<   2013年 04月 ( 13 )   > この月の画像一覧

庄奴,1922年生于北京,毕业于北平中华新闻学院,为了抗战,他曾改名黄河。青年时代庄奴曾在重庆工作和生活过,1949年到台湾后,庄奴当过记者、编辑,演过话剧,但以音乐创作彰显盛名,尤以流行歌曲最为人津津乐道。著名歌星邓丽君演唱的《小城故事》、《垄上行》、《甜蜜蜜》、《又见炊烟》、《原乡人》以及费翔演唱的《冬天里的一把火》等脍炙人口的流行歌曲都是庄奴作的词。50多年来,庄奴写了3000多首歌词,成为中文流行乐坛的一个奇迹。​


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by officemei | 2013-04-30 22:08 | ■中国語
辛晓琪,台湾著名女歌手,出生于台中丰原。1986年发行专辑《寂寞之冬》出道,1992年加盟滚石唱片,李宗盛写下的《领悟》一曲,辛晓琪将这首歌诠释地淋漓尽致,辛晓琪因此声名大噪,1994年「领悟」专辑大卖50万张,成功跻身歌坛畅销歌手之列;陆续发行由黄国伦谱曲的「味道」亦成为让人传唱至今的经典歌曲,其出色的灵魂美声缔造多张畅销专辑,始有「疗伤歌后」之称。

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by officemei | 2013-04-30 14:32 | ■中国語
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米朗琪咖啡(メランジュ・カフェ)

是什麼樣的魔力,能讓一家咖啡店的排隊人潮,一排就是16年?
どんな魔力が一軒のコーヒーショップに16年も行列を作るのか。

e0094583_16333188.gif位於台北南京西路商圈附近的米朗琪咖啡,穿著白衣的服務生快速穿梭帶位,縈繞的咖啡香中,是一張張帶著愉悅面容的用餐者。
台北市南京西路商圏に近いメランジュ・カフェ。白い服のスタッフがすり抜けるように席へと案内する。

每天不同時段、輪番上演的排隊長龍,已讓這家小店成為台灣咖啡店的傳奇。
コーヒーが香り立つ中、楽しそうな客の顔が見える。いつ行ってもある長い列は、小さな店を台湾コーヒーショップの伝説にした。

中山捷運站的巷弄,是台灣年輕創業者實現夢想的最佳舞台,髮廊、服飾、設計公司,更多的是香氣四溢的咖啡店。
MRT中山駅の裏通りは、台湾の若い起業家が夢を実現する最高のステージである。ヘアサロン、ファッション、デザインオフィス、そしてコーヒーショップはもっと多い。

然而,巷口緊鄰知名的速食店、百貨公司美食街,激烈競爭之下,年年都有店家高掛招牌不久後,又因作不出口碑,黯淡退出。唯有米朗琪咖啡創業16年,迄今屹立不搖。
だが、路地口の著名ファーストフード、デパートのフードコートに隣接する競争の中、消えていく店は後を絶たない。メランジュだけが創業16年を経て揺らがない。

在一整排住商混合的小商圈裡,米朗琪咖啡黑白現代風格的招牌,格外醒目,清晨7點半就有人在店外等待以一杯濃郁咖啡和早餐開始一天的生活。
住商混合の小さな商圏で、メランジュ・カフェのモノトーンの現代風看板が目を引く。朝7時半には店先で待つ人がいる。

人潮中不時傳來日語、韓語的交談聲,排隊隊伍中有打扮時髦的年輕女性、雍容的貴婦,這裡,正是米朗琪咖啡創辦人陳瑞榮創造排隊神話的起始地。
人波から日本語や韓国語が聞こえ、列にはオシャレな若い女性や、エレガントなマダムもいる。ここがメランジュ・カフェの創業者・陳瑞栄が行列神話を創り上げた地である。

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老家在雲林的陳瑞榮,年輕時即北上,曾經當過月領5,000元的餐廳學徒。退伍後,他進入一家咖啡貿易公司跑業務,開啟了與咖啡接觸的第一扇門。
雲林出身の陳瑞栄は若い頃に台北に出て、月給5000元のレストラン見習いもした。兵役を終えるとコーヒー貿易会社の営業職に就き、コーヒーとの付き合いが始まる。

不像大公司體制健全,分工完善,在小公司任職的他,常常是一人當三人用,從推銷咖啡豆、咖啡機,到調製咖啡的任務,全都落在他頭上。久而久之,陳瑞榮從一位門外漢,累積起咖啡知識,因為時常必須向客戶推薦豆種,回覆客人意見,他慢慢學會了烘豆、沖泡的技術。
大企業ではないから、豆や設備のセールスから、豆のブレンド業務までこなした。素人がコーヒーの知識を蓄え、豆の種類を顧客にアドバイスし、疑問に答えるうちに、焙煎や抽出の技術も身につけていく。

不過,就像老一輩口裡形容茶行批發的工作,「雖然餓不死,但也賺不飽,」陳瑞榮的咖啡批發事業亦復如是。
だが茶卸しの仕事が「飢え死にはしないが儲けも薄い」と言われたように、陳瑞栄のコーヒー卸しも似たようなものだった。

當時年僅27歲的陳瑞榮決定從隱身後端的角色,親自跳上第一線創業,希望將沖泡出來的咖啡端上桌給客人享用,地點就選在中山捷運站旁的小巷內,並援引法文「牛奶、咖啡混合」之意的「米朗琪」作為店名。
27歳だった陳瑞栄は起業を決意する。MRT中山駅横の裏通りを選び、フランス語の「ミルクとコーヒーの混ぜ合せ」という意味で、店を「メランジュ」と名づけた。


陳瑞榮想到過去曾和太太走訪歐洲、日本的經驗,也回憶起旅行時因為腳程疲累,躲進一家咖啡廳獲得咖啡香撫慰的美好記憶。
陳瑞栄は妻と旅したヨーロッパや日本を思い出した。疲れてコーヒーショップに入り、香りに癒された思い出もよみがえる。

縈繞的咖啡香氣、溫暖人心的食物,人們輕聲交談的暫歇,填滿了陳瑞榮的咖啡店圖像。一家揉合歐式裝潢風格、日本職人精神的咖啡店,終於在1997年誕生,當時的小店只離麥當勞30步之遙。
立ち込めるコーヒーの香り、心温まる食事、穏やかな歓談のひと時が、コーヒーショップのイメージを満たしていった。ヨーロッパ風インテリアと日本の職人精神を取り込んだコーヒーショップが、1997年に誕生した。マクドナルドから30歩しか離れていなかった。

一邊烘豆子、一邊與熟客打招呼的陳瑞榮打趣說,賣咖啡只是為了「謀生」,但他念茲在茲的就是專注煮出一杯好咖啡,「因為10年前我只會賣咖啡,現在我也只會賣咖啡。」
豆を焙煎しながら馴染み客に声をかける陳瑞栄は話す。コーヒーを売るのは「生活のため」だが、専念するのはいいコーヒーを淹れることだけである。「10年前コーヒーを売るだけだった私は、今でもコーヒーを売るだけなんです」とおどける。

開店之前,陳瑞榮的咖啡是一杯一杯煮,開店後一天至少得煮出上百杯,最大的挑戰就是得沖泡出口味穩定的咖啡。「以前經營咖啡批發是看業績、看數字,但咖啡店看的就是技術。」陳瑞榮只好和太太兩個人天天試喝、試泡。
店を開く前は一杯ずつ淹れていたコーヒーだが、店を開設したら一日百杯は淹れる。最大の難関は味を安定させることである。「コーヒー卸は業績、数字ですが、コーヒーショップはテクニックです」陳瑞栄は妻と2人で毎日試飲、試作を繰り返した。

當時名氣還不大的米朗琪,口味是博得客人認同的唯一方式。靠著口碑相傳,漸漸的,面向南京西路綠蔭,座位不到30個的小店,開始出現排隊人潮。
無名のメランジュにとって、味は客に認めてもらう唯一の方法だった。口コミが広がり、南京西路の木陰に面して30席にも満たない店に、行列ができ始める。

開店第4年後,隨著淡水線捷運開通,百貨公司櫛比鱗次地開起來,米朗琪的能量一下子爆發出來,人潮越排越長,知名度大開。
4年目からMRT淡水線開通に伴いデパートが続々オープンすると、飛躍的に知名度が上がった。

2002年,小店鑽進小巷內的現址,店內精緻的原木裝潢、穿戴整齊制服的服務人員、香濃咖啡配上鮮紅草莓的可口鬆餅,讓米朗琪成為日、韓觀光客體會台北巷弄美學的必訪小店。
2002年、今の場所に移り、原木のインテリア、揃いの制服を着たスタッフ、美味しいコーヒーとストロベリーワッフルで、メランジュは日韓観光客の台北ストリート美学体験の必須スポットになった。

2010年,陳瑞榮又租下同一條巷子裡、數步之遙的店面,開了第二家分店。現在,米朗琪的店面更大、座位更多了。
2010年、同じ通りの数歩離れた場所に2つ目の店を出す。広くなり座席数も増えた。

不過,當多數老闆看到店外人潮帶來錢潮,帶來口袋滿滿而笑容滿面時,陳瑞榮可能是第一個因為客人太多而苦惱的經營者。人潮讓他開始擔心咖啡品質是否跟不上,也讓他煩惱客人是否等太久;川流不息的客人,讓陳瑞榮深感不安,他害怕生意太好的米朗琪會變得跟理想中的樣子不一樣。
陳瑞栄は客が増えすぎて困る珍しい経営者である。コーヒーの質が追いつかないのではと不安になり、客を待たせることにも悩んだ。繁盛しすぎるメランジュが理想から遠のいていくのが怖かった。

為了維持品質不變的米朗琪,他不敢鬆懈。如今擁有3家分店,陳瑞榮更忙得難以分身,工時更長,他依舊天天進到咖啡廳,穿著黑襯衫,戴起褐色圍裙,站在店內地下室一隅,烘焙店內所需的少量、高價的精品豆種,服務熟客。
品質を変えないためには、油断はできない。店舗が3つになり、陳瑞栄の勤務時間はますます延びていく。黒いシャツに褐色のエプロンをして、地下室で少量・高価な豆を焙煎して常連客を迎える。

熟練地操作由德國進口的近70萬元烘豆機,站在透明玻璃後的他,一勺一勺舀起褐色豆子,查看成色、香氣,眼睛卻沒忘了觀察店內一切。店員準備餐點忘了招呼客人時,他一定帶頭高聲喊著「謝謝光臨」。
ドイツから輸入した70万元近い焙煎機を操作し、褐色の豆をすくって色と香りをチェックしつつ、店内の全てを見逃さない。店員が調理に集中していて挨拶を忘れると、彼は必ず先頭に立って大きな声を出す「ご来店ありがとうございます」。

從只有零星員工,到現在員工多達數十人,為了讓員工能煮出好咖啡,陳瑞榮不惜成本,提供無上限咖啡豆,鼓勵員工多煮、多喝、多嘗試;米朗琪的員工,必須經過2個月的培訓,才能站上吧檯沖泡咖啡。
従業員は数名から数十人に増えた。おいしいコーヒーを淹れさせるために、陳瑞栄は出費を惜しまない。コーヒー豆を無制限に提供し、何度も淹れさせ、試させる。メランジュのスタッフは2ヶ月にわたるトレーニングを経て、初めてカウンターに立つ。

每天都得喝上4杯咖啡的他,更是米朗琪咖啡最嚴格的把關者,因為他最在乎的是咖啡店的精神:「泡出一杯好咖啡」。
毎日4杯はコーヒーを飲む彼は、厳しい品質管理者でもある。一番大切にしているのが「おいしいコーヒーを淹れる」ことだからである。

他說,許多代代相傳的老店最後會失去客人,原因不在於口味變調、食材用錯,而是對待食物的精神點滴流失。坊間不少新開的店急速竄紅、商業化、量產商品後,都慢慢失去經營一家商店最重要的「人味」。
代々続く老舗が客を失うのは、味が変わったり、食材を誤ったりしたからではなく、食べ物に対する精神が失われていくからだという。巷の新しい店が急速に人気を上げ、商業化し、量産化した後、店の経営に最も大切な「人間味」を失っていく。

不過,米朗琪也不是沒有妥協過。開店時,台灣咖啡文化尚未成熟,只單純的賣咖啡難以支撐,不少客人看到店內沒有提供餐點就掉頭離去,因此早期米朗琪的菜單上,也曾出現簡餐品項。此舉雖然讓業績扶搖直上,但當看到越來越多上門用餐的客人時,陳瑞榮卻決心打住,並將品項恢復到只賣輕食、鬆餅,希望保有米朗琪作為一家咖啡館的定位。
だが、メランジュも妥協したことがある。開店当時、コーヒーだけではやっていけず、メニューに重い食事が出現したことがある。業績は持ち直したが、食事のために来る客が増えていくのを見て打ち切りを決心し、軽食とワッフルだけに戻した。コーヒーショップとしてのメランジュを保ちたかった。

寧可不要,也不願意妥協品質的原則,在陳瑞榮的創業歷程中,處處可見。
品質に妥協をしない、したくないという原則は、陳瑞栄の経営のここかしこに窺える。

在中山店引爆人潮後,知名百貨SOGO、新光三越即曾上門邀請進駐。不過,衡量米朗琪的員工人數、管理能力都不足以支應分店開張,他寧可放緩腳步,保持現狀,也不願大張旗鼓迅速拓點。
中山店がブームになると、有名デパートSOGO、新光三越が出店を要請した。しかしスタッフ数も管理能力も不十分と見極め、足取りを緩めても原状を保つことを選び、急速な拡張を拒んだ。

帶著靦腆笑容的陳瑞榮說,若只是為了譁眾取寵,變了調的產品,很快就會被消費者檢驗出來。直到慎重評估後,去年11月陳瑞榮才點頭願意進駐信義區的新光三越,歷經9個月的籌備,今年8月正式開張。
迎合するためだけに変わってしまった商品は、いずれ消費者に見抜かれる。慎重な評価の後、昨年11月についに信義区の新光三越への出店に同意した。9が月の準備を経て、今年8月に正式オープンした。

陳瑞榮不想妥協的,還有因為「過度服務」而失去的品質。
對於台灣消費觀念中,處處講究服務至上的觀念,陳瑞榮有些不以為然,例如偶有排隊客人因不耐久等而責怪服務人員時,就讓他很為員工抱屈,因為座位不夠並不是員工的錯。
他認為,服務是餐飲業基本而必要的條件,但不應本末倒置一味討好消費者,不能「把服務人員當奴才看待」,而忘了提供優質的產品。

陳瑞栄が妥協したくないものに「過剰サービス」で失われる品質もある。台湾ではあらゆる点でサービス至上を求めるが、陳瑞栄は否定的である。並んで待ちくたびれてスタッフを責める客がいると、スタッフに申し訳なく思う。席が足りないのはスタッフのせいではない。サービスは飲食業の基本かつ必要条件だが、消費者におもねるばかりでは本末転倒であり「スタッフを奴隷扱い」して上質な商品の提供を忘れてはならない。

「請問,你是要吃一客美味的食物,還是空有服務包裝而難以下嚥的食物呢?消費者會告訴你答案。」
「おいしいものを食べたいのか、サービスだけでまずくていいのか、消費者が教えてくれます」。

鴻海集團總裁郭台銘曾批評,台灣年輕人沒有大夢想,只想開咖啡店。一路走過咖啡創業路的陳瑞榮說,太多人開咖啡店是為了享受喝咖啡的氛圍、展現姿態,一旦「撩下去」後,才會修正不切實際的浪漫情懷。
鴻海グループCEO・郭台銘は、台湾の若者は大志を抱かずコーヒーショップを開くことしか夢見ないと批判した。コーヒー起業の道を歩んできた陳瑞栄は、雰囲気を楽しみたい、自分を主張したいとコーヒーショップを開く人が多すぎるが、覚悟を決めると、浮ついた甘い考えを修正するという。

陳瑞榮自承,自己也曾不切實際。16年前,開一家店的平均成本約是80萬元,但為了端上最好的咖啡,陳瑞榮多花了3倍成本,購買最好的設備、打造雅致的享受空間。
陳瑞栄も甘かったという。16年前、店を出す費用は80万元が平均だったが、最高のコーヒーのために陳瑞栄は3倍かけて最高の設備を買い、優雅なスペースを作った。

2002年中山店開張時,他更投資千萬元裝潢設計,陳瑞榮拍拍擺在店內地下室要價70萬元的烘豆機,又比了比整排並列在吧檯、一台要價1萬元以上的進口鬆餅機、冰沙機,這些設備總值就不只500萬元了。「經營餐廳,成本不能不精算,但又不能太計較,一計較就走不下去了,」他說。
2002年の中山店オープンの際は内装に1000万元を投じた。陳瑞栄は地下室の70万元の焙煎機をトントンと叩き、ずらりと並んだバーカウンター、一台1万元以上する輸入ものワッフルメーカー、ソルベメーカーを指さした。「飲食店の経営にはコストをしっかり計算すべきですが、こだわりすぎると前に進めなくなります」。

務實中帶著浪漫的「陳式風格」,也展現在米朗琪的定價策略上。當人潮等待在外時,有的餐廳選擇提高單價消化人潮,陳瑞榮卻寧可天天發出500張號碼牌,要求客人用餐2小時提高周轉率,也不願漲價。
現実的な中に夢を追う「陳スタイル」は、価格戦略にも現れている。単価を上げて行列を消化するレストランもあるが、陳瑞栄は番号札を毎日500枚配り、店内2時間に制限して回転率を上げても値上げしない。

甚至近來物價節節高升,昂貴的水果占去米朗琪近一半的毛利率時,陳瑞榮依舊堅持,在客流量足以支應減少的利潤時,仍維持現有價格。直到現在,米朗琪有8成菜單依舊與當年創業一樣,而深受客人喜愛的草莓奶油鬆餅,從當時130元賣到現在,也僅僅漲了20元。
昨今の物価高で果物原価が利益の半分を占めても、減益分を客数で補えれば価格を維持する。メランジュのメニューは8割が創業時と同じである。人気のストロベリーワッフルは、当時の130元から今まで20元しか値上げしていない。

看著青年世代前仆後繼創業,陳瑞榮提醒後輩,經營一家咖啡店不能全憑浪漫夢想,但一路走來不曾忘記創業初衷的他說,要能堅持下去也唯有靠夢想才得以支撐。
次々と起業する若い世代に、陳瑞栄は語りかける。コーヒーショップは夢だけでは経営できないが、創業の初心を忘れずに歩んできた彼は、続けようと思ったら夢なしには無理だったという。

45歲的陳瑞榮,憑著金牛座的務實態度穩紮穩打,讓隱身小巷中的米朗琪咖啡,時時充滿客人,等待一饗美食。這就是16年來,排隊人潮一波接一波的米朗琪經營哲學。(摘自Taiwan Panorama)
45歳、現実的な牡牛座は着実に歩み、裏通りのカフェを客でいっぱいにしてきた。16年間、行列が途切れないメランジュの経営哲学である。
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by officemei | 2013-04-29 16:29 | ■台灣
The Bund(外灘)・・・
Bundとは本来は英語の「海岸通り」を意味する言葉だそうです。中国語では外灘(waitanワイタン)と言われ、そもそもは外国人埠頭を意味します。
19世紀後半から20世紀前半にかけて中国の主要都市には租界地区が設けられました。租界とは自治権や行政権、治外法権を有する外国人居留地のことです。
上海では最初に英米仏の租界があり、のちにフランス租界と共同租界に集約されます。フランス租界は現在の淮海中路周辺、そして共同租界の中心にあったのが外灘、黄浦江沿いの中山東路一帯に建ち並ぶ重厚な建築群を有する、かつての英国が栄華を誇った一大拠点です。
外灘は上海の繁栄の中心地でした。国際都市上海はまさにこの地から始まり今に至っています。
さて、その朝と夜の様子をじっくりと味わってみましょう。







上海外灘租界万国建築群;

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by officemei | 2013-04-28 00:57 | ■上海
私はこれまでに何度か長江を船で下ったことがありますが、残念ながら一度も遡行したことはありません。三峡下りも三度体験しましたが、猿の啼き聲も船曳き人夫にもお目にかかったことはありません。
ずっと昔から中国西南方では峻嶮な桟道を切り開くよりも水路によって交通、運送が開けました。
船で河を下ればあっという間に遠くまで流れ着きますが、流れに逆らって河を上るのは大変なことです。特に急峻な渓谷を遡上する場合、船曳き人夫が河岸づたいに牽引するのが常でした。
その姿は今では観光用に供するにとどまっていますが、まだわずかに残っています。
香港のTV番組がその模様を紹介しています。

湖北省巴东长江三峡支流神农溪深谷里,至今为旅游保留着人文活化石的纤夫,他们在五月底为参加荆楚文化行的海峡两岸摄影家再现雄姿。川鄂长江激流险滩上的纤夫,历来豪放朴实、果敢尚义、爱喝烈酒。其缆绳取最好竹子划出的竹青编成,靠上好的“白官布”制作而成的搭肩。逆水而上时,纤夫腰成满弓,纤缆如弦,在陡峭山岸上手抠岩缝,赤脚草鞋寻找水石里的抗争支点,汗珠摔成八瓣,胸腔挤压出“嘿佐”的号子,一步步艰难前行。好在如今公路比行船便利,身为山寨移民的纤夫主要为旅游服务。


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by officemei | 2013-04-27 12:10 | ■湖北
4月21日、台北・天母球場で行われた「統一セブンイレブン・ライオンズ VS 義大ライノズ」の試合に先立ち、「五体不満足」で知られる乙武洋匡氏が始球式に登場しました。
会場はとても温かい雰囲気に包まれたそうです。


乙武洋匡開球 謝台灣助日賑災;
日本作家乙武洋匡沒有手、也沒有腳,他用跳躍的方式「走」上投手丘,還把球投向本壘板。
因為先天性的罕見疾病,從出生就缺乏四肢,乙武洋匡以自傳「五體不滿足」感動日本讀者,成為日本的知名作家。他今天現身台北天母棒球場,為職棒比賽開球。

乙武洋匡爬下電動輪椅,踏進天母棒球場的紅土區域,就先對球場深深鞠躬,然後用他的下半身,半跳躍的方式,「走」上了投手丘,贏得全場觀眾熱烈掌聲。走進球場內野,乙武洋匡再度深深鞠躬,他對全場觀眾表示,「日本三一一地震時,台灣人民付出真心支援日本,今天我要用感謝的心情把球投出」。
乙武洋匡在投出球前,用中文說出,「謝謝台灣」。
乙武洋匡用自己的左肩夾著特製球,用全身的力量將球甩出,球離開他身邊不遠就落地了,一直滾到本壘板。這個「不完美」的落地球,卻贏得全場觀眾敬佩的掌聲。
統一7-ELEVEn獅總教練中島輝士今天擔任接球捕手,與乙武洋匡同是日本同胞,在乙武洋匡的背後,則是日僑學校的棒球隊員,擔任守備。
中島輝士說,在日本就有聽過乙武洋匡的故事,「他雖然先天有肢體障礙,但是從來不因此覺得自己不正常,這是很正確的觀念,我們在生活中遇到什麼不如意時,應該想想他」。
乙武洋匡的開球感動所有觀眾,今天比賽對陣的統一7-ELEVEn獅、義大犀牛球員,也都列隊鼓掌,表達對這名生命鬥士的敬意。
談到棒球,乙武洋匡對這屆經典賽的中華隊印象深刻,特別是中華隊對日本一役,「我印象中看過最精彩的比賽之一,中華隊球員、教練在賽後表獻出來的謙虛、誠懇的態度,讓人非常佩服」。
(2013/04/21 中央社)


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by officemei | 2013-04-24 21:56 | ■台灣
もしテレサがまだ生きていたら、1953年出生の彼女は今年60歳になっています。
父親は国軍(国民党軍)の軍人でした。共産党軍に敗れ、家族を引き連れ命からがら台湾に逃れてきた一家に誕生したのがテレサでした。
11歳の頃、台湾のラジオ局の黄梅調(伝統歌曲)歌唱コンテストに参加、最年少で1位に輝きました。14歳の頃に初めてのレコード『鳳陽花鼓』を録音、16歳で台湾初のテレビ連続ドラマの主題歌を歌い、テレサの歌声は台湾中で愛されていきます。
そして1970年代になると、香港や東南アジアで巡回公演を行い華人社会でスターの地位を築き、1974年には日本進出を果たします。
デビュー曲「今夜かしら明日かしら」は実はあまりヒットしませんでした。この失敗を、テレサは自分の日本語の発音が正確でないからだと考え、いっそう練習に励んだそうです。
そして2枚目の「空港」で日本レコード大賞新人賞を獲得します。
1979年、インドネシアのパスポートで日本に入国しようとしたことが問題となり日本での活動が一時頓挫します。
その後、再び日本で活動を始めたテレサは「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」と3曲連続して日本有線大賞、全日本有線放送大賞を受賞します。

80年代からは香港に移り住み、アジアの歌姫として揺るぎない地位を築いていきました。
やがてテレサのカセットテープは中国大陸にも持ち込まれ、海賊版が横行するようにもなります。愛や郷愁を歌うテレサの甘い歌声が、大陸の人々が失いかけていた「情」に響いたからでしょう。
しかし、テレサの歌は共産党によって「退廃的」とされて禁止されます。それでもひそかに聴かれ、「昼は老鄧(鄧小平)を聞き、夜は小鄧(テレサ・テン)を聴く」と揶揄されるほど大衆の絶大な支持を得ていきます。

順風満帆の歌手人生とはうらはらに、私生活では順調とは言えませんでした。18歳の頃にマレーシア華僑の実業家と知り合いますが、相手の病没で深い傷を残します。1981年、再びマレーシア華僑と恋に落ちましたが、「結婚したら芸能界とは一切の関係を絶つこと」を条件に突きつけられて、テレサは歌を選びました。
しかしそのことでうつ状態になったのでしょうか、80年代後期には芸能界から次第に遠のき、パリにひっそりと暮らします。

そして、1995年5月8日。
タイのチェンマイで喘息発作によって亡くなってから、早いものでもう18年も経ちました。
あの突然の死から、私も何度か墓参りに台湾に行きました。
私も閉塞された1975年当時の北京で、テレサの歌声をずっと聴いていた世代です。テレサの歌には言い尽くせない思い入れがあります。
今年の命日(5月8日)には金寶山に眠っている彼女に会いに行けるかどうか・・・

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2010年5月8日;
2008年9月25日

北京電視台"非常記憶"節目,紀念鄧麗君誕辰60週年;

2013.04.07紀錄台灣/鄧麗君42歲猝逝 佳人殞落美聲在 ;


ラブソング(甜蜜蜜)という映画。
中国大陸から夢を追って香港へやってきた男女のラブストーリー。二人ともテレサの歌が好きだという設定から始まります。
すれ違いを重ねた二人はニューヨークの街頭で、テレビに映るテレサ死去のニュースに足を止めたことによって再会を果たします。
1997年の香港返還を控え、人々が動揺していた折に「ラブソング」は中国人の漂泊を描き、テレサ・テンに特別な思い入れのある華人の心をとらえました。
その「ラブソング」の原題「甜蜜蜜」は元々テレサの持ち歌でした。

この映画は一見に値します!


華語ポップス初の取り組みとして世に出たアルバム「淡淡幽情」は、全曲を宋詞から採った秀作でした。実に文学的で味わいのある作品です。
中でも「但願人長久」は、蘇軾の名作「水調歌頭」は中国初の月周回衛星「嫦娥一号」で流れました。

鄧麗君 Teresa Teng 淡淡幽情 全12 首歌曲;

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by officemei | 2013-04-16 12:14 | ■台灣
「釣りバカ日誌」のあのスーさんがお亡くなりになりました、亨年90歳とのことです。
私には三国連太郎さんの思い出がひとつあります。
1982年の日中国交正常化10周年記念映画「未完の対局」、ロケで上海にいらっしゃったときに三国さんと奥様のお二人にお会いしました。
ご一緒に当時の上海友諠商店でショッピング、その折に日活映画「戦争と人間」で演じられた鴫田駒次郎のキャラクターについて、私が鮮烈に記憶に残っていることをお話しすると、三国さんはちょっとはにかんだようなあの風貌で答えてくださいました。
数々の出演作品を観てきましたが、あの時のあの表情が脳裡に焼き付いています。
三国さんを偲んで、合掌・・・ 

旧上海友誼商店にて、主演の三国連太郎氏と;

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大連にて、三国連太郎を思う;
五味川純平の「人間の条件」や「戦争と人間」を大学時代に連日徹夜して読み耽った。
その頃の学生は左傾するのが一種ブームでもあった。
特に「戦争と人間」は、当時翳りが見え出した日活がオールスター総出演で映画化した。日本が軍国化する時代を背景に、舞台は内地と半島・大陸に及び、壮大なストーリーの中で近代史を説き、且つ戦争とは、人間とは、を問いかける。

私は、日活映画「戦争と人間」のさまざまなシーンを今でも鮮やかに記憶している。
北大路欣也と佐久間良子のプラットホームでのわかれ、浅丘ルリ子と高橋英樹の激しい恋、裕次郎の外交官役や藤岡重慶の関東軍参謀、高橋悦史の傲慢な性格、地井武男の朝鮮パルチザン、栗原小巻の中国人役、そして三国連太郎の悪に徹し鬼気迫る演技。などなど・・・ほんとうに豪華なキャスティングだった。

私はその当時、三国連太郎氏に会ったことがある。その後10年ほどして「未完の対局」という映画のロケで上海に来られた時に数時間通訳をし、その折に「戦争と人間」撮影時の話をしたことがある。

私にとって「大連」は、なぜか叙情的なまちではなく、三国連太郎演ずる脂ぎった殺し屋とか、満州浪人が闊歩するイメージが抜けない。
血気盛んな頃に読んだり映画を体験した「戦争と人間」の世界がトラウマになっている。


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私が北京で暮らしていた1975年から1978年。
春は空一面に柳絮が舞っていました。
秋は「北京秋天」といわれるほどに澄み切った青空でした。
道路は自転車の流れの中を車がかきわけて進むといった光景でした。
だからこそ、大気の汚れを感じたことはありませんでした。
ところが現在・・・

中国の大気汚染ランキング
中国の民間環境保護組織「自然之友」が2012年度の環境報告書を公表しました。ワースト2に北京が入っています。
大気汚染の深刻な地域はほぼ北方・西北地域の重工業都市に集中しており、逆に数値の低い(環境良好)都市は海南省の海口、雲南省の昆明、チベット自治区のラサと続き、上海は9位でした。


民间环境保护组织「自然之友」今日在京发布年度环境绿皮书《中国环境发展报告(2013)》。报告对全国省会城市和直辖市的空气质量情况进行了排名,其中海口、昆明、拉萨位居前三,兰州排名垫底,北京位列倒数第二位。
根据环境保护部数据中心每日发布的重点城市空气质量日报,报告整理出全国省会城市及直辖市共31个城市的年空气质量日报,数据包括Ⅰ、Ⅱ空气天数、二氧化硫天数、二氧化氮天数、可吸入颗粒物天数。最终以Ⅰ、Ⅱ级天数占全年天数的比例为排名依据。
在本次发布的2012年全国省会城市和直辖市的空气质量情况的排名中,海口连续第五年在31个城市中排名居首,排名前五位的依次还有昆明、拉萨、福州、广州。
在排名靠后的城市中,兰州连续4年排名垫底,北京排名倒数第二,较2011年排名下降一位。除了兰州和北京,在2012年全国省会城市和直辖市的空气质量情况排名后五位的城市还有,乌鲁木齐、成都和西安。
此外,在今日举行的环境绿皮书发布会上,自然之友还发布了“2012中国公众参与环境保护十大事件”中,其中“严重空气污染激发强烈公众舆论”就在列。发布方指出,2012年末前后,持续恶化的空气质量引发普通公众对空气质量的强烈关注。在各类媒体及互联网上形成了强大的公众舆论。尤其针对北京持续出现的雾霾天气,环保组织开展了多样化的公众活动,并对《北京市大气污染防治条例(草案)》提出尖锐与积极的修改意见。

2013-01-14

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4月11日のタイムズ紙が「アジアの大学ランキング」を発表しました。
ベスト100に日本の大学が22校ランクイン、東京大学はアジアで首位、京都大学が7位、東京工業大学は13位、東北大学が15位でした。慶応義塾大学53位、早稲田大学57位など。
ベスト100校のランクイン数では台湾が17校で2位。中国は15校で3位、韓国が14校で4位。

泰晤士報高等教育專刊昨公布2013年亞洲前100名最佳大學,日本共22校入圍,居各國之冠,東京大學排名第一;台灣共17校擠進前百大,超過大陸的15校、韓國14校。台大排名第十四,名次超越出過諾貝爾獎得主的日本大阪、東北大學。


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