■台湾人は「赤」と「偶数」がお好き

台湾の観光地を歩くと、○○八景といった、「八」の付いた地名が非常に多い。高雄郊外の有名観光地の澄清湖、ここの見所は西湖八景であり、清朝時代からの古い街、彰化を象徴するのも八卦山である。
日本は七福神、ラッキーセブンなのに対し、台湾は八仙、八卦、八徳という具合に「八」が吉祥の数字である。
これは中国人共通の考え方で、香港などではマイカーのナンバープレートが「8888」と並ぶのが憧れの的。「八」は「発」、すなわち「発財」(儲かる)に通じるし、「欲満未満」といって、日本人的な末広がりの意味もある。

総じて台湾人は「偶数」が好きだ。偶数は夫婦一対を表し、奇数では一つあまってしまうからだ。身近なところでは友人、知人の結婚式の祝儀袋(紅包)だが、その中身は10年前なら600元、今は2000元とか2200元が相場。逆に葬式の香典は1100元と上二桁を奇数にするのがエチケット。しかも祝いごとには赤い袋に赤いお札、葬儀用には白い袋が常識。

このように、台湾の慶びごとには「赤色」と「偶数」が欠かせない。台湾庶民最大のお祭りである旧正月の飾り付けも「赤」が基調だし、中華民国最大の国家行事は10月10日の双十節(中華民国建国のため、1911年10月10日、武昌で清朝打倒の革命を起こした日)である。最近人気のワインも肉、魚料理にかかわらず、だんぜん赤ワインである。この赤と偶数をドッキングした、文字通り二重の喜びを象徴するのがずばり「喜喜」の字。結婚式などお祝い会場には必ず赤い字の「喜喜」が貼られ、「喜喜」字入りの甘いお菓子が配られる。

そのルーツは中国の歴史上有名な王安石によるという説がある。王安石がまだ若い頃、中央での立身出世をめざして科挙(国家試験)に挑戦した。試験場に向かう途中のとある民家の石門に「走馬灯、灯走馬、灯熄馬停歩」と書かれた「対聯」を見かけた。対聯なのに左門に一つの文句もないのがどうにも気になった。次の日、試験場で試験官が虎の旗を見て「飛虎旗、旗飛虎、旗巻虎蔵身」と唱ったので、王安石はとっさに「走馬灯……」を唱い返したところ、試験官から絶賛される。そこで王安石は試験場からの帰路、民家を訪ね、左門に「飛虎旗…」の対句を申し出た。すると、その家の主人が「これでわが家の婿殿がついに見つかった」と大喜ぴするではないか。聞けば家の門に対句を考えた若者に美しい娘を嫁にくれてやることになっていたとのこと。これは独身だった王安石にとって願ってもない朗報となり、その日のうちにめでたくゴールイン。そこへ、科挙の合格の知らせが舞い込んできたものだから、王安石は二重の喜びを自慢の筆で赤い紙に「喜喜」と書いたというわけだ。

365日、どこかでお祭り

台湾人はこうして祭りや祝いのたびごとに、赤と偶数を基本に金銭や品物をプレゼントし合う。これだけでも台湾人のおつき合いは並大抵ではない。祭りと名の付く行事がやたらと多いのだ。

まず年間を通じて、旧正月(春節)、旧暦5月5日の端午節、旧暦8月15日の中秋節の三大節句を中心に、旧暦3月23日の媽祖誕生祭など、それぞれに信仰する神様の誕生日や寺廟の増築祝いなどが次々とやってくる。さらに原住民固有の秋の収穫祭や正月行事(新暦で)が四季を彩る。

台湾では主な神様の誕生日だけでも三日に一度といわれ、信者はその都度お祝いの品々を届け合い、飲めや歌えの宴会をしなくてはならない。そのあまりの飲食代に政府から時々「自粛せよ」とのお達しがあるほどだ。

飲食代ならまだしも、祭りがフィーバーしすぎて、大事な生命を落とすこともある。旧暦7月15日の中元節に大平洋岸の頭城という町で行われる「搶孤」祭はその最たるもの。高さ30~40メートルもの櫓のてっぺんをめざして屈強な若者たちが木登り競争に興じるのだ。しかも、その木登りたるや、わざと牛油などをぬって落ちやすくしているから、危険この上ない。実際、過去に何度か犠牲者を出し、祭りが中止になったこともある。

ちなみに旧暦7月は「鬼の月」と呼ばれ、あの世の鬼どもが一斉に地上に降りてきて、人間にいろんな悪さをする月とされている。だからこの月は鬼どもに悪事をさせないよう、前述の「搶孤祭」のように天に向かって「ご馳走の塔」(ここを木登り競争する)をつくってご馳走攻めにしてしまおうという寸法だ。そして庶民は「鬼の月」に限っては結婚式や家の新築などの祝いごとはすべて御法度、いわんや暑いからといって海や川で泳ごうものなら、たちまち鬼どもに足をすくわれてしまうというわけで、台湾人は金槌が多い。

面子をかける結婚式と葬式

台湾人ならではの習慣を誇示するのが、なんといっても結婚式と葬式である。面子を重んじる台湾人にとって、人生の二大行事ともいうべき結婚式と葬式こそ家柄を誇示する絶好の見せ場だ。

まず結婚式であるが、花婿、花嫁の両家ともこの好機とばかり大枚をはたく。今の時代、聘金(結納金)は1億円もざらではない。嫁ぐ側もいかに多くの持参金と嫁入り道具を乗せた荷車(最近は軽トラ)がどれだけ長いかが勝負である。

そして、いよいよ本番の結婚披露宴。これぞ両家の面子をかけた動員合戦の成果である。ある国会議員の披露宴にはなんと一万人を越える出席者が押し寄せた。宴会場の広さもさることながら、並べた椅子、テーブル、料理だけでも想像を絶する。

普通の家でも披露宴だけは盛大にやりたいと、ほんの一言交わした程度の人まで招待状を出すから、招待されるほうとて「紅包」が気になってしかたない。このあたり、お祝いごとは村じゅうで盛り上げる沖縄の習慣とよく似ている。

葬式がまた見ものである。外国人が見たら、どこかのスーパーの開店祝いかと見間違うほど派手なパフォーマンスが繰り広げられる。荘厳な式典というよりは祭典の世界だ。ここでも主役は女性たちだ。両親のどちらかを亡くした息子夫婦の場合はその嫁に、夫を亡くした場合はとうぜんその妻に、会場の目はぐき付けとなる。愛する親や夫を亡くした女性たちは、果たしてどれだけ多くの涙を流すのか、世間の関心はただこの一点に集中するからだ。

したがって、孝家(死者の出た家)の女性たちはプロの「泣き女」(台湾の葬式に欠かせない泣き上手な女性軍団)に負けじと棺桶に向かって一生一代の「名泣き女」ぶりを見せつけなくてはならない。その際、少しでも泣き声が低かったり、心がこもっていなければ、たちまち世間から「哭翁想要嫁、哭苦看範勢」(夫の死を泣いているふりをしながら、心の中ではすでに次の再婚の相手を探している)ずるい、したたかな女だと、情容赦ない審判が下される。いやはや、泣く主役たちはしんどい。暴れ狂うほど、ひたすら号泣し続けなくてはならないのだ。

葬式のもう一つの見どころは孝家が死者のためにどれだけのお金をかけるかということだ。それによって、死者への思い、親孝行の判断材料となるだけに、孝家は結婚式にも劣らぬご馳走をふるまい、葬儀パレードは交通渋滞もなんのその、音楽隊を先頭にぴかぴかの電子花車(その中には政府の自粛要請をふりきって、今なおストリッパーまでが式典を盛り上げる)が延々と街じゅうを練り歩く。まさに葬式こそ台湾面子社会の華である。
「台湾人のまっかなホント」より
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by officemei | 2006-01-14 16:50 | ■台灣