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国宝“清明上河図”は、宋都・東京開封府(汴京)の殷賑を描いた絵巻物。上海万博の中国館ではマルチメディアを駆使してスクリーン上に再現、動画仕立てにしている。
北宋といえば京劇で人気の演目「楊家将」「水滸伝」、更にいえば北方謙三の描くところの時代。
この頃から商業が盛んになり都市住民の生活は豊かになってきた。
当時の光景が“清明上河図”に克明に描かれている。
清明上河图(原本);

上海万博中国館「清明上河図」(アニメ);

国宝「清明上河図」ドキュメント;



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by officemei | 2010-05-05 01:51 | ■河南
1995年、河南省周口市郸城県の片田舎から超スーパーモデルが生まれた。
178cmの長身とバレーやカヌー(漕艇)で鍛えたプロポーションで、その年上海で開催された第一回インターナショナルモデルコンテストに出場し、見事優勝の栄冠に輝いた馬艶麗。
その後は数多くの広告にも起用され、国内外のファッションショーやイベントにも多数出演し、やがては服飾デザイナーに転進、彼女の「Maryma Series」ブランドは中国モード界でも特異な存在として評価されている。
「2006年・女性のライフスタイルに影響を与えた女性10人」に選ばれた彼女は、現在慈善事業や青年育成活動の分野でも活躍しているそうだ。
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彼女の出現が中国の若い女性に大きな影響を与えたのは確かだ。
しかし、うわべだけの憧れでモデルを目指す娘がなんと多くなったことだろう。
美女を愛でるコンテスト流行りが横行している中国の社会状況にも問題がある。
ミスユニバースやミスインターナショナルはまだしも、レースクイーン、モーターショウのコンパニオン、キャンパスクイーン、キャビンアテンダントクイーン、モデルクイーン、女性人民軍兵士のクイーンなどなどのコンテストが全国各地で催されている。
さてさて、美しさは内面から醸し出されるもの。
外面の容姿端麗さを競うコンテストの多いのは何とかならないのだろうか。
馬艶麗(Mary Ma)に責任があるわけではないが・・・


马艳丽:美丽女人 美丽事业

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by officemei | 2010-03-07 02:00 | ■河南
e0094583_956435.gif嫌な客が帰った後に塩を撒く、地鎮祭で四隅に塩を撒く、相撲の取組み前に塩を撒く、これすべて“清め”の意味。
塩には古来清浄作用がある。

飲み屋や料亭など客商売でも門前・店頭に“盛り塩”をする。
これも清浄にして客を迎える意味があるのだろうが、もとは“清め”と無関係の典拠によるものだ。

陳舜臣の「中国畸人伝」のなかに竹林の七賢であった王戎の物語がある。
その一節に、晋の武帝・司馬炎のことが書いてある。
武帝は無類の女好きだった。
蜀は既に無く、呉も彼の時代に亡んだ。
晋の都・洛陽に亡国・呉の美女を移し、武帝の後宮は二万人を超えるようになった。

後宮の女たちはそれぞれ館を与えられ、漁色家の武帝は羊車(羊に牽かせた車)に乗って女のもとへ通い、羊車が停まったところで降り、その前の部屋に入ったらしい。

機転の利く女が、寵愛を得るために羊が好んでなめる塩を門前に盛っておいた。
そして羊はかならずその前で停まった。
“盛り塩”の由来はこのエピソードからきているのだそうだ。

今や中国各地にも「日本料理店」や「日式飲み屋」ができているが、十中八九は“盛り塩”がない。
わずかに大連と上海の日本料理店でみかけた。

台北のリトル東京「林森北路」では“盛り塩”のある店を散見したが。

いや待てよ、本家日本でも少なくなっているように感じるなあ・・・
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by officemei | 2009-01-28 00:43 | ■河南
e0094583_3552016.gif“洛陽白馬寺”
洛陽の“牡丹”は夙に有名だ。
このまちは、古くから中国王朝の首都であった。
東周・後漢・曹操没後の魏・西晋・北魏・隋・後唐・・・
東に虎牢関、西に函谷関があり、古くより兵家必争の地。
三国志演義を読めば、後漢末の洛陽の荒廃、群雄割拠の様子が想像できる。

最近、「曹操残夢・魏の曹一族」(陳舜臣著)を読んだ。
曹操の息子、曹丕・曹植兄弟を軸に、魏王朝の興亡が描かれている。
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文中、白馬寺にまつわる段がある。
以下抜粋~

魏王朝を開くという曹操の夢を、息子の丕は簡単に実現した。
さらに丕はこれまでの家庭の問題を、この機に一挙に片付けた。

正妻の甄氏は浮屠の教え(注;仏教)を、宮女の一人から教えられ、それにすっかりのめり込んでいた。
世から遁れるという魅力から、彼女はどうしても抜けられなかった。

「家を捨てる? それは難しいことじゃな。お前には子がいる。それまですてることができるのか?」

彼女は丕からそう言われて、「できます」と答えた。

「殺されてもよいのか?」

「本望でございます」

夫婦のあいだに、同じ問答がなんどもくり返された。

「奇妙な教えじゃな。わしもその教えをひとつ学んでみようかな。白馬寺の者たちは、昔からそれを奉じておったそうだ。聞けば、黄老の者とは、かなり説くところが似ておったというが」
丕はそう言って、やや首をかしげた。

黄老の者とは黄帝や老子の経典を奉じる者たちのことである。漢初は孔子や孟子より、黄老の教えが盛んであり、ことに後宮の女性たちに信者が多かったという。

武帝(在位、前141~前87)の時に儒が国教扱いになってから、黄老は下り坂になった。とはいえ武帝の即位した頃には、祖母に当たる竇太后が黄老の言を好み、儒術を悦ばなかったと記録されている。

朝廷は儒で運用されているが、民間では黄老が相変わらず盛んであった。
「老子」は哲学の書であるが、黄帝の術は実在したかどうか不確かな人物に仮託された俗信にちがいない。

白馬寺の西域の僧は、おもにこの地に在住する西域の人たちを相手に説法するので、いささかわかりにくい。遁世の思想は乱世によって形成されるのだろう。
こんなに乱れて定めのない世の中だから、そこから逃れて、清浄無垢の土地に行きたいと願うことになるのだ。

白馬寺の人たちは、西域の人のほかに信者として獲得した漢人とともに、戦場の後始末をするようになった。
その奉仕の実績が少数の漢人の心にくいこんだようである。

わたしもあんな仕事をしてみたい。この現世の汚れを、極楽に変える仕事を。
と、甄氏はねがうようになった。


さて、この白馬寺。
仏教伝来後、初めて建立された寺院である。
ちょうど後漢の時代だ。

この物語の魏王朝は後漢のあとだから、当時は仏教もまだ興隆期にいたっていなかった。

してみると私が白馬寺を訪れたのは、凡そ1900年後となり、そう考えると実に感慨深い。
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“龍門石窟”
龍門の石窟は、北魏に始まり、北斉から隋・唐代にいたるまで、連綿と造営された。

私は1980年に訪れたことがある。
現地のガイドに勧められ、石窟の彫像に登って記念撮影をした。
今や世界遺産に登録されている、その「龍門石窟」にだ。
中国人の旅行客も同じように何の躊躇も無くやっていた。
当時の写真を見ると恥ずかしい、罰が当たりそうだ・・・
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動画はこちらへ
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by officemei | 2008-06-07 06:23 | ■河南
6月26日,在鄭州街頭的一座寫字樓門前,掛著各種特長班的招牌。
暑期來臨,各種特長班、家教招生也逐漸“熱”起來。
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by officemei | 2007-06-26 22:02 | ■河南
中国河南省の遺跡で、中国中部地方としては初めてパンダの歯の化石が発見された。専門家は1万年以上前にはパンダの生息地が現在より広く、北京原人がパンダを狩猟していたとする説を補強するものとしている。新華社が2日までに伝えた。

パンダの歯の化石が見つかったのは河南省中部、許昌市の霊井遺跡。パンダは現在、四川省、陝西省を中心に生息しているが、かつてはもっと広い地域に住んでいた可能性があるとの説がある。

北京原人の発見者、裴文中博士は北京郊外の周口店遺跡からパンダの骨が出土したと主張していたが、パンダの好む環境と北京の気候が違いすぎるとして、北京原人がパンダを狩猟の対象にしていたかについては疑問視する意見も多かった。


河南發現熊貓化石 疑萬年前遭猿人獵捕

e0094583_13275161.jpg圖為在河南許昌靈井遺址發掘出的大熊貓牙齒化石。

人類學家日前在對河南省許昌市靈井遺址內新發現的一顆動物牙齒化石資料進行鑒定後認為,這是一顆大熊貓牙齒化石。這顆“大熊貓化石”的發現,同時為北京猿人曾獵捕大熊貓提供了佐証。

新華社報道,大熊貓研究專家、中國科學院古脊椎動物與古人類研究所研究員黃萬波說,這顆大熊貓牙齒化石咀嚼面較為寬大,接近圓形,齒冠邊緣及咀嚼面上有許多釉質凸起。“這種釉質點狀凸起是大熊貓長期食用竹子的結果。”他說。

專家表示,這是在中國中原地區首次發現大熊貓化石,不僅說明晚更新世(距今12.8萬至1.2萬年)中國大熊貓的分佈不只限於秦嶺以南地區,還有可能解開北京猿人研究史上的一樁懸案:北京猿人曾經捕獵大熊貓。

上個世紀30年代早期,北京猿人發現者、著名學者裴文中先生,曾描述他在周口店北京猿人遺址內發現的一根大熊貓腿骨。他的說法受到了普遍的質疑:喜歡溫和亞熱帶氣候環境的大熊貓不可能在華北平原生存,而華北平原也沒有大熊貓活動的任何跡象。後來這根大熊貓腿骨不知去向,熊貓是否曾在周口店一帶活動一直懸而未決。

大熊貓現在的活動范圍主要集中在四川、陝西和甘肅的南部,而古代大熊貓的活動范圍要比現在大得多。中原地區大熊貓化石的發現表明,晚更新世時期秦嶺以北的中原地區氣候溫暖,有豐富的森林、竹林,適宜熊貓的生存。

黃萬波說,靈井遺址位於北緯34度附近,周口店遺址位於北緯40度左右,兩者僅相差6度。此次許昌靈井遺址內大熊貓牙齒化石的發現,為人們進一步認識裴文中先生描述的北京猿人遺址內的大熊貓化石的存在提供了新的思路。

對此,黃萬波做了兩種推測,一是在堅冰期氣候溫暖的時候,在華北平原中部活動的大熊貓有可能跑到平原北部北京猿人活動的周口店一帶,二是北京猿人活動半徑很大,在氣候嚴寒的時候有可能南下而捕獵到大熊貓。

這顆大熊貓牙齒化石是今年6月在靈井遺址內的一個考古發掘探方內發現的。它的發現者、河南省文物考古研究所研究員李佔揚介紹說,靈井遺址是河南境內埋藏舊石器文化遺存最豐富的遺址之一,從中出土的動物化石和石器已在萬件以上。

他說,從遺物埋藏和出土石器、骨器和大量的碎屑判斷,這是一處以屠宰肢解動物為主進而加工使用骨器、石器的工作營地。

對於大熊貓牙齒化石驚現於原始人的“工作營地”,李佔揚推測,當時大熊貓和鹿、原始牛、野驢等一樣,是人類獵殺的對象,人類把大熊貓的肉吃掉後,把骨頭拿來製作骨器。“大熊貓優質的皮毛也應是古人類所青睞的。”李佔揚說。

在靈井遺址中,還發現有鬣狗、披毛犀、野豬、獾、羚羊、赤鹿、斑鹿、野馬、象、河套大角鹿、原始牛等哺乳動物。李佔楊據此分析,靈井一帶應該是較乾旱的草原灌木環境,湖泊周圍有片狀草原,吸引了大批野馬、野驢等食草動物,遠處丘崗地帶分佈著灌木林和小片竹林,便於鬣狗、獾、大熊貓等出沒。

黃萬波說,大熊貓在中原以及南方大部分地區消失,主要原因是地球氣候變化造成的,而人類的捕殺在這一過程中也起了推進作用。
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by officemei | 2006-09-03 08:28 | ■河南
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新加坡《聯合早報》8月28日載文《一切向錢看,少林變了樣》,摘要如下:
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2006年3月底,河南鄭州舉辦了黃帝故里丙戌年拜祖大典,儀式在新鄭市黃帝故里舉行。當天上午10時20分,“當大典進行向軒轅皇帝進香時,天空驚現一條長虹作半包圍狀伴著太陽出現在儀式上空,直到儀式結束後又奇跡消失。”

筆者有幸,參與其盛,但是看到現場許多人表現出的那種迷信態度,不僅慨歎,中國新文化精神的倒退,以及迷信風氣的迅猛地回潮。上面所引的話是一則中國新聞網站的報導文字。奇怪嗎?其實我在現場就又聽到一位女士向人們解釋說,那是日暈,是自然現象。不過,多數人卻寧可相信那是一個“吉兆”。

因為參與拜祖大典,有機會再次造訪少林寺,也覺得很不是味道。今天的少林寺比起前幾年第一次到訪所見,又更加商業化和俗氣。少林寺附近一帶,武館林立,少林幾乎已經變成中國武術的代名詞了。國內外遊客在寺廟範圍內擠得水泄不通,少林寺早已不再是清靜之地。

最令我反感的則是在塔林所見的一幕。一名寺裏的住持不久前去世,在塔林的墓地裏建起了一座新塔。它的外形同數以百計的舊塔相似,但是,上面所鐫刻的圖案卻令人吃驚。有洋房、汽車、手機各種現代化的身外之物,顯然,少林的弟子們頭腦裏裝得已不是什麼四大皆空了。

近日看到少林寺方丈釋永信獲得河南省地方當局贈送一輛價值人民幣100萬元的越野車,以表彰他對促進旅遊觀光的功績。據稱,釋永信日前又表示盼望獲得更大的獎,更加令人作嘔。莫非釋永信和河南地方確實已經把少林寺徹底變質了,一切都要向錢看?

作為河洛文明發源地,作為一個中國歷史古都,河南的文化遺產之豐富,實在是中國其他省份難以望其項背的。這些文化和歷史遺產也是河南最大的旅遊業資源。若能善加開發,實在是取之不盡,用之不竭。但是,如果像少林寺這樣,把古跡變商品,把和尚變商人,很快就會把這些珍貴的遺產給糟蹋掉。少林寺已經成了一個反面教材。
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by officemei | 2006-08-29 18:34 | ■河南