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■ 革命委員会にて(古いアルバムから)

1978年12月、鄧小平は「四つの近代化」を掲げ、市場経済体制への移行を決定します。
先に豊かになれるところから豊かになり、その影響で他が豊かになればよいという、いわゆる「先富論」を掲げ、国内体制の改革と対外開放政策が始動しました。改革開放政策のスタートでした。
1980年から実質的に深圳、珠海、汕頭、アモイ及び海南省に5箇所の経済特区を設置し、1984年には大連、秦皇島、天津、煙台、青島、連雲港、南通、上海、寧波、温州、福州、広州、湛江、北海の14沿海都市を開放していきます。
今日の中国の繁栄は実にこの時期から始まったのです。

文化大革命当時、中国各地には「革命委員会」なるものがありました。はっきり言ってわけのわからない革命的大衆,革命的幹部,それと人民解放軍代表のごちゃまぜ「三結合」による革命委員会が、本来の地域行政を担うべき各地の人民政府に取って代わって君臨していたのです。しかし、この革命委員会も文化大革命の終息により消えていき,旧来の党と行政機構(人民政府)が復活します。写真は、改革開放路線のゴーサイン発令後の1979年11月時点のものですが、革命委員会はまだ機能していました。
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