■武漢の桜

武漢・・・江城とも呼ばれる、長江中流域に位置する湖北省の省都。

市の中央に長江とその支流漢水が流れ、古来より武漢三鎮(漢口・漢陽・武昌)は「九省に通じる所」とも言われ、交通の要衝として発達する。

後漢末、この地は荊州江夏郡に属した。
劉備が荊州にある頃、諸葛亮の進言により荊州牧・劉表の子劉琦が江夏太守となる。
劉表の死後、弟の劉琮は曹操に降り、劉琦は劉備と連合する。
その後長坂において曹操軍に敗れた劉備は、劉琦のもとに據って夏口に駐屯する。
その夏口が現在の漢口らしい。

私は今、その漢口と対岸の武昌のまちを歩きまわっている。

かつて、このまちには三度訪れたことがある。
1976年、香港領事館への出張の途次、京広鉄道に乗って北京から広州に向かったが、武漢で降りて漢口のまちを散策。
1981年、奈良・大阪・兵庫の各高校で古典乙(漢文)を教えておられる先生方を連れて、重慶から三峡を下り、宜昌から武漢に着いた。
1982年、兵庫の著名な文化人一行と三峡を下り武漢に逗留。
ちょうどこの折には初めての子が出産間近で、長江を下る船中、命名に頭を捻っていたことを鮮明に記憶している。

さて、武漢は中国で最も蒸し暑いまちの一つだが、3月のこの季節には桜が満開で、心地良い春の暖かさを実感できた。

武昌にある武漢大学では桜が咲き乱れていた。
例年、キャンパスの桜が見ごろになると急に賑やかになるらしい。
花見客が連日数万人も訪れるからだ。
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2006年のちょうどこの時期には、ネット上で「武漢大学の桜は中国の恥か」と題する公開討論があった。

1938年、日本軍の武漢進駐によって当時の武漢大学は接収される。
その後、日本軍の傷病兵用病棟に転用された学生宿舎周辺に桜を植えたのがそもそもの始まりらしい。


2009年3月22日。
「ここから出て行け!」
「写真なんか撮るな!」
武漢大学キャンパスで記念写真を撮っていた“ゆかた姿”の花見客(地元の中国人母娘)が、大学生たちに取り囲まれ罵声を浴びせられた。

残念なことに、こういった“嫌日”風潮があとを絶たない。
バカどもはどこの国にもいる。
彼らは中国人全体の中でも少数派だとみなすべきだ。
決してまともな人たちを代表してはいない。
中国人母娘はその場を逃げるように立ち去った・・・

桜を愛でる人や桜の花に罪は無い。
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(2006年3月)
“追飛揚花瓣,追飛走的夢,登上城堡遠望,遙岑入明眸……再次看到風吹過,櫻花兒飄落,不認識的身影在追逐,不肯走。”

這首由武漢大學學生 自創的校園歌曲《櫻園夢》在校園內傳唱許久。
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春暖花開,武漢大學的1000多株日本櫻花、山櫻花、垂枝櫻花和雲南櫻花也競相綻放。被譽為“櫻花城堡”的老齋舍與它面前這條“櫻花大道”交相輝映,相得益彰。

隨著一年一度的武漢大學櫻花節於3月下旬開幕,一場關於“是恥不是花”與“是花不是恥”的爭討也迅速在網上升溫。
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是恥不是花?是花不是恥?

在國內一門戶網站的觀點交鋒欄目裏,爭論相當激烈。認為“是恥不是花”的線民指出:櫻花雖美,但國恥勿忘。武大的櫻花正是侵華的罪證。那裏的櫻花,是為了慰問日本士兵,鼓舞他們的士氣,以望其為繼續侵略而努力。所以,這裏的櫻花不能成為全國人民追逐、“仰慕”的對象。
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而認為“是花不是恥”的線民反駁說,“樹本無辜”,“景物無分國界也”。他們認為,“這些櫻花雖然的確是窮兇極惡的日本侵略者在中華大地上耀武揚威的產物,但它本身是無罪的;人們之所以會欣賞它,喜歡它,完全是因為它自身的美麗。花只是花,花無罪。人犯的錯誤是人的錯,對櫻花的喜愛和對日寇侵華暴行的憤恨,根本就是兩回事;單純的藝術欣賞和民族仇恨的情緒,實在不應強扯在一起。”一位自稱武大學生的線民則表示,日本人種下的這批櫻花,也不失是國恥教育的好素材,當年武大的周鯁生、李達等諸位校長對這批櫻花均未砍伐之也是出於這種考慮。
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“侵略之櫻”已謝,友好之櫻常開 

網上爭論火熱,而美麗的武漢大學校園依舊人頭攢動。櫻花並不為武大所獨有,武漢市成片的櫻花林就有五六處,如東湖磨山公園、青山公園、武漢音樂學院等地,也吸引了不少市民前去觀賞。據不完全統計,在賞櫻高峰期間,一天進出珞珈山觀看武大櫻花的人次超過10萬,整個櫻花節期間賞櫻的人數超過百萬。談起武漢大學櫻花的來歷,武漢大學校史研究會創始人吳驍告訴《國際先驅導報》,1939年前後,為了緩解住在這裏休養的大批日本傷兵的思鄉之情,同時懷著炫耀武功和長期佔領之意,侵華日軍從本國引來櫻花樹苗在武大校園栽植。這便是今日武大櫻花的緣起。
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日軍當年種下的日本櫻花不超過30株,主要分佈在今天的櫻花大道上。到了1949年初,就有人建議將櫻花樹砍掉,而當時駐守武漢的國民黨將領張軫師長表示,武漢大學是座寶庫,裏面的一草一木都要保留,於是櫻花樹得以保存(1949年5月15日張軫率部起義,武漢和平解放)。
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櫻花樹的生命週期很短,一般只有二三十年,當年日本人種下的第一批日本櫻花,50年代更新時已基本死絕。1972年,中日邦交正常化,日本首相田中角榮向周恩來總理贈送了1000株大山櫻,周恩來總理將其中50株轉贈給武漢大學。1982年,為紀念中日友好10周年,日本友協和日本西陣織株式會社又贈送了100株垂枝櫻苗。1992年,在紀念中日友好20周年之際,日本廣島中國株式會社內中國湖北朋友會砂田壽夫先生贈送櫻花樹苗200株。現今武大校園各處的櫻花樹苗,除園林工人自行培育的之外,大多都來自於此。
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保留櫻花是最好的愛國教育

“櫻花有什麼錯?愛美之心,人皆有之。櫻花只不過是一種植物,它好看,我們就能去欣賞。更何況,現在我們看到的櫻花已經不是當年侵略的殘留物,而是中日友好的見證。”對於網上出現的爭論,武漢大學新聞學院的徐同學言至於此,甚至有些“氣憤”。另一位田同學說:“勿忘國恥並不錯,但是我們需要的是強大自己,而並不是失去理智地指責無辜的植物。”武漢大學校史研究會創始人吳驍說,對於武大櫻花的爭論早已有之。早在1947年3月武大師生迎來了回歸武昌後首次櫻花盛開的時候,面對爭論,當時中國植物生理學創始人之一的張鏡澄教授便對自己的學生說:“這本是我們中國人的恥辱,不過現在,日本人被打敗了,這幾株櫻樹反而成了戰利品,成為日本侵華的歷史罪證。”
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吳驍說,近年來,武漢大學還在櫻花節期間豎起“武漢大學櫻花簡介”的指示牌,向觀光者講述著那段永難磨滅的歷史,正是最好的愛國教育。去年的櫻花大道上,還有一些年青人穿梭于賞櫻人流之間,散發“勿忘國恥”的傳單。
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武漢大學社會學專家周運清教授指出,對於武漢大學櫻花的問題一定要從歷史的眼光看,著眼于長遠。美麗的櫻花是全人類的財富,草木是無辜的,不能給它們“貼標籤”、“戴帽子”。現在的櫻花是歷史上經歷多次種植形成的,要瞭解歷史,國與國的關係、民族與民族的關係也是一個歷史發展的過程。目前雖然中日關係中出現了一些不和諧的音符,但我們更要從長遠考慮,立足於我們自身的發展才是關鍵。

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by officemei | 2009-03-23 23:27 | ■湖北