<   2010年 03月 ( 47 )   > この月の画像一覧

请大家一定不要被这诱惑所迷住、世界上没有免费的午餐。
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第一,要确认和保障公民的基本权利,特别是财产权利。确权特别是对财产权的确认很重要。现在我们大陆在这方面存在许多问题。你不要认为什么是你的,那个房产证是没有用的,我们知不知道哪一天拆掉吗?不知道。我们不在家的时候甚至在睡觉的时候房子就被拆掉了。我们的农民的土地,说是“集体所有”,可在许多地方已沦为了少数人所有,搞一个什项目就让农民无地可种,无业可就,可社会保障的三无农民。我们的工人在工厂工作了几十年,突然说改制了,你就得下岗而且什么也没有了。这样的事,到处都是啊。今天在座的提倡要民众不抱怨的上海学者白领们难道不知道吗?事实上,上海也有的。最近我在做一个纪录片子,其中一个故事是有关一个上海女市民到北京上访的。她跪在地上说:“天啊,给我房子,我要一个地方安身,我在生存啊”。假如我们一个宣称执政为民、以民为本的“社会主义国家”,连我们老百姓最基本的权利都不能保障的话,我们有什么理由让我们民众不抱怨,让我们的民众理解我们的政府。我们没有这个理由。我今天在这里要告诉你们或我们的当政者,你要让你的人民不抱怨,你要让你的人民对你理解,你要让你的人民不走上街头,你首先给明确和保障他们最基本的权利。这个权利不是封建社会给予他们的权利,而是现代社会的公民权利。没有这一点,请问我们有什么理由,我们有什么资格,让我们的民众不抱怨?没有!
第二,要有权威的司法制度,要让司法成为民众权利救济最后的底线。一个现代社会,社会成员之间或民众与公权机关发生了纠纷,并不可怕,可怕的是权利被侵犯了,得不到应有的救济。假如我们的司法不能保障民众的法定权利,我们的司法不能成为社会公平公正的底线,我们有什么资格和理由要那些权利受到损害的民众不抱怨呢?事实上,我们今天司法体制存在许多问题,我们的民众已不那么相信司法能给社会带来公平和公正。无论一个什么样的判决,当事一方都有可能告诉你,“我不服!,因为司法腐败!”为了这个不服,公民选择上访,选择进京寻找大领导的上访,他们中有人为“领导批示”在北京坚持数年。而我们的执政者却对信访这种典型的人治制度津津乐道,甚至把其当成主要的社会救济方式。而现实中,民众则在长期的上访中因被劳教或送进精神病医院失去了对国家司法的最后信任。在这种情况下,要求我们的民众“不抱怨”就相当于给他们麻醉剂。是不理要求我们的民众被打左脸,还把右脸给你吗?这是不行的!我们要抱怨这个不公平的司法制度,而且不仅仅是抱怨,我们还要抗争。因为有了这个抱怨和抗争,我们才能建立一个公平公正而有权威的司法制度。
第三,要有真正的代议制度,让我们的人民代表真正能代表人民。我们每一个人不可能直接管理这个国家和社会,我们需要自己的政治代表。现代民主制度中的代议制是人类社会文明的结晶。我们可以通过选票决定谁来代表我们的利益。这种制度,我们有吗?从行文法来说,我们是有的。但现实中,我们现在还没有。我不知道今天在座的有多少参加过人民代表大会的选举,你们投了谁的票?我不知道谁是我的代表?我们只知道有三个代表,但是我不知道我的三个代表在什么地方?我们需要改变,假如这一点也不能改变,你怎么叫我们的人民不抱怨呢?你在中南海要求全国人民不抱怨,你在复旦大学告诉大家不要抱怨,还开展不抱怨运动。我告诉你们,不改变这种制度性的缺失,民众就会有抱怨,而且也不可能有什么不抱怨的运动。
第四,要有一个开放的媒体,让民众的抱怨有正常的宣泄。假如今天我们所有人都不能真实地表达自己的不满,他们只能在家里抱怨,可能最后走向街头,用大砖头表示他的抱怨。为了让我们的民众不抱怨和不走向街头,我们就需要给他们抱怨的机会,让他们有正常的渠道发泄他们心中的不满,而不是给他们一个类似鸦片的“不抱怨运动”。

第一、国民の基本的権利、とりわけ財産権を確認し保障されなければならない。今中国にはこの面で多くの問題があります。今の不動産権利証に意味はありません。いつ強制収用されるかわかりますか? わかりませんね。私たちが不在の時や、さらには寝ている時に家が壊されるのです。農民の土地は、「集団所有」だと言われますが、多くの場合少数者の所有になってしまっていて、何かプロジェクトが来たら農民は土地を失い、仕事を失い、社会保障のない、三無農民になってしまいます。労働者が何十年も仕事をしてきた工場から突然リストラと告げられ、失業してすべてを失う。こういうことが至る所で起きています。今日ご参加の民衆に不平を言わないことを呼び掛けている上海の学者、ホワイトカラーの皆さんはご存じないのでしょうか? 実際は上海でも起きています。最近私は記録映画を作りましたが、その中には上海の女性が北京に陳情に行く話があります。彼女は地面にひざまずいて「なんてことなの、私の家を返して、私は住む家が必要なの、私は生きてるのよ!」と言いました。もし人民のために統治し、人民を基とする「社会主義国家」といわれている我が国が、庶民の最も基本的な権利すら保障できないのなら、一体民衆に不平を言わせず、民衆に政府を理解させる根拠はどこにあるのでしょう。そんな根拠はありません。私が今日みなさんや我が国の統治者に言いたいことは、もし人民に不平を言わせたくなければ、もし人民に理解してほしければ、もし人民が街頭に出るのを止めたければ、まず先に彼らの基本的権利を保障しなければならないということです。その権利は封建社会が与える特権ではなく、現代社会のすべての国民の権利です。それがなければ、我々にどんな理由があって、どんな資格があって、民衆の不平を禁じるのでしょう?
第二、信頼できる司法制度が必要です。司法を民衆の権利救済の最後の砦にしなければなりません。現代社会では、社会構成員間あるいは民衆と公権力機関との間に紛争が生ずることは、恐れるべきことではありません。恐ろしいのは、権利が侵害されたときに、必要な救済がなされないことです。もし我が国の司法が民衆の法律上の権利を保障できなければ、司法は社会の公平公正のセイフティーネットにはなりえません。とすれば我々はいかなる資格があって権利を侵害された民衆の不平を禁ずることができるでしょう? 実際、我が国の司法制度は多くの問題を抱えており、民衆は司法が社会に公平と公正をもたらすとはあまり信じていません。どんな判決でも、一方当事者は「司法が腐敗しているから、私は不服だ!」と言う可能性があります。この不服のために、国民は陳情を選択します。北京に行ってえらい指導者に頼る陳情を選択し、中には「指導者の指示」を求めて北京で何年も頑張る人もいます。ですが、我が国の統治者は陳情という典型的な人治〔法治に対する語〕について自慢げに語り、はては主な救済方法とさえみなしています。現実には、民衆は長期間の陳情の間に労働矯正所に送られたり、精神病院に強制入院させられたりして国家司法に対する最後の信頼さえ失ってしまいます。このような状況の下で我々が民衆に対して「不平を言うな」と言うのは彼らに麻酔注射をするに等しいことです。民衆の左の頬を打って、その上右の頬を差し出すよう命じますか? そんなことはできません! 我々はこの不公平な司法制度に対して不平を言うべきです。そして不平だけでなく、闘わなくてはなりません。不平の訴えと闘いによって初めて公平公正で信頼できる司法制度ができるのです。
第三、正真正銘の代議制度が必要です。人民代表に本当に人民を代表させなくてはなりません。私たち一人一人が直接この国家や社会を管理することはできないので、自分たちの政治的代表が必要です。現代民主制における代議制は人類文明の結晶です。民主制では選挙によって誰が我々の利益を代表するのか決めることができます。そういう制度が我々にあるでしょうか? 法文の上では私たちにもあります。ですが実際には、まだありません。今日来ておられる方の何人が人民代表大会の選挙に参加したことがあるでしょう? 我々はだれに投票したのでしょう? 私は自分の代表が誰かを知りません。私たちは三つの代表〔江沢民が唱えた。共産党は先進生産力、先進文化、人民の根本利益の三つを代表しているという主張。〕を知っていますが、私の三つの代表がどこにあるのか知りません。私たちは変える必要があります。もしこれさえ変えられなければ、どうやって不平を黙らせることができましょう? 中南海にいて人民に不平を言うなと要求しても、復旦大学にいてみんなに不平を言うなと言っても、不平を言わない運動を展開しても、このような制度上の欠陥を改めない限り民衆は不平を言うし、不平を言わない運動など広がるはずがありません。
第四、それによって民衆の不平を正常に発散させる、開かれたメディアが必要です。もし今日、全ての人が現場で本当に自分の不満を表明できなければ、家で不平を言うしかなくなり、最後は街に繰り出し、レンガ片で自分の不満を表明することになるでしょう。民衆が不平を言わず街に繰り出さないためには、アヘンに似た「不平を言わない運動」を展開するのではなく、彼らに不平を言う機会を与え、彼らに正常なルートで内心の不満を発散させる必要があります。

我说的这些观点,主办方也许不高兴,没有关系,下次不请我。而且,我认为主办方也不会不高兴,因为你们主张不抱怨。那么请首先不抱怨我,假若这一点也做不到,那就很难说得过去了。而且,我也并不是为了与主办方作对。我讲这些,实际上就是在表达我们这个社会应如何对待弱者的情绪,特别是制度建设方面的内容。这实际上也一个大国应的。今天上午几位演讲人都提到了中国已成为了大国,而且正在走向世界。我则认为,如果我们没有进行必要的制度建设,何来的大的国呢。中国社会的软实力在什么地方?首先在于我们的制度建设,在于我们人民对我们制度的认同。假若我们的民众有一天告诉你,无理拆迁、司法不公、被代表等等都成为不可能时,我们才有资格说中国已有成为一个大国的可能。这就是我们的实力,这就是中国走向社会、走向世界的真正的实力。谢谢各位。
私が以上の観点を述べたことは、主催者を怒らせたかもしれませんが、大丈夫、次回は私を呼ばなければいいんです。また、私は主催者は怒らないだろうと思います。なぜなら彼らは不平を言わないことを主張しているのですから。まず率先して私に対して不平を言わないでください。もしそれさえできないのであれば、とても筋が通りません。しかも私がこういう話をするのも、主催者と対立するためではなく、我々の社会が弱者の気持ちに向き合うようにする制度建設のためです。これは大国として当然のことです。今日の午前中の講師の方々は、皆さん中国はすでに大国になり、世界に向かっていると話されました。私はもし必要な制度建設がなされなければ、一体どこが大国なのかと思います。中国のソフトパワーはどこにあるのでしょう? それは、まず制度建設に、人民の制度に対する信頼に求められるべきです。もし民衆が、不当な強制収容、司法の不公正、代表の押し付けなどが無くなったと言った時、初めて中国は大国になったといえる資格が生じると思います。それこそが私たちの実力、中国が社会に向かい、世界に向かう時の本当の実力です。ご清聴ありがとうございました。
原文は「博客中国」より;
訳文は「思いつくまま」より; 


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昨夏、上海復旦大学での于建嶸先生(社会科学院研究員)講演内容。
正論だ、このような言論がまかり通るような社会になってほしいと思う。

原文は「博客中国」より;
訳文は「思いつくまま」より; 

于建嵘;「让一个和谐的中国走向世界」
2009年8月14日在复旦大学

于建嶸;「円満な中国を世界に向かわせよう」(中国民衆はなぜ不平を言うのか)
2009年8月14日復旦大学にて

各位下午好。
我演讲的题目是“让一个和谐的中国走向世界”。
为什么要讲这个问题呢?因为这个演讲会的主题是“新新中国,走向世界”。而什么才是“新新中国”呢?主办方在这个会议筹办时提出了一个命题,就是希望提倡民众要“不抱怨”,甚至还想在中国推动一个什么“不抱怨”的运动。对此,我心中充满了疑虑。
在我看来,我们今天要特别关注的问题,不是民众可不可以抱怨的问题,而是为何抱怨的问题。前不久《人民日报》下来的一个非常有影响的刊物,约我写的一篇文章。当时我在河南的洛阳调查,他们给我打电话,希望我在这篇文章讲一讲的官员和民众“都不容易”的问题,而且重点要讲我们的人民应体谅政府和官员不容易,让我们的人民体谅国家领导人“不容易”,并就这样官员和领导人看了后就会高兴,也有利于社会和谐。我当时是这么回答说的:“官员不容易是事实,如果官员感到干不下去了,可以下台啊。从来没有求着他们来管我们。”我们民众可以理解你们官员的某些做法,但是官员不应该以此为理由让我们不抱怨。所以我说,这样的文章我不写。他们又跟我谈说我们还是希望你写一篇文章,说现在中国社会发生了这么多的问题,能否让我们的人民知道一个和谐的社会是一个相互理解的社会。我说,这一点是不错的。但是一个国家的安定首先要民安定,而民要安定首先关心民生,假如一个社会都不关心民生,假如我们的知识分子都不看到民间的疾苦,你要民众如何理解呢?我们只要走近真实的中国社会,我们离开上海大都市白领阶层的生活,你就会感觉到各种抱怨充满了中国社会。如果有机会,我建议你们可以看一看石首事件的录相,你就会感觉到几万民众用砖头,用愤怒面对我们武警的时候,我们难道说一说你们不要抱怨,你们要理解政府,你们要克制就行了吗?不行的。我们不能简单地指责我们民众不理智,而更需要去研究民众为何愤怒,为何走向街头,为何敢于与武警对峙。甚至可以说,面对社会不公和腐败,抱怨是民众的一种权利,他们有权抱怨。作为执政者或学者们,没有权力去指责我们的民众抱怨,而是要想办法去改变它,要让我们的民众不产生或少产生抱怨。
那么,如何才能使民众不抱怨或少抱怨呢?我讲两个故事,也许对大家有所启发的。

皆さんこんにちは。
私の講演のテーマは「円満な中国を世界に向かわせよう」です。
なぜこの問題を話すのかというと、この講演会の全体テーマが「新新中国、世界に向かう」だからです。では「新新中国」とは何か? 主催者側はこの会議の準備の時に一つの命題を出したのです。それは民衆に「不平を言わない」よう呼びかけ、ひいては中国で「不平を言わない」運動を起こすというものです。これに対し私は多いに疑念を抱きました。
私が見るところ、私たちが今日特に関心を注がなければならない問題は、民衆が不平を言うべきかどうかという問題ではなく、なぜ不平を言うのかという問題です。最近『人民日報』系列の非常に影響力のある雑誌が、私に記事の執筆を依頼してきました。当時私は河南省の洛陽で調査していましたが、彼らは私に電話してきて、役人も民衆も「どちらも大変だ」という問題、とくに民衆が政府を思いやるべきだということ、役人は大変だということ、人民は国家指導者が「大変だ」ということを思いやるべきだということを重点に書いてくれと言うのです。そしてそうすれば役人や指導者が見て喜ぶし、社会が円満になるのに役立つことにもなると言うのです。私は当時こう答えました「役人が大変だというのは事実だが、もしやってられないと思ったら辞めればいいんですよ。誰も彼らに面倒見てくれとは言ってないんですから」。民衆は役人のやり方を理解することはできても、役人はそれを理由にして不平を封ずるべきではありません。ですから、私はそういう文章は書けないと言いました。彼らはそれでも私に文章を書いてほしいと言いました。そして中国社会にこんなに多くの問題が発生しているけれど、円満な社会とは相互理解の社会だということを人民に分からせるような文章は書けないだろうかと言ったのです。私は、それならいいと言いました。ですが、国の安定はまず人民が安定することであり、人民を安定させるにはまず民生に配慮しなければなりません。もしある社会が全く民生に配慮しなければ、もし知識人が庶民の苦しみを見なければ、どうして民衆に理解を求めることができましょう? 私たちが本当の中国社会に近づくことによって、上海のような大都市のホワイトカラーの生活を離れることによって、皆さんは様々な不平が中国社会にあふれていることを感じることができます。みなさんがもし石首事件のビデオを見たら、数万の民衆がレンガ片を持って、怒りに燃えて武装警察隊と対峙している時に、私たちは彼らに向かって「君たち不平を言ってはいけない、政府を理解しなさい、君たちが我慢すればいいんですよ」と言えるでしょうか? できません。私たちは安易に民衆を分別がないと非難することはできません。必要なのは民衆がなぜ怒っているのか、なぜ街頭に出ているのか、なぜ武装警察隊と大胆にも対峙するのかを研究することです。また、社会の不正と腐敗を前にして、不平を言うことは民衆の一種の権利です。統治者あるいは学者たちには、民衆の不平を非難する権利はありません。むしろ、問題を改める方途を考え、民衆の不平が少なくなるようにしなければならないのです。
では、どうやったら民衆の不平が少なくなるのでしょう? 私は皆さんのヒントになりそうな二つのお話を紹介します。

第一个是有关河南洛阳一个老太太的故事。最近几年我在调查地下教会或者叫做家庭教会。去年,我到了河南的洛阳,在一个偏僻的农村,我见到一个家庭教会聚会点的联系人。她是一个老太太,这个老太太家里已经没有别的人了,就她一个人了。家庭非常的贫寒,什么都没有,但是她的家里却是一个聚会点。看到她老人家生活很艰难,我感到很辛酸,但她本人却非常乐观,总是笑容可掬。我对她讲:“你老人家生活这么艰难,每个礼拜天都要做这么的活动,而且你心里充满了快乐,心中永远那么释然,为什么呢?”她这么告诉我的,她说:“我当然快乐,因为我没有什么可担心的。你看一看天上飞的鸟都有生活,上帝那么关心它,难道上帝不关心我吗?”她说,我今天所面对的困难,所有的一切都是应该的,所以她不抱怨。这是一个真实的故事。这个老太太面对苦难所表现出来的态度,我在许多信仰宗教的民众那里都看到过,他们把现在和未来都交给了他们的上帝或神。
问题是,我们中国人的大多数并不信仰宗教,我们不知我们的上帝或神在什么地方。我们很少去思考人生终极的意义,我们更多的是现世主义者。因此,我们也就很难要求我们的民众从上帝或未来世界中去寻找到内心的和谐和平静。我们只能站在这个充满了不平的世俗世界,惊叹天上的飞鸟的快乐了。

一つ目は河南省洛陽のあるお婆さんの物語です。ここ数年私は地下教会もしくは家庭教会を調査しています。去年、私は河南省洛陽のとある辺鄙な農村に行き、ある家庭教会の集会所の連絡担当者に会いました。その人はお婆さんで、他に同居する人はなく、一人暮らしです。家は非常に貧しく、何もありませんが、その彼女の家が集会所になっているのです。お婆さんの生活の苦しさを見て、私はとても辛い気持ちになりました。ですが、彼女自身はとても楽観的で、いつもニコニコしています。私は彼女に「お婆さんは生活がこんなに苦しいのに、毎週日曜日にこういう活動をして、しかも幸せいっぱいで、いつものびのびしていられるのはなぜですか?」と聞きました。すると、彼女はこう答えました「私は何も心配することがないから、幸せです。空を飛ぶ鳥だってみな生活しているでしょ。神様は鳥にさえ心を配っているのに、私に心を配らないわけがないでしょ?」。彼女は、彼女が今日抱えている困難のすべては、当然のことだから不満はないと言っていました。これは本当の話です。このお婆さんが苦難に向かって示す態度を、私は多くの宗教を信仰する民衆の中に見てきました。彼らは現在と未来をどちらも彼らの神に差し出しているのです。
問題は、我々中国人のほとんどが不信心なので、神がどこにいるのか知らないことです。中国人のほとんどが人生の究極的な意義を考えない世俗主義者です。ですから、我々も民衆に対して神や未来の世界に内心の円満と平静を探すよう求めることはできません。我々はこの不正に満ちた世俗世界に生きているので、幸せそうに空を飛ぶ鳥を見ても感嘆するしかないのです。

第二个故事是我在台湾访问的经历。2004天我应邀到台湾去访问。台湾的邀请方给我的条件是在大学做一个演讲,然后可以进行15天的旅游、参观。当时我向邀请方提出一个要求,我说:“你能不能这样,我讲完后,你给我一张地图,你派一个司机,在派一个买单的,我说走什么地方就走什么地方行不行?”他们说,没有问题,你随便走。于是演讲完之后我从台北走到台南,我问所有见到的台湾老百姓一个问题。
“假如官员把你的房子拆了,怎么办?”99%的人回答说不可能,没有我的同意他怎么敢拆我的房子呢?只要这个房子是合法的房产当官的不敢的。我说假如拆了怎么办?他们会告诉我,到法院去告拆房的人,法官会依靠法律给我判决,而且是判他们赔很多钱。比如是合法并且是我同意拆是10万块钱赔偿,而不经过同意,法官就会判他赔100万。
我接着问:“假如法官不依法判决,怎么办?”人家又回答我说:“不可能”。我们的法官在很多问题可能腐败,但是只有我有明确的产权和证据,他不能也不敢腐败。
我接着问:“假如法官腐败了,怎么办?”他们会说,我找我的议员去告他。我的议员就会来进行调查,我的议员调查之后会就会开新闻发布会,我的议员就在议会提出建议,这个法官和这个政府官员麻烦就大了,他们呆不下去了,他们就完了。
我接着还问:“假如议员也腐败了,怎么办呢?”我一问到这个假如的时候,人家很讨厌我了,说你这个大陆人怎么那么多假如?没完没了的假如,议员再腐败,也会特别高兴管我这个事情。因为议员就是希望发生这个问题,因为有了这个问题,议员只要进行了调查,再经媒体一报道,这个议员就会成为英雄,成了英雄不仅可以当县议员、国会议员,最终还有可能成为阿扁。我说我不相信,议员也会腐败的,会不管你们的事的。他们说不会的,不信可以试一下。一般台湾的老百姓家里面有名片,收的最多的名片就是议员联系卡。我就要他们给议员打电话,一打电话,议员只要在不远的地方马上就会赶到。台湾的基层议员一来,一般都很兴奋,问遇到什么问题,都表示会为选民主持公道。
我接着还问:“假若议员就不是管你的事了,怎么办呢?”。台湾的老百姓告诉我,这很简单,下次选举时不投他的票,让他当不了议员就完了。
我在台湾的访问经历很短。却让我想了很多问题。台湾社会也许存在许多问题,但由于初步建立了民主制度,实现了威权体制向民主体制的转型,台湾老百姓对整个体制有一个基本的认同。他们也许对某个领导人或某个政党不满,有很多抱怨,但不会对整个体制不满,甚至想推翻它。其实我走过世界很多地方。在一些现代民主国家,民众对待我的问题都有基本相同的答案。今天为什么讲台湾,因为我们往往以许多理由,以我们的民族文化、宗教信仰来否定一个现代的社会制度。台湾跟我们有着一样的血缘,一样的文化,基本相同的文化,为什么台湾民众有那么多“不可能”,而我们却不是这样呢?我总结为四个方面。

もう一つのお話は、私が台湾を訪問した時の経験です。2004年に私は台湾に招待されました。台湾の招聘者が私に示した条件は大学で1回講演することだけで、それが終われば13日間の観光、視察ができます。当時私は招聘者に一つの条件を出しました。「私が話し終ったら、地図を1冊と、運転手を一人、それにお金を払う人を一人つけてもらって、自分で好きなところに行くというのはどうでしょう?」。彼は「いいですよ、ご自由に旅行してください」と言いました。そこで私は講演が終わってから、台北から台南に行きました。そこで私は会った人すべてに同じ質問をしました。
「もし役人があなたの家を壊したら、どうしますか?」。99%の人がそんなことはあり得ないと答えました。「私の同意なしに何で勝手に壊せるんだ? もしその家が合法的なものなら役人はそんなことできない」と言いました。私がもし壊したらどうするかを聞くと、彼らは裁判所に壊した人を訴えると言いました。「裁判官は法律に基づいて判決を下すし、多額の損害賠償を命ずる。例えば合法で同意の上の収用の場合に10万元の補償だったら、もし同意がなければ裁判官は100万元の損害賠償を命ずる」と言うのです。
私はさらに続けて、「もし裁判官が法律通り裁判をしなかったら、どうします?」と聞きました。人々はまた「あり得ない」と答えました。「我々の裁判官はいろいろ腐敗もあるかもしれないが、明確な財産権と証拠があれば裁判官は腐敗することはできません」。
私は続けて、「それでも裁判官が腐敗したら、どうします?」と聞きました。彼らは「議員に訴える。議員はやってきて調査し、調査が終わったら記者会見を開き、議会で提案を行うから、そうなったら裁判官と役人はまずいことになる。彼らは辞めなければならなくなる」。
私が続けて、「もし議員も腐敗したら、どうします?」と聞きました。私がこの質問をした時には、相手はすっかり嫌気がさして、「大陸から来たあんたは何でそんなにもしもが多いんだ? 議員はいくら腐敗してもこういう問題には関わりたがるもんだ。なぜなら議員にとってそういう問題が起きれば、調査して、メディアで報道されれば、その議員は英雄になれる。英雄になったら、県議会議員や国会議員になれる。そしてもしかしたら陳水扁にだってなれるかもしれない」と言いました。私は「信じられない、議員だって腐敗して、あなたの問題を取り上げないかもしれないじゃないか」と言いました。彼らは「あり得ない、信じないんだったら試してみよう」と言いました。ふつう台湾の民衆の家には名刺があり、その中には何枚も議員連絡カードがあります。私は彼らに議員に電話するよう求めました。電話すると、議員は遠くに行っていなければすぐに駆けつけてきました。台湾の末端議員は、皆とても興奮して、どんな問題があったのか聞き、有権者のために不正を正すと言いました。
私は続けて、「もし議員があなたの問題を取り上げなかったらどうします?」と聞きました。「簡単なことさ、次の選挙の時に彼に票を入れなければ、彼は議員を続けられなくなる」と台湾の民衆は答えました。
私の台湾訪問はごく短期間でしたが、多くの問題を考えさせられました。台湾社会には多くの問題があるかもしれませんが、権威主義体制から民主主義体制への移行が実現し、基本的に民主制度が確立しているので、台湾の民衆は体制全般に対して基本的に信頼しています。彼らはあるいは特定の指導者や特定の政党に対しては不満で、不平をたくさん言っているかもしれませんが、体制全般に対する不満ではなく、まして転覆などは考えていません。私が行ったことのある世界の多く民主主義国でも、私の質問に対する民衆の答えはほぼ似ています。今日なぜ台湾の話しをしたかと言うと、我々は民族文化とか、宗教など多くの理由をつけて、近代的な社会制度を否定しますが、台湾は我々と同じ血縁、同じ文化、ほぼ同じ文化を持っているからです。なぜこれほど多くの我々には当たり前のことを、台湾の民衆は「あり得ない」と言うのでしょう? 私はその為に必要な要素を4つにまとめました。
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なかなかパトカーがトラックの前に出られないので退屈な動画だが興味のある方はどうぞ。

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本日(3月28日)、外灘が33ヶ月ぶりに全面オープンした。
上海市の外灘地区総合改造計画による工事(黄浦江対岸の濱江まで通じるトンネル開通や護岸工事、壁面新設置など)がようやく完工し、本日セレモニーがおこなわれた。
南京東路と北京東路間のプロムナード(滨水平台)は以前より3m拡幅され、90cm高くなったそうだ。ここからの眺めが外灘最高のスポットとなっている。
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by officemei | 2010-03-28 18:14 | ■上海
“中国で最も美しい農村”と言われる「婺源」(日本語ではブゲンと読む)。
3月、菜の花が満開になり、屋根瓦の黒と白壁に菜の花が映えて見事な景色にうっとり。

阳春三月・江西婺源;
白墙黛瓦,小桥流水,青山绿湖,到处是桃红柳绿,金黄的油菜花正在盛开,挑檐黛瓦的徽派民居点缀其中,好一派国画般的意境。
置身其中闻着花香,听着鸟语,也是一番脱俗的享受。


江西省上饶市婺源县;

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by officemei | 2010-03-28 01:52 | ■江西
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by officemei | 2010-03-28 01:07 | ■上海
e0094583_2081445.gif今日(27日)の中国各紙は、2年前に外交問題にもなった「中国製ギョーザ中毒事件」の容疑者逮捕のニュースを報じた。
事件は中国製の冷凍ギョーザを食べた千葉、兵庫両県の3家族10人が中毒症状を訴え、内9人が入院したことで表面化。日中両国は自国での毒物混入の可能性を否定、中国側は捜査を打切ったが、その後、中国内でも同様の中毒症状を訴える事件が発生し事態が一変した。中国側は製造工場内で故意に混入された疑いありとして捜査を再開、今回の容疑者逮捕にいたる。

事件報道に関し、各メディアは当局からの独自取材を禁止され、国営新華社通信の配信記事(中国語記事参照)を使うよう通達が出された。したがって各紙まったく同じ内容の報道しか掲載していない。
このことは当局が事件報道を厳しい情報統制下に置いたことを示す。

事件の背景は、待遇上の不満にあったらしい、つまり鬱憤晴らし。
この鬱憤の背景は極端な貧富の格差にある。
出稼ぎ農民の待遇は劣悪で、頻繁に暴動が起こる。
社会構造が勝ち組と負け組みにはっきりと分かれ、勝ち組はますます強くなっていき、負け組みは永遠に這い上がれない。
このような社会構造下では反社会的行動が頻発し、やがて怨嗟の声が満ち、組織的暴動、反乱、革命に至ったのが中国史のこれまでのストーリーではないか。
この事件を単なる事件と見てはいけない・・・

出口日本饺子中毒案件;
2008年初,河北石家庄天洋食品厂出口到日本的饺子发生中毒事件后,中国政府高度重视,经过连续两年坚持不懈的努力,近日查明此次中毒事件是一起投毒案件,中国警方已将犯罪嫌疑人吕月庭抓捕归案。
中毒事件发生后,本着对两国消费者高度负责的态度,从全国抽调侦查、检验等各方面专家,成立了专案组。中国警方投入大量警力走访排查,克服了作案时间与案发时间相隔久、现场客观物证少等困难,开展了大量艰苦细致的侦破工作。现已查明,犯罪嫌疑人吕月庭(男,36岁,河北省井陉县人,原天洋食品厂临时工),因对天洋食品厂工资待遇及个别职工不满,为报复泄愤在饺子中投毒。吕月庭对投毒作案供认不讳。公安机关已提取到吕月庭作案用的注射器,并收集到大量的证人证言。


毒入り餃子;
毒入り餃子・その後;
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by officemei | 2010-03-27 20:00 | ■河北
總計,30年來,中國與全世界各國合作拍攝的影片達750部,香港占70%。合拍片大繁榮期的2001~2008年,中外合作電影數量達286部,其中香港占201部(70%)、台灣23部 (8%)、美國29部 (10%)。
以来30年、世界各国との共同制作は750作品に上り、そのうち香港との合作が7割を占める。2001~2008年には共同制作本数は286に達した。そのうち香港との合作が7割の201作品、台湾が23作品で8%、アメリカが29作品で10%となっている。

e0094583_1515437.jpg2009年10月26日,中製公司總經理張恂在台北舉行的第三屆海峽兩岸合拍電影座談會上,向台下躍躍欲試的台灣導演和製片們,說明中外合拍片的申請程序:首先,故事的發生地點沒有限制,但故事內容、人物要與大陸有關,而涉及色情、暴力、宗教、第三國名譽、貶損中國人形象、過於低俗、違反中國法律等情節應避免。其次,編劇是哪一國人也沒有限制,可以兩國合作,但主要演員,中方必須占三分之一以上。
2009年10月26日、合作公司の張恂総経理は台北で開かれた第3回海峡両岸合作映画座談会に出席し、台湾の映画関係者に合作条件を説明した。まず、物語の場所に制限はないが、内容や人物が中国大陸と関係があること。ポルノや暴力、宗教には触れず、第三国の名誉や中国人のイメージを損なうことがなく、過度に低俗でなく、中国の法律に触れないこと。外国人の脚本でも構わないが、主要な役者のうち中国人が3分の1以上を占めることが必要だ。

待劇本完成後,下一步就要尋找一家信譽良好的大陸製片公司合作(國營或民間皆可),雙方協商好投資比例、市場與版權分配後,向中製公司遞交完整劇本,中製公司會先審核劇本,如果情節不符規定,就送回修改,通過後才會核發拍攝許可證。影片拍攝完成後,還要再送電影局審查,許可後才能在大陸上映。
脚本が完成したら、大陸の信頼できる製作会社(国営・民営を問わない)と投資比率や売上・版権の分配を話し合い、合作公司に脚本を提出する。合作公司は脚本を審査し、規定に合わないところがあれば修正を求め、合格すれば撮影許可が下りる。製作完了後には電影局の審査を経て大陸で公開できる。

e0094583_15164524.jpg中國對合拍片進行劇本、影片審查的嚴格規定,讓不少台港創作者裹足不前。十多年前即進軍大陸的香港電影,也留下一個深刻的歷史議題:究竟合拍片是挽救了香港電影,還是扼殺了香港電影最令人稱道的多元類型與特色?
脚本や映像への審査が厳しいため、香港や台湾の少なからぬ創作者は二の足を踏んでいる。十数年前に大陸に進出した香港映画界には、大きな歴史的テーマが残された。
中国との共同制作は香港映画を救ったのか、それとも香港映画の多様性と特色を消してしまったのか、というものだ。

2003年6月,中國與香港政府簽署「建立更緊密經貿關係的安排」(CEPA),其中涉及電影產業鏈的部分,包括:香港拍攝的華語片可以不受進口片配額限制,在中國發行;香港與中國合拍片可視為中國「國產片」,在大陸發行;香港公司可以在中國以合資、合作方式投資興建電影院,也可控股經營。]
2003年6月に中国大陸と香港が締結した経済貿易緊密化協定(CEPA)の中には映画産業に関する項目がある。それによると、香港で制作した華語作品は輸入枠の制限を受けず、中国と香港の共同制作作品は国産映画と見なし、香港企業は中国との合弁などにより映画館への投資経営が可能である。

e0094583_15174717.jpg2005年1月又進一步允許香港可以在中國設立獨資公司,發行國產影片。種種措施都為香港電影融入中國打開一道方便門。
2005年1月、さらに進んで、香港人は大陸で国産映画を配給する独立資本の会社を設置できることとなった。これらの措置により、香港映画が中国に入りこむ道が大きく開かれた。

北京清華大學新聞與傳播學院教授尹鴻在「走向後合拍時代的華語電影」一文中分析,30年來中港雙方從「各取所需、合作活躍、共臨危機到互補共贏」,電影資源早已全面融合,重心也悄悄位移。
北京清華大学新聞伝播学院の尹鴻教授は「ポスト共同制作時代の華語映画」という文章でこう述べている。30年来、中国と香港は、それぞれの需要から共同制作を開始し、共に危機を乗り越え、相互補完によって双方が利益を得るようになった。映画資源はすでに全面的に融合し、重心は移りつつある。

例如早幾年香港明星「一統天下」的局面開始改變,中國新一代女明星如周迅、張靜初、徐靜蕾、范冰冰等,都在合拍片中獨挑大樑。2005年之後,中港每年合拍片數量都在30部以上,幾乎是香港電影年產量的一半,純粹的「本土」港片越來越少了。
2009年10月下旬新聞局主辦的「華語電影製片論壇」上,邀來了香港監製吳思遠和導演陳可辛,與台灣電影人分享「合拍片」的心得。

例えば、数年前までは香港スターの天下だったが、最近は、周迅、張静初、徐静蕾、范冰冰といった中国の新世代の女優が主演するようになった。2005年以降は毎年30作品以上が香港と共同制作されており、それは香港の映画生産量の半分に相当する。
2009年10月下旬、台湾の新聞局が主催した「華語映画製作フォーラム」には、香港のプロデューサー呉思遠と監督の陳可辛(ピーター・チャン)が招かれ、共同制作の経験を語った。

「香港電影一直都有個致命傷,人口不過700萬,就算一半人都進電影院,也成不了氣候,我們非常需要海外市場。」吳思遠說,20年前香港電影業還如日中天時,他心裡就很明白,如果不去開拓大陸市場,只有死路一條。
人口700万人の香港市場には限界があると呉思遠は語る。20年前の香港映画の最盛期でも、彼は大陸市場を開拓しなければ将来はないと考えていた。

已經在大陸投資7家電影院的吳思遠,形容大陸電影市場近幾年的變化,「不像氫彈,也像炸彈。」看電影是30歲以下年輕人的社交活動,企業也會團體「包場」讓員工來放鬆一下,他的電影院就發行每張1,000元人民幣的儲值卡,過年過節都可以賣出上百萬元人民幣,很多人都把儲值卡當成禮物贈送。
大陸で映画館7軒に投資している呉思遠によると、大陸の若者にとって映画鑑賞は社交であり、企業が貸切りにして社員に提供することもあるという。1000元の映画プリペイドカードも正月などには贈答品として100万元も売れる。

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1998年因受到美國大導演史蒂芬‧史匹柏賞識,到好萊塢拍攝《情書》的陳可辛,轉了一大圈,2000年又回到亞洲。當時陳可辛觀察大陸情勢,認為自己不太拍古裝、虛幻題材,而現代故事又有太多禁忌,轉而興起以「筷子文化」為號召,串聯日、韓、泰、台、港等3億人口的「泛亞洲」力量。他跑了很多國家,說服片商投資亞洲新導演,監製了《十二夜》、《春逝》、《晚孃》等十多部電影,結果卻賠得很慘,只有《見鬼》、《三更》等鬼魅片賣座,還一連拍了好幾部續集。

1998年にスピルバーグに認められてハリウッドで『ラブレター』を撮った陳可辛は、大陸市場も観察したが、自分は時代物は撮れないし、現代の物語では制限が多すぎると考え「箸の文化圏」、日本、韓国、タイ、台湾、香港の人口3億人を市場に、新人監督に投資するよう映画会社を説得したが、ヒットしたのはホラーの『見鬼』と『三更』のみだった。


e0094583_154153.jpg「鬼片來來回回就是那幾招,想不出更有新意的故事,」陳可辛說。後來因有片商想拍歌舞片,他才真正進入大陸拍片,2003年以《如果愛》得到台灣金馬獎最佳導演;之後又完成《投名狀》,而監製的新片《十月圍城》也將在年底上映。
その後、大陸でミュージカルの撮影を開始する。2003年に『如果・愛』で台湾の金馬賞最優秀監督賞を取り、さらに『投名状(ウォーロード/男たちの誓い)』を制作、年末には『十月囲城』が公開される。

相較於台、港觀眾因年齡或社經地位喜好差異,形成分眾結構,並不利於電影行銷;目前大陸電影沒有分級,仍屬於大眾娛樂。
台湾や香港の市場は分衆化されているが、大陸市場は大きな大衆マーケットである。

陳可辛導演說,電影在香港首映、8位明星出席的盛會,香港媒體永遠只注意哪位明星的手和誰拉在一起等八卦,別說劇情,連片名都不見得會拍到,因此在香港作宣傳沒有太大用處。而大陸觀眾仍把電影視為催化社會進步的文化利器,媒體常常是5-6版製作專題,深入介紹。現在他每個禮拜從香港飛北京,都是為了宣傳,幾乎每隔幾天就會將新片消息掛上新浪網頭條,在大陸媒體對電影仍有高度理想和期待時,要好好利用這種氛圍。
陳可辛によると、香港では映画製作の記者会見を開いても、俳優のスキャンダルばかりが報道されるが、大陸では映画は社会の進歩を促す文化とされているので、大きく扱われ、メディアも映画に大きな理想と期待を抱いているという。

在「前進大陸」與「固守香港」的得失之間,有學者認為,香港電影為「迎合」中國市場需求,一向擅長的鬼片、殭屍片、色情片、搞笑片、警匪槍戰、幫派廝殺等類型電影,越拍越少,對創意是一大箝制;但不少務實的香港人則認為,生存更重要。
「大陸進出」と「香港固守」との間で、香港映画は大陸市場に迎合しているという分析もある。かつて得意だったホラーやコメディ、警察物、マフィア物が減っているが、香港人は生存の方が重要だと考える。

「即使真的扼殺了香港電影特色,也沒辦法,沒有市場就沒有生存空間,不是大陸扼殺你,就是被好萊塢扼殺,但至少在大陸拍片,還能用華語創作,」陳可辛說。
陳可辛も、香港映画の特色が消えたとしても、市場を失うより生き残り、華語映画を作れる方が良いと考えている。

對於創作者很在乎的影片審查,陳可辛的實戰經驗是,很多審查意見想都想不到,例如主角的正邪黑白個性就要很分明,「大陸和好萊塢影片透露出的意識型態幾乎是同一個鼻孔,結局一定是好人勝利、壞人得死!」這不光是審查標準,也可能是順應「民情」。
大陸の審査制度について陳可辛は、思いがけないことを指摘されると言う。例えば、登場人物は、善悪の役柄が明確に別れていなければならない。この点では中国の考え方はハリウッドと一致していて、必ず正義が勝ち、悪は死ぬのである。これは審査というより民情なのかも知れないと語る。

不過,在《投名狀》中,陳可辛就硬要「和觀眾『擰』到底,讓大陸觀眾看了很彆扭。」改編自清代四大奇案之一「刺馬」的《投名狀》,敘述義結金蘭三兄弟的恩義糾葛,其中飾演大哥的李連杰到底是好人還是壞人?讓觀眾很費疑猜。
「為了人民,李連杰跪求慈禧太后減稅;但竟又做出殺死自己兄弟和弟媳婦的事,」陳可辛說,《投名狀》是一部黑社會幫派片,算是「借屍還魂」成功!
ただ『投名状』の中で陳可辛は最後まで粘った。義兄弟3人の友情と葛藤の物語なのだが、その一人のジェット・リーが演じる長兄が善人なのか悪人なのか、観客は最後まで悩み続ける。庶民のために土下座したかと思うと、自分の兄弟を殺すという人物である。この作品は、実は時代物の姿を借りたマフィア映画なのだと陳は言う。

身為人父的陳可辛坦承,很多電影他也不會帶女兒去看;同樣的,大陸官員認為他們就是老百姓的爸媽,審查都是「為觀眾好」,也因為中國太大,水平很難控制,就給觀眾看得懂的東西吧,「別太多思考」。
父親である陳可辛にとっては、娘に見せたくない映画もたくさんあり、大陸の官僚も、そういう思いで審査しているのだろうと語る。また中国では観客のレベルもさまざまなため、あまり考えさせるものは好まれないのだとも考えられる。

e0094583_1563693.jpg為了「適應」大陸審查制度,靈活的香港人就將警匪片(如講警察緝毒的《門徒》)剪出粵語版和國語版兩種不同結局。
不過,「這幾年大陸審查越來越開放,前幾年像《瘋狂的賽車》、《風聲》、《南京!南京!》這種內容暴力血腥的電影,很難通過,現在也過了,」陳可辛說。

審査制度について呉思遠は、イデオロギー色を帯びた作品には厳しく、今後一挙に開放されることはないが、それでも相手を知り、市場を確保しなければならないと語る。
大陸の審査制度に対応するために、香港人は警察物の映画『門徒(プロテージ)』で、結末の異なる広東語版と北京語版の二つを作った。
だが、それでも検閲の基準は緩和されつつあり、数年前なら認められなかった暴力や血なまぐさいシーンのある作品も認められるようになった。

對於審查制度,吳思遠認為,「大陸對於帶有意識型態的電影,關口卡得非常緊,只會慢慢開放,不可能一步到位。但即使電檢的改革步伐慢一點,仍要認識、占領這個市場。」
香港電影人的共同意見是,大陸目前的電檢其實是一種談判,有退一步、進一步的空間。

香港の映画関係者は、現在の大陸の審査は一種の交渉で、一歩譲れば一歩前進できる空間があると感じている。

e0094583_1575973.jpg《赤壁》監製張家振送審影片時,電影局看過後表示,張震和林志玲的「口條」(指說話口音)不像中國人,要重新配音。後來因林志玲自己覺得她的聲音太稚嫩,還是配音吧,而張震就在溝通後維持原狀。
張家振によると『赤壁(レッドクリフ)』の審査では、張震と林志玲の発音が中国人らしくないため再録音が必要と指摘された。林志玲は自分の声が幼すぎると感じて録り直しに同意し、張震の部分は交渉の末、そのまま生かすことにした。

當然,不見得溝通就一定有效。以10月上片、華裔導演李巨源拍攝的《窈窕紳士》為例,敘述一名到上海開設廣告公司的台灣女老闆,費心將大陸科技暴發戶改造成紳士的故事,其中一段在辦公室開會煙霧瀰漫的畫面,電影局表示,「我們開會不吸煙的,要剪掉!」明知這不是實情的張家振,也只能聽命行事。
もちろん交渉では変えられないこともある。10月に公開された李巨源監督の『窈窕紳士』は、上海の台湾人女性社長が、急に財をなしたハイテク企業社長を紳士に改造するという物語だが、煙草の煙が充満した会議のシーンがあり、その部分のカットが要求された。

在電影這個強調新創意、新題材的娛樂行業,求才借將往往可以出奇致勝。當中國企圖將電影業打造成另一個好萊塢時,也必須不斷吸收優秀人才,為電影注入新鮮養分,以壯大聲勢。而晚發後至的台灣電影人,如今前進大陸,有何需要磨合之處?
「輸入台灣電影人並不難。香港可以適應,台灣怎麼不能?一張桌子中國人、台灣人、香港人坐下來,肯定是台灣人和中國人先聊起來,拋下我們香港人;香港和中國的文化差異更大呢!」陳可辛說。

大陸進出が遅れた台湾の映画人は、適応できるだろうか。
台湾人が適応できないはずはないと陳可辛は言う。「中国人と台湾人と香港人が一緒にいたら、まずおしゃべりを始めるのは中国人と台湾人でしょう。香港の方が文化的ギャップが大きいのです」と言う。

e0094583_1595687.jpg「香港人才有斷層危機,這幾年幾乎很少看見新導演竄出頭,台灣新導演則是人才輩出。」資深香港製片人張家振除了擔任蘇照彬《劍雨江湖》和台灣新導演程孝澤《近在咫尺》的監製外,也在籌備《聽說》導演鄭芬芬的新片。
ここ数年、香港では新人監督が生まれていないが、台湾では次々と出て来ていると指摘するのは張家振だ。張は蘇照彬の『剣雨江湖』と台湾の新人監督程孝沢の『近在咫尺』をプロデュースし、鄭芬芬の『聴説』も準備している。

中國保利博納公司的策略則是港、台多方押寶,除了投資陳可辛監製的《十月圍城》,以及接下來籌備的新片《血滴子》、《鍾魁》等,獲得2009年金馬獎9項提名的《如夢》,由旅澳華裔導演羅卓瑤和台灣吉光電影公司合作,也是保利博納的投資標的之一。
中国の保利博納公司の戦略は、香港・台湾に多くの種をまくというもので、陳可辛の『十月囲城』に続いて『血滴子』や『鍾魁』、それに2009年の金馬賞にノミネートされた『如夢』などにも投資している。

e0094583_15111359.jpg「台灣是美國片在海外的第9大市場,總票房有10億人民幣(約合新台幣49億元),消費力夠,只是本土片沒有站穩腳步。相較於香港的中產階級多接受西式教育,台灣對中華文化的理解超過香港,底蘊深。」于冬認為,在華語市場興起的大趨勢下,台灣、香港都應努力尋找能覆蓋華語區的大題材,將中國電影推上更高的高度,同蒙其利。
「台湾はアメリカ映画にとって世界第9位の市場で、売上は10億人民元(約49億台湾ドル)ですが、地元の台湾映画の市場は安定していません。香港の中間所得層が西洋教育を受けているのに比べ、台湾は中華文化の基礎が深いと言えます」と話す于冬は、華語市場の興隆の下、台湾も香港も中華圏全体に通用するテーマを見せれば、共に中国映画をより高めていくことができると考えている。

票房連創佳績的中國華誼兄弟公司,在「十‧一」黃金周以諜報片《風聲》,和官方宣傳意味濃厚的「主旋律」電影《建國大業》正面對決,《風聲》的導演,就是睽違7年沒有新作的台灣中生代導演陳國富。
業績好調の中国の華誼兄弟公司は、国慶節の長期休暇に『風声』を打ち出し、政府宣伝色の濃い『建国大業』にぶつけた。『風声』の監督は、7年ぶりにメガホンを執った台湾の陳国富である。

e0094583_15115095.jpg「《風聲》改變了華誼的電影語言,」一向被大陸媒體批評只靠大陸導演馮小剛獨撐大局的華誼兄弟總裁王中磊表示,「透過這部電影,我想實現的東西特別多,它是新類型片、由兩名在內地尚未有票房保證的導演掌鏡(陳國富和高群書),起用的也是華誼簽約的藝人。」王中磊稱讚陳國富的導演功力,很能掌握商業電影的元素,又帶有文藝氣,結果上映一個月,大陸票房就破2億人民幣。
これまで大陸の馮小剛監督に頼ってきた華誼の王中磊総裁は「『風声』は当社の映画言語を変えました」と語る。新しいタイプの作品で、大陸での実績がない陳国富と高群書に作品を任せたが、王中磊は、商業映画の要素を掌握しつつ芸術性も出す陳国富監督の実力を称賛する。同作品は1ヶ月で2億人民元の業績をあげた。

「20年前香港是亞洲電影中心,但現在看來也帶來負面影響,香港作品形式太偏警匪黑幫、功夫、無俚頭式喜劇等,缺乏足夠的人文深度和歷史感。」王中磊比較,香港電影人是中國影業可以合作的製作團隊,但不會是電影創作的主導者,因為現在市場在中國,要為內地觀眾服務,在這個文化背景下,台灣與內地的文化吻合度比較接近。
「20年前、香港はアジア映画の中心でしたが、今は良くありません。警察とマフィアの対決、カンフー、ナンセンスコメディなどに偏っていて、文化や歴史的な深みが感じられません」と王中磊は言う。香港は協力できる製作チームだが、創作の主導者ではないと王中磊は言う。中国市場の持つ文化的背景という点では、台湾人の方がふさわしいのである。

e0094583_15131813.jpg展望新局,2009年好萊塢大片《變形金剛2》在行銷宣傳尚不如《建國大業》的撲天蓋地之下,竟奪下5億元人民幣的最高票房,讓中國影業備感壓力與危機,中國政府還能堅守外片配額多久?未來幾年中國電影的黃金年代,也將是華語電影匯集能量的關鍵期,開發新導演、多方嘗試不同的故事和類型,為未來戰局做好準備,將中港台的電影文化「熔」於大銀幕中,就是努力方向。
2009年、ハリウッドの大作『トランスフォーマー2』が、圧倒的な宣伝を行なった『建国大業』を超えて興行成績5億元でトップとなり、業界は大きな圧力を感じた。中国政府は外国映画の輸入枠を守りきれるだろうか。今後数年の黄金時代は中国・香港・台湾が総力をあげるべき時機と言える。新しい監督を育て、さまざまなタイプの作品を試み、力を合わせていかなければならない。

經濟全球化必然帶來文化全球化,華語電影的出路,在於凝聚文化優勢,而不是重蹈中港台合作初期那種「台灣資金、香港製片、中國人文地景和廉價勞力」的短視模式,只有以有容乃大的氣度,博各家之長,展現文化魅力,才能贏得更多觀眾掌聲和共鳴。
グローバル化は文化も同じである。かつてのように「台湾の資金、香港のプロデュース、中国の景観と労働力」という短視眼的な協力ではなく、より大きな視野で文化の魅力を発揮していかなければならない。

e0094583_15141395.jpg而電影作為兩岸三地文化理解、文化調和的角色,更是日漸清晰。大陸觀眾也許很難明白台味十足的《海角七號》中,台灣民眾對日本殖民愛恨交織的特殊情感;明 (2010) 年初中國政令宣傳片《建國大業》也將來台上映,台灣觀眾又將如何看待中國對1949年國共內戰「一廂情願的歷史詮釋」?但至少,透過銀幕的密集交會,兩岸電影不只是看到金光閃閃的票房數字,也能看到文化鴻溝逐漸拉近、在大銀幕上共創「夢」工廠的可能性。
映画は、中国・香港・台湾の文化的な相互理解と調和においても大きな役割を果たしつつある。大陸の観客は、台湾の『海角七号(Cape No.7)』を見て、なぜ台湾人が日本の植民地時代に特殊な感情を抱くのか理解に苦しむであろう。一方、2010年には中国のプロパガンダ作品『建国大業』が台湾でも上映される。台湾の人々は、1949年までの国共内戦に対する中国の「一方的な解釈」をどう読み取るのだろう。いずれにせよ、両岸の共同制作は輝かしい興行成績を意味するだけでなく、文化的な溝が少しずつ縮まり、共に作る「夢」の可能性を示してくれることだろう。
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金融海嘯襲擊全球的低迷時刻,哪一個產業的成長率竟能奇蹟式地勁揚30%?
答案是中國電影業。

金融危機以来、世界経済が低迷する中で30%の成長率を見せる産業とは何か。
答えは、中国の映画産業である。

大陸民眾的平均年薪只有二萬多元人民幣,影視產品盜版猖獗,北京、上海的電影院票價高達60~70元人民幣,比香港、台北還貴。
中国大陸の平均年収は2万人民元余に過ぎず、海賊版が溢れているにもかかわらず、北京や上海の映画館のチケットは1枚60~70元、香港や台北よりも高い。

在所有產業慘淡經營的2008年,大陸電影票房竟出現「井噴式」的火熱演出,創下人民幣43億元的驚人紀錄,2009年更可能突破60億人民幣。
あらゆる産業が低迷した2008年、中国大陸の映画興行収入は43億人民元に達した。2009年は60億人民元を超えると見られている。

電影界人士解釋,正因為年輕人買不起車子、房子,但是花數十元人民幣就可以進電影院享受一場聲光娛樂,中產階級消費力崛起,造就了龐大的內需市場。
映画関係者によると、中国の若い世代は、車や家は買えないが映画は楽しめるというので人気があり、中間所得層の購買力が高まって内需市場が成長してきたという。

e0094583_1119748.jpg事實上,今日中國大陸的電影榮景幾經轉折,得來不易。
二十多年前,主導製片的中共國營電影製片廠出現嚴重虧損,1982年中國人大副委員長廖承志提議,向香港借將,找來張鑫炎導演,由國家體委會借調18名武術人才協助拍攝功夫片《少林寺》,上映後風靡了中國、香港、東南亞等華語市場,更造就了初登銀幕的李連杰成為一代巨星,從此拉開中國與香港合作拍片的序幕;李翰祥的宮廷歷史大片《火燒圓明園》、《垂簾聽政》也是在這種氣氛下誕生的作品。

だが、中国の映画市場はこれまで常に順調に成長してきたわけではない。
20余年前、映画製作を主導する国営電影製片廠は大きな赤字を抱えていた。1982年、人民大会副委員長の廖承志の提案により、香港から張鑫炎監督を招き、国家体育委員会から武術選手18人を集めてカンフー映画『少林寺』を制作した。これが中国や香港、東南アジアの華語市場で大ヒットした。初めて映画に出演した李連杰(ジェット・リー)は一躍大スターになり、また中国・香港共同制作のブームに火をつけることとなった。

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風水輪流轉,1997年香港回歸前夕,香港電影業因一味搶錢、粗製濫造、黑道介入等複雜因素,導致「亞洲好萊塢」的盛名急轉直下,市場逐漸被西片佔據。中國也適時祭出合拍大利多,香港電影人湧進大陸拍片,找到春天。

時代は変わり、1997年の香港返還が近付いた頃、香港の映画産業は儲け主義の粗製乱造、マフィア介入といった状況に陥り、「アジアのハリウッド」の名は地に堕ち、市場は洋画が主流となる。こうした中で、中国は共同制作を働きかけ、香港の映画関係者の多くが中国で活動することとなる。

現在,華語電影又來到了大轉折的路口,兩岸電影業在目前政治大和諧的時刻,無不期望透過合作拍片,共榮華語電影。然而,中國大、台灣小,兩岸電影文化的優勢如何互補?
現在、華語映画は再び大きな十字路にさしかかっている。台湾海峡両岸の映画産業は、政治的な緊張緩和に伴い、共同制作による繁栄を期待している。映画文化における両岸の優位性はそれぞれどこにあり、どのような相互補完が可能なのだろう。

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北京京承高速公路往東北方向一小時車程外的北七家出口,郊外的寶隆服飾公司是中國大型古裝電影服裝製作的大本營,尋常的工廠外表並不特殊,室內走道的牆上掛著《英雄》、《滿城盡帶黃金甲》、《十面埋伏》等大型海報,訴說著光榮戰績,來自台灣的導演蘇照彬正在和日本造型設計師和田惠美討論新戲《劍雨江湖》劇中人物的服裝造型。

北京の京承高速道路を北東へ1時間ほど行った北七家、ここの宝隆服飾公司は時代劇の衣装製作の本拠地だ。中に入ると『英雄(HERO)』『満城尽帯黄金甲(王妃の紋章)』それに『十面埋伏(Lovers)』などのポスターが貼ってあり、その実績を物語っている。台湾の映画監督・蘇照彬と日本人デザイナーのワダエミが新作『剣雨江湖』の衣装について話し合っている。


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10月底新片已在上海開鏡的蘇照彬,正緊鑼密鼓地籌備前製定裝作業,和田老師所繪的一本厚厚彩色草圖攤開在桌上,化妝師在旁為演員戴頭套、打粉,「臉上來個刀疤,」他說,等會換上戲服後,再看看整體感覺。

10月末に上海で撮影を開始した蘇照彬は、ワダエミが用意した分厚いデザイン画をテーブルに広げる。傍らではメイク担当者が俳優にかつらをつけている。「顔に傷をつけてくれ」と蘇照彬は指示し、衣装を着せて全体の感じを見る。

1985年因日本導演黑澤明作品《亂》而榮獲美國奧斯卡獎最佳造型設計獎的和田老師,是近幾年中國大型古裝片的主力設計師,當年拍攝《亂》片,籌備3年;此次8月中才拿到《劍雨江湖》劇本的和田老師,深感時間緊迫,但仍為劇中的殺手、俠士、官宦人家、百姓等設計出七十多套華麗服裝,簡單的大色塊藍布與紅布,極簡的東方設計,深具視覺效果。
1985年に黒沢明監督の『乱』でアカデミー賞最優秀衣装デザイン賞を受賞したデザイナーのワダエミは、ここ数年は中国の時代劇映画の衣装に力を注いでいる。『乱』の撮影には3年の準備期間があったが、『剣雨江湖』の脚本を手にしたのはこの8月で、慌ただしいスケジュールである。それでも刺客や侠客、宦官、庶民などのために70余りの華麗な衣装をデザインしてきた。シンプルな青や赤の生地を用いた東洋的なデザインは視覚効果を持つ。

e0094583_1131447.jpg《劍雨江湖》是典型的亞洲跨文化合作,工作現場國語、廣東話、日語、英語混合使用,攝影師黃永恒、武術指導董瑋,以及其他基本製作班底多為香港人,這是蘇照彬繼2005年的驚悚片《詭絲》後另一部更大型製作。
『剣雨江湖』はアジア各国による共同制作で、現場では北京語、広東語、日本語、英語などが飛び交う。カメラマンの黄永恒、武術指導の董瑋、それに基本クルーは香港人が中心だ。蘇照彬にとっては2005年の『詭絲(シルク)』以来の作品で、規模はずっと大きい。

兩年前蘇照彬應華裔導演吳宇森的製片張家振之邀,希望為馬來西亞女星楊紫瓊量身打造一齣武俠片。劇情敘述一位武功高強的女殺手想金盆洗手,易容改裝過起平民百姓生活,她在小鎮上結識一位純樸樂觀的男子,一心想過著與世無爭的日子時,江湖各路人馬卻不放過她,因為她擁有人人都覬覦、可練成絕世武功的達摩遺體,於是一場腥風血雨的殺戮就此展開。

e0094583_1135910.jpg2年前、蘇照彬は呉宇森(ジョン・ウー)監督のプロデューサーである張家振に招かれ、マレーシアの楊紫瓊(ミシェル・ヨー)のために武侠映画を製作することになった。物語はこうだ。女刺客は、その世界から足を洗おうと思い、姿を変えて庶民の生活を始める。町で純朴で楽観的な男性と知り合い、穏やかな日々を送りたいと思うが、江湖は彼女を見逃してくれない。彼女は、絶大な術を身につけられる達磨の遺体を持っているからであり、それを狙っての殺戮が始まる。

張家振找到中國小馬奔騰公司、香港寰亞公司,以及台灣三立電視、遊戲橘子公司共同投資,成本1,150萬美金(約合新台幣3.7億元)。卡司除了楊紫瓊,還有台灣的大S、戴立忍、張震,港星于文樂,中國王學祈,韓星鄭雨盛等人,是一部劇情懸疑、娛樂性高的武俠片。
張家振は、中国の小馬奔騰公司、香港のメディア・アジア、台湾の三立テレビと遊戯橘子などに共同出資を持ちかけて1150万米ドル(約3.7億台湾ドル)の資金を集めた。キャストは楊紫瓊の他に台湾の大Sと小S、戴立忍、張震、香港の于文楽、中国の王学祈、韓国の鄭雨盛などで、サスペンスに満ちた武侠映画である。

身為《劍雨江湖》製作團隊中唯一一位來自台灣的電影人,又肩負導演的成敗重任,蘇照彬的思考很簡單,「台灣太久沒有拍過大型古裝片,兩岸製作條件差異太大。」他比較說,在上海和浙江橫店影視基地拍戲的成本約是台灣的五分之一,「中國的道具和服裝製作夠專業,人力與物力的優勢明顯,我想繼續走導演路,來中國拍片,路線可能更寬廣。」
『剣雨江湖』製作側で唯一の台湾人である蘇照彬は「台湾では長いこと大型の時代物は製作していませんし、両岸の製作条件は大きく違います」と言う。その話によると、上海と浙江省横店の撮影所での撮影コストは台湾の約5分の1ですむ。「中国では道具や衣装の製作が非常に専門的で、人手も物も十分そろっています。今後も監督を続けるなら、中国で製作した方が道はより広がると思います」

「好戲需要大舞台!」中國上海社科院研究員花建在《文化+創意=財富》一書中的這句話,最足以形容目前中國的電影現況。中國的電影舞台有多大呢?
「優れた芝居には大きな舞台が必要である」と、中国上海社会科学院の花建研究員は著書『文化+創意=財富』の中で中国映画の現状を言い切っている。中国の映画の舞台は、どれほど大きいのだろうか。

1993年,中國廣電總局開始進行一連串電影改革:首先是國產片由原本的國營中影公司統一發行,改為由各製片廠與地方發行單位自行決定,讓民間參與;1996年開放民間企業、社會團體和公民以贊助或投資方式參與電影製作;2000年開放中外合資經營電影院,但中方投資比例不得低於51%;2003年允許外資進入中國製片業等。
1993年、中国広播電影電視総局が映画改革を開始した。まず、それまで国産映画がすべて国営の中国電影公司によって配給されていたのを改め、民間の映画会社や配給機関が自由に配給できようにした。1996年には、民間の企業や団体、一般国民が映画製作に出資することが認められる。2000年、外国企業との合弁による映画館経営が自由化され(中国側の出資額は51%以上)、2003年には外国資本が中国での映画製作に加わることが認められた。

e0094583_11402952.jpg政策的開放,讓民間看到了投資機會,中國電影產量也從2001年前平均每年100部的歷史徘徊數字,2004年突破200部,2007年再翻一倍,增加到400部,至今一直維持在這個高檔數字。
これらの自由化により、民間は投資機会を得た。中国映画は2001年までは年間100作品程度だったのが、2004年には200本を突破、2007年には400本まで増加し、その後も高い水準を維持している。

電影票房收入更是大幅成長,2003年SARS疫情蔓延時,中國戲院停映3個月,全年票房只有10億元人民幣(張藝謀的《英雄》一片就囊括2.5億元);但之後每年以平均增加5-6億元人民幣的速度上升,2008年中國電影業傲視其他電子與傳產業,成長幅度30%,來到43億元人民幣,短短6年,電影票房翻了4倍多。
不少人預估,不出10年,中國將成為全球最大的單一電影市場。

興行収入も大幅に成長した。2003年のSARS流行時には中国の映画館は3ヶ月営業を停止し、年間の興行収入は10億人民元(そのうち張芸謀の『英雄』が2.5億)にとどまったが、その後は毎年5~6億元ずつ増え続け、2008年には他の産業の低迷を余所に、30%の成長を遂げて43億人民元に達した。わずか6年で4倍まで増えたのである。多くの人は、10年以内に中国は世界最大の映画市場になると見ている。

「未來3-5年將是中國電影的黃金時代,票房一定突破百億人民幣,現在還只是起步階段,」2002年成為民間第一家拿到電影發行經營許可證的中國保利博納公司總裁于冬信心滿滿的說,美國三億多人,電影院有三萬多廳,每年片量六百多部;大陸若以現在一年平均增加600塊銀幕的速度來計算,2009年底可達到4,600塊,以1979年中國的觀影人次曾達9億人來估算(當時票價一毛錢),至少還有10倍的成長空間!
「今後3~5年は中国映画の黄金時代となり、興行収入は100億人民元を突破するはずです」と話すのは、2002年に民間企業として初めて映画配給権を得た保利博納公司の于冬総裁だ。アメリカは人口3億人で映画館は3万軒、毎年600本余りが配給されている。中国の劇場は現在、年間600スクリーンのスピードで増加しており、2009年末には4600スクリーンに達する。1979年の映画館入場者数がのべ9億人(当時の入場券は1枚0.1人民元)だったことから計算すると、まだ10倍は成長すると見られる。

e0094583_11393411.jpg除了大量投資興建電影院外,中國電影市場不像台灣、香港,無所限制地開放外片進口,任憑市場被好萊塢電影霸占;2001年底WTO敲開大陸國門,迫使中國開放外片進口,但至今一年也只有50部配額,其中美國片不得超過20部,國產片因被保護仍有利基。
中国の映画市場は台湾や香港のそれとは異なり、ハリウッド映画を含めて外国映画の配給には制限が設けられている。2001年末、WTOは中国に外国映画への門戸を開くよう要求したが、今も年間50作品までと制限がある。中でもハリウッド映画は年間20本までとし、国産映画が保護されている。

以觀眾喜好程度來看,讓港台電影業稱羨的是,民族意識高漲的大陸觀眾竟然不愛好萊塢,最愛國產片。2004年票房冠軍──張藝謀導演的《十面埋伏》(1.53億人民幣),打敗《魔戒3》(8,633萬人民幣);2006年《黃金甲》(2.3億人民幣)也超越好萊塢大片《達文西密碼》(1億人民幣)。
香港や台湾の映画関係者がうらやましがるのは、民族意識の高い中国ではハリウッド映画はあまり好まれず、国産映画に人気があるという点だ。2004年の興行成績トップは張芸謀の『十面埋伏』で1.53億人民元、『ロード・オブ・ザ・リング』の8633万人民元を上回り、2006年は『満城尽帯黄金甲』の2.3億元が『ダ・ヴィンチ・コード』の1億元を上回った。

不過,好萊塢勢力不容小覷。若以入關前後為分界點,2001年前每年不過進口10部美國電影,就已占據中國票房的半壁江山,當時中國電影資金少、設備陳舊、人才缺乏、產業機制不成熟,根本不是好萊塢的對手。但隨著改革深化,由計畫經濟走向市場,吸納各方人才,2003年大陸國片票房首次超越進口片(占55%),至今維持五五波態勢。
だが、ハリウッドの力を軽んじることはできない。WTO加盟を分岐点とすると、2001年まではアメリカ映画は10作品までと限られていたが、それでも市場の半分を占めていた。当時は中国映画の制作資金は少なく、人材も不足し、制度も未整備でハリウッド映画には歯が立たなかったのである。だが、改革が進むに連れて人材が集まり始めた。2003年に国産映画の興行成績は初めて外国映画を上回って55%を占め、今もこの数字を維持している。

e0094583_11373117.jpg值得深究的是,從2003年開始,「合拍片」就是大陸電影市場的「主打」產品。
2006年在大陸賣座的電影如《神話》、《七劍》、《頭文字D》等,都是中港台合作的作品;2008年有8部合拍片創造佳績,2009年票房破億者也多是合拍片。

注目したいのは2003年以降、外国との共同制作が中国映画の主流となったことだ。
2006年に大陸でヒットした『神話』『七剣』『頭文字D』はいずれも香港・台湾との共同制作で、2008年は8作品、2009年に1億以上を売上げた作品の多くは共同制作である。

中國開放與其他國家合拍電影已有30年歷史,1979年長期封閉鎖國的中國,為塑造改革開放形象,亟欲透過文化、體育等軟性外交手段與世界交流,當時的中宣部部長胡耀邦建議,在文化部之下成立中國電影合作製片公司(中製公司),作為統一管理窗口,開啟了中國與境外合作拍片的序幕。
中国と外国との共同制作には30年の歴史がある。1979年、長年封鎖してきた中国は改革開放のイメージを高めるために、文化やスポーツなどを通した世界との交流を望んでいた。そこで胡耀邦の提案で、文化省の下に海外との共同制作の窓口として中国電影合作製片公司(合作公司)が置かれ、共同制作の歴史が始まった。
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