カテゴリ:■遼寧( 60 )

大連に来ると、私は必ず「中山廣場」を訪れる。
時間の余裕が無いときも車でざっと一周し、かつての日本の面影を感じようとする。
何故?
説明できないが、もうとっくに習性となってしまった。
もし事務所を開設するならやはりこの周辺を選びたい、とそんな話を大連の友人・宋さんとした。
彼のオフィスがある東亜ビルにテナントが空いているということで、物件を見に行った。
このあたりの地価、賃料は大連でも一番高いエリアのひとつとして有名ではあるが、この物件のビルは築年数が古く、テナント面積も50平米ほどで手頃感があった。家賃月額約4000元。
ロケーションは最高で、窓から中山廣場が一望できる。
確かにいい物件ではあるが、当面私には先立つものが無い・・・
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冬の大連; 
中山廣場(大連&瀋陽); 
大連中山廣場; 
大連、日本人哀愁のまち; 
大連にて; 
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by officemei | 2009-11-22 06:43 | ■遼寧
2009年11月中旬、小雪が舞った。零下7度。
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by officemei | 2009-11-21 16:51 | ■遼寧


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by officemei | 2009-10-19 09:51 | ■遼寧
大連駅前の勝利広場を労働公園に向かって歩いていくと、勝利地下街から青泥窪商業区というゾーンに入る。そこにはマイカル大連商城もあって、周囲はデパートやマーケット、レストラン街などで賑わっている。
2009年10月のある日、夜遅く立ち寄ったのでマイカルも閉店間際、人もまばらだった。

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by officemei | 2009-10-18 10:55 | ■遼寧
大連軽軌3号線は都市近郊用電車として大連駅から郊外の景勝地・金石灘までの全長49.15キロメートルを走っている。
市の中心地である中山区から西崗区・沙河口区・開発区などの間を11の駅で結び、一日の乗降客は約5万人から8万人。
大連軽軌站(大連駅北口の専用駅)~香炉礁~金家街~泉水~後塩~大連湾~ 金馬路~開発区~保税区~双D港~金石灘。
今回、開発区の「保税区駅」から大連駅まで乗ってみた。所要時間約30分で5元。
難点は20~30分に一本の割合で便数が少ないこと。時刻表がホームに無いこと。
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(動画のタイトルに9月とあるのは間違い)

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by officemei | 2009-10-18 08:09 | ■遼寧
10月半ば、朝晩がやや寒くなってきた大連にて。(動画タイトルに9月とあるのは間違い)
大連の火鍋チェーン店・「大福隆営養火鍋城」で羊肉を食す。
ここの店は勝利橋と日航ホテルの中間くらいにあって、道路には市電も走っている。
四人でビール10本ほど飲んで〆て200元ほどだった。

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by officemei | 2009-10-18 06:44 | ■遼寧
今年11月29日からNHKドラマ「坂の上の雲」が始まる。
このドラマは三年にわたって放送される壮大な「明治叙事詩」。

司馬遼太郎の原作「坂の上の雲」は、軍人の秋山好古・真之兄弟と歌人の正岡子規の人生から、明治時代の日本を描き出している。

実は今年3月、所用で松山を訪れる機会があった。
わずかな時間しか滞在できなかったが、ぜひにも見ておきたかった所が二ヶ所あった。「秋山兄弟生誕地」と「坂の上の雲ミュージアム」だ。
そのミュージアムに隣接する萬翠荘にも寄ってみた。ここは大正11年に竣工した旧松山藩主久松家の邸宅(現愛媛県美術館分館)。


これを機に、若い頃に読みふけった文庫本を再読してみた。
「男にとって必要なのは、若い頃には何をしようかということであり、老いては何をしたかということである」
文中、秋山好古の言葉に目が留まった。

e0094583_14422098.jpgさて、203高地の段になると、数年前に訪れた記憶がまだ鮮やかに残っているので、その情景が脳裏に浮かび感慨ひとしおだった。
遼東半島南端に位置する旅順。その市街地に小高い山(海抜203m)がある。
ここが日露戦争旅順攻略の激戦地であった203高地だ。ここに立つと遥かに旅順港をのぞむことができる。
1904年12月、この高地を占領した日本軍は旅順港内に逼塞していたロシア艦隊を砲撃し、ようやくこれを壊滅させた。
1905年(明治38年)1月1日、旅順要塞のロシア軍は降伏し、水師営で停戦調印。

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「坂の上の雲」に水師営の会見場所についてこう記されている。
・・・水師営とは村の名であり、その会場として指定されたのは劉という百姓家であった。戦闘中この家は日本軍の野戦病院につかわれていた。
「庭に一本棗の木」と、後年の「尋常小学国語教本」巻九の「水師営の会見」の歌の歌詞にあるように、門を入って左の泥塀に沿って棗の木がある。樹齢百年以上といわれているが、歌詞に「弾丸あともいちじるく」とうたわれているように、無数の弾痕が樹皮を裂いて生肌をあらわしている。
くずれ残れる民屋に、今ぞ相見る二将軍・・・
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旅順攻撃の司令官・乃木将軍がその当時203高地を詠んだ漢詩がある。
爾霊山嶮豈難攀、男子功名期克艱、鐵血覆山山形改、萬人齊仰爾霊山

句中、爾霊山(にれいさん)と当て字したその203高地には今も「爾霊山忠魂碑」が聳え立つ。
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付記;
大連から旅順に向かう途中、とある村で昼食をとった。
このあたりの名物だという巨大な焼き餃子。二個目は辞退した。
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by officemei | 2009-09-23 03:40 | ■遼寧
今回の瀋陽出張では、神戸在住の張さんの弟が所有するマンションに宿泊した。
東街にあるWAL-MART(沃尔玛)の近くにある高層マンションの29階。
一夕、「宝发园」で夕食をご馳走していただいた。
この店は、かつて奉天軍の張学良が絶賛した“四绝名菜”で有名な料理屋。
数奇な運命をたどり、晩年台湾からハワイに移り客死した彼を偲んで話が尽きなかった。
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说起位于沈阳市小津桥里宝发园饭店的“四绝名菜”,沈阳城里几乎妇孺皆,这就是熘腰花、熘肝尖、煎丸子和熘黄菜。
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这“四绝名菜”的由来与少帅张学良有很大的关系。
清光绪年间,河北北塘人国喜玉出关到辽宁谋生,他在沈阳市小东门外开了个宝发园饭馆。
然而开业多日,生意十分清淡。
他经过反复琢磨,根据东北人的口味,用猪肝、猪腰、瘦猪肉和鸡蛋等普通的原料,经过精细的挑选、配计,以上好的刀工做出了色、香、味俱全的菜肴。
这些菜肴不但色、香、味美,而且价格适中,很受一般消费者的欢迎。后来就连附近有钱有势的头面人物也来到宝发园饭店品尝。国喜玉的生意越做越兴隆。
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一天早晨,一位20多岁穿白色西服的年轻人来宝发园就餐。
他点名要吃熘肝尖、熘腰花、熘黄菜和煎丸子四道菜。
菜上桌后,这位青年连声说好,赞口不绝。

临走时,他把堂倌找来,告诉他这四样菜色、形、味、刀工、火候俱佳,以后可称之为“四绝”。
说完留下拾块大洋微笑而去。
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那青年刚走,周围的人都来向国喜玉道喜。
国喜玉莫名其妙,经人解释才知道,原来那年青人不是别人,正是后来大名鼎鼎的少帅张学良。
从此,宝发园四绝名菜之名不胫而走,越来越多的人慕名而来,宝发园名声从此大振。
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by officemei | 2009-04-29 11:00 | ■遼寧
4月16日、08:25AM福州発・MF8071便に乗って11:55AM大連着。
8ヶ月ぶりの大連。
空港からそのまま開発区にある民族学院へ。
二人の吉林省出身の学生と面談。
その後、市内に移動し関係者5名と面談。
翌17日、関連会社2社訪問後、ハルピンに向かうため空港へ。
あたふた動き回って時間が過ぎてしまったので、せめて空港までの風景を撮ってみた。

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by officemei | 2009-04-29 08:42 | ■遼寧
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中国仏教界に大悲寺(遼寧海城)あり。
大悲寺には賽銭箱がないそうだ。

この寺の僧は仏門に入ってのち一切金銭に触れず、襤褸をまとい、托鉢をし、日に一食、厳格な戒律を守り求法に励む。

各地を行脚し、衆生に教義を説き仏法を弘める。
その行脚においては宿を借りず、樹下や橋脚下で夜を過ごす。
又、必ず徒歩で行脚し原則的に乗物を利用することは禁じられている。


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一方、少林寺。
今や栄耀栄華を誇る一大仏教集団。
“少林拳”の商業化によって見入りは絶大。
坊主まるもうけ!
しかし、これが寺と言えるのだろうか?
さながら一大観光スポット。
僧ではなく芸を売る者といった感がする。
俗世に染まりきった少林寺。
こんな寺は他にもいっぱいありそうだ。




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さて、僧とは本来如何なる者なのか?
数年前、浦東空港の喫茶店で二人の僧に出くわし、喜捨(布施)を勧められた。僧は強要するような言動をするはずがない。
であればこの二人はニセ坊主だったかもしれない。
しかし、このような輩が蔓延っているのが現状だ。
破壊坊主にニセ坊主・・・
カ~ツ!
南無阿弥陀仏!
中国語関連サイト;
ニセ坊主;
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by officemei | 2009-02-11 03:00 | ■遼寧