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羊の姿焼きです
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by officemei | 2006-01-30 20:15 | ■内蒙古
29日は中国最大の祝日、春節(旧正月)。大みそかに当たる28日、北京では春節限定で13年ぶりに解禁となる爆竹と花火の準備が進んでいる。市民は久々に爆音の鳴り響く「春節らしい春節」に心を躍らせ、警察や消防は負傷者や火災の発生に備えて「厳戒態勢」を敷いている。
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 「元日の午前0時に市民が一斉に爆竹を鳴らす活気はすごいものだ」。アルバイトの男性(45)は春節が待ち遠しい。勤めていた工場が昨年閉鎖されたため、今は妻の月給を合わせても収入は1800元(約2万6000円)。「薄給の身では一瞬で燃えてしまう爆竹に大金はつぎ込めない」と言いながら、20~30元の安い爆竹を買い込んだ。

 魔よけなどとして、中国で長い歴史を持つ春節名物の爆竹と花火だが、劣悪品による負傷者や火災が後を絶たず、90年代には各地で相次いで禁止に。北京では負傷者544人、火災数十件が発生した93年の春節を最後に、伝統の光景が見られなくなった。

 しかし、経済発展で春節に娯楽性を求める人が増え、伝統文化を見直して爆竹や花火の解禁を求める声が高まってきた。低所得者の間でも「爆竹を鳴らすくらいの庶民の憂さ晴らしを許してほしい」という声があり、今年は全国約180都市で春節期間中に限って解禁となった。

 北京では今月22日から市内2116カ所の許可を受けた商店が販売を開始。市当局は安全確保のため、全地球測位システム(GPS)を搭載した爆竹・花火の輸送車を75台用意した。負傷者に対応するため、緊急医療態勢を組む病院や、「爆竹保険」を発売する保険会社も出現。消防局は119番通報の電話受け付けを通常の9倍に増やし、「厳戒態勢」を敷いている。

 家族や親せきが家に集まる伝統的な春節の過ごし方も変わってきた。北京や上海など経済発展の進む都会では、大みそかの食事をレストランで過ごす一家が増え、人気店は予約が取れない状態だ。

 春節期間中は1週間の休暇となるため旅行する家庭も多い。行き先は収入ランクに応じて欧米、東南アジア、海南島や雲南省などの国内に分かれる。今年の春節旅行の一番人気は、昨年9月にオープンした香港ディズニーランドだ。北京の旅行会社に勤める廖珍群さん(35)は「子供のいる家族に香港ディズニーランドは人気があり、ブーム真っ盛りで、既にツアーは満員。春節間際になって駆け込みで申し込みをしようとした人は、全部お断りした」と話す。2~4泊で、値段は1人5000~1万元以内が主流だという。香港入境事務所によると、春節を香港で過ごす中国人は、前年比8%増の約50万人に上ると予想される。(毎日新聞)

爆竹禁令解除 北京城炮聲響徹雲宵
今年大陸北京市區內終於可以放鞭炮,因此,大年夜裡到處鞭炮聲絡繹不絕,街道上煙霧迷漫,場面非常壯觀,帶你到北京去感受一下。
TVBS特派記者陸惠玲:「北京城的爆竹禁令解除了,12點一到到處都是炮聲隆隆。」
轟隆隆鞭炮聲,劃破寧靜的夜空,原本黑鴉鴉一片的市區,突然間,像是醒了過來,有放鞭炮的,也有看熱鬧的,整個街道炮聲響徹雲宵,這也難怪,因為北京市民已經有十二年沒這樣痛快的慶祝新年了。
記者:「是不是感覺特別過癮?」北京市民:「那肯定的,這都憋了十二年了,還不讓放著。」
燦爛的煙火在空中綻放,霹哩趴啦的長串鞭炮響個不停,北京民眾說,這樣才有過年的氣氛。北京市民:「感覺今年特別好,因為可以看到煙花,新年特別開心。」
往來為了怕引起火災,北京市區內禁止燃放鞭炮,但對中國人來說,不放鞭炮就不像在過年,這種習俗是禁也禁不了,於是在今年解禁,而這也苦了所有北京市的警察,大年夜不但不能休息,而且所有的警車必須全員出動,嚴陣以待,爆竹一聲除舊歲,北京今年的春節,特別有味道。
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e0094583_1113480.gifいつも感じることがある。
例えば北京官話の範疇から、北京と比較しての山東や陝西、或いは四川の訛りは方言として系統立て類推することはできるが、上海語然り、広東語然り、台湾語(閩南語)然り、これら中国語(漢語)の方言は、所謂方言の範疇に入るのだろうか、ということを。
中国の国土は欧州のそれよりでかい。
フランス語とドイツ語、英語、イタリア語、スペイン語等があるのと同様に、実は中国内における粤語、呉語、閩語等といった外国語、固有の、別種の言語ではないだろうか。

漢字の共有とか、一部語彙及び音韻の共通性、歴史的変遷の痕跡とかは、例えば日本における呉音、漢音、唐音と比較しても、ある地域にだけ固定した音韻が残るとは思えない。必ず別の発音も残ると思うのだが。

上海や台北でそんなことをぼんやり考えていると、「ピジン言語」というものを知った。

ピジン言語とは、外部からきた貿易商人などと現地人によって異言語間の意思疎通のために自然に作られた混成語(言語学的に言えば接触言語)。これが根付き母語として話されるようになった言語がクレオール言語である。旧植民地の地域で現地に確立された言語がない場所に多く存在する。英語と現地の言語が融合した言語を「ピジン英語」といい、パプアニューギニアとソロモン諸島ではそれぞれ国内の共通語として使われている。又バヌアツではピジン英語がビスラマ語と言う呼称で公用語となっている。日本では、19世紀中頃より小笠原諸島において、欧米系の元船員および南洋諸島出身者による開墾者が定住しており、早くもピジン英語が日常的に用いられた。その後の明治時代からの日本系開拓民の到来や戦後のアメリカ合衆国統治を経て、とりわけ父島では独特な接触言語が形成されたが、現在は日本語の勢いに押されて、ほとんど使われていない。

古代中国において、異なる言語を有する部族、軍事・文化的に優劣のある部族が戦争によって征服され、言語そのものの侵略を受けたが母語は消滅せず明確に痕跡を残した。それが粤語・呉語・閩語、即ち現代の広東語・上海語・台湾語として存在しているのだろうか。

興味ある文章をみつけた。市之瀬敦氏の「言語接触とクレオール」という一文を引用させていただく。

言語接触とクレオール

1.「言語接触」とは「人間接触」
「言語接触(Language Contact)」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。読んで字の如く、複数の異なる言語が接触するということです。でも、よく考えて見るとわかりますが、接触しているのは言語そのものというよりは、異なる言語を話す人間です。「言語接触」というとき、それはすなわち「人間接触」であるという点をまず覚えておいてください。日本語と外国語の対訳本というものがありますが、日本語と外国語の活字が重なり合っても、普通それを「言語接触」が起こっているとは言いません。
異なる言語を話す2つの集団が接触するとき、一方の言語の単語が他方の言語に「借用」される現象はよく見られます。接触がさらに長続きし、その度合いが深まれば、単語が借入れられるだけでなく、発音や文法面での影響が及ぼされることもあります。そして、一方の言語の背景にある政治・経済・軍事あるいは文化的な力が圧倒的に優る場合、もう一方の言語の「死」がもたらされることもあるでしょう。そう、この世から1つの言語が姿を消してしまうのです。言語学者の立場から見ると残念ですが、21世紀のうちに地上から数多くの言語が消滅してしまう可能性は極めて高いといわれています。

2.ピジンとは何か
ところで、異なる言語を話す2つ以上の集団が接触するとき、無意識のプロセスを経て、接触に関与したどの言語とも相互理解が不可能な、それまで存在しなかった新しい言語が話しはじめられることがあるのです。それを「ピジン(pidgin)」と呼びます。日本人が俄仕立ての知識で口にしそうな英文「ユー・カム・ヒアー・ツモロー・オーケー・ネ」とか「ミー・ノー・グッド・ツデー・ヨ」などもピジンの一例といえるでしょう。もうおわかりのように、人類は歴史上常に接触を繰り返してきてますから、これまでピジンは様々な地域で数多く形成されているのです。つまり、ピジンには複数形pidginsがあることに注意してください。
確かに、正しい文法という観点から見れば、ピジンは「出来損ない」の言葉のように見えます。そもそもそこには「正しさ」に対する配慮などないのです。けれども、コミュニケーションの効率そして学びやすさという観点から見ると、ピジンは非常によく出来ています。なぜならピジンは何よりもまず意思の疎通のために形成されるわけですし、また多くの場合、文法は単純化しており、語彙も少ないのですから。
ここでピジンについて要点をまとめておきましょう。まず、ピジンは2つ以上の言語の接触から生まれる接触言語(Contact Language)であり、ネイティブ・スピーカーがいません。その語彙の大部分はある一つの言語から取られているのですが、接触に関与したどの言語とも相互理解が不可能です。そして、ピジンの文法は、それらの言語の文法と比べた場合、より単純であるのが普通です。ただし、ピジンといっても、実はその発展にはいくつかの段階があり、文法の規則も定まらず語彙も極めて少ないジャーゴン(jargon)という段階から、安定したピジン(stabilized pidgin)、そして、すでに普通の言語といっても差し支えないほど拡大したピジン(extended pidgin)という段階まであります。
ピジンの有名な例としては、18世紀から今世紀初頭まで、ノルウェー沖で操業するロシア人漁民とノルウェー人漁民の間で話されていたルソノースク語(Russenorsk)、17世紀から19世紀半ばまで中国南部で話されていたチャイニーズ・ピジン・イングリッシュ(Chinese Pidgin English)、南アフリカ共和国の金鉱山付近で現在も話されるファナカロ語(Fanakalo)などがあります。この最後のファナカロ語は、ヨーロッパの言語ではなく、ズールー語(Zulu)というアフリカの言語の語彙を多く持つピジンです。

3.ピジンからクレオールへ
さて、多くの場合ピジンはその有用性が失われると消滅してしまうのですが、状況により、ある集団の母語となることがあります。例えば、多言語社会で相互理解のためにリングア・フランカ(共通語)として使用されるようになったピジンが、その便利さ故に次の世代に母語として引き継がれるケースです。そのとき、つまりピジンがある集団の母語となったとき、それをクレオール(creole)と呼びます。すなわち、「クレオール=母語化したピジン」であり、ピジンが母語化することを「クレオール化(creolization)」といいます。
クレオールの主な特徴をまとめておくと、まずピジンと同じく、複数の言語の接触から形成される接触言語であるということです。先程ピジンには様々な段階があると言いましたが、初歩的な段階から急激にクレオールになることもあれば、安定化あるいは拡大化したピジンが何世代も経て漸進的にクレオールになることもあります。また、世界中のクレオールには、接触に関与した言語の違いに関わりなく、時制・法・アスペクトの表示法などいくつかの構造的な特徴が共通して見られ、現在数多くの研究者から注目されています。そして何よりも、クレオールはある集団の母語であるという事実、つまりその集団の生活の必要をすべて満たす普通の言語であるという点はしっかりと把握しておいてください。ですから、逆に言えば、ある言語がクレオールであるか否か判断するとき、その言語の形成に至るまでの歴史背景を知らなければならないのです。
ところで、ここで気になるのは、ピジンとクレオールの言語的な違いです。ジャーゴンと呼ばれる初期的ピジンとクレオールを比較する場合は簡単です。ジャーゴンには、発音・文法・語彙、あらゆる面で安定性が欠けていますし、言語として見れば不完全です。けれども、拡大ピジンとクレオールの比較となると話は難しくなり、研究者の意見も分かれます。拡大ピジンともなれば普通の言語と変わりませんから、言語の構造面から見れば、クレオールと全く同じように見えます。したがって、両者の間に違いはないとする学者もいます。しかし、発音・文法・語彙のそれぞれのレベルで、違いが見られると主張する研究者もいます。このテーマは今のところデータが少ないため結論は出せませんが、これから調査する価値があるでしょう。
現在、世界にピジンあるいはクレオールと見なし得る言語がいくつ話されるのか、その数は研究者によりバラ付きがありますが、だいたい100前後と見て良いようです。その中には、英語、フランス語、ポルトガル語、スペイン語、オランダ語の語彙を基にしたものが多く見られますが、アフリカ諸語の語彙に基づくもの、アメリカ・インディアン諸語の語彙に基づくものも存在します。ピジン・クレオールは、ヨーロッパ諸語と第三世界の諸言語との接触から生まれたものとは限らないのです。

4.何故ピジン・クレオールを研究するのか
ピジン・クレオールの研究は思いのほか長く、19世紀末には、ロマンス語学研究者として知られるフーゴ・シューハルト、あるいは南アフリカ共和国で話されるアフリカーンス語(Afrikaans)に関する独自の見解を提示したディルク・ヘスリングといった先駆者が現れています。けれども、本格的なスタートが切られたのは、やはり1960年代と言うべきでしょう。最初は、社会言語学者たちが言語の変異および変種に対する興味からピジン・クレオールに関心を寄せたのですが、80年代以降は、クレオールに言語の普遍性の具体化を見てとるデレク・ビッカートンとアフリカ諸語の影響を重視する研究者の間で熱い論争が起こり、ピジン・クレオールの専門家ではない言語学者からも注目を集めました。90年代に入ると、個別のピジン・クレオールに関する詳細なデータが増え、以前より議論に幅が広がり、深みも出てきました。
ピジン・クレオールという言語に対する関心は現在ますます世界中の言語学者の間で広がっています。どの言語も生きている限り、つまり話されている限り変化しています。私たちが話している日本語も日々変化しているのです。普段私たちはそうした変化に気がつくことは殆どありませんが、ピジン化・クレオール化は誰の目にもわかる急激かつ根源的な言語変化です。言語学は言語が何故どのように変化するのかに関心を持ちますから、多くの言語学者がピジン・クレオールに興味を示すのは当然です。
母語の獲得、第2言語の習得、どちらも現代言語学の重要な研究テーマです。その両分野にピジン・クレオールが深く関わることは、もう言うまでもないでしょう。ピジン化とは(不完全かもしれませんけれど)まさに第2言語の習得ですし、クレオル化とはピジンを母語として獲得することなのですから。ピジン・クレオールを研究してゆけば、必ずや「言語獲得」、「言語習得」に関する新しい知見が見出されるはずです。
すでに触れましたが、デレク・ビッカートンはクレオールに人間の言語の普遍性そしてルーツを見出そうとしました。彼にとり、人類の言語とは本来クレオールのような構造を持ち、さらに彼はそれまで誰も指摘できなかった具体的な普遍言語、言語のルーツを突き止めたと主張したのです。かなり過激な意見であり、批判も多かったのですが、議論の材料を提供したという意味でも、言語研究に大きな貢献を果たしたと言ってよいと思われます。
ピジン・クレオール研究はまだ新しい分野です。しかし、だからこそ、これから開拓すべき領域がたくさん残されているのです。言語接触、言語変化、言語習得と獲得、言語普遍に関心のある方は是非ともピジン・クレオール研究の持つ豊かな可能性を信じて、文献を紐解いて見てください。必ずや言語研究に新しいヒントを与えてくれるはずです。
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by officemei | 2006-01-29 13:07 | ■中国語
春节是一年中市民释放购买力最旺盛的时期,为把钱袋鼓鼓的市民拉进自家门,抢占销售高峰,各商家们深谋远虑早已密锣紧鼓“开战”。除了为市民送上各式各样丰富质优的年货,一轮又一轮“特价”“惊爆价”“豪礼”热浪还将狂涌不断,同时也推动着市民开始置办各式年货的热情。
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by officemei | 2006-01-28 18:10 | ■上海
e0094583_16361254.gife0094583_16363550.gif展望二00六年,兩岸關係的前景仍然是喜憂參半、陰晴交加。
即將出版的2月號《中國評論》發表該刊編輯部社論,題爲《兩岸關係穩定與不穩定因素》,全文如下:

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重慶は「麻辣火鍋」発祥の地といわれている。
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四川料理の特徴は「麻辣」。
山椒と唐辛子、痺れと辛さに代表される四川料理(川菜)は、成都(成都川菜)の味が総じて最高とされ、重慶(渝派川菜)はそれに及ばないと言われる。
しかし、伝統を打破し様々な食材を駆使して、新たな四川風味を創作しているのが渝派川菜、重慶の四川料理だ。
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その代表的な料理が重慶火鍋、「麻辣火鍋」と呼ばれる。火鍋は重慶以外のまちでも食されていたが、このまちでより深く極められ四川を代表する料理に昇華した。
今や台湾でも、日本でも、いたるところに「麻辣火鍋」を出す店は多いが、本場重慶のそれは、「麻」(山椒)に特徴があると思われる。
実は昨日、総領事に昼食をご馳走になったが、担担面の味に閉口した。総領事はこの刺激的過ぎる味がやみつきになるとおっしゃたが、私はその域に達していない。
これまで数多くの場数を踏んできたが、いったい今まで食ってきた四川料理の「麻」はなんだったのかと初めて感じた。山椒そのものが違うのだろう。口に入れるとすぐに痺れが口中・唇にくる。食後暫く経っても、舌の感覚は麻痺していた。
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by officemei | 2006-01-25 15:22 | ■重慶
重庆饮食嗜麻辣,以不拘一格使用各种材料创作新菜见长。
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较之成都川菜,渝派川菜不及其精致,但大开大阖更具想象力。渝派川菜中,最有名的算是重庆火锅。
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重庆乃火锅的发源地,重庆火锅就被称为麻辣火锅、毛肚火锅。最开始是重庆的屠夫在冬天将屠宰后剩下的边角料合着郫县豆瓣放在锅里煮,以此避寒去湿。虽然重庆算不上火锅的唯一发源地,但重庆是对火锅这种饮食文化影响最大的。如今的重庆火锅仍在不断的创新和完善出多种特色火锅。
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by officemei | 2006-01-24 22:44 | ■重慶
重慶・・・
このまちにやってきたのは4度目。1982年の春以来になる。

娘が生まれる頃で、早く帰ってやりたいために気もそぞろだったことを思い出す。
このときは大阪女子大学斐文会のOGと三峡下りを共にした。
女子大OGといっても(?)50代から70代の年齢で、中国史・中国文学の教育関連の先生方が多かった。その折の重慶に関する私の随想文を、同会会誌に「重慶雑感」として掲載していただいたが、今は散逸して手元には無い。
今回ほぼ四半世紀を経て再訪することとなったが、まちは大いに変貌していた。

上海発、夜行便の四川航空、出発が遅れ重慶に着いたのが零時を過ぎた頃。
タクシー乗り場で列をつくり、ようやく乗車するもメーターが無かった。
「メーターは無いのか?」
「ちょっと壊れてて修理に出してるんだ」強烈な四川訛りの言葉に閉口する。
「じゃあ、別のに乗り換える」
「お客さん、もうこんな遅い時間だ。安くしとくから。どこまでだい?」又こういう場面に出くわしてしまった。あ~あ・・・
「揚子江假日酒店」
「70元でどうだい?」タクシーで普通なら30分もあれば十分着く距離だ。
「いいだろう。レシート出してくれ」
「OK、出張かい?重慶は初めて?」慣れてないと思わせると、又厄介なことにもなりかねないのはいつも経験済み。
「もう何度も来てるよ、以前は住んでたこともあるさ。運ちゃん、ちょっと休ませてくれ。眠い」
「OK」
ずっと起きていた。こいつ、怪しい。何事も無く半時間足らずで到着、100元札を出すも釣り銭を返そうとしないし、レシートも出さない。
「おい、レシートと30元の釣りだ」
「お客さん、もうすぐ春節だ、チップちょうだいよ」
「おい、おい。70元でいいと言ったのはお前だろうが。それ以外は払う気は無いぞ」
四川訛りの言葉がぐたぐた続く。一切口を聞かずにじっと待つ。運ちゃんあきらめる。釣りとレシートをぶすっとしてつきかえす。
「おい、もっときちっとした商いしろよ。プレートナンバーメモして公安に届けるぞ」
これで、また訛った四川語を浴びせられるも相手にせず下車。
ホテルについてチェックイン、部屋に入ったのが01:30AM。翌日07:30AM起床。
眠い。
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さて重慶・・・
中国では長い間、北京市、上海市、天津市の3都市を中央直轄市として、「省」と同レベルの行政単位としてきたが、国策として推進する西部大開発の拠点として、1997年に重慶市を直轄市に昇格させた。重慶は西南地域の大都市、中国西南地域の水路と陸路の要で、工商業の重点都市となっている。重慶の略称「渝」は嘉陵江の古称、渝水からきている。この地域は古代巴の地で、巴国は紀元前316年に秦国に滅ぼされた。南北朝時代に渝州と命名され、南宋時代に重慶と命名される。
1891年長江沿岸の港湾として対外開放され、1929年重慶市政府が成立。1938年日中戦争で南京が陥落すると蒋介石の中国国民党は首都機能を重慶に移転させた。日本軍は中国の臨時首都となった重慶に爆撃機を主体とする航空兵力による戦略爆撃を行った(重慶爆撃)。
中華人民共和国成立後、重慶は内陸部工業化の重点都市となり、多額の国家投資が投入された。しかし、1980年代の改革開放後、上海など沿海部の都市が目覚しく発展したため、重慶は発展から取り残され、以前とは逆に経済的に立ち遅れた地域になっている。また大気汚染がひどく、多数の公害病患者が出ていることでも有名。1997年内陸部振興のため重慶直轄市が新設され、再生の努力がなされている。
愛国主義教育の重要基地とされ、反日感情を持つ市民も少なくないが、外務省は重慶市に総領事館を置き、広島市は1986年に重慶市と友好都市提携している。2004年のサッカーアジアカップでは、重慶はトーナメントの競技場の場所のひとつとなったが、このとき中国人観衆がスタジアム内外で日本人サポーターに汚物を投げる、日章旗を燃やすなどの反日的な活動を公然と行い、日本側を唖然とさせた。2005年6月18日に開通したモノレールは一部の資金を円借款で賄い、一部の車両を日立製作所グループが製造している。


1月23日11:00総領事館伺候。
以前北京大使館在勤時にご一緒した関係から、事前アポの上訪問。歓談後総領事行きつけの料理屋に連れて行ってもらった。ここへ来ると必ず注文されるという本場四川「担担面」をいただく。一口いただいて唇・口中・喉が痺れ、四川山椒の「麻」の凄さを体感した。これまで北京で好んで食っていた担担面は何だったのだろうか?
辛さにはけっこう強いが、この山椒の痺れ感は正直合わない。その痺れが病みつきになると総領事は仰るが、申し訳ないことに食べ残してしまった。恐るべし四川山椒の「麻」!!

*重慶を舞台にした小説として「蒋介石の黄金」を推薦したい。ライフログ参照
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by officemei | 2006-01-24 19:18 | ■重慶
南京秦淮河畔一家主題為鮮花的餐館試營業,三位人體彩繪模特兒出現在餐館內走秀。
身上被繪制成鮮花和蝴蝶的模特兒穿行在餐館內,十分搶眼。
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by officemei | 2006-01-18 19:42 | ■江蘇
台北市一家連鎖美容院坐了一排年輕女孩,當洗頭小妹雙手用力一抓,將女孩頭髮上的泡沫清除,濕濕的頭髮高高豎起,像「法老王」似的,一排女孩個個笑得東倒西歪,「歐摸西羅伊」(意指「好好玩啊」),接著拿起數位相機,拚命咖卡嚓嘎卡嚓。這是台灣旅行社為日本年輕女性觀光客安排的新遊程—到台灣造型一下!

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by officemei | 2006-01-15 18:03 | ■台灣