邦島後,小野田的部隊撤離當地,他與3名同僚進入叢林從事游擊戰。當時他的長官對他說:「我們現在暫時撤退,你們到山林裡進行游擊戰,我不准你自殺或者投降,3~5年之後,我們將會回來,你一定要堅持到我們回來。」
因此,即便二戰於1945年結束,他還跟其它3名同袍潛伏在叢林。1950年,赤津一等兵向菲律賓警方投降,並加入勸降其它同伴的行列。僅管菲律賓政府在1952年起將小野田家人所寫的家書與日本報紙空投至叢林裡,但是他人仍不為所動,認為這是美軍的計謀。
躲藏在叢林這段期間,他們以叢林裡的果實與村落裡民眾飼養的家禽為食物來源。1972年,他與最後一名同伴與當地警察進行槍戰時被發現。1974年3月,日本探險家鈴木紀夫帶來小野田二戰時指揮官谷口少佐的投降命令,才離開叢林向菲國警方投降,返回日本。在他躲藏叢林29年期間,一共造成了130名以上的菲律賓人傷亡,其中包括了士兵、警察和平民,後來得到了菲律賓總統的特赦。
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回到日本後,小野田曾一度無法適應日本的社會生活,他一度前往胞兄在巴西經營的牧場居住。1984年起,回到日本在各地成立「小野田自然塾」,教導學生如何野外求生。1989年自費設立財團法人,1996年重回盧邦島,捐款給當地孩童當獎學金。
2005年他獲得藍綬褒章,近年來他在日本的小學、中學等演講,講述戰爭的體驗。晚年每當聽到日本軍歌時,他甚至會感動的落淚。
對於小野田的過世,內閣官房長官菅義偉17日在內閣會議後的記者會上表示,小野田在叢林中秉持強韌的意志生活,之後也以開拓的精神努力生活,祈求他在天之靈安詳。




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by officemei | 2014-01-18 11:21 | ■日本