■南京・中山陵

このまちには些か嫌な思い出がある。
1979年だったか、文化使節訪中団の随行通訳として訪れた折、街中で老人から殴りかかられたことがある。

咄嗟の事で状況が判断できなかった。
幸い唇が切れた程度で事無きを得、老人はその場で民衆に制止され、後公安に連行されて行った。

当地での案内係は真っ青になっていたが、当方は敢えて事を大きくせず済ませた。
当時は外国人の参観団もさほど多くは無く、団体で行動していると行く先々で我々を見物する視線に閉口した。

恐らくはその老人は嘗ての南京大虐殺の被害者であったかもしれない。
或いは精神に異常をきたした人であったかもしれない。
彼は日本人の団体に偶然出くわして、私が殴られる羽目になった。

南京にはそれ以前に一度訪れたことがあるが、以来今日に至るまで再訪する機会は無かった。
以前のまちの様相も、記憶があの事件に集中しており、まったく思い出せない。
ただ中山陵(国父孫文の柩が眠るところ)の荘厳さだけは以前と変わらず、約300段の石段を登り周囲を俯瞰した記憶は鮮やかに残っている。
緑濃い紫金山(中山陵のあるところ)は今も変わらない。

このまちは中華民国の首都であった。
柩の安置されているドーム型の建物の天井には、中華民国旗である「青天白日満地紅」の白日が刻まれ、南京の空の青さと一対になって良く映えていた。

日本軍の進駐、国民党汪精衛南京政府、戦後の国共内戦、国民党と国府軍の台湾移転(逃避)、共産軍による「解放」、中華人民共和国成立。

孫文先生の柩はこの地にあって有為転変をどんな気持ちで見てきたのだろうか。

国民党が台湾に移り、「反攻大陸」「消滅共匪」のスローガンをまだ掲げていた頃、ちょうど国連脱退から何年も経たない1974年、私は台北に暮らした。
更に極左的な文化大革命の終焉時、1975年から1978年の間は北京にも暮らした。
その後の開放路線から今日に至るまでの変遷もつぶさに体験してきた。

南京にいると中台間、日中間、日台間の60年をどうしても考えてしまう・・・


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by officemei | 2008-12-16 18:49 | ■江蘇