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■社会観察

私の中国「社会観察」の項目には他愛もないことが多い。
急ピッチで発展変貌する中国社会にあって、その経過の中で感じる些細なことを観察する。



それを揶揄中傷と感じる人がいるらしい。
だとすれば、私は羞じる。
偏見も侮りも、誇張も作為も無い。
ただ観察するに過ぎない。

例えば先ほどトイレで用を足していたが、
中国の便器の排水はしょっちゅう詰まる。
公共トイレで汚物箱に使用後の紙を捨てるのは詰まるからだ。お陰で悪臭プンプン。

例えば歩道もない所を平気で横断する。信号が赤でもお構いなしだ。
例えば地下鉄やバスの中でも携帯電話で話す。しかも大声で。
例えば歩行中や公共の場所で平気で立ち食いした滓や煙草の吸殻を捨てる。
例えば乗車の折には列を作って待たない。降りる者を遮ってでも我先に乗る。
例えば多くの社会人は本職以外に別の収入源がある。公務員は特に顕著だ。
例えば付け届けや賄賂が横行している。それが現実に潤滑油となっている。
例えば僻地の農民の年間収入を都市の富裕層は1秒とかからず消費する。
例えば低所得に喘ぐ人たちは風邪をこじらせて亡くなることもある。
無気力な人たちがいる。
例えば現役の高校生で単純な長方形や三角形の面積ももとめられない者がいる。
などなど・・・

このような現実を指摘することが、中国を侮辱しているのだろうか?
そう感じる人は狭量だ。

中国には、その対極に素晴らしい人格、素養の人たちも多い。
倫理・礼節を弁えた清廉潔白な人たちもいる。
教養に溢れ、溌剌とした人たちがいる。
高所得でアメリカの富豪並みに生活をエンジョイする者もいる。
などなど・・・

これはどの国の社会でも同じだ。
ただ中国は、急激な発展によりその両面が顕著に現われているだけだ。
経過の中には矛盾が混沌としている。

卑小な事象をあげつらっていると思われるのは心外だ。
現実に起きていることは否定できないし、臭い物に蓋をするのは納得いかない。
どうでもいいような、些細なことにも目を向けたい。
社会観察とは別に高邁でも何でもない。
社会にあるものを観察するに過ぎない。
社会とは有象無象の人の坩堝。
あほらしいことが多くて当たり前。