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e0094583_8272526.gif5月15日。
空港内でシャワーを使い、静かで清潔なベッドに横になって、次の目的地へ向かうための英気を養うにはここでひと休み。淋浴休閒廊;


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by officemei | 2007-05-15 23:13 | ■港澳
5月14日夜、アモイから香港に着いた。
バスに乗って銅鑼湾にあるホテルにチェックインしたのは既に11時。
翌15日、起床後空港に向かうまでの実質行動可能時間は、わずかに3時間。

銅鑼湾周辺だけは地図を持たないでも歩ける。
30年前から行ったり来たりしたポイントだから。
ここのごちゃごちゃ感に自分を置くと、香港を感じられる・・・


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by officemei | 2007-05-15 08:05 | ■港澳
香港で出産する大陸中国の妊婦が急増している。

両親が大陸出身者でも香港で生まれた子供は居留権が得られるためで、中国の「一人っ子政策」から逃れるために2人目以降を香港で出産するケースも多いという。
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香港特別行政区政府入境管理事務所によると、昨年、香港で生まれた大陸女性の赤ちゃんは10月までに2万人を突破して25,000人に達し、2001年の7810人から3倍近くに増えた。
e0094583_18332748.jpgところが、出産費用を払わないまま姿を消す大陸女性が急増。香港病院管理局によると、不払い額は2001~2005年の5年間で総額約3億2200万香港ドル(約48億円)に上り、このうち約7割が大陸女性の不払いによるもの。病院側は「出産直前に駆け込まれることが多いため対応せざるを得ない。しかし、出産するとすぐにいなくなってしまう」と嘆く。

こうしたケースが多発しているため、香港の妊婦が定期検診を受けられる回数が減ったり、入院しようとしてもベッドに空きがないなど、しわ寄せを受ける格好になり、反発が広がっている。

大陸女性の出産件数急増の背景には裁判所の判断がある。香港終審法院(最高裁判所)は2001年7月、一つの出産ケースを巡って、両親が大陸出身者でも香港で生まれた子供に居留権を認める判断を下した。また、中国当局が2003年に旅行規制を緩和し、大陸から香港への個人旅行が可能になったことも大きな要因だ。

香港観光発展局によると、香港への観光客数は昨年1年間で2,000万人を超え、このうち大陸中国からの旅行者が過半数を占めた。しかし、旅行者の中には出産を目的とする女性も数多く含まれているとみられる。

香港政府は昨年12月21日、2泊3日のパッケージで2万香港ドル(約30万円)だった公共病院の出産費用を39,000香港ドルに引き上げる計画を承認した。さらに今月16日、妊娠7カ月以上の妊婦の香港への渡航を規制する方針を明らかにした。具体的措置としては2月1日から予約制度を導入し、ベッドに空きがない場合には香港居住以外の妊婦の受診を受け付けない。公共医院だけでなく私立医院もこの制度を導入する。入境管理で妊婦には病院が発行する予約確認書の提示を求め、提示がない場合には入境が拒否される可能性もあるという。

予約しなかった場合は出産費用を48,000香港ドルとさらに高く設定しており、あの手この手で非香港居住者の出産件数を減らす狙いだが、不払いがどこまで解消するのか効果は不透明だ。


2人目以降、居留権目当て
香港で出産する大陸中国の妊婦が急増している。両親が大陸出身者でも香港で生まれた子供は居留権が得られるためで、中国の「一人っ子政策」から逃れるために2人目以降を香港で出産するケースも多いという。ところが、出産費用を払わないまま姿を消す大陸女性が急増。香港病院管理局によると、不払い額は01~05年の5年間で総額約3億2200万香港ドル(約48億円)に上り、このうち約7割が大陸女性の不払いによるもの。病院側は「出産直前に駆け込まれることが多いため対応せざるを得ない。しかし、出産するとすぐにいなくなってしまう」と嘆く。

地元にしわ寄せ
こうしたケースが多発しているため、香港の妊婦が定期検診を受けられる回数が減ったり、入院しようとしてもベッドに空きがないなど、しわ寄せを受ける格好になり、反発が広がっている。昨年11月中旬には約70人の香港の妊婦が「産婦人科医院を占領するな」とデモをした。

香港特別行政区政府入境管理事務所によると、昨年、香港で生まれた大陸女性の赤ちゃんは10月までに2万人を突破して2万577人に達し、01年の7810人から3倍近くに増えた。

大陸女性の出産件数急増の背景には裁判所の判断がある。香港終審法院(最高裁判所)は01年7月、一つの出産ケースを巡って、両親が大陸出身者でも香港で生まれた子供に居留権を認める判断を下した。また、中国当局が03年に旅行規制を緩和し、大陸から香港への個人旅行が可能になったことも大きな要因だ。

香港観光発展局によると、香港への観光客数は昨年1年間で2000万人を超え、このうち大陸中国からの旅行者が過半数を占めた。しかし、旅行者の中には出産を目的とする女性も数多く含まれているとみられる。

値上げ・予約制
香港政府は昨年12月21日、2泊3日のパッケージで2万香港ドル(約30万円)だった公共病院の出産費用を3万9000香港ドルに引き上げる計画を承認した。さらに今月16日、妊娠7カ月以上の妊婦の香港への渡航を規制する方針を明らかにした。具体的措置としては2月1日から予約制度を導入し、ベッドに空きがない場合には香港居住以外の妊婦の受診を受け付けない。公共医院だけでなく私立医院もこの制度を導入する。入境管理で妊婦には病院が発行する予約確認書の提示を求め、提示がない場合には入境が拒否される可能性もあるという。

予約しなかった場合は出産費用を4万8000香港ドルとさらに高く設定しており、あの手この手で非香港居住者の出産件数を減らす狙いだが、不払いがどこまで解消するのか効果は不透明だ。

一部は不法滞在
香港政府の経済顧問、郭國全氏は「社会問題化してきたのは03年ごろから。香港で出産した大陸の女性が、そのまま不法滞在するケースがあることも否定はできない」と指摘する。

香港は合計特殊出生率(1人の女性が一生に産む平均の子供の数)が0・95(06年)と世界一低く少子化が進んでいるため、一時は大陸女性の出産を歓迎する向きもあった。観光以外でも香港経済は大陸中国に依存しなければ成立しない状況になっているが、不払い額が膨れあがるに連れ、より厳しい対策が必要だとの意見が強まっている。

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by officemei | 2007-01-19 19:21 | ■港澳
来年2007年、香港が中国に返還されてまる10年が経過する。
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96年末から97年初にかけて、ニューイヤーを香港で過ごした。「歴史的な年」の香港を、子供たちの胸に刻ませようと連れて行ったが、親の思いは自己満足に終わる。

九龍公園で息子はボール遊び(サッカー)に興じ、娘は星光大道で拗ねてしまってずっと動かなかったり。10年を経て、娘は24歳・二児の母、息子は19歳・この秋から上海外国語大学に留学した。

あとから振り返ってみれば、10年の月日はあっという間だ。

そう考えてみると、青春時代に北京で過ごしたあの頃も30年余り前のことだが、いまだ記憶に鮮やかだ。とするならば、半世紀、一世紀といった時の流れもそんなに長いタームではないと感じる。

e0094583_18394775.jpg浅田次郎の「蒼穹の昴」は、清朝末期の混沌が描かれているが、当時の99年租借に関する文章が非常に味わい深いので、ちょっと長いが引用してみた。
これはけっして遠い昔の出来事ではなく、ついこの間のことなのだ・・・


~「蒼穹の昴」(浅田次郎著)からの引用~
五月の陽の光がマロニエの葉を透かして差し入るテラスで、駐北京公使サー・クロード・マクドナルドは、やがてやって来る賓客を待っていた。
長い外交官生活の中で、これほど気の進まぬ交渉事はなかった。(中略)

九龍半島全体の租借交渉の全権は、彼の手に委ねられていた。この歴史的な仕事を命ぜられた時から、サー・マクドナルドは過去半世紀にわたる香港の歴史について綿密に調べ上げた。大英帝国全権としての使命を完遂するため、というより、どこかに彼自身が納得のいく正義を発見したかったからである。

しかし、香港の英国植民地を一挙に十倍の359平方マイルに拡大するという事案の合理的な根拠は、歴史上のどこにも見出すことはできなかった。
この期に及んでも公使は、正義の不在について悩み続けていた。(中略)

またひとしきり溜息をついたあとで、サー・マクドナルドは木漏れ日を見上げながら、ロンドンの古い流行歌を口ずさんだ。
“You can go to HongKong for me・・・”
私のためなら香港にだって行ってくれるわよね・・・つまり、わずか半世紀前の香港は、そんな流行歌に唄われるほどの、地の崖の貧しい町であった。

花崗岩の山に囲まれた狭小な土地であり、要塞にも軍港にも適さず、支那大陸の南端の僻地で商業地にもなり得ない。当時の外相サー・パーマストンをして、「不毛の島」と呼ばしめたほどの土地なのだ。

ポルトガルのマカオ経営に対抗するために、イギリスは対岸の小さな港町を清国からもぎ取ったのである。

その名の通り、もとは美しい、平和な港であった。
広東や広西で産出する香木の産出港であったから、そう呼ばれていたという。
たしかに香港は、かつて沈香や白檀や伽羅を北に向けて船積みする辺境の小さな港にすぎなかった。

イギリスはまず、この港を通じて茶葉の輸入を始めた。しかしやがて、インド産の阿片をこの港に送り込むようになった。イギリス人がこよなく愛する紅茶と同量の阿片が、貿易均等という妙な理由で堂々と担ぎこまれ、たちまち清国全土を侵して行った。

その結果、起こるべくして起こったアヘン戦争の正当性が、清国側にあることは勿論である。しかし、正義が常に勝つとは限らない。

大人が子供を殴り倒すような戦ののち、イギリスは強圧的に香港の割譲を迫り、清国が躊躇する間にいち早く大軍をヴィクトリア・ピークの麓に押し上げた。ユニオン・ジャックを翻らせ、全く一方的に香港島の領有を宣言したのであった。

断固抗議をする清国に対し、イギリスはさらに広東、上海へと軍を進め、とうとう翌る1842年8月、南京条約を締結して香港の領有を確定した。
列強が中国に対し一貫してとり続けた「砲艦外交」の、絵に描いたような成果であった。

どう考えても、そこには正義のかけらすらない。阿片の押し売りをきっかけにして戦をしかけ、国土を奪い、のみならず戦火に追われた流民たちを苦力に仕立て上げて、ゴールド・ラッシュに沸くアメリカやオーストラリアに売り飛ばした。そしてこの人身売買を「猪仔貿易」と呼んで憚らなかった。

これは歴史に残る暴挙だと、サー・マクドナルドは思う。そこには正義も道徳も、宗教的理由すらもない。ただ植民地経営によって国を富まそうとする、非人道的な、利己的な野心のあるばかりだ。

そして今また、「正しい防衛と居留民保護」の目的で、香港を十倍に拡張する交渉が始まる。無敵東洋艦隊の砲門を日本との戦に敗れて丸裸になったその沿岸に並べて。(中略)

サー・マクドナルドは懐中時計を取り出して時を見た。
間もなく恭親王(プリンス・クン)の馬車が、あの怖ろしい時代錯誤の行列を組んでやって来ることだろう。そしてたぶん、その老いた貴公子は、傍若無人な条件におののき、困り果てる。
旧知の仲である恭親王に、こんな砲艦外交を自らの責務として強要することになろうとは考えてもいなかった。辛い。まことに辛い。

「お出迎えを、サー」
秘書官がシルク・ハットを差し出しながら促した。
バラの垣根のめぐる庭に号令が谺し、儀仗の衛兵の捧げ銃をする小気味よい音が聴こえた。

「展拡香港界址専條」の清国全権団が到着した。
香港の総督府から派遣された副使と秘書官とを伴って車寄に出る。軍官の随員たちがマクドナルドを囲むようにして衛門に正対する。威儀を正してシルク・ハット冠り直したとたん、公使はステッキを取り落とした。

「おい、これはどういうことだ・・・」

門前で儀仗を受けているのは、恭親王奕訢ではなかった。精悍なアラブ馬に跨り、二頭の騎馬を従えた高官は、李鴻章だ。

「どうなっているんだ。プリンス・クンはどうなされた。まさかあの、李総督が全権というわけではあるまいな」

公使は鼻めがねを外して目をこすった。秘書官はあんぐりと口を開けたまま、馬上で閲兵をする清朝の大礼服姿を見つめている。

「栄誉礼を受けているのですから、つまり、あの方が全権でしょう。」
「まずいぞ。おい、私はプレジデント・リーと交渉の席につくのか」

公使は取り乱した。国際的な評価によれば、李鴻章と恭親王では役者が何枚もちがう。天津総督時代の李の外交手腕は、各国外交官たちの間の伝説となっていた。彼だけは時代錯誤のマキャヴェリストではない。西洋を熟知し、鉄道と鉱山と強大な軍隊を持った、軍閥の領袖である。

「プレジデント・リーは引退したのではなかったのか」
「そのはず、ですが・・・」

マクドナルド公使はとっさに考えた。プレジデント・リーが清国全権なら、大英帝国側は北京駐在公使どころか、香港総督が全権でも釣り合わない。いや、本国から外務大臣首相を特命全権大使とした全権団がやって来なければ、会議が始まるはずはなかった。

「西太后か皇帝が来た方が、まだましだぞ」
「どういたします、公使」
若い秘書官は、閲兵をおえ蹄を鳴らして近付いてくる李鴻章の威風にすっかり怖気づいていた。

馬上の李鴻章は、帝国の最高官を示す九匹のうわばみを描いたシルクの大礼服を着ている。ビロードの冠には赤い珊瑚のボタンが輝き、大勲功を表す三眼の孔雀の羽が、まっしろな弁髪のうしろに揺れている。肩からさりげなく羽織った黄色い緞子のチョッキが、一代の皇帝のおそらく一枚しか下賜することのない貴い代物であることを、公使は知っていた。

その場で腰がくだけそうになる体をステッキで支えながら、公使は言った。
「どうします、だと? それは私の言うせりふだ。事前に何の連絡もなかったのかね」
「ありません。もし連絡が入ったところで、どうしようもないでしょう・・・うわあ、ごらん下さい公使。本物のプレジデント・リーですよ」
「そんなことは見ればわかる。もしネルソン提督でないとするなら、あれは正真正銘の李鴻章だ」

支那人としては珍しいぐらいの長身を馬上に凛と伸ばし、李鴻章は満面で微笑みながら車寄に轡を止めた。少しも年齢を感じさせぬ動作でひらりと馬から下りる。

「ごきげんよう、サー。お会いできて光栄です」
李鴻章はいきなり流暢な英語でそう言い、ピアニストのように痩せた大きな掌を、マクドナルドに向かって差し出した。
公使の胸は女王陛下の謁見を賜ったときと同じぐらいに高鳴った。

差し出された指先を軽く握ると、公使は迷わずに肩膝を地に折った。
「光栄です、閣下。プリンス・クンがお出ましになると聞き及んでおりましたので、いささか愕いております。これはいったい、どうしたことでしょうか」

李鴻章は思いがけずに強い力で、足元に跪いた公使の掌を握り返すと、ふいに笑顔を吹き消した。仮面を脱ぎ捨てたような厳しい表情に、英国人たちは慄え上がった。
「誰が来ようと、諸君らにとっては同じことではないか。東洋艦隊の砲門に、人間の見分けはつくまい」
誠実な外交官であるサー・マクドナルドは、そのままいつ卒倒してもふしぎではなかった。

「ジョークだよ、公使。恭殿下は体調がすぐれぬ。そこで私が急遽、代理全権に任命された。辞令をお見せしようかね」
「いえ、けっこうです、閣下。ともかく、中にお入り下さい」
イギリス全権団はまるで黒い羊の群れのように、李鴻章の後をうなだれてついて行った。

廊下を歩きながら、李鴻章は公館じゅうに響き渡るような大声で言った。
「ヴィクトリア女王はお待ちかねかな!」
公使は脂汗を拭った。返す言葉はない。

「そうか。ご病気とあらば仕方がない。かくいう私も、恭殿下の代理としてやって来たのだからな。それにしても、首相も閣僚も香港総督も全員ご病気とは、ロンドンではペストか天然痘でも流行しているのかね!」
「・・・李閣下」
と、マクドナルド公使はようやくの思いで、ほんの少しだけ抵抗した。

「閣下、英語はご不自由でございましょう。通辞もおりますから、どうかお国の言葉で」
「べつに不自由ではないよ。私にとっての英語は、香港の言葉よりも話しやすい。まったく南の方言は、同じ国とはいえ何が何だかさっぱりわからん。さっぱりな!」
「は?・・・そうなのですか」

李鴻章は鼻で嗤った。
「卿よ。君はジョークの通じぬ男だね。こういうとき、即座に切り返すユーモアがなければ、外交官としては失格だぞ」
李鴻章が花翎を翻して立ち止まると、羊の群れもみな停止した。草を喰むように俯いたシルク・ハットをひとつひとつ睨みつけて、李鴻章は罵った。
「どうした諸君。オクスフォードでは植民地経営学の講義はしても、ユーモアと皮肉は教えんのか!」
一声で、羊はみな石になった。(中略)

記者団がテラスを埋めつくすと、やがて会議は始まった。
サー・クロード・マクドナルド公使は緊張のあまり書類を棒読みにして、香港を十倍に拡張する事案の説明をした。

「卿よ。しっかりしたまえ。君のうしろには東洋艦隊がついている」
言い淀むたびに李鴻章の口からそんなことを言われれば、公使の咽はいよいよ引きつった。
「すなわちわが大英帝国は、当該地域の正しい防衛と居留民の保護のため・・・」
最も言いづらい部分を、公使はようやくの思いで口にした。

「ちょっと待てよ、公使」
はたして李鴻章は、黒繻子の袖を挙げて異を唱えた。
「卿の言う防衛とは、いったい誰に対しての防衛かね」

薄い白髭をたくわえた李の口元は笑っていた。それは、公使自身が最も怖れていた質問であった。答えを探しあぐねて、公使はしばらく沈黙した。

「言いたくないのなら、私から言おう」
李鴻章は膝を組みかえ、体をテラスに群がる外国人記者団に向けた。
「フランスの記者はおられるかね?」
「到!就在這児」
と、ル・モンド紙の記者が手を挙げた。
李鴻章は不器用で丁寧な河北語に微笑した。
「答えは英語でよろしい。さて、どうやら大英帝国は、君らの国が広州湾からやがて九龍半島を攻略するのではないかと、脅威に感じているらしい・・・合衆国の記者は?」
トーマス・バートンが「イエス・サー!」と先頭でペンを挙げた。
「やあ、トム。元気かね。君とはニコライ皇帝の戴冠式のとき以来になる。そろそろ頭を磨いて弁髪を結いたまえ。君には良く似合う」
「恐縮です、閣下」
誰も笑う者はいなかった。

「ところで、トム。先だってアメリカとスペインとの、フィリピン諸島の領有をめぐる戦争で、君のお国の海軍は九龍の根っこにあたる大鵬湾を根拠地としたね」
「はい、閣下。おっしゃる通りです」
「ヴィクトリア女王陛下は、そのことを危惧なさっておられるのだよ。つまり・・・イギリスの主張する防衛とは、フランスとアメリカに対するものだ。やれやれ、困ったものだな、ガキどもが他人の庭に勝手に入ってきて、喧嘩をしておる。言うにこと欠いて、それを家主に何とかしろと、要するにそういうことだな、これは」
李鴻章の英語は愕くほど正確だった。議場は静まり返った。

「ありのままに書きたまえ。李鴻章がそう言ったとな。私は諸君らのリベラリズムに大きく期待する」
フランス人記者が大声で同意を叫んだ。
「明白了!」

李鴻章は黙りこくるイギリス全権団を睥睨しながら続けた。
「私たちの家はこのところ少々貧乏をして、庭は荒れておる。塀もこわれてしまったから、君らがそこで遊ぶのは、許すとしよう。だが、勘ちがいをするな。ここは君らの家ではない。庭先はくれてやるのではなく、貸してやろう」

李鴻章の流暢な英語は、言い回しだけがひどく中国的だった。人々は言葉に秘められた意味をしばらく考えねばならなかった。
「それは閣下、割譲は許さぬ、という意味ですか」
マクドナルドは思いついた通りを訊ねた。
「さよう。君は鈍い男かと思ったが、案外クレヴァーだね。どうやらオクスフォードでは英語をちゃんと教えているらしい」
「租借という条件なら、よろしいのですか」
「不満か?」

マクドナルドは左右の副使の頭を集めて囁き合った。彼らの躊躇は身ぶり手ぶりからも明らかだった。
すると、李鴻章は突然、大きなあくびをした。

「つまらぬことで悩むな。私の立場というものも少しは考えてもらわねば困る」
公使たちはきょとんと顔を上げた。
「と、申されますと?」
「わからんかね。君らにとっては割譲を受けて英国領土とするのも、永久に租借するのも同じことだろう。家賃を払う気など毛頭なかろうし、返す気もないのだろうから。しかし、皇帝陛下に結果の報告をせねばならぬ私にとっては、大ちがいなのだよ。まさか女王にせがまれて領土をくれてやりましたとは言えまい」
イギリス人たちの溜息がひとつの声になった。

「それでよかろう。九龍半島には遠慮なくユニオン・ジャックを立てたまえ。それでアメリカもフランスも手出しはできまい。九龍の新界(ニューテリトリー)は君らのものだ。大英帝国はわが支那大陸において、点から面を所有する」
全権団は再び鳩首して意見を囁き合った。今度はそれぞれが肯いた。

「では閣下。永久租借という約定にご同意ねがえますか」
李鴻章は大仰に愕いたそぶりを見せて左右の随員を交互に見、それから声を立てて笑った。
「卿よ。まあ、現実にはそういうふうに解してもらってもいいのだがね。永久租借、という言葉は少しおかしいだろう。世界中が笑う」
「では、どのように。期限を明文化しなければ租借約款の意味をなしません」
「当然だ。しかし、永久という単位の数字はあるまい。そこで、だ・・・」

李鴻章は立ち上がった。その背丈の並はずれた高さに、人々はみな目をみはった。散策でもするように後ろ手を組み、仏頂面で椅子に座る副使たちの背後を歩きながら、プレジデント・リーは言った。

「わが国にはこうした場合、非常に便利な表現がある。それはこういうことだ。完全を百とする。百に届かぬ一歩は、九十九だ。すなわち九十九という数字は、わが国では永遠を意味する。しかも数字の九九と、永遠すなわち久久は同じ音を持つ。そしてこれを皇上に報告すれば、私は領土を奪われた責任を回避することもできる。租借は租借だからな。皇帝陛下も老臣たちも、暗黙のうちにみな私の立場を理解してくれるだろう。もちろん君らも議会から責められることはなかろう。まさかわが国が九十九年も持ちこたえるとは、誰ひとりとして考えはするまいからな。どうだね、名案だろう。そこで私は、この展拡香港界址専條の租借期限を、調印から数えて向こう九十九年間、すなわち西暦1997年6月末日とすることを提起する」
李鴻章の明晰さに対して、一斉に拍手と歓声が湧き起こった。

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テラスの最前列で、岡圭之介は熱心にメモをとりながら、隣のトーマス・バートンに囁いた。
「トム、すごいね。彼は外交の天才だ。いったいどうなることかと思ったが、これならたしかに八方丸く収まる。彼は中国人の大義名分とヨーロッパ人の合理性をともに満足させた」
トーマス・バートンはただひとり拍手もせず、メモもとらずに、人々の歓呼に応える李鴻章を見つめていた。

「どうしたんだよ、トム・・・」
正式調印を日取りの良い6月9日に決定すると、清国側の全権団はすみやかに退室した。紛糾すると思われた会議は、ものの15分で終わった。記者たちはインタビューをとるためにわれさきに玄関に向かって駆け出した。

「行こうよ、トム」
トーマス・バートンはテラスに根の生えたように動こうとしなかった。ただ黙って、拍手と喝采に送られて議場を後にする李鴻章の姿を見送っていた。
「たしかに、天才だ。いまプレジデント・リーの言ったことをただしく理解できた者は、ひとりもおるまい。たしかに、あの男は天才だ」
「どういうことだい」
トーマス・バートンは蝶ネクタイをくつろげながら、見てはならぬものを見てしまったように放心した顔を、岡に向けた。
「わからないか、ケイ。九十九年はたしかに永遠を意味する。世界中の誰にとっても、事実上の永遠だろう。だが、九十九年後の人々からみれば、今日という日はそれほど昔の話ではない」
「・・・よくわからないな」
「九十九年後に清国はあるまい。だが、政権はどこかに必ずある。支那という国土と支那人は必ず存在するんだ。そのときイギリスは大変な犠牲を払って香港を返還しなければなるまい。九十九年かかって肥やした香港のすべてを、その都市機能もろともに返さねばならないんだ」

岡圭之介は頭上にさざめくマロニエの葉叢を見上げた。木漏れ日が瞼を刺した。
「つまり、李鴻章が死んでも、条約は生き続けるんだな」
「そうだ。中国人は偉大だ。われわれが永遠だと信じて疑わぬ九十九年という時間も、プレジデント・リーにとっては、手帳に書いてある予定なんだ」
岡は、列強を庭先で遊んでいる子供にたとえた李鴻章の言葉を、ありありと思い出した。

西暦1997年・・・
そのときには、いまこの席に居合わせた人間たちの誰も生きてはいない。だが、九十九年という時間は確実に経過する。
香港が中国に返るその日、ユニオン・ジャックは総督府の屋根から降ろされ、李鴻章とサー・クロード・マクドナルドの取り交わしたセピア色の議定書は、彼らの子孫たちの手で反故にされる。
「5000年の歴史はだてじゃないね。やっぱり僕らは、庭先で遊んでいる子供かもしれない」
岡は降り注ぐ初夏の日差しを見上げて呟いた。
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by officemei | 2006-12-10 00:10 | ■港澳
8月4日/一項全球性生活調查發現,原來香港男人全球最“軟”!根據調查所得,超過九成的受訪港男均表示並不“十分滿意”自己的勃起硬度,表示有同感的港女更佔96%,令香港人對勃起硬度的“十分滿意”度,在全球12個主要國家及地區中排行包尾。
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《香港經濟日報》報道,調查又發現,港人每月的性行為次數“一星期都無一次”,頻密程度亦包尾。性專家認為,兩性溝通可改善性生活,一對正常的情侶應一周有兩次性行為。
  
對於美國輝瑞藥廠是次發表的全球改善性生活調查的結果,香港性專家昨形容,男性勃起有的硬如青瓜,有的軟如棉花糖,勸喻未能勃起的男士要正視問題,否則可致抑鬱,亦可能隱藏其他疾病。
  
活在繁忙都市的港人,未能在性生活得到滿足。輝瑞於去年10月至今年3月期間訪問全球27個國家超過12,500人,再比較香港125名男及125名女受訪者發現,港男對自己勃起的十分滿意程度在全球12個主要國家中排第尾,排列尾二的是韓國,尾三的則是法國。
  
事實上,僅9%的港男及4%的港女對勃起硬度感到十分滿意;而認為自己可保持勃起的時間及硬度的港男被訪者,僅分別佔60%及56%,這跟全球平均比率的77%及81%顯著甚低。
  
有趣的是,港男其實對自己的能力滿有信心。
有42%的受訪港男認為,自己長期可保持良好的勃起狀態;然而,事實上僅18%的受訪港女有同感,大部分被訪港女均認為男方不能滿足其性需要。
  
至於性行為的次數,香港人在調查中亦再度包尾。全球的每月性行為次數調查顯示,最多的國家依次為巴西、法國及土耳其,調查指出,全球每月平均性行為次數為6.48次,不過香港就只有3.55次,排在韓國、台灣之後,成為全球做愛最少的地方;分別只有15%的港男及6%港女表示在性生活中得到極大樂趣。

“愈不滿意愈少做(愛),(做愛)愈做得少愈不滿意,根本是個惡性循環!”香港性教育促進會副會長吳敏倫解釋。
  
他分析,香港男性未能有效勃起,歸咎於長工時、壓力及疲倦,這些都會影響男性的血液循環,影響陰莖海棉體的充血能力,令性生活愈來愈差。
  
“很多男人都不會給自己100分,不過他們經常以為陰莖的大小最緊要,其實硬度亦非常重要,可反映他們的身體健康狀況。”吳敏倫稱。
  
要改善性生活,他建議男女雙方要保持溝通,當中亦可考慮轉換性交的環境及時間,但最重要的是女方不要只埋怨,緊記要透過鼓勵,為男方建立下台階。 
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by officemei | 2006-08-08 14:35 | ■港澳
最近香港大學在中國大陸熱烈招生一事,成了熱門話題。

尤其是不久前,中國旅美學者薛湧發表文章,說由於香港的大學在國際交流機會、獎學金及教育機制等方面都較有優勢,如果被香港挑走中國大陸最優秀的高中畢業生,那麼清華和北大這些名校在未來也許就會被無情地掃成二流學校。此論一出,立即引起巨大的反響和爭議。

北京理工大學教授楊東平,理智地指出這已不是“香港大學對弈大陸高校”的命題,其內涵其實已越過所謂“頂尖高校”之間的競爭,實際上是兩種不同大學制度的直接碰撞。與其說香港的大學是在與清華、北大角力,不如說是直接對中國大學制度發出挑戰。

大陸大學學科設置的陳舊老化、跟不上科學潮流和市場需求,已把中國教育制度最軟弱的環節表現出來,雖然少數優秀學府正向“世界一流”進軍,但總體所面臨的,仍是在計劃經濟時代遺留下來的體制性和觀念性障礙。

中國大陸家長目前也許只看到孩子選讀香港大學的好處是基於全球化背景、求職優勢、學術氛圍、獎學金等等比較實際的優勢。但相信人們很快就會認識到這些同中國大學有著更全面、更深刻的差異,而不只是學術水準高低這個單一的層面。

在中國內陸,報讀北大、清華或者是交大、浙大,其實都無實質性區別,國內再優秀的高校基本也是從同一個模子裏鑄出來的——是一種“全國大一統”的行政制度、學科專業設置、教育教學模式、大學城規劃及新校區設計等等。而香港學府與中國高校可說是兩個完全不同品種,其制度設計、教育理念、教學模式、學生管理等,都完全不同。
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圖為香港中文大學教學大樓。

香港大學所具備的開放性,中國大學至今仍遠遠不及。香港高校所實行的,是在世界各國通行的現代大學制度,那是一種已與世界主流文明接軌的、現代的、開放的、國際化的教育。他們認識到“現代大學”既非商場,也非官場,其基本價值與特徵,一是“大學自治”,也就是大學擁有具有法律地位的辦學自主權。二是學術自由,這不僅是一種精神,更是一整套健全的制度安排。三是“教授治學”,即在教育和學術上實行學者團體的自我管理。從這些點上反觀中國大陸,他們對現代大學制度仍然知之甚少,彼此間也缺乏基本共識。

7月21日中央電視訪問港大校長徐立之,他就坦陳香港大學希望學生能具備更強健的交流能力。他希望這次招到的學生,除敢於發表自己的意見之外,還應樂於參與學生社團活動。他認為大學生應有更具自信的邏輯思維,因為“全人教育”就是要全面培養學生的學習、表達、應變等各項素質及能力,如此方能讓學生適應社會轉變需要,成為社會上的有用之才。

這就是中國大陸高校與香港學府兩種教育制度及教育理念上的差異。香港的大學生,讀書成績也許沒有“名校狀元”那樣精彩,但香港學生社團之活躍、參與學校生活之熱烈、對香港社會之深入認識、組織管理才能、社會責任感及參與能力之強,都令人刮目相看,這都是中國大陸學生望塵莫及的。
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by officemei | 2006-07-30 18:36 | ■港澳