カテゴリ:■山東( 36 )

24時間オープン、一押しの粥店、廉価・美味!
青島市閩江路158号 TEL0532-85770119
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by officemei | 2006-04-20 00:48 | ■山東
フフホトから天津経由で青島着。
市内に至る道中は桃の花が満開。
青島はいつ来ても気持ちが落ち着く。
今、中国のまちで清潔感を感じさせるところは大連・青島・アモイだ。
特に青島は「中国」を感じさせない、きれいなまちだ。
適度な大きさ、旧市街の洋館、新市街のビル群と戸建て邸宅、海の香り豊かな長い海岸線。
新鮮な海の幸にもありつけるし、都会の便利さも享受できる。
山あり海あり坂もある、実に洗練された街並みだ。ちょっとした神戸の雰囲気。
市内の公園では何万本もの桜が花盛り。ジャスコもある。
日本企業の進出により長期滞在中の日本人もけっこう増えたが、圧巻は韓国の勢いだ。
ここ山東省は海を隔てて朝鮮半島があり、韓国の進出には脅威すら感じる。

さて、
宿泊先のクラウンプラザで派手な結婚披露宴が催されていた。
一仕事終えてホテルに着くと、メインエントランスは人だかり。
10人ほどの楽団が太鼓・銅鑼・チャルメラなどの伝統楽器を演奏し、耳をつんざくばかりの爆竹の音。
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テレビ局のクルーらしき数人が撮影機をまわし、祝いの獅子舞が披露される。
物見高い中国の人たちに混じって私も好奇の目で見物。
やがて新郎が新婦を抱え、獅子舞の獅子を跨ぎロビーに入る。紙吹雪、爆竹。
外の見物人は一斉に散り、私もやっと入場。
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披露宴に向かう華やかな一団、盛装の白人もちらほら。
偶然にも新郎新婦と同じエレベーターに乗り合わせた。
新婦は涙でアイラインがぐちゃぐちゃ、純白のウエディングドレスを着た、可愛いパンダ状態。
新郎は高揚した気分からか、さっき新婦を抱えた疲れからか、大きく息をしていた。
私以外は親族友人らしく、英語と中国語が飛び交う。

声をかけてみたくなった。
「おめでとう」
「ありがとう」
「青島の人じゃないね」
「僕たちはアメリカ華僑、彼女は山東だ」
「へえ~、いったいどこでこんな美しい人をみつけたの?」
「留学先の青島大学のキャンパスで」
「そうなんだ、お幸せに」
「ありがとう。あなたも青島じゃないね、どこ?」
「日本人だよ」
「ほんと?」

ドアが開く。
「今夜はがんばってね!」
「はは、やってやるさ!」

アメリカ華僑の男性と中国人女性の国際結婚(?)。
都市生活者や大学生などインテリジェンスな階層でこの種のグローバル化が浸透している一事例。

旧市街地の「八大関」風景区は1930年代から続く別荘地。
旧ドイツ租借地の面影も残る瀟洒でレトロな洋館、手入の行き届いた庭。
整然と区画割された広い敷地。街路樹から小鳥のさえずりが聞こえる。
眼を閉じれば波の音、潮の香り。都会の真っ只中の別世界。

突如、この静寂を破る一団が現れる。
写真館主催の結婚記念写真ロケ地ツアーのご一行様。
タキシードとウエディングドレスのカップル。それも100組ははるかに超えている。
専属の撮影スタッフがそれぞれついているので、びっくりするほどの人数だ。
そこここでポーズをとって写真に納まっている。なんの羞恥も感じずに。
安っぽいレンタル衣装のためか、ウエディングもタキシードも形はやや崩れ、白さは褪せている。生地は薄く裾は汚れていて、履いている靴は運動靴だったりサンダルだったりしてなんとも不釣合ではあるが、そんなことにはお構いなくあっちでポーズこっちでポーズ。
新婦は高揚し、新郎は早く終わらないかといった顔。
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一斉風靡したTVドラマ「中国式離婚」のロケ地である青島で、まさにこれから中国式離婚に向けてスタートする若い新婚カップル。(皮肉に過ぎる)

それもこれも、中国で一番ロマンチックなまち「青島」だからこそ。
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by officemei | 2006-04-17 04:32 | ■山東
同名小説のTVドラマ化で高視聴率をとった「中国式離婚」。そのロケ地の青島は小奇麗なまちだ。
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このドラマはこちらから鑑賞できます;

実際中国の離婚率は驚くほどの%だ。私の友人知人もどういうわけか半数はバツイチ。近いうちに「中国式離婚」についてのレポートを試みたい。
昨春ドラマのロケ地青島を訪れた折のスナップ。
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by officemei | 2006-01-09 21:50 | ■山東
私の北京時代 No.006 (アルバム整理中)
「1976年の青島駅と瀋陽駅」
二つの駅舎は、このまちの近現代史に刻まれた「外国」の存在を如実に表している。

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by officemei | 2005-12-11 14:06 | ■山東
雨。
このまちの匂いを嗅げずじまいで明日上海に帰ることになりそうだ。

感じたことは韓国人の多いこと。
山東半島の東端に位置するまちなので、青島もそうだったがここも特に多いように感じる。
当然ながら日本よりもはるかに近く、歴史的にも古くからの往来があったからでもあろう。現に朝鮮族の人たちもこの半島には古くから居住している。
ここに限らず天津も大連も韓国企業の進出が多い。
有名なサムソン(三星グループ)の大工場も天津に拠点を設けているし、瀋陽や吉林の朝鮮族自治区にも韓国は入り込んでいる。
この煙台でも随分と幅を利かせているようだ。
まずハングル文字の看板がやたら目に付く。
ホテルのビュッフェは韓国料理のバイキング。
旅行者向けのタウン情報紙は日本語も英語も無く韓国語版。
背広姿のビジネスマンが数人ずつかたまって大声で韓国語を喋り、テレビの番組はいくつものチャンネルで韓国ドラマを流している。
私が泊まっているホテルにはテレビの有料成人番組があって、それも韓国版(見てません)。
ソウルやプサンに行ったときに感じたことだが、韓国のホテルの部屋には靴下、パンツ、コンドーム、それに異性を刺激するコロンとかの有料グッズが置いてあった。
この煙台のホテルにも同じグッズが置かれている。
韓国人の男性はこんなものを多用するのだろうか。
需要があるから置いてあるのだろうが、ラブホテルじゃないっちゅうの。
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by officemei | 2005-10-09 22:17 | ■山東
空港に着くと久しぶりの顔が出迎えてくれた。

姫路の老舗レストラン「新北京」の王世鐘さんだ。

後継者に後を譲って神戸の自宅に家族を残し、母方の里、ここ煙台で悠々自適の生活を送っていらっしゃる(当地で日本語を講義されている由)。
この人は生まれも育ちも学校も関西なので、華僑というよりも知性的関西人と言ったほうがぴったりくる。


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夕刻までのひととき、合歓の木の街路樹、坂道、市場、旧市街「所城」の胡同等を二人で散策し、その後一人住まいのお宅にもおじゃまし、近くのレストランで食事をともにした。
話は尽きなかったが王さんは明日神戸に一時帰国(?)されるし、私は朝から面談があるので9時前に散会。

山東省内では済南、湽博、青島を訪れたことはあるが、このまちは初めてだ。
王さんの話によると、煙台という地名はそもそも明の時代に倭寇の来襲を狼煙で報せる砦に由来するらしい。
「芝罘」という地名が中国近代史の中にかなりの頻度で出てきたと記憶しているが、東隣のまちが「威海」即ち清朝末期の海軍基地「威海衛」だし、日清戦争後の条約などでこの芝罘という地名が年表のどこかに出ていた筈だが、残念ながら手元に調べるすべが無い。
煙台市の中に「芝罘区」とあるから、ここは嘗ての「芝罘」なのだが。

山東省は嘗ては貧しい地域だった。
「討荒」といって、この地から旧満州へ流れていった人は相当多い。
宋の時代、水滸伝の舞台梁山泊の兄さんたちも多くは地元山東の食詰め者で、清朝末期の義和団の乱も山東人によって起こされた。
古代においては山東には斉の国があり、国都臨湽は当時一番の盛況を誇る大都市であったし、孔子の故郷である魯の国も現在の山東省内にあるので、燦然と輝く中原文化の版図に属するが、東端に位置するこの辺りは同じ山東でもその圏外、未開の地であった。
そもそも「中原」とは現在の黄河中流域周辺を指すから、沿海地域などは文化及ばぬ野蛮な地という概念が古代から中世まで存在していた。
近代になると、ドイツが青島に租借地を構え洋風の街並みが現出する。「青島ビール」の味はドイツの技法を今日まで伝えており、ここ煙台は19世紀末からの歴史を誇る「張裕」ブランドのワインとブランデーで全国、否、全世界に名を馳せている。
清朝末期、列国は相次いで沿海地域にその橋頭堡ともいうべき租借地を築き、ここに初めて洋風文化が根付いた。
以来上海を筆頭に、天津、大連、青島、そしてここ煙台等の地は、異文化体験を有するまちとして位置づけられ、それらのまちも人民共和国建国から文革の終焉までは逼塞を余儀なくされていたが、開放路線の始まりとともに蘇生し、既に約25年近く中国の経済発展の牽引役となっている。

大学時代の恩師である故井上隆一教授は、戦時中に山東の「坊子」という田舎町の駅長をされていた。
酒を酌み交わしながらその当時のことをよくお聞きしたことが今も脳裏に刻まれていて、山東に来ると恩師の面影をふと追ってしまう。
この恩師によって私の今日があり、弟子の私は今もこうして中国の地を飛び回っている。
(お元気な頃の井上隆一教授と奥様)
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さて現代の煙台はどんなまちなのか。
初の訪問で時間もさほど取れないので、まだ嗅覚に匂いを感じないが。
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by officemei | 2005-10-09 22:12 | ■山東