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中国遼寧省瀋陽の日本総領事館によると、満州事変(1931年)の発端となった柳条湖事件75周年を迎えた18日夜、瀋陽で開かれた記念式典終了後、市民の一部が会場で日本の国旗を焼き、シュプレヒコールを上げるなどの騒動が起きた。負傷者など被害はなかった。

式典は警官1000人以上が警戒する中で進行したが、終了後、警戒態勢が緩められたところを狙って若い男性2人が日本の国旗を広げて「打倒、日本軍国主義」などと叫んだ。市民約100人が2人を取り囲み、中国国歌を歌いながら日本国旗を燃やしたという。



9月18日は満州事変が勃発して75周年に当たる。中国では「抗日」を主題とする代表的な四つの博物館が特別展を開催した。国営通信社の新華社及び中国新聞社、中国共産党系の人民日報社は、いずれも大きく「9.18」の話題を報じた。

特別展のテーマは、北京市内の盧溝橋近くにある中国人民抗日戦争記念館が「中国東北における日本の植民地統治-9.18事変75周年写真展」、吉林省・長春市にある偽満皇宮博物院が「9.18を忘れるな-日本の東北侵略の史実」、遼寧省・撫順(ぶじゅん)市にある戦犯管理所旧址陳列館が「正義と平和のために-旧日本戦争犯罪絵画展」、遼寧省・瀋陽市にある9.18歴史博物館が「歴史を記憶にとどめ、平和を愛する-9.18事変75周年特設展」となっている。

2006年夏ごろから日本との「歴史問題」に関して、中国メディアには慎重に扱う傾向が目立っていた。しかし、9.18事変に関しては75周年ということもあり、歴史的経緯の紹介と各地の動きが比較的大きく報じられている。

その一方で、報道には過去の日本の軍国主義と現在の日本を切り離す配慮も見られる。人民日報社は9.18歴史博物館では開館以来7年間に8万人以上の日本人が入館し、政治家、旧軍人、更に一般日本人にいたるまで、「歴史を鑑(かがみ)として両国の友好的な未来を創造する」ことを強調する記帳を行っていると紹介した。

CCTV報道(中国語);
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by officemei | 2006-09-19 13:10 | ■遼寧
e0094583_19322823.gif柳条湖事件75周年
1931年、満州事変の発端となった柳条湖事件の発生から75周年を迎えた18日、事件の舞台となった遼寧省瀋陽の「9・18歴史博物館」で記念行事が開かれ、参加者らは「国の恥を忘れるな」と誓った。また、午後9時18分に瀋陽など同省内の14都市や中国各地で同時にサイレンが鳴らされる。


9月18日9時18分,中國4家知名的抗日主題博物館同時拉開各自新展覽的帷幕,以紀念“九.一八”事變75周年。

人民日報海外版報導,這4家博物館獨自設計了富有特色的展覽內容,但展覽的前言卻是一樣的。其中,北京中國人民抗日戰爭紀念館展覽主題為“日本在中國東北的殖民統治——‘九.一八’事變75周年圖片展”;長春偽滿皇宮博物院展覽主題為“勿忘‘九.一八’——日本侵略東北史實”;撫順戰犯管理所舊址陳列館展覽主題為“為了正義與和平——前日本戰犯繪畫展”;瀋陽“九.一八”歷史博物館展覽主題為“牢記歷史 珍愛和平——‘九.一八’事變75周年專題展”。
 
據瀋陽“九.一八”歷史博物館館長井曉光介紹,“牢記歷史 珍愛和平——‘九.一八’事變75周年專題展”將展出70多件今年新徵集到的文物、實物。其中最引人注目的是中國醫科大學捐贈的一組7件醫療試驗器皿,這是曾任日本731部隊第二任部隊長北野政次使用過的物品。

據最新統計,“九.一八”歷史博物館開館7年來,已接待國內外觀眾700多萬人次,其中包括8萬余名日本客人。從擔任要職的日本政治家,到當年侵華的日本老兵,再到普通的日本遊客,很多人在參觀後紛紛留言,強調要以史為鑒,開創日中兩國友好未來。

日本戰犯重返中國“再生之地”
9月17日,夕陽西下,85歲的原日本戰犯藤原助男與同行的其他日本友人一起,在“向抗日殉難烈士謝罪碑”前默哀。

這是藤原助男自1956年以來第三次回到位於中國東北的撫順戰犯管理所。從日本搭乘飛機到瀋陽的藤原,16日下午趕到了撫順。當晚,他就住在了昔日的監舍裏,重溫由“鬼”變成人的記憶。

從1950年到1964年,包括藤原助男在內共有982名日本戰犯在這裏接受改造。這些日本戰犯回國後成立了“中國歸還者聯絡會”,為日中友好和揭露日本侵略罪行奔走呼號。並且,他們還共同籌資在管理所建起了一座“向抗日殉難烈士謝罪碑”。

“這是我的再生之地,終生難忘。”在管理所監舍的大炕上,藤原助男撫摸著床板,打開了記憶的閘門,向人們講述起在管理所度過的日子。“管教人員吃的是高粱米飯,我們吃不慣就給我們吃大米,當時中國還很困難,對我們卻很人道。”

說到這裏,藤原哽咽難言,淚水奪眶而出。“一開始我們很頑固,不承認侵略、不承認自己是罪犯。在管教人員教育下,我們通過學習終於認清了這場戰爭的本質,從殺人魔鬼變成了人。”

1943年,22歲的藤原參軍來到中國,隸屬於39師團232聯隊,1945年在遼寧被蘇聯紅軍俘虜,1956年被中國釋放遣送回國。

藤原此行既是一次感恩之旅,同時也是一次謝罪之旅。9月18日,他要返回瀋陽,參觀“九•一八”歷史博物館,晚上觀看瀋陽舉行的紀念“九.一八”事變75周年撞鐘鳴警儀式。

專家:“九.一八”陰謀蓄謀已久
“日本發動‘九.一八’,不是一般的陰謀,是蓄謀已久的。”遼寧大學歷史系教授、東北解放戰爭史研究會秘書長邢安臣日前指出。

邢安臣說,日本把東北看成日本的生命線,從1906年開始,先後在東北設立南滿鐵道株式會社、駐奉天總領事館、關東廳、關東軍司令部,並使之成為發動侵華戰爭的前哨陣地和得力工具。

1931年,兩門24釐米口徑榴彈炮從東京輾轉運至瀋陽,在日軍獨立守備第二大隊兵營內(今瀋陽市太原街2號)安裝完畢,“閉著眼睛也能命中目標北大營、飛機場。”邢安臣說,日軍還頻繁進行軍事演習。僅“九.一八”事變前的一年間,日軍就在瀋陽進行了50多次軍事演習,這些都為日本發動侵華戰爭做好了鋪墊。

1928年6月4日,日本關東軍密謀炸死“不聽話”的張作霖。“這只是發動‘九.一八’事變的序幕。而炸張作霖專列和炸柳條湖的炸藥,都是一個名叫川越守二的日軍教員搞來的。”邢安臣說。

1931年9月18日晚上,日軍將距北大營僅數百米的柳條湖附近的鐵軌炸毀,反誣東北軍所為。邢安臣說:“柳條湖事件有兩個作用,一是製造藉口,一是爆炸聲給獨立守備隊第二大隊兵營發出了進攻信號。隨即,24釐米口徑榴彈炮的第一發炮彈落在北大營西北角,第二發落到東塔機場。”

“當天晚上下半夜,也就是9月19日淩晨3時30分,日本關東軍司令官本莊繁就率關東軍司令部從旅順坐火車進駐‘東洋拓殖株式會社’大樓裏(今瀋陽市總工會大樓)。”邢安臣說,19日5時30分北大營被占,6時30分瀋陽城被占。隨後,僅用4個月零18天,日軍便佔領了東北三省和一個特區,一口氣吞下了相當於日本本土3倍面積的中國領土。

“75年過去了,研究這段歷史,考證這段歷史,就是要還歷史以本來面目,讓人們瞭解真相。我們說勿忘‘九.一八’,就是不能忘記日本軍國主義給我們帶來的災難。”邢安臣說。

CCTV中国語報道;
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by officemei | 2006-09-18 19:33 | ■遼寧
e0094583_10242651.gif中国のホテルは、中国国家旅遊局が品評する等級制度によって、5等級の星で格付けされている。

しかし、どうも等級のレベルが統一されておらず、地域差・内容により大きく異なるように思われる。同じ等級のホテルでも大都市と地方都市、中国資本と海外資本で優劣が歴然としているからだ。

今回、事前に予約をしておいた4星ホテル「大連国際機場賓館」。
いつもは市内の外資系ホテルに宿泊するが、翌日早朝出発を考えて空港近くのホテルを予約することにした。ここはカタログに江沢民の写真も載っており、無料送迎もあって値段の割には良さそうに感じた。

青島から大連着。
迎えらしき者はいない。35分待った。電話をしてみた。
フロントは予約確認したがあなたの名前は無い、と言う。
さんざん文句を垂れて電話を切り、空港のホテル予約センターで付近のホテルを別に予約。

ほどなく先ほどの「大連国際機場賓館」から携帯に電話がかかった。
今から迎えに行くからもう少し待っていろ、という内容。
「予約も入れ、携帯番号も到着便名も伝えてあるのに迎えに来ず、フロントに文句の電話を入れたらあんたの予約なんぞ入ってないと言われ、今頃連絡してくるお前はあほか!」と言うと、「わかったわかったもうちょっと待ってくれ、迎えに行くから」とのたまう。

でお前、マネージャーと代われ。
マネージャーに、「ホテルというサービス業は特にCS(顧客満足)を心がけないといけないのに、お前ンとこは何だ、平身低頭して当方の間違いでございました、お許しくださいの言葉も無く、もうちょっと待ってろ、迎えに行くからとはどういう教育をしているのか。客に対する言葉遣いもなってないし、お粗末過ぎる、4星が聞いてあきれるぞ」
「すみませんでした、何かの手違いで。すぐお迎えに参りますから」
「もう他のホテルを予約した」で、通信終了。

新しく予約を入れた4星ホテル「金陽天大酒店」。部屋は小奇麗にしてはあったが、ミニ冷蔵庫は収納するところが無く床においてあるし、エアコンは修理中とかで使えないし、シャワーはちょろちょろと水が出る程度で風呂にも入れないし、0時を過ぎてもディスコの騒がしい音楽がガンガン響いて寝られない。まったく何が4星だか。

同じ4星でも外資系のホテルでは心地よいサービスを受けられるのにこの違いは何か?
これはすべての業種に言える事だが、サービスというものがどういうものかを理解できていないところにある。
オリンピックをひかえてこのていたらくはお粗末だ。

勿論、中には中国資本のホテルにも素晴らしいところもある。
私の宿泊した中では福州金源大飯店(5星)などは行き届いたサービスだったが、全国レベルではまったく等級にそぐわないホテルが多すぎる。
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by officemei | 2006-09-18 10:31 | ■遼寧
2006年9月13日・瀋陽の朝。
宿泊先のこのホテルは遼寧賓館(戦前の奉天大和ホテル)の裏側にあって、窓から中山広場が一望でき、中央には毛沢東像が今も健在だ。

昨日上海を午後2時に経ち、4時過ぎに瀋陽に着いた。その後ホテルで来客と面談し、夜は旧知の馮さんと西塔(リトルソウル)にある百帝園という韓国料理屋で食事。
e0094583_224414.gif(百帝園;中国語サイトはこちら)
(瀋陽西塔;中国語サイトはこちら)

この周囲には数万人の朝鮮族が居住しているらしい。いかにも北国っぽい(それ以外に形容しがたいが)けばいネオン看板はハングルのオンパレード。

ここでは韓国資本、北朝鮮軍部の資本、それぞれの料理屋やらサウナやら飲み屋が仲良く?共存しているらしい。次回来訪時には北朝鮮系の料理屋に行こうと誘われた。何でも服務員(ウエイトレス)が全員美女で大卒、店内の雰囲気は韓国資本よりもゴージャスなんだそうだ。

その後、場所を換えて百金瀚健足会館というサウナで入浴、足療(足つぼマッサージ)。
一風呂浴びて心地よい気分に浸った。清潔なサウナだったので気に入った。

さて、今からチェックアウトして09:40発の山東航空で青島に飛ぶ。今回の瀋陽は僅か16時間の滞在。10月に再訪予定。

瀋陽;
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by officemei | 2006-09-13 07:42 | ■遼寧
2006年5月15日
10:20青島発の大連行きが2時間ほど遅れた。
それで午後の予定が無茶苦茶になってしまった。
過密スケジュールはこんなときに破綻する。
3件のクライアントに無理を言ってアポ時間変更。
先刻やっと完了しホテルに帰ってきた。
いつも日航かシャングリラに泊るが、今回はスイスホテルにした。
ほぼ一ヶ月ぶりの大連。
先月も夜便の青島発大連行きで、激しい雷雨のために数時間待たされた。
二度あることは三度ある・・・9月再訪の折にまた遅延すれば、このルートは鬼門かも。

明日は朝一番に大連外語学院を訪問し、その足で空港へ駆け込み、上海に一旦帰る。
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by officemei | 2006-05-15 23:18 | ■遼寧
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4月21日 大連空港にて
これから上海へ帰る。
大連、11:00AM現在の気温11度。
数日前、大連では強風が吹き荒れた。
歩いているとアゲインストの風に息もできず、フォローの風には体が飛ばされそうで何度も踏ん張った。
青島から大連に向かう夜、青島は激しい雷雨で空港は麻痺状態。
数時間待たされて漸く大連に着いたが、こちらはまったく平穏。
しかし一夜明けて強風が吹き荒れる。
すごかった。
GW明けに再度訪れるが、その折はほどよい気候であってほしい。

上海帰着。
上海に帰ってきた。多少曇っているが風は温かい。
天気予報によると20度、夕刻からは雨が降るそうだ。
今、浦東空港から2号線・静安寺行きのバスの中。
今日はこのまま家路についてゆっくり休みたいところだが、蘇州人とのアポがある。

バスに揺られながら車窓の風景を見つつ、なぜか台北の風景を思い描いた。
私はいったいいつになれば台北で落ち着くことになるのだろう。
無性に恋しい。
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by officemei | 2006-04-21 17:01 | ■遼寧

瀋陽道義開発区の瀋北学園都市周辺に、数十軒のホテル・旅館・食堂があるが、その内相当数のホテル・旅館は女性を住み込ませて売春行為をさせており、学生たちはこの誘惑に抗しきれないかも、といったニュース。
この地域は実際瀋陽でも有名らしく、近郊からもそれ目当てに通う人たちがあとを絶たないらしい。真偽の程は判らないが、貧しい女学生でアルバイトをしている者、男子学生で利用する者、恋人とプチホテル感覚で利用する者、さまざまだそうだ。文教地区、大学の周囲に「赤線」(古~い)、風俗街がある混沌さ。う~ん!
(以下中国語)
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沈北大学城周围酒店藏暗娼
调查背景
“大学城周围的部分旅店有暗娼!”一段时间以来,类似电话持续打进本报,这是学生家长们愤怒的声音。
按照家长们的说法,在沈阳道义开发区沈北大学城周围,鳞次栉比分布着数十家酒店、旅馆、小吃部,其中部分酒店、旅馆里面藏有暗娼,她们长期从事卖淫活动,其行为已经影响到了大学生们的正常生活……
人们称这些生意为“夜生意”。
一张“没小姐”的告示———
在101国道沈阳道义开发区路段,名为“星星旅店”的小旅馆正门上,贴有一张告示:“正规旅店,守法经营,没小姐,请勿打扰休息。”
另外,在旅店自定的住宿五不准中,还有“挂小姘的不准住宿”字样。
“正是这两个规定,使我们流失了很多客人,”旅店一名女负责人说,“但我们确实不愿像其他旅店、饭馆那样毒害大学生!”
“星星旅店”距离沈北大学城仅仅百余米,按照该负责人的说法,近两年,经常有陌生男女来旅店询问是否提供“小姐”,是否可以联系嫖客,甚至偶尔会有大学生模样的人。
“我家经营的是正经生意,所以就挂出了这么个告示!”她说。
据了解,在大学城周边,有百余家小旅店、小酒店将其包围,其中有多数旅店、饭馆都藏有暗娼,这些暗娼对大学城里的学生们产生了相当大的冲击。
“夜生意”的懒散白天
“这些白天不营业的酒店里,都有‘小姐’,她们晚上卖淫白天休息……”
2月7日9时许,记者来到沈北大学城,在这里,分布着五六所高等院校。
由于时值假期,校园内基本见不到学生的身影,但在这些学校附近,却可以发现有多家酒店、旅馆、小吃部正在营业。
这些酒店有的挂有牌匾,有的干脆没牌匾,只在窗户上贴着“炒菜”的字样。
记者粗略统计,这些酒店、旅馆的数量达到百余家,分别坐落在文大路、沙平路和101国道上面,而沈北大学城刚好被这3条公路团团围住。
记者试图进入文大路上一家名为“××缘”的小吃部,但在多次敲门后,却发现房门已经从里面反锁住,无人应答。
记者来到附近20米处的“夜××”酒店,在多次敲门后,屋子里传出一个懒洋洋的女声,“白天不卖,不知道啊?”
在沙平路和101国道上的其他酒店,类似的情形也接连发生。
好好的酒店为什么“白天不营业”呢?
一家便利店的女老板听到此问题时却反问记者,“你没来过这里吧?”她让记者随便叫辆出租车,“问问司机就知道了……”
2月8日上午,记者在铁西新区一名出租车司机那里得到答案:“这些白天不营业的酒店里,都有‘小姐’,她们晚上卖淫白天休息……”
按照该司机的说法,这里的暗娼现象早已不是秘密,一个“找靓妹子,去大学城”的顺口溜在沈阳的司机们之间口耳相传。
“我拉过很多人去那里!”这名司机说。
另一名出租车司机刘某,对这里的暗娼活动更为熟悉,“101国道上的‘××酒店’有5个‘小姐’……”他甚至能准确说出大学城周边部分暗娼的分布。
半天之内,记者在多名出租车司机那里都得到证实,这里的小酒店里多数都藏有暗娼,这些酒店都是白天闭店,晚上生意兴隆。
从这些小饭店白天的慵懒中,记者难以想像这里的夜晚会是怎样……
“夜生意”的粉色夜晚
饭馆都挂上了粉色的霓虹灯,大一些的酒店门口,停着多辆出租车、面包车。
2月8日20时,记者再次来到文大路,此时很多酒店、饭馆都挂上了粉色的霓虹灯,敞着门营业了。
几家大一些的酒店门口,还停着多辆出租车、面包车,其情景与白天时的门窗紧闭大相径庭。
记者随后进入了一家没有牌匾的饭馆,一铺大炕上,三女一男正在搓麻将,地中央还站着一男子在抽烟。
“是来玩玩的吧?”抽烟的男子对记者说,“我们这里的妞儿靓着呢!”
男子说完让炕上的女人全都站到记者面前,然后让记者随意挑选。“中意的你就领到后边的小屋里去,小屋很僻静,保你没事儿,”男子说:“再说了,就算被人发现又能咋的?我没点能耐能干这个吗?”
记者随后以“你这里的妹子不靓为由退了出来”。
西走10米,记者进入另一家名为“××香”的酒店,老板娘发现记者一行多人后赶紧表示,“妹妹们回家过年去了,我给你们借几个去!”
趁着老板娘出去的当口,记者在酒店里发现,有多处暗房藏于酒店中,如果不是内部人,应该很难找到……
在沙平路和101国道,记者又相继进入了10余家酒店,发现里面无一例外全部藏有暗娼,平均每家都有3~5名。
“夜生意”的从业“规矩”
零时以前不会出台,不是熟人不会出台;“有人自称是学生,在这里谁也不会说真话!”
为了调查这些暗娼是否对大学生的生活产生了影响,记者决定约出一名“小姐”了解详情,但5家酒店给出的回答都是“我们的‘小姐’不出台”。
在一名出租车司机那里,记者了解到,并不是这里的“小姐”不出台,而是“小姐”出台有两个规矩:零时以前不会出台;不是熟人不会出台。
零时30分,在101国道上的“××缘”酒店,在这名出租司机的帮助下,本报两名记者以300元的价格约出了两名“小姐”。
在一家饭店里,两名“小姐”先后点下4个菜,然后与记者攀谈起来。
根据她们的说法,在这里卖淫,1小时的价格是70元/人,老板从中提成20元,如果吃饭,一顿饭的价格是100元(仅包括4个简单的菜,如花生米、拍黄瓜、豆芽菜等),如果领“小姐”出来包宿,一宿(时间是零时~3时)的价钱是150元/人,老板从中提成50元。
一名“小姐”表示,这里的暗娼现象至少5年,其中的卖淫女多数是偏远地区的农村女子,嫖客可就来自四面八方了,外地慕名而来的也有不少。
“其实是先有卖淫女,之后大学城才建起来的……”她说。
“你们离大学这么近,没人管吗?”记者问。
“咋不管,公安来抓过,但我们总有自己的办法……”一个“小姐”说。
至于卖淫女中是否有大学生,该“小姐”表示,“这我也说不清楚,有的人为了吸引嫖客,于是就自称是大学生,有的看上去也挺像大学生,反正在这里谁也不会说真话!”
攀谈到了1时30分,记者以有急事为名,离开了饭店。
“夜生意”的监管难题
“站在远处蹲坑,发现有嫖客进入时,就赶紧出击……”但仍旧存在暗娼现象。
大学城周边暗娼猖獗的现象,其实早就引起过相关部门的注意。
记者了解到,在不久前召开的辽宁省政协九届四次会议上,曾有政协委员提出过类似方面的提案———
道义地区现有大学院校5所、院校学生7万余人,教职员工8000余人……所处的地理位置和人员构成的成分比较复杂,外来人口较多,社会治安秩序混乱,防控能力较差……政府及公安部门是否可以在可能的条件下,适量增加道义地区的防务警力,加强社会治安防控能力,以维护社会稳定。
当记者把该提案告知大学城周边各个村委会相关负责人时,他们一方面表示赞同,另一方面又向记者大倒苦水。
文大路有一路段在沈阳市皇姑区三台子街道方溪湖村辖区内,方溪湖村治保主任曹永林告诉记者,文大路在村辖区内有1.5公里长,这一路段是暗娼较多的地方,最多时马路两旁有17家小酒店,几乎每家都藏有多名暗娼。
曹永林曾配合公安部门对暗娼进行过查处,“我们站在远处蹲坑,发现有嫖客进入时,就赶紧出击……”
但曹永林表示,现在仍旧存在暗娼现象,“这些暗娼对村民、附近的学生肯定会造成影响……”
沈阳市于洪区造化乡旺牛屯村村主任兼治保主任陈德权也表示了同感,沙平路有一路段经过旺牛屯村,在这条近1公里的路段上,最多时有近20家小酒店,也是每家都藏有暗娼。
沈阳道义开发区正良新村村民委员会治保主任董洪海也是一肚子苦水,“暗娼现象确实存在,在正良新村辖区内的101国道上,有40余家酒店在经营,不敢保证说没有暗娼……”本组稿件由本报记者 萧暮宇 采写
声音
老师:暗娼存在会影响单纯的孩子
2月11日,记者联系到了大学城里一所高校的学生处负责人,并向他了解了大学城附近的暗娼现象。
“这里属于城乡结合部,自从各个学校陆续搬来后,这个地区开始变得繁华起来,因此就衍生出许多餐饮服务场所,渐渐的,大学城就被包围了。
“对于部分酒店里的暗娼现象,学校有规定,一旦有学生涉足这些场所,学校肯定会予以开除处理。
“到目前为止,我们学校还未发现有学生违反规定的,但即使如此,我还是不敢完全保证就没有学生涉足这里。毕竟学生们还都是孩子,他们的想法还很单纯,而这些暗娼,无疑会影响到孩子们的世界观、人生观。
“学校就要开学了,每年的这个时候,都是这些旅馆、酒店生意兴隆的时候,我希望相关部门能够加大对这些暗娼的查处力度。”
学生:小旅馆的诱惑确实挺大的
由于时值寒假,大学城内的学生们均已放假回家,经过努力,记者联系到了两名在校大学生。
学生甲(女):我是住宿生,刚一入校,我妈就告诉我平时别乱往校外跑,所以我根本没去过你说的那些旅馆什么的。我们班有一些家境比较差的同学,但我没听说过有去那里打工赚钱的,不过,倒是有一些处了朋友的男女同学一起去附近的旅馆过夜,我还听说过一些同学结伙在附近的什么地方看黄色录像。
学生乙(男):那些地方我倒是听说过,以前天热的时候在门口也看见过,主要是有些女的穿成那样的,一看就不是太正经的人。我没去过,但这种事有很多同学都知道,据我所知,有个别同学去过那里,男女都有。其实,学校周围的这些小旅馆,确实对我们诱惑挺大的……
相关链接
“电子眼”监控“卖淫女”合适吗?
据《广州日报》
广东佛山市区的燎原路一带曾经是暗娼活动猖獗的地方,当地有市民甚至称这条路为“暗娼一条街”。
当地警方曾多次清查打击,但是由于警力不足、收集证据困难等原因,收效不大。每次民警清查后,这些涉嫌从事色情活动的女子又会卷土重来。
为此,警方在燎原路上安装了8台电视摄像镜头,对燎原路上的各个路段实施24小时监控,一旦发现有可疑人员,可以立即出动。
警方称,这些通过电视监控镜头拍摄到的画面还可以作为证据,希望从根本上扭转燎原路暗娼扰民、屡禁不绝的状况。此做法曾引起社会广泛讨论,有的认为可以有力地打击暗娼,也有人认为这对没有从事暗娼活动的行人来说是种人身权利的侵犯。
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by officemei | 2006-02-16 09:48 | ■遼寧
大連半島外国語学校。食堂・寮完備の清潔な環境、金州にあります。
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by officemei | 2006-01-09 21:34 | ■遼寧
嘗て大連外語学院で日本語を専攻した学生が、それぞれ日本の暮らしを体験し、やがて家庭をもち、子供ができ、今では大連で大いに活躍している。 

夫は役人から転進し、手広く対日関係事業を行なっており、妻は日本語の教育現場に身を置いて久しい。
以前から奥さんとは仕事を通じ面識があったが、今夜初めてご主人をご紹介いただいた。
40代半ばの風格ある紳士であった。
夫婦とも大変流暢な日本語を話される。
宴席を囲んでの歓談は日本語・中国語の多重放送を彷彿させた。
宴半ば、ご主人の指摘された言葉に深く感じることがあった。
それは、我々はある意味非常に似た境遇を有していることだ。
先ずご主人は日本語を専攻し、日本体験を持ち、大連市政府の外事畑で通訳などを担当され、退職後対日関連事業を手掛けておられる。
私は中国語を専攻し、卒業後北京大使館に身を置いた。
その後大学院を経て紆余曲折の末、今は通訳・翻訳・対中関連事業を手掛けている。
ご主人の日本観は客観的で的確だし、私の中国観も決して的を外れてはいない。
言葉に対する敏感さ、探究心は、外国語を専攻しその道で生きている者同士共通する感性をお互い感じた。
奥さんは満族だということは以前から知っていたが、今夜の歓談で祖父が満州国検察院長であったことを知った。
終戦後や、文革時期にはさぞや一家は苦労されたことだろう。
特に文革時期を(末期ではあるが)北京で体験した私には、察するに余りある、暗黒、非情、狂乱の時代だった。
そのような辛酸をなめた経歴を微塵も感じさせない気品と風格をもった女性だ。
それが家格というものだろうか。
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by officemei | 2005-10-24 00:08 | ■遼寧
このまちは中国北方地域のなかで唯一私の肌に合うまちだ。

いつ来ても何かほっとするようなまちの匂いを感じる。
緩やかな坂、港、市電、レトロな洋館、日本時代の建築物といった「アカシアの大連」(清岡卓行著)の世界と、都市開発によるモダニズムが新旧交々の雰囲気を醸し出している。
北京のような大味なだだっぴろさ、瀋陽のような暗さ、天津のような汚れを感じない、こじんまりと小奇麗にまとまったまちだ。
多分に神戸と対比して見てしまう。
どうも私の感性は水っぽさ(ネオン街とは違うよ)を求めているような気もする。
海や河と緑の山・丘、それに街路樹・濡れた葉や草、多少湿っぽい空気、そんな背景に人の生活と息吹を感じる都市の様相が旨く配合されていればじっくり腰を据えてその中に自分を置いてみたくなる。
だから北は総じて辛い。南が肌に合う。
大学時代の一期後輩(実は同い年)で、今は日立に勤務する阿部という男がいるが、彼も頻繁に中国出張があって、私はふと思い立つと彼の携帯に電話をかけるのが習性になってしまった。
不思議なことに十中八九つながる。
同じまちにいて再会したのは上海での一度きりだが、お互い同じ大陸のどこかにいるんだという安心感があって、学生時代一途に中国語を学んでいた頃の気分に些かでも浸ることができリフレッシュできる。
で、彼は大連出張が多く、逆に私が大連にいるときは何故か他のまちにいる。
(敬遠されてるのかな?)

故山口一郎神戸大学名誉教授とは、ずっと以前、北京で職場も住居もご一緒させていただいた。
先生は文部省出向の単身赴任、私は未だ学生気分の抜けない好奇心旺盛な20代なかばの青二才で、大学教授から見れば、やんちゃな学生と思われていたに違いない。
更には、先生も私も同じ兵庫県民であったことも、可愛がっていただいた背景の一つかもしれない。

北京では、建国門外斉家園外交人員公寓に私たちは住んでいた。
当時としては市内一の高層(15階建て)マンションで、唐山地震の折には激しい揺れと今にも崩壊しそうな音により圧死を覚悟したくらいだ。
今年も二度北京を訪れたが、我が「斉家園」は健在だった。
但し周囲は一変し、高層ビル群の中で精彩はなかったが。

先生とは外食仲間であった。
たまには自炊もするが、お互い単身の身軽さもあってよく食べ歩いた。
先生と食卓を囲む時間と空間は、私にとっては有意義且つ楽しい授業でもあった。
近代思想史の学者で、著名な孫文研究家である先生とご一緒しているにも拘らず、実は私は一度もご専門の講義を拝聴していない。
失礼な言い方ではあるが、先生との会話はアカデミックな色がまったく無かった。浅学な私のために身近な事象から解きほぐして語られたので、より興味深く鮮明に心に残っている。

帰国後数年を経て、神戸(鴨子が原)のご自宅に何度も先生を訪れた。
先生は神戸大学を退官され、関西大学に移られた。お忙しい時間を割いて、私の結婚式にもご出席くださりスピーチまでいただいた。
当時、先生は「今度、大連に日本の文化センターのようなものをつくるんだが、きみ行ってみないか」と何度もお誘いを受けたことがある。
当時私はどうして先生のお誘いに応えなかったのか? 
そんなことが想い出され、先生を偲んで一人酒を酌む。

大連。
いい響きだ。
真冬の大連は経験が無いので、寒さに滅法弱い私にはそれが気になるが。
明日は山東半島煙台へ向かう。
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by officemei | 2005-10-09 22:08 | ■遼寧