■住んでみたい青島

2006年5月13日
午前9時過ぎ、煙台を発し青島に向かう。
莱陽・莱西を通過し、即墨を経て午後1時過ぎ青島着。
「莱陽梨」は梨のブランドとして夙に有名。ここは梨のふるさと。
道路傍で梨を売る光景がやたら目に付く。(鳥取の二十世紀のほうがうまいよ)

この辺りを中心として山東半島は古くから神仙思想と道教の総本山だ。
実際即墨の海上蜃気楼は有名で、今もよく現われるそうだ。
古代の人たちにとって蜃気楼は神秘、海上に神仙の国があると信じたことだろう。

戦国時代には即墨は斉の国第二のまちだった。
現在は青島の衛星都市となっている。
衛星都市といえば、青島の西南に位置する胶南は始皇帝巡行で有名な瑯琊台があった。又、徐福が神仙を求め日本へ船出した地。

黄海・渤海に面する山東半島は、上古、神秘と幻想の地だった。
しかし現在この界隈は、今回通過した莱陽・莱西・即墨も然り、韓国・日本等の外資企業が進出し、威海・煙台そして青島を核とした大きな経済圏を構成している。

さて、山東半島のメイン都市、青島について。

歴史的に山東半島の港は北部に集中し、青島は膠澳と呼ばれる辺鄙な漁村に過ぎなかった。
清朝末期の1891年に国防上の観点からこの地に軍事施設が建設され、町の発展が始まる。

日清戦争後、三国干渉で中国に恩を売ったドイツは1897年膠州湾一帯を租借し、軍港を建設。ドイツはこの地を極東における本拠地とし、山東半島一帯を勢力下に置いた。
青島に今なお残る西洋風の町並みや青島ビールなどドイツがこの町に与えた影響は大きい。

第一次世界大戦でドイツに宣戦布告した日本は1914年膠州湾のドイツ要塞を陥落させて占領下に置き(青島攻略戦)、1922年に中国に返還。
北洋政府はここを中央政府直轄の特別行政区である膠澳商埠とし、国民党政府は1929年青島特別市を成立させ、1930年青島市と改称している。

1938年日中戦争が始まると、青島は再び日本軍の占領下に置かれた。
第二次世界大戦後には青島は米国西太平洋艦隊の司令部所在地となったこともある。
しかし1949年6月2日中国人民解放軍が青島に入城し、中国共産党政権の支配下に置かれた。

1984年の鄧小平時代に対外開放され、近代的な港湾都市として発展している。
2008年北京オリンピックのヨット競技が青島で開催される。

青島で最も有名なのは1903年にドイツ人が開業した青島ビール製造所だろう。
青島ビールは中国で最も有名なビールで、世界的に知られている。

1984年に青島が特別経済技術開発区に指定されて以来、外国からの投資が集中し、近代建設が急ピッチで進展した。
とくに中韓国交樹立以来、一衣帯水の大韓民国からの投資はめざましく、青島に対する韓国の投資は2001年592億米ドル、2002年971億米ドル、2003年1433億米ドルと急増を続ける。
(同時期の日本からの投資はそれぞれ、163億米ドル、218億米ドル、257億米ドルであった。)
韓国仁川広域市とはフェリーで結ばれ 青島在留韓国人は7万人に達する。

また近年中国最大の家電メーカーとなったハイアール(海爾集団)も青島を本拠とする。

中国人民解放軍北海艦隊の海軍基地や済南軍区空軍第31航空師団の基地があり、第26集団軍第76自動化歩兵師団が駐屯する。海軍や空軍は朝鮮半島を睨んでいる。


2006年5月15日
青島は心地のいいまちだ。
ここならずっと住んでみたい気もする。

私はその昔北京に暮らしたが、まあ時代も悪かった。
それに冬の寒さと乾燥には閉口。
だだっぴろい大通りや北方特有の何かしら乾いた雰囲気は今もって馴染まない。

青島の冬はどれほどの寒さなのだろうか。
海に面しているので多少はしのぎやすいのだろうか。

上海は、そのエネルギッシュな雰囲気は良しとするが、何しろ人が多すぎる。
正直なところ、うんざりするほどの人の群れ。

しかし北京のようなだだっぴろさは無く、狭い街路に人の息吹が感じられて好ましい。
レトロで瀟洒な街並みと、摩天楼の聳え立つ、そのアンバランスもいい。
一番の魅力は、中国のどのまちよりも便利さを享受できることだろうか。
それに、上海人は中国のどのまちの人よりも洗練されている。
その気の利きように接するとほっとする。
この感覚は他のまちではそうそう味わえない。
でも、ずっと上海で暮らしたいとは思わない。

中くらいの大きさで、清潔感があるまち。
便利で、しかも新旧どちらの顔も併せ持っているようなまち。
それにできれば気候のいいまち。
そんなまちがいい。

これまで新疆・寧夏・青海・西蔵・海南以外の地はすべて訪れた。
台湾は別格(ここは私の心のふるさと)として、
あ~ここならずっと住んでみたいと思ったのは、数えるほどしかない。
青島とアモイだ。

青島・・・
実は息子が4月から7月まで、青島大学で中国語の特訓を受けている。
その後、9月から上海外国語大学に留学する。
昨夜、彼と会った。
あっさりしたものが食べたいということで、日本料理屋に連れて行き、鉄火丼を注文した。
その後、世界貿易センター横のサウナ「水晶宮」へ連れて行き、広い浴槽で湯に浸かった。
ここは特に韓国人居住者をターゲットにした「スパ」で、久しぶりの入浴を満喫。
ちゃっかりしたもので、それが終わると私は用済みで、さっさと寮に帰って行った。

今日は日曜日だが、一連の仕事を片付け、夕方やっと解放。
気分転換に周囲を散歩した。
香港中路のジャスコから陽光百貨、カルフールと覗いてみた。
ちょうど今日は母の日「母親節」。売り場はごったがえしていた。
更に足を延ばして「閩江路美食街」まで歩く。
天気もよく、心地良い汗をかいた。
新華書店の「書城」入り口前では、「家教」(家庭教師)します、というプラカードをかけた大学生が何人も列を作り、自己PR中。
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青島は旧市街と新市街が見事に分かれている。
ごちゃまぜ状態でないところがいい。
住み分けるというか、ニーズによって出かける場所が変えられる
それに海岸線が実に美しい。
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私は30年前にも青島を訪れたことがある。
その頃のまちの様相とは大きく変わっているが、垢抜けた雰囲気は変わっていない。
否、より進化した、というべきだ。

このスナップは1976年当時の青島駅、私も若かった。
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青島は本当に住んでみたいまちだ。
明日は大連に向かう。
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by officemei | 2006-05-14 18:56 | ■山東