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今天是年初六,隨著春節假期結束,中國各地將迎來節後返程客流高峰。
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e0094583_2333255.gif学生時代、中国語研究部という部活に所属していた。
中国語学科の学生で、授業以外の時間も中国語に浸っていた。
良き師・良き友にめぐりあった。
このクラブに所属したことが私の人生を決定づけたと思う。

私はそのクラブの4期生だったが、あと数年で40期生が巣立つほどになった。
ずっと下の後輩で、卒業後北京大学に留学し、その後上海で大学院に入った者がいる。
彼女がまだ学生時代に知りあったから、そろそろ10年近くのつきあいになるだろうか。
私の娘と左程かわらないので、正直言って可愛くてしょうがない。

息子よりはいくらか上だが、姉さん女房もいいもんだと、本人不在でひとりそんなことも想像してみたことがある。
残念ながら彼女は突然結婚してしまった。
北京でご主人に会ってみた。
いい雰囲気で安心した。
父親の心境。

その彼女とは今もメールや電話でよく連絡を取り合っている。
昨日、彼女からメールがあった。
読んでいて、無性に台北を想った。
あ~台北に帰りたい・・・

彼女のメール転載;
台湾めちゃくちゃ良かったです!

想像してたより寒くて、ホテル(台北商旅)暖房ないし、ちょっと吃驚しましたが、食べたいもの全部食べて、行きたいところ全部行けたので大満足です!また行きた~い!

三二行館は、先輩のおっしゃる通りにすごく洗練されてて、設備もサービスも言うことなし!でした。

土曜の午前中に到着したんですが、その時は浴場に台湾人のおばあさん2-3人くらいしかいなくて、皆お湯に浸かっていました。

で、ここは水着の着用必要なしとのことだったので、館内着もバスタオルも全部入り口の棚に置いて、私すっぴょんぴょんであっちのお湯に入ったりこっちのお湯に入ったりしてたんですよ。

しばらくして午後になった辺りから続々と若い人やらおばさんやら、おじさんやら(うそ)、人が増えてきたので、何気なくみんなの入り方見てたら、浴槽に入る直前までタオル巻いたり館内着着たりしてて、ちょっとアンタそのまま入る気かい!って瞬間にバッと脱いで浴槽の横に設置してある棚や椅子の上に置いてお湯に入るんですよ。

隣の浴槽や向こうの浴槽に行くときもいちいちタオル巻きつけて行くんですよ。一人の人も、友達と連れ立っておしゃべりしながら入る人もみーんな。
ちょっと不思議な感じがしました。
普段水着温泉に慣れてるとスッパは恥ずかしいんですかね?

男性もそうですか?
ちなみに私がスッパでうろちょろしてたら目で追われました。
いや、これはもしかしたら裸だからじゃなくてすごいペチャパイだなーって憐憫の眼差しだったやも知れません。
何はともあれ、すごーく気持ち良かったです。
90分お湯に浸かり続けたらさすがにのぼせました。

それから、お寿司の「松」も美味しかったです!
ただ店員のおねーちゃんでやたら強引な人がいて、ろくにメニューも見せてくれないで、「あわび食べて!」「握り盛り合わせね!」とかってわめいて、いくらなのか値段聞いただけなのに勝手に奥にオーダー通しに行っちゃったりして少し手を焼きました。

そう!
途中で他の店員さんからどうしてこの店知ってるのかと聞かれ、先輩のお名前出したら、ママ(結構大柄で日本語殆どしゃべれない人)が「私その人よく知ってる」と言って、深海魚(サメ?)の皮の和え物をサービスしてくれました。ふにふにしてまあまあ美味しかったです。
先輩ありがとうございます。

「鴨肉扁」というガチョウ肉の店にランチ入ったんですが、美味しいですねー!
あんまり野鳥的な味がしなくて、鴨やアヒルより癖がなくて。麺もあっさりしてて気に入りました。

故宮博物院は、十数年前に行ったとき時間が足りなくてじっくり見られなかったし、07年にリニューアルオープンと書いてあったから、今回は相当期待していったのに、なんだか展示物が以前に比べてだいぶ少ないような?気がしました。
じっくり見たら1週間はかかるなんてよく言いますけど、あれじゃ半日で見れてしまいますよ。
若干肩透かしです・・。

士林の夜市では小吃三昧しました。うまうま!
そう!夜市の奥のほうにスポーツ用品店がいっぱいあって、セールしててだいぶお買い得でした。
ナイキとかアディダスとか上海にもいっぱい専門店あるけど、セールしない上に表示価格もやたら高いですもん。
中国は輸入品に関税が5%かかるから仕方ないんだって聞いたことあるんですが、台湾は関税かからないんですか?(って先輩に喰いつくことじゃないですね)。なんにせよ、ほくほくです。

先輩がいっつも「台湾ええで~」って仰ってるのがホントによく分かりました。
なんていっても人が善いですね。
温厚で親切で文明的で・・・・・・
大陸とはぜーんぜんちゃう!

台湾のことでもっと報告しようと思ったことがあったのですが、今思い出せないので今日はここまでにします。
ではでは!
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by officemei | 2009-01-30 13:40 | ■台灣
2009年1月29日・上海図書館浦東分館、正月(春節)休みも学習三昧。
大学統一試験が6月にある。今は最後の追い込み時期か・・・

ちなみに「勉強?」と中国人に書いて尋ねても通じません。中国語の「勉強」は無理強いするという意味。勉強は無理強いされてやってもダメ、自発的でなければ。
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by officemei | 2009-01-30 13:31 | ■上海
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“M・バタフライ”(M.Butterfly)。
フランス外交官と中国女性の数奇な恋を描いた映画(1993年公開)。

1964年、文革前夜の北京。
大使館に勤務するフランス外交官と中国オペラ(京劇)の俳優が恋に落ちる。
だが、彼女は国家機密を狙ったスパイだった。
しかも驚くなかれ、その彼女とは女装した男性だった・・・
バックに流れるプッチーニの“マダム・バタフライ”が実に印象的(無気味)だった。

この作品は実話に基づいている。
1964年、駐中国フランス大使館の外交官ベルナール・ブルシコは、京劇俳優の時佩孚と恋に落ちる。
そもそも京劇は歌舞伎と同様に、役者はすべて男性だ。
女形が女性を演じることも知らないような外交官がいること自体、大いに問題ではあるが。

その後、時佩孚は「妊娠」する。
文化大革命に突入した当時、外国人と通じる者はスパイ行為とみなされた。
(大使館員として文革末期を北京で過ごした私のような軽輩にも尾行がついていた)
当局はブルシコを脅迫、「彼女」の身の安全と引き換えに外交機密の提供を迫る。
悩んだ末に彼は国家機密より「彼女」を選び情報提供を続ける。

やがて青い目の混血児が生まれた(新疆ウイグル自治区から当局が連れて来たニセモノ)。

離任帰国後も彼は中国に置いてきた家族のことが忘れられない。
そして1982年、彼は家族をフランスに呼び寄せることに成功する。
まもなくして、彼らはフランス政府に逮捕された。
国家機密漏洩罪・スパイ罪。

法廷で新事実が判明した。
彼の愛した時佩孚が実は男性であったことが・・・

ここまでの経緯から誰しも疑問に思うことは、どうして彼女が男性と気づかなかったのか、どういう性行為がおこなわれたのか、こいつはバカじゃないか等々。

確かにバカっぽいが、それだけ信じさせる迫真の演技が「彼女」にあったのだろう。

新種の“ハニー・トラップ”だ。

ハニー・トラップ・美人局(つつもたせ)といえば、
2004年5月、駐上海日本領事館員が自殺した。
女性問題で中国当局から脅迫を受けた。
日本の外交機密の提供を迫られるも「国を裏切ることはできない」と遺書を残し自殺する。

美女をターゲットに接近させ肉体関係をもたせる。
既成事実を作っておいて女性問題や買春疑惑などの因縁を付ける。
そして情報提供を迫る。

オーストラリアに亡命した中国の警察官が台湾で講演会を開いた。
その場で、中国当局が“ハニー・トラップ”で台湾ビジネスマンをターゲットにし、情報収集に協力させるマニュアルを公表した。

まずターゲットに接近、風俗の女性を紹介。
その後、突然警察の臨検があって買春の現場を押さえる。
厳しい訊問・脅迫、甘い罠、釈放するから情報収集をしろ・・・

香港の民主派(反共産党派)議員やシンガポールの新聞記者も、買春罪で当局に逮捕勾留されたことがある。
アメリカではCIAの情報部員やFBIの関係者も“ハニー・トラップ”の罠にかかり、米国の機密情報を中国に流し続けて逮捕されている。

中国国内でも著名な民主派作家が買春罪で逮捕勾留された。
女性問題を理由に民主活動家を迫害する一例。

罠を張る。
陥しいれる。
買春・脱税などの罪名で逮捕迫害する。

2003年に起きたある日本企業の集団買春事件。
数百人規模の社員旅行で訪れた広東省珠海市。
ホテル側の企画・斡旋で500人あまりの売春婦が動員された。
事件発覚後、中国外交部は日本政府に対し、「国民教育を強化しろ」とコメント。
買うほうにも弱みはあるが、売り手がなければこんな事件は起こるはずもない。

2007年、新華社の記事によると、北京市三里屯地区のバー街でオーナー・用心棒・売春婦が共産党支部を成立したとのこと。
共産党は性産業従事者にも盃を交わしている・・・
恐るべしコングロマリット。
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2009年1月26日。
爆竹;
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“丑年”の春節(旧正月)を迎えた上海東方明珠タワー前。
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一元復始,萬象更新

傳統上,從二十三過小年開始一直到正月十五鬧元宵,完整的一個年過下來得個把月時間。在這段時間里,人們約定俗成地祭灶、掃塵、穿新衣、貼春聯、放爆竹、吃年夜飯、守歲、拜年,大人們還得向晚輩發壓歲錢。
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by officemei | 2009-01-30 04:59 | ■上海
鄧麗君(1953年1月29日~1995年5月8日)可說是華人社會裏家喻戶曉歌手,她唱過的歌曲如《梅花》《阿里山的姑娘》《月亮代表我的心》《何日君再來》等幾乎人人都可朗朗上口。

鄧麗君於1953年的今天, 1月29日,出生於臺灣雲林縣。她從小在眷村長大,父親為原國民政府軍軍人,隨軍赴台。小時候家境並不好,但鄧麗君卻能吃苦耐勞。她在小學時代就漸露其歌唱興趣與天分,經常利用課餘時間隨駐紮於學校附近的空軍康樂隊到處勞軍表演。1963年8月,10歲的她參加電視台的黃梅調歌唱比賽,以一曲「訪英台」奪得冠軍。

14歲,鄧麗君出了第一張唱片《鳳陽花鼓》,當時正值流行歌曲在臺灣萌芽時期,她主唱的小調民歌更是大受歡迎。隔年,她獲邀在臺灣電視公司製作的歌唱節目「群星會」中表演,首次在電視螢光幕演出。

後來鄧麗君赴香港發展,1975年7月,鄧麗君簽約加盟香港寶麗金唱片公司並在港發行《島國之情歌第一集》大受歡迎,隨即於9月獲得香港十大歌星獎。

1976年,鄧麗君在香港利舞台舉行首次個人演唱會,兩日三場門票旋即銷售一空,此後鄧麗君在1976年、1977年、1978年、1980年、1981年除了中途赴美進修,連續五年都在英屬香港利舞台開個人演唱會,皆場場爆滿,人氣歷久不衰。

1984年後,鄧麗君歌唱事業重心移往日本樂壇,在日本曾經創造被公認為評選最公正的全日本有線放送大賞和日本有線放送大賞三連霸的紀錄(1984年到1986年),並曾三次參加全日本紅白歌唱大賽,是在日本發展最成功的外國歌手之一。

她的歌曲也在中國大陸掀起風潮,但一度被當局禁止。文化大革命結束之後,隨著錄音機進入百姓家中,鄧麗君的歌曲很快被傳唱。

由於鄧麗君的父親曾在中華民國國軍服務,鄧麗君生前參加多場勞軍演出,演唱過《梅花》、《中華民國頌》等歌曲,獲得了「愛國歌手」、「軍中情人」等等的稱號。直到1991年,年屆38歲並漸漸淡出歌壇的鄧麗君仍然前往前線勞軍演出。

踏上中國大陸的土地演出一直是鄧麗君的心願,當年,1989年正當她準備前往大陸時,北京發生六四天安門事件。為了支援中國大陸的學生,鄧麗君義然絕然的以歌手身分參加了抗議集會。1989年5月,她還在香港跑馬地有30萬人的《民主歌聲獻中華》的活動中,在頭頸上掛了一塊牌子,上面手書「反對軍管」,演唱了《我的家在山的那一邊》歌曲。

由於天安門事件,鄧麗君表示堅持在中國大陸實現民主之前,永不踏入大陸。她說:「我回大陸演唱的那一天,就是三民主義統一中國的那一天」。

天安門事件之後,鄧麗君香港,旅居法國。這段時期鄧麗君的氣喘痼疾日益嚴重,為了調養身體,1995年她鄧麗君卻意外在清邁飯店中氣喘病發作,當飯店人員發現緊急送至醫院時已經回天乏術。消息傳出震驚港台與日本,紛紛以頭條標題報導鄧麗君的猝死。

鄧麗君的逝世,各界均深感震驚意外與惋惜。為表彰鄧麗君的愛國情懷和演藝成就,中華民國政府曾頒發褒揚令,命令褒揚。靈柩上獲覆蓋青天白日黨旗和青天白日滿地紅國旗。當時總統李登輝特頒「藝苑揚芬」輓額,國民黨並追贈該黨最高榮譽獎章「華夏一等獎章」給鄧麗君。

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by officemei | 2009-01-29 02:21 | ■台灣
e0094583_956435.gif嫌な客が帰った後に塩を撒く、地鎮祭で四隅に塩を撒く、相撲の取組み前に塩を撒く、これすべて“清め”の意味。
塩には古来清浄作用がある。

飲み屋や料亭など客商売でも門前・店頭に“盛り塩”をする。
これも清浄にして客を迎える意味があるのだろうが、もとは“清め”と無関係の典拠によるものだ。

陳舜臣の「中国畸人伝」のなかに竹林の七賢であった王戎の物語がある。
その一節に、晋の武帝・司馬炎のことが書いてある。
武帝は無類の女好きだった。
蜀は既に無く、呉も彼の時代に亡んだ。
晋の都・洛陽に亡国・呉の美女を移し、武帝の後宮は二万人を超えるようになった。

後宮の女たちはそれぞれ館を与えられ、漁色家の武帝は羊車(羊に牽かせた車)に乗って女のもとへ通い、羊車が停まったところで降り、その前の部屋に入ったらしい。

機転の利く女が、寵愛を得るために羊が好んでなめる塩を門前に盛っておいた。
そして羊はかならずその前で停まった。
“盛り塩”の由来はこのエピソードからきているのだそうだ。

今や中国各地にも「日本料理店」や「日式飲み屋」ができているが、十中八九は“盛り塩”がない。
わずかに大連と上海の日本料理店でみかけた。

台北のリトル東京「林森北路」では“盛り塩”のある店を散見したが。

いや待てよ、本家日本でも少なくなっているように感じるなあ・・・
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by officemei | 2009-01-28 00:43 | ■河南
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by officemei | 2009-01-25 05:22 | ■陝西
今年の旧正月(春節)は1月26日。
正月帰省ラッシュは例年ごった返す。
切符が買えない人、ニセ切符をつかまされた人、ターミナルは人・人・人・・・

帰省ラッシュ始まる;
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「胡同(フートン)の理髪師」を海賊版DVDで観賞。
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「剃頭匠」(胡同の理髪師)の舞台は、映像から察するに故宮の北側(北海公園と景山公園周辺)あたりの胡同。

年々北京の下町・胡同が取り壊されていくなか、その胡同に住む老理髪師の日常を淡々と描いている。

主人公のじいさん(93歳)は毎朝6時に起き、きまって5分遅れるゼンマイ時計を5分進める。
ポケットに常に櫛を入れ、白髪を梳く。
老いてなお、こざっぱりと身だしなみを整えている。
カレンダーに書きこんだ訪問予定をチェックし、三輪車に乗って古くからのなじみ客をまわり散髪と顔剃りをする。
午後は隣人たちとマージャンを楽しみながら世間話をし、そして決まって夜9時には床に就く。

じいさんはもう、80年も散髪屋をしてきた。
かつては店を持ち、国民党軍の傳作義将軍や京劇の梅蘭芳など著名人、権力者たちの散髪をしたこともある。
そんなじいさんが、「権力者も普通の人も、金持ちも貧乏人も、人生は一度きりだ」、というくだりは味わい深い。

北京のまちは古くからある胡同を強制的に取り壊し、再開発を進めている。
じいさんの住まいにも市役所から測量にやってきた。
担当者が解体を意味する「拆」とペンキで書くところを「折」と書いて帰ろうとすると、じいさんは「ちゃんと書け、いい加減な仕事をするな」と文句を言うところもじいさんの生き方が滲み出ていた。

知り合いが相次いで亡くなっていく。
凛とした生き方を貫こうとするじいさんにも、やがて死と向き合う日がやってくる。
残り少ない時間をどう生きるか。

この映画を観て、「老い」と如何に向き合うかを考えさせられた。
私はまだまだ若いと自分では思っているが、やがてくるその時までどう処すべきかを、そろそろ考えておかねばならない年齢になってしまった・・・

この映画、主人公である93歳のじいさんやその他のキャストは殆ど素人(胡同の住民)だそうだ。
演技力を超越したリアリティを感じる。
若い人には退屈かもしれないが。


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by officemei | 2009-01-23 03:36 | ■北京