■ことば

モンゴル語に“アルタン”という単語がある。
意味は“黄金”だそうだ。
従ってアルタイ山脈は黄金の埋まる山脈ということらしい。
同じウラル・アルタイ語系に属する満州語の“アイシン”という言葉も“黄金”を意味し、清朝皇帝の姓“愛新覚羅”の“愛新”はその黄金を冠している。清朝にあっては皇族の臣籍降下により、愛新覚羅氏から金姓に変ったらしい。

さて、モンゴル語・満州語・韓国語(朝鮮語)・日本語などは、これまでアルタイ諸語族に分類されていたが、最近では否定論も聞かれるらしい。
共通点は「膠着語」というところにある。

日本語では、“テニヲハ”といった助詞を膠(ニカワ)のように単語に貼り付けていく。
このような形態を「膠着語」といい、仲間はウラル・アルタイ語族と呼ばれる。
フィンランド語・ハンガリー語・トルコ語・モンゴル語・満州語・韓国(朝鮮)語・日本語などごく少数。

私は仕事の関係上、蒙族や満州族、韓国人の留学生と接することが多いが、人によって差はあるものの、明らかに中国人よりも日本語習得時間は速いと感じる。
これは同じ「膠着語」だから理解度や応用に向いているからだと思われる。

アルタイ山脈はシベリアの西からモンゴルに至る。
はるか昔、この地からアルタイ語族は旅をした・・・

我々日本人のルーツは特定できないが、言語のもとはこの「膠着語」にあるのだから、北方の族人が主流だったことは間違いないだろう。
その後、華南(中国南方)や南洋(ポリネシア)の族人が渡来し混血を重ね今日に至ったと考えるのが妥当と思う。

さて、同じ語族の言語を習得するのと、異なる語族の言語を習得するのでは、使用する脳細胞の部位が違うように思える。

我々日本人は語族的にマイナリティであることが返す返すも残念だ。
日本語のもつ繊細さ、多様さが日本文化の華だとしても・・・


確かに、日本語の語順はまったくもって複雑だ。

最後まで聞かないと、肯定か否定かわからない。
「・・・と言えないこともなくはないのではないでしょうか」
などと止めることさえできる。
特に、政治家や役人の答弁は過程ばかりやたら長く、最後の結論が肯定か否定か、わざと曖昧にされる傾向がある。

このような日本語を、同時通訳で日本語に訳すのは至難のわざだ。

日本語では否定詞を含めて、一番重要な結論は文末に来る。

藤原定歌の「見渡せば花ももみじもなかりけり浦のとまやの秋の夕暮れ」


日本人は「見渡せば花ももみじも・・・」まで読むと、心の中で色鮮やかな春の桜・秋の紅葉を思い浮かべる。

その直後「なかりけり」と打ち消されても、花や紅葉の残像は心の中に美しく残る。残像であるがゆえに、現実の光景よりむしろ輝いてさえ見える。

日本人の美学では、かなわなかった夢や恋は、実現した夢や恋よりも純粋に美しい。

結果よりも過程。満開の桜よりも、散る桜。これが日本人の美意識である。


中国語の語順は英語と似ている。
否定詞も含めて、結論部分は文の初めに来る。
そのため、過程の部分の印象がどうしても薄れてしまう。

「見渡せば花ももみじもなかりけり」を中国語に訳すと「向周圍一看﹐沒有花﹐也沒有紅葉」となる。つまり「ない、花。 も、ない、紅葉」という語順になる。

「何も無い」という強烈なイメージが最初に焼き付いてしまう。


といった内容が最近読んだ「貝と羊の中国人」(加藤徹著)に載っていた。

つまりは日中両国語の語順からくる感性の違い。
抽象と直截、過程と結論・・・

なるほど。確かに、当っている。
当ってるように思える。
当っているように思えなくもない。
ん?
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by officemei | 2008-02-20 06:01 | ■中国語