カテゴリ:■山東( 36 )

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by officemei | 2007-10-05 16:20 | ■山東
山東省煙台の王さん、これ何という料理でしたか?
舌ざわりがちょっと面白い感覚でしたが・・・

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by officemei | 2007-06-04 07:11 | ■山東
06/10/16
太平角・・・
このあたりは嘗ての国民党政権時代に建てられた別荘地で、今では解放軍の保養施設となっている。
更には2008年オリンピックのヨット競技会場に指定され、海浜風景地区として整備が行われた。
第三海水浴場に面したRoland Bar(朗园酒吧)、バーというよりはオープンカフェテリア。
快晴の午後のひととき、木蔭の席に浜風が心地よい。
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浜には10月中旬というのに海水浴を楽しむ人もいて、その向こうに青島の新市街地が望見できる。

その後、湛山路を散策。
静かだ。鳥のさえずりが聞こえる。
洋館の建ち並ぶ風情はここが中国だということを忘れてしまう。
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参考ブログ;
参考サイト;
青島海濱風景區位於青島市區南部沿海一線,東西長約25公里,南北寬約3公里。其風光特色為匯山、海、城於一體,融自然與人工為一爐,是國家級風景名勝區當中少數位於城市中心的風景區。

從20世紀初開始,青島由一處軍事重鎮、商埠逐步發展成為城市,並以其優美的自然環境、適宜的氣候成為當時國內最早的避暑勝地。二、三十年代,國內一大批學者、文化界人士雲集青島,使得青島成為當時中國的文化重鎮。同時,國內的達官顯貴及外國商人也進入青島,活躍了青島的工業、商業和建築業。不同國籍、不同地域的文化在這裏產生碰撞和融匯,為青島初期的城市建設構築了特定的理念:半個多世紀中,“碧海、白帆、藍天、綠樹、紅瓦、黃墻”及依山就勢、鱗次櫛比的優美建築成為青島獨佔鰲頭的風光特色,青島海濱因此也成為享譽海內外的著名旅遊勝地。

改革開放以來,青島市突破原有的思維模式,向著現代化國際城市的目標奮進,市區向東、西兩個方向拓展,市區東部建成成片的高樓大廈。與之相匹配,新建的道路也不再狹窄蜿蜒,大手筆的景點建設更富有現代特色。城市的發展建設不但完整地保留了海濱原有的風光特點,使現代化景點與自然景點相得益彰,而且對原來的風景區、風景點進一步美化和亮化。現在,青島海濱風景區每年接待1000餘萬人次的國內外遊客。
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by officemei | 2006-10-17 08:19 | ■山東
2006年9月14日
昨日昼近くに青島着。
香港中路のクラウンプラザ38Fに予約した部屋で臨沂からの来客と面談。
その後青島大学国際交流中心を訪問。
息子がこの大学で4月から7月まで短期留学をしたが、ちょうど私も4月・5月に青島へ来た折に会いに行ったのに、その折にはまさか後日仕事で関係を持つようになるとは思いもしなかった。

今日は又臨沂と日照からの来客と面談し、夕食までの時間を散歩。
この辺りは隣にジャスコがあるし、間もなくマイカルもオープンする。
内装工事中のマイカル前に大勢の人の群れがあって歩道を遮っていた。
人混みを掻き分けながら歩いていると、彼ら彼女らの話題が耳に入り、スタッフ応募に来ていることに気づいた。数百名はいただろうか、皆若かった。

青島にはもう何度も来ているが、来るたびにこのまちに落ち着きたくなる。
中国のどのまちよりも小奇麗で、適度の大きさにまとまっている。
レトロな旧市街とモダンな新市街が違和感なく共存し、海の匂いがかすかに漂う。
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青島は実にいいまちだ・・・
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by officemei | 2006-09-14 22:07 | ■山東
煙台の王さんから近況報告のメールが届く。

添付画像は王さんの煙台郊外にあるマンション近くの畑に着工中のマンション建設現場の模様。

早朝5時から始まり、昼の暑い時間はお昼寝タイム。
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煙台駅。1日の発着が18便。のんびりムード。
最近は、汽車より長距離バスが発達しており、バスターミナルの方が便数も多く人で混雑している。
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ねむの木。夏はあちらこちらにねむの木の花が咲く。
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by officemei | 2006-07-12 20:45 | ■山東
2006年5月13日
午前9時過ぎ、煙台を発し青島に向かう。
莱陽・莱西を通過し、即墨を経て午後1時過ぎ青島着。
「莱陽梨」は梨のブランドとして夙に有名。ここは梨のふるさと。
道路傍で梨を売る光景がやたら目に付く。(鳥取の二十世紀のほうがうまいよ)

この辺りを中心として山東半島は古くから神仙思想と道教の総本山だ。
実際即墨の海上蜃気楼は有名で、今もよく現われるそうだ。
古代の人たちにとって蜃気楼は神秘、海上に神仙の国があると信じたことだろう。

戦国時代には即墨は斉の国第二のまちだった。
現在は青島の衛星都市となっている。
衛星都市といえば、青島の西南に位置する胶南は始皇帝巡行で有名な瑯琊台があった。又、徐福が神仙を求め日本へ船出した地。

黄海・渤海に面する山東半島は、上古、神秘と幻想の地だった。
しかし現在この界隈は、今回通過した莱陽・莱西・即墨も然り、韓国・日本等の外資企業が進出し、威海・煙台そして青島を核とした大きな経済圏を構成している。

さて、山東半島のメイン都市、青島について。

歴史的に山東半島の港は北部に集中し、青島は膠澳と呼ばれる辺鄙な漁村に過ぎなかった。
清朝末期の1891年に国防上の観点からこの地に軍事施設が建設され、町の発展が始まる。

日清戦争後、三国干渉で中国に恩を売ったドイツは1897年膠州湾一帯を租借し、軍港を建設。ドイツはこの地を極東における本拠地とし、山東半島一帯を勢力下に置いた。
青島に今なお残る西洋風の町並みや青島ビールなどドイツがこの町に与えた影響は大きい。

第一次世界大戦でドイツに宣戦布告した日本は1914年膠州湾のドイツ要塞を陥落させて占領下に置き(青島攻略戦)、1922年に中国に返還。
北洋政府はここを中央政府直轄の特別行政区である膠澳商埠とし、国民党政府は1929年青島特別市を成立させ、1930年青島市と改称している。

1938年日中戦争が始まると、青島は再び日本軍の占領下に置かれた。
第二次世界大戦後には青島は米国西太平洋艦隊の司令部所在地となったこともある。
しかし1949年6月2日中国人民解放軍が青島に入城し、中国共産党政権の支配下に置かれた。

1984年の鄧小平時代に対外開放され、近代的な港湾都市として発展している。
2008年北京オリンピックのヨット競技が青島で開催される。

青島で最も有名なのは1903年にドイツ人が開業した青島ビール製造所だろう。
青島ビールは中国で最も有名なビールで、世界的に知られている。

1984年に青島が特別経済技術開発区に指定されて以来、外国からの投資が集中し、近代建設が急ピッチで進展した。
とくに中韓国交樹立以来、一衣帯水の大韓民国からの投資はめざましく、青島に対する韓国の投資は2001年592億米ドル、2002年971億米ドル、2003年1433億米ドルと急増を続ける。
(同時期の日本からの投資はそれぞれ、163億米ドル、218億米ドル、257億米ドルであった。)
韓国仁川広域市とはフェリーで結ばれ 青島在留韓国人は7万人に達する。

また近年中国最大の家電メーカーとなったハイアール(海爾集団)も青島を本拠とする。

中国人民解放軍北海艦隊の海軍基地や済南軍区空軍第31航空師団の基地があり、第26集団軍第76自動化歩兵師団が駐屯する。海軍や空軍は朝鮮半島を睨んでいる。


2006年5月15日
青島は心地のいいまちだ。
ここならずっと住んでみたい気もする。

私はその昔北京に暮らしたが、まあ時代も悪かった。
それに冬の寒さと乾燥には閉口。
だだっぴろい大通りや北方特有の何かしら乾いた雰囲気は今もって馴染まない。

青島の冬はどれほどの寒さなのだろうか。
海に面しているので多少はしのぎやすいのだろうか。

上海は、そのエネルギッシュな雰囲気は良しとするが、何しろ人が多すぎる。
正直なところ、うんざりするほどの人の群れ。

しかし北京のようなだだっぴろさは無く、狭い街路に人の息吹が感じられて好ましい。
レトロで瀟洒な街並みと、摩天楼の聳え立つ、そのアンバランスもいい。
一番の魅力は、中国のどのまちよりも便利さを享受できることだろうか。
それに、上海人は中国のどのまちの人よりも洗練されている。
その気の利きように接するとほっとする。
この感覚は他のまちではそうそう味わえない。
でも、ずっと上海で暮らしたいとは思わない。

中くらいの大きさで、清潔感があるまち。
便利で、しかも新旧どちらの顔も併せ持っているようなまち。
それにできれば気候のいいまち。
そんなまちがいい。

これまで新疆・寧夏・青海・西蔵・海南以外の地はすべて訪れた。
台湾は別格(ここは私の心のふるさと)として、
あ~ここならずっと住んでみたいと思ったのは、数えるほどしかない。
青島とアモイだ。

青島・・・
実は息子が4月から7月まで、青島大学で中国語の特訓を受けている。
その後、9月から上海外国語大学に留学する。
昨夜、彼と会った。
あっさりしたものが食べたいということで、日本料理屋に連れて行き、鉄火丼を注文した。
その後、世界貿易センター横のサウナ「水晶宮」へ連れて行き、広い浴槽で湯に浸かった。
ここは特に韓国人居住者をターゲットにした「スパ」で、久しぶりの入浴を満喫。
ちゃっかりしたもので、それが終わると私は用済みで、さっさと寮に帰って行った。

今日は日曜日だが、一連の仕事を片付け、夕方やっと解放。
気分転換に周囲を散歩した。
香港中路のジャスコから陽光百貨、カルフールと覗いてみた。
ちょうど今日は母の日「母親節」。売り場はごったがえしていた。
更に足を延ばして「閩江路美食街」まで歩く。
天気もよく、心地良い汗をかいた。
新華書店の「書城」入り口前では、「家教」(家庭教師)します、というプラカードをかけた大学生が何人も列を作り、自己PR中。
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青島は旧市街と新市街が見事に分かれている。
ごちゃまぜ状態でないところがいい。
住み分けるというか、ニーズによって出かける場所が変えられる
それに海岸線が実に美しい。
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私は30年前にも青島を訪れたことがある。
その頃のまちの様相とは大きく変わっているが、垢抜けた雰囲気は変わっていない。
否、より進化した、というべきだ。

このスナップは1976年当時の青島駅、私も若かった。
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青島は本当に住んでみたいまちだ。
明日は大連に向かう。
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by officemei | 2006-05-14 18:56 | ■山東
2006年5月12日
早朝、曇り。
ここは威海。
窓から海が見える。
昨夜、陽光大廈(サンシャインホテル)に泊。
浴室の木桶浴槽にはたまげた。何で?
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例によって、室内にはちゃんとコンドーム、催淫スプレー、女性用はではで下着などの有料グッズ。
ちゃんとしたホテルなのにこうだ。
煙台でもそうだった。
すべてメイド・イン・コーリア。

さて、威海。
威海は山東半島の東部に位置する。
北東南は黄海に面し、北方は遼東半島と相対し、東方は朝鮮半島に近い。

山東半島最東端の成山角(岬)は古来から朝鮮半島との交通の要衝であった。
唐代以来、登州東部の文登、栄成の領域で、明代の1398年倭寇防衛のため、山東半島に成山衛、靖海衛とともに威海衛が設置されたのが始まり。

北岸の市区部の湾内には劉公島が浮かぶ。
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清末には李鴻章率いる北洋海軍基地(北洋水師都督署)となり、水師学堂も併設。
当時、清国海軍の一大拠点となる。
現在は、甲午戦争(日清戦争)博物館、同海戦館が開設されている。

日清戦争末期、丁汝昌率いる清国北洋艦隊は威海衛湾内に閉じこもったが、日本海軍の攻撃を受けて壊滅。下関条約(馬関条約)締結後、日本が一時占領。

1898年、英国が清国から租借し英国海軍の管轄下に置かれ、ポート・エドワードと呼ばれた。
1900年には行政長官署が設置されて英国植民地省の管轄下に入る。
ラストエンペラー溥儀の家庭教師をつとめた英国の中国学者レジナルド・ジョンストンが1926年から行政長官をつとめた。

1929年蒋介石の南京国民政府が成立すると、中国返還が決まり、1930年10月1日返還式が行われる。

日中戦争では再び日本軍が占領。

1945年国民政府の下で威海衛市が成立し、中華人民共和国成立後の1950年、威海市と改名。

中韓国交樹立(1992年)以前の1990年には大韓民国仁川広域市との直通フェリー「金橋」号が就航し、韓国との関係を深めた。仁川港まで14時間の航海である。
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改革開放以来、外国投資を集め、中韓国交樹立後は韓国からの直接投資が集中した。
このため2003年の輸出額は25.3億ドルに達し、外国からの投資額の50%以上を韓国資本が占める。在住韓国人も多い。

又、威海港は青島に司令部を置く中国人民解放軍海軍・北海艦隊の重要な基地でもある。渤海湾南部で開発が進む海底油田地帯にも近い。東部の栄成市は中国最大の漁獲量を誇る。

午前中、「威海外国語進修学院」を訪問後、南へ下って文登へ至る。
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道中といえば際限無くどこまでも続く山、そして所々に平屋の民家と畑。
道路補修中につき未舗装の迂回路をバウンドを繰り返しながら走る。
訪問先の「文登中日友好日語中等専業学校」の周囲は民家もまばらで、商業施設などまったく無かった。
北から市域に入るとすぐに開発地区が現われ、多少は整然とした工業団地が続く。
恐らくその一角にあって、まちの中心地からは離れているようだ。
そこまでしか行かなかったので、文登というまちの様子がわからない。
しかし南は必ず海に接しているはずだ。
ここは山東半島の東端にあたり、遣唐船の北ルートはこの辺りがゴールになっていたからだ。

平安時代の僧円仁は、遣唐使の一員として中国に渡り、この近くにあった赤山法花院に滞在する。彼の「入唐求法巡礼行記」に文登の地名が記されている。
残念ながら、私はそれ以外にこの地の知識を持っていない。

今日一日で、威海から文登、更に煙台と廻った。
このルートは9月にも再度来ることになるだろう。実際相当きつい。

文登からは再度北上し、黄海に沿った高速道路を煙台に向かう。
この道はほぼ一直線。ずう~っと一直線、遮るものが無いので地平線まで見える。

煙台では三聯韓日語学校を訪問、数十名の学生を前に独演会・・・
そのあと郷里の先輩、王さんと会食。
夜は煙台民航大廈に泊。
あ~あ、ここにもあのグッズがある・・・
http://officemei.exblog.jp/1355758/
http://officemei.exblog.jp/1355877#1355877_1
明日は青島へ向かう。
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by officemei | 2006-05-12 07:45 | ■山東
2006年5月11日
煙台空港で一悶着あった。
おかげで一気に血圧が上がり、脳溢血気味だ。

荷物チェックの折、私は鞄の他に大きな日本地図とポスターを提げていたのだが、それを咎められた。
「それは何?」
「地図とポスター」
「ちょっと拝見」
「どうぞ」
「この地図を所有したり、持ち込んだりすることは、法律違反となるので、この場で没収処分にするか、釣魚島(尖閣列島)の箇所を切り取るか、どちらか決めなさい」
最初は理性的に振舞おうとしたが、若い係官のまるで犯罪者扱いの態度に、私は年甲斐もなく、つい戦闘モードになってしまった。
「日本で出版された地図に尖閣列島が入っているのは当然だろうが。逆に中国で出版された日本地図にそれが入っていたら君らは取締まればいい」
これで双方口角泡を飛ばすこととなった。
旅客が大勢集まり、ちょっとまずい雰囲気になってきたので、私は残念ながら地図を放棄することにした。

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by officemei | 2006-05-12 01:19 | ■山東
e0094583_8115922.jpg私はこの一年、4度山東半島を訪れている。
唐突だが、「香乱記」という中国歴史小説について記しておきたい。
始皇帝没後、秦に大規模な叛乱が勃発。
群雄割拠の中、最後は項羽を下した劉邦が漢王朝を興す。
その楚漢戦争前後の時代に一人異彩を放った英雄がいた。
その名を田横という。
田横がどのように生きたかは「史記・田儋列伝」に簡便に記載されているが、彼の不屈の精神に浪漫的な香りを添えた物語が宮城谷昌光の「香乱記」だ。
私は宮城谷作品の愛読者で、春秋五覇・戦国七雄の地を訪れるときには、いつも彼の描く歴史ロマンに思いを馳せて、まちや山河や草木を見て歩くのが楽しみになっている。
特に「太公望」と「管仲」、そしてこの「香乱記」の舞台は斉の国(現山東省)だ。

春秋時代の斉王は呂姓(又は姜姓)で、周の軍師・太公望呂尚を始祖とする。
渭水で釣りをしていた呂尚と周の文王が出会い、「これぞわが太公(祖父)が待ち望んでいた人物」と召し抱えたエピソードは有名だ。
この故事にちなみ、釣り好きを「太公望」と呼ぶ。
明代の「封神演義」に姜子牙という名前で登場するのもこの呂尚。

下って春秋五覇の最初の覇者・斉の桓公(姜小白)は、この太公望呂尚の後裔で、「管鮑の交わり」で有名な管仲を宰相に就け、実力を失いつつあった周王朝に代わって会盟を執り行った。

諸侯の有力者が争う覇者の時代のさきがけとなった人物で、当時、斉の国都・臨淄(現淄博)は中原最盛況のまちであった。

更に下って、戦国時代の斉王は下克上により呂姓(又は姜姓)から田姓の君王に移る。
冒頭に紹介した「香乱記」の田横はその末裔になる。

漢の高祖劉邦のようなタイプはどうも好きになれない。
西楚覇王の項羽も残忍さと狭量さが目立って嫌だ。
その点、田横の放つオーラは一服の清涼剤だ。
詳しくは「香乱記」を購読してください。

さて、その主人公田横に縁のある島を紹介しておこう。
http://www.jimo.gov.cn/lygw/ly_thd.htm
http://www.sdta.cn/xuanchuan/whsd/rjdl/tianheng.html

今週11日から15日まで威海・煙台・青島に赴くが、もし時間が許せば訪れてみたいところだが。
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by officemei | 2006-05-07 22:37 | ■山東
咳がひどいので青島市立医院に行った。
ここは「まあまあ」の病院でよかった・・・?
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北京・上海の病院にも通院したことがあるが、中国の医療事情は日本と比べ最悪だ。
まず患者が多すぎる。それに反して医師・看護士が少ない。
それと医療費精算システムに疑問を感じる。
先ず受付で順番取りをして、新規カルテをもらい、診察料を支払う。
問診が終われば再び受付へ行って検査料を支払い、その領収書を持って検査科へ行く。
検査が終われば又問診へ廻り、注射・点滴・或いは薬の処方を書いてもらう。
それから又受付でそれぞれの支払いを済ませ、領収書を持って注射・点滴・薬と廻り、そのつど列を作って名前が呼ばれるのを待たなければならない。
要は支払いを項目ごとにしないかぎり次の段階に進めないのだ。
もし、老人や子供、病状の悪い者が通院する場合、付き添いがいなければこんなシステムでは時間と体力を益々消耗し、ぶっ倒れてしまう。
金がないと病院にも行けない、独居の者や弱者は付き添いなくして通院もできないという現状だ。

医療費は中国の一般的所得からみるとべらぼうに高い。
風邪でさえ診察・注射・薬で数千円かかる。
日本の健康保険で支払う額とさほど変わらないのだ。
低所得の農民層が風邪をこじらせ死亡するのは、金が無いから病院へ行けないからだそうだ。

又、病院によって医療費・待遇に差がある。
共産党・軍の幹部専用、或いは民営クリニック・外資系の病院では待ち時間も少なく、医療費も高い。これが普通の病院と違って「いい病院」だ。

生命保険もまだまだ浸透していない現実では、大きな病気にかかれば支払い能力を超える。
これは即「死」に繋がる。

解放前の中国は確かに貧しかったが、医療費は殆ど国がみてくれた。
現在の中国では国の社会保障、保険医療、医療システムが未だ整備されていないので、一般大衆個々人に負担がかかる。

因みに看護師は中学卒業後3年制看護学校を出て現場に配属される。
注射も担当する。(日本ではアウト)
日本の「準看」よりも更に年齢が若く、経験も知識も浅い。
日本の「正看」と同じように高校卒業後に看護学校・短大を経て現場に就く看護師は、「高級護士」と呼ばれる。普通の「護士」と比べると圧倒的に少ない。

更にもうひとつ。
点滴は広い点滴室で椅子に坐って行う。
実に見慣れない光景で、お隣さんと喋ったり、携帯電話をかけたり、中にはコーラを飲んでる者さえいる。
この雰囲気にはいつもながら慣れない。
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by officemei | 2006-04-20 11:59 | ■山東