■仰天!ランキング
仰天! 国外逃亡した富豪ランキング
中国人はやたらと「○○番付」とか「○○一覧」といったものが好きなようだ。米国の雑誌「フォーブス」が1999年に「中国大陸富豪50人」という富豪番付を作ったら大いに好評を博し、2001年からは「中国大陸富豪100人」となって今に到っているが、これに対して、競争相手の中国雑誌「新財富」は2002年に「中国富豪400人」をスタート、2003年からは「中国富豪500人」として掲載する富豪の数でこれに対抗している。
作成される番付や一覧表は種類が多く、枚挙にいとまがないが、変わり種には「高官落馬一覧」(失脚高官リスト)、「中共太子党一覧」(中国共産党有力者の二世リスト)、「中国慈善家排行榜」(中国慈善家番付)といったものがある。
さて、同じく、変わり種の番付に「中国十大外逃富豪」(中国の国外逃亡した富豪10傑)というのがある。
大金領額、行き詰まると国外逃亡
この番付には中国から大金を横領して国外逃亡した富豪の名前が横領額の多寡で順位付けされており、1位の頼昌星の250億元(約3500億円)を筆頭に、2位の仰融の70億元(980億円)、3位の余振東の40億元(560億円)と続いている、4位以下は横領額も“たかだか”5億元(70億円)なので省略するが、上位3人の横領額は超弩級である。
2005年3月頃のニュースは、中国政府筋の統計では、国外逃亡している役人の数が4000人で、横領総額が500億米ドルと報じているが、上記の数字を見ると信憑性があるようにも思える。
とにかく、中国には職権を利用して収賄や公金横領を行い、事が露顕しそうになると大金とともに国外逃亡を決め込む輩が多数おり、いくら捕まえても、「蛆虫」のように次から次へと新たな悪党が発生してくるようだ。
中国政府はこうした国外逃亡者に対して国際指名手配を行うとともに、追跡者を海外へ派遣して逮捕の上国内へ連れ戻しており、世界各地で映画『逃亡者』のような追う者と追われる者の息詰まる追跡劇が展開されている。
560億円横領した余振東
前置きが長くなったが、本稿の主役は上述の「外逃富豪」第3位の余振東である。
余振東の横領事件はかつて日本でも報道されたので、2001年に事件が発覚した「中国銀行広東省開平支店長の横領」と言えば記憶されている方もおられるかもしれない。ここで重要なことは、第1位の頼昌星も第2位の仰融も民間人であるが、余振東はれっきとした国有商業銀行の公務員であること。
事件は、1992年から2001年までの約10年間に中国銀行開平支店を舞台として前後3代の支店長である許超凡、余振東、許国俊が共謀して銀行資金を横領、マネーロンダリングによる横領金の国外持ち出しを行うと共に株式投資、賭博に大金を費やしたものである。
2001年10月中国銀行の内部監査により開平支店の残高不足が判明したが、事の露顕を予測していた3人はその妻共々それぞれ中国系米国人と偽装結婚する形で既に米国へ逃亡していた。3人とその妻は米国国籍を取得した後に偽装結婚の相手と離婚、その上で本来のパートナーと再婚したが、この知恵は余振東の妻の発案だというから立派。
国外逃亡し米国で逮捕
さて、2001年11月中国公安部は国際刑事警察機構(インターポール)に指名手配を発すると同時に、国際協力を受けて3人の香港、米国及びカナダの資産凍結を行った。その1年後の02年12月17日に米国ネバダ州連邦検察官事務所が3人に対する逮捕状を発行、余振東は12月19日にロサンゼルスで入国査証の不法取得容疑により逮捕された。03年9月には、米国司法長官がワシントンで余振東から押収した355万ドルを中国司法部長へ手渡している。
2004年2月、余振東は米国司法当局との間で司法取引に応じ、過去の犯罪行為を認める代わりに中国司法当局から「1992年から2001年までの開平支店における犯罪行為については死刑を免じ、刑期は12年を超えない。中国の刑務所における収監期間に虐待を受けない」という主旨の書面による約束を取り付けた。同年4月、余振東はネバダ州連邦裁判所で懲役12年の判決を受けた後、4月16日に中国へ移送された。
一方、共犯の許国俊は2004年9月にテキサス州で、許超凡は2004年10月にオクラホマ州で逮捕された。
2004年4月17日余振東は汚職と公金横領の罪により広東省検察当局により正式に逮捕され、2005年1月広東省江門市検察院により起訴、8月から江門市中級人民裁判所で公開審理が開始された。06年3月31日午後、江門市中級人民裁判所は余振東に対して懲役12年、個人財産100万元(1500万円)没収の一審判決を下した。
揺れる中国の刑法
余振東の刑期満了は2016年4月15日となるようだが、その時点でまだ53才の余振東は合法的な中国国民として晴れて釈放となり、一躍時の人として英雄視されることになるだろう。余振東は何と言っても560億円もの巨額横領で“たった”の懲役12年、「酒池肉林を満喫して12年で済むなら、たとえ臭い飯を食うことになってもやれるものならやってみたい」という誘惑にかられる夢を体現した偉大な人物であるから。
中国の刑法を超越したこの判決を巡って、中国では議論が百出している。このような特例を認めたことにより、中国の刑法は根底を揺るがされかねないというのが論点である。
余振東の犯罪を中国の刑法に当てはめると、汚職罪、公金横領罪、金融関連犯罪の全てで死刑となる。昨今中国の公務員犯罪の汚職・公金横領などの犯罪は金額が大きくなっているが、共産党や政府の高官の死刑判決を最近の例で見ると、2000年11月2日に死刑執行された元江西省副省長の胡長青の収賄額が約1億円である。
これに比べて560倍もの金額の犯罪を行った余振東が懲役12年では、悪党とはいえ胡長青にも同情したくなる。
1980年代後半に筆者が北京駐在時代に面識を持った李效時氏は、最終的には国家科学技術委員会副主任という次官にまで出世した人物だが、悪人に騙されて「ねずみ講的なビジネス」に利用されて1993年6月に収賄罪で逮捕された。これは中華人民共和国の成立以後、汚職・横領などの不正行為で逮捕された閣僚級幹部の第1号として話題になったが、1994年3月李氏に対して北京市中級人民裁判所は懲役20年、政治的権利剥奪4年という判決を下した。
この判決の基礎となった李氏の収賄額は合計で55万円であった。時代の流れとはいうものの、560億円で12年の余振東と55万円で20年の李效時氏では余りにも差が大きい。