■改革開放30周年
今日、中国は“改革・開放30周年”を迎えた。
この女性、今年63歳になる。写真は淮海路の“蝶莱”写真館で撮ったものだそうだ。
その後この写真館の店頭に飾ってあったもの。
私は1975年から1978年の期間、文革終焉・改革開放路線始動の中国大転換期を北京で暮らした。
あの頃は今日のような中国を想像だにできなかった。
30年という歳月は、日本で言えば1945年の終戦から1975年、ちょうど私が始めて北京に赴任したあの年にあたる。
日本も驚異的な変化(発展)を遂げたが、当時北京で体験した中国の様相からは、同じように、否、それ以上に中国が変化(発展)するなど考えられなかった。
それは私だけではなく、中国人ですら想像できなかったことだ。
もしあのとき(1978年)、鄧小平がいなければ、中国の改革開放は成らなかっただろう。
もしあのとき(1978年)、鄧小平が訪日していなければ、中国の改革開放はもっと遅かっただろう。
彼は日本の発展をつぶさに見て、中国の改革開放を具体的にイメージした。
まさにこの時点から始まったのだ。
改革開放30周年の今年、今更ながら鄧小平の存在を大きく感じる。
1978年~2000年
私の北京時代;
ただ一点、彼の唯一且つ最大の汚点は、天安門事件後、武力弾圧に反対した趙紫陽を解任し、江沢民を総書記へ抜擢したことだ・・・
世界現在看中國,已經不是用三十年前的標準。
三十年前,中國發生什麼事,國際媒體都不會給你很多的版面。
但現在不一樣了,現在看你的時候,會用大國的標準來看你。
“現在中國強大了,再沒辦法避開別人對你的注視目光。
這也是件好事,證明世界已經要承認你是大國的地位了”。
然而,中國經濟實力的增強,但在國際上的“話語權”並沒有同步。
中國很多話在國際舞台上傳遞不出去,這是因為很多話沒有用上“國際語言”。
如果使用國內用語,放在國際上,人家不一定能聽懂。
過去三十年,中國主要抓經濟,所以中國在金融、經貿等經濟領域,擁有大量人才,他們都會講“世界語言”,知道講什麼話,能夠與對方溝通。
但在國際公關方面,相對來說比較滯後。
中國發展到今天,應該多講“人權、民主、法治、言論自由”,利用這些問題,在國際舞台上佔領道德的高地,佔領輿論和媒體,拿到“話語權”。
“要有做好國際公關的意識,要有第一時間在國際主流媒體先聲奪人的意識,失去第一時間,就失去‘話語權’”。
中國越是強大,就更應該謙虛,更應展現自信,顯示出大國的魅力,應該大聲地講,樂於向所有國家學習好的東西。