■銅像の行方

台湾各地の公立小学校や中学(中学と高校)などから取り除かれた蒋介石の銅像は、慈湖の蒋介石陵傍にある彫塑記念公園に「鎮座」している。既に113体に及ぶが、中には孫文や蒋経国の銅像も混ざっている。今後更に増える見込み。
さて、こちら中国ではまだまだ毛沢東の彫像が各地に「鎮座」しているが・・・
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「慈湖」
台湾北部、台北市から30キロほど離れた桃園県の山中、慈湖という湖の近くに「慈湖」と「頭寮」と呼ばれる2つの屋敷がある。ここにはそれぞれ、蒋介石と蒋経国という台湾の元総統(大統領)の遺体が安置されている。

蒋介石は中国大陸の浙江省の生まれだが、第2次大戦後、国民党軍を率いて共産党軍との内戦を戦って破れた結果、1949年に国民党の主力部分とともに台湾に逃げてきた。蒋介石はそれ以来、大陸に反攻して共産党を倒すことを目標に掲げ、それを達成できないまま1975年に死去した。「大陸を奪還するという志が半ばであるうちは死に切れない」「遺体は大陸の故郷である浙江省奉化県に埋葬してほしい」という本人の遺志に基づき、遺体は埋葬されず「お通夜」の状態に留め置かれ、生前に蒋介石が「故郷の景色に似ている」と言ってお気に入りの場所だった慈湖のほとりの別荘が遺体安置所に定められた。

蒋介石の死後、長男の蒋経国が総統職を継いだが、1988年に蒋経国が死去したときにも、まだ「大陸反攻」は実現していなかった。それどころか、1979年にアメリカと中国共産党政権が国交を回復し、事態は台湾にとって不利になるばかりだった。蒋経国は晩年には、大陸反攻の目標を捨て、台湾だけで単一の国家になる「台湾化」の方向を模索し、自分の後継者として副総統に本省人(国民党が来る前から台湾に住んでいた土着の家系の人)である李登輝を据えていた。

とはいうものの、蒋経国の死に際し、父親の蒋介石が葬儀もせぬままの状態なのに、息子の埋葬を先にするわけにはいかなかった。蒋経国の遺体は、父親同様に埋葬されず、父親の遺体が安置されている慈湖の屋敷の近くにある別の屋敷(頭寮御陵)に安置された。(田中宇氏の文章より)


以下中国語~
銅像落難 兩蔣成裝置藝術 擺在公園
台灣各級機關學校拆除蔣介石銅像後,這些銅像統統都聚集在慈湖蔣介石陵寢旁邊的雕塑紀念公園里,到目前為止已經有113座,各式各樣來自各地的銅像,讓人眼花撩亂,而且仔細看,其中居然還有孫中山先生及蔣經國的銅像。

來到慈湖雕塑紀念公園,我們放眼望去,看到的是一整排的蔣中正半身銅像,它們大多是來自台灣各地的國中,還有國小。

真的不騙你,這里應該是全台灣最多銅像的地方了,大大小小,銅銅、青銅加起來一共已經有113座。

除了半身的蔣中正銅像外,這里有坐著的、站著的,以及騎馬的蔣中正銅像,加起來一共有60幾座,分別來自於全台各級的機關學校,像這一座綠色大型的蔣中正銅像,它就是來自於中壢龍岡的陸軍基地。

台灣『國防部』還沒有正式下令,就已經有軍方把蔣中正銅像搬來這里,似乎有一點迫不及待。而如果你跟我們一樣仔細找碴,會發現這裡還有秘密。

說是蔣中正的雕塑紀念公園,不過,這里可不止有蔣中正銅像,您猜看看這一樽銅像,他是誰?他就是孫中山先生,這是中埔國小運過來的雕塑。

的確,常常有人分不清楚孫中山先生跟蔣中正,因此孫中山先生銅像坐在這里,好像也不會太凸兀,但除了孫中山先生還有這一位。您看看這一樽黑色的半身像,他是誰?他是蔣中正的兒子,蔣經國先生。

雕塑紀念公園里,三位老「總統」的銅像意外齊聚一堂,而草坪上還有許多空著的銅像基座,如果台灣『國防部』真的決定,要拆除各軍民的蔣中正銅像,那這里肯定要更熱鬧了。
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by officemei | 2006-03-21 03:35 | ■台灣