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「台湾温泉報告書“泡好湯”」という本を持っている(2006年10月台湾で出版された)。
この本に載っている台湾全島の温泉地をゆっくりと時間をかけて巡ってみるのが目下の夢だ。
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台湾には数多くの温泉があって癒しのスポットが多い。
素っ裸で楽しめる温泉、水着着用の温泉。いずれにしろ天然温泉の醍醐味が味わえる。
参考サイト;台湾温泉査詢・一湯誌;

既に巡った温泉でホームページのあったところをファイリング。
北投温泉;
三二行舘水美温泉會館太平洋温泉會館亞太温泉生活館川湯岩湯
金山温泉;
陽明山天籟温泉會館喜凱亞温泉酒店
烏來温泉;
箱根苑
礁渓温泉;
麗翔温泉客棧
蘇澳温泉;
蘇澳冷泉公園
瑞穂温泉;
瑞穗温泉山莊
紅葉温泉;
紅葉温泉旅社
泰安温泉;
泰安觀止温泉會館
谷關温泉;
伊豆温泉坊谷關温泉飯店
廬山温泉;
廬山園游泳池大飯店
關仔嶺温泉;
儷景温泉泉會館
寶來温泉;
轉角26温泉VILLA
四重渓温泉;
清泉温泉名所
茴香戀戀溫泉會館南台灣溫泉觀光大飯店

緑島・朝日温泉;
台湾東海岸の沖合いに位置する孤島。かつては思想犯や政治犯を収監した地。
1949年、国共内戦に敗れた国府軍(国民党軍)は大挙して台湾に逃れ、“台独即台毒”、“滅共復国”の政治スローガンを掲げて恐怖政治を敷く。その結果、多くの台湾知識人が冤罪で緑島送りになった。
その後、長期間続いた戒厳令が解除され、徐々にこの地は明るく変貌する。
今では台湾有数の海洋レジャー地となった。
その緑島に朝日温泉がある。日本統治時代には旭温泉と呼ばれたが、戦後に朝日温泉と改称された。
海水を含んだ温泉で、珊瑚礁の傍らにあり、目の前には太平洋。海上から朝日が昇るさまを、湯に浸かりながら味わえる。荘厳そのもの。 
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秘湯・文山温泉;
ここの温泉は最高だった。何しろ大自然の中で湯に浸かる醍醐味。
台湾花蓮県秀林郷。太魯閣渓谷にある文山温泉。大理石の岩盤から温泉が湧く秘湯中の秘湯。
1914年、台湾総督府派遣の深水少佐が発見したことから、深水温泉と呼ばれていたが、終戦後は大北投温泉と呼ばれ、その後文山温泉に改称された。2005年、土砂崩れにより死傷者が出てから今日まで閉鎖中。
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陽明山・紗帽山温泉;
台北市の北側に広がる国立公園・陽明山。周囲には北投・新北投を筆頭に数多くの温泉が点在する。
その一画に紗帽山温泉がある。

ここは市北部の高級住宅地・天母の北に位置し、台北の中心部からだとタクシーで250元の距離(約40分)。時間的にも費用的にもお手頃の温泉地として人気がある。
台湾版「温泉割烹旅館」がいくつも点在しており、料理を注文すれば温泉が無料で利用できる。


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私が訪れたのはその中の「櫻崗」(行義路300巷)。

紗帽山温泉の老舗で今の主人は二代目。入り口はいたってこじんまりしているが、中には寿司カウンター・畳部屋・カラオケルームまである。大人数でも十分に利用できるだけのスペースがあって、食事や風呂を楽しみながら、森や遠くの市街地までも見渡せる。

泉質は白硫磺泉、42度。やや白濁した湯に浸かり、山の稜線越しにひときわ聳える台北101を望む。夜景なら更に情緒が増すだろう。

大浴場の入湯料は平日150元、休日200元、タオル50元。レストランで400元以上利用すれば入湯料無料。これはこれで納得できる値段だ。
利用客の殆どは現地の人たちで、湯に浸かりながら近頃の政治談義に花が咲いた。わいわい騒ぎ、のぼせてしまったが。


北投温泉;
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北投温泉・三二行館;
またまたまた来てしまった。ここは私が最も安らぎを覚える場所。あ~ええ湯や~!
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中国にも風呂屋・クアハウス・サウナ・SPAは数々あるが、天然温泉は非常に少ない。まして露天は皆無だ。その点、台湾には温泉地がそこここにあって楽しめる。
特にここ数年はブームになっており、段々と高級化に向かっている。
北投で成熟の温泉リゾート体験を味わえる「三二行館」。
台湾にもニューリッチ層が定着したのか、このところ「一歩上を行く」宿泊施設やレジャースポットが増えている。



まず入り口がちょっと隠れた場所に。気にしていなければ行過ぎてしまいそうなところに、個人宅の表札のように「32」の小さな番地が。ホテルとは感じさせない自己主張のなさ。この控えめなところがかえって奥ゆかしい。が、門をくぐったとたん、あっけにとられるようなステキなガーデンが広がっている。

雑然とした北投温泉街の喧騒が嘘のようだ。回廊の脇を抜けると、彫刻がほどこされた高い木製の扉が開き、スタッフの優しい笑顔に迎えられる。

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5つしかないという客室は畳の間があって、テラスにヒノキの浴槽がついていたり、贅沢なかぎりなのだが、大浴場に行ってみてまた驚いた。
中央に大木がそそりたつ中庭的な空間に、いくつもの露天浴槽が用意されているのだ。

中央の円形の湯壷を中心にひろがる空間美。窓の外には北投の象徴というべき地熱谷の湯煙が風に流れていく様が映し出され、景観を重厚なものにしている。
中央の浴槽からこんこんと流れる湯に身を浸せば、そこにいるだけで自分がこの空間の主人になったような満たされた気分に。

さらに、この大浴場の優れているのは、北投にわく3種類の種類の違う温泉を同時に引いてきていること。白濁のイオウ泉、 ラジウムを含む青湯、そして世界でも珍しく、この土地の名前を冠した鉱石「ホクトライト」を含んだ温泉もあるところが珍しい。


e0094583_10103465.jpg並みいる温泉リゾートと対極にあるのは、その静けさとともに漂う品位。
音楽もことさら流すことはせずに、レストランにだけスロージャズが優しく響くのみ。
雑然とした温泉施設とは一線を画しており、もてなす側の心意気さえ感じてしまう。

そのもてなしの心は、付設のイタリアンレストランでも十二分に発揮されている。ファイブスターのホテルのイタリアン部門で活躍してきた若手シェフを招き、四季折々の食材を使い、温泉リゾートに合ったヘルシーなメニュー構成に余念がなかった。

三二行館 台北市北投区中山路32号 TEL(02)6611-8888
大浴場 平日1500元/1人、休日2000元/1人(4時間利用可能)
実はお得なのがあって、プラス500元でイタリア料理がいただける。
それに、マッサージやエステのオプションを頼めば入泉料の割引もある。
そもそも一般的なサウナの価格とは比べようもないほど高額だが、圧倒的な質の良さに納得。
http://www.villa32.com/

追記;
旧北投温泉公共浴場について;
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by officemei | 2013-11-29 21:10 | ■台灣
本日(11月29日)、中国共産党の御用新聞環球時報の社説で、中国は闘争の狙いを日本に集中し、日本の野心を打ち砕かなければならない、と吠えています。これは、中国の防空識別圏設定に対する国際社会の反発に対し、当面は圧力の照準を日本に絞った上で双方の軍事衝突も辞さない姿勢を強調したものでしょうか。
米国もオーストラリアも防空識別圏をめぐる直接的な相手ではないと姑息な言い方をして、日本が自衛隊機を識別圏で飛行させた場合には、「冷戦時代の米ソのように接近戦も想定されるので、中国空軍はそれに備えた訓練を強め武力衝突も覚悟すべきと吠えたてています。
世界各国から批判を受け、且つ米国にも日本にも無視されて取り返しのつかない状況を打破するには、一発やったるぞといった軽挙妄動に走る可能性もありますので、こういったヤカラには断固たる措置をとることです。
自衛隊を見くびってはいけません、政府がぶれなければ中国空軍を駆逐するだけの戦闘能力は十分ありますよ!
この社説を読めば読むほど笑ってしまいます。平和を愛する中国はなんてよくもまあ言えるものですね。
大分キレてますね。キレればキレるほど醜態ですね。北朝鮮と本質は同じですね。
我々は冷静、且つ毅然と対応しましょう!

社评:2013-11-29 02:35 环球时报
对中国设立东海防空识别区,日本的反应近乎疯狂。日防卫相小野寺五典几乎天天出来放狠话,不知这是不是人们所说的“越心虚就越要展示狂妄”。此外美澳等也都有对华挑衅性动作或不友好表态,韩国说话酸溜溜的。
但所有这一切都构不成对中国设立防空识别区的真正挑战,这些压力总体上都是姿态性和舆论上的。东海防空识别区的设立已成事实,这一步我们坚定地迈出去了。
接下来最直接的斗争将在中日之间展开。美国作为日本的保护者,暂时不会与中国在东海直接对峙。澳大利亚只是表达一下策应美日的态度。韩国则是看到美日方面声高,借机表达一下自己的关切和利益,未必是要附和美日。
中国应战略坚决,策略灵活,只要美方不太过分,就不主动把美军作为巩固空识区的主要斗争目标。我们应集中精力打压日本的气焰,坚决回击其各种挑衅性行为。中国与澳大利亚并无实质冲突,可以忽略其声。韩国知道中国并非针对自己,它对日本的意见也很大,因此不会对中国提出过分的要求,中国暂可好言慰之,无需做出任何改变。

我们的对日斗争应完全放开手脚。它在东海出一招,我们就坚决回敬一招。要让日本每一招出得都很快感到自我的疼痛,我们的反制需当机立断,看得出是对日本最新挑衅的直截了当回敬。为此我们需多做预案,不留对日斗争的任何战略犹豫。
日本战机进中国防空识别区,我方战机就必须去它的防空识别区。当然,中国也不要被其牵着鼻子走,中国空军的回应应该以自己的节奏进行。随着事态发展,有可能出现中日军机近距离摩擦、对峙,重现冷战时期美苏军机的激烈空中游戏。中国空军需要加强这方面的训练和准备,决不临阵动摇,我们要有不惧空中擦枪走火的决心和定力。
这样过几回硬招,日本就会出现与中方合作管控双方空识区的兴趣,围绕钓鱼岛危机的管控机制谈判才可能启动,中日双方才可能会重新达成默契。
中方的对日战略态度一定要稳定。不首先挑衅,不逼它铤而走险,也不对它的威胁做出让步,反而要采取略高出其威胁的反制措施。同日本打的是持久战和消耗战,我们要最终打掉的是它与中国搞战略对抗的意志和野心。我们要向日本植入的不是面对中国威胁的恐惧,而是它对挑衅中国必将付出相应代价的明确预期。
现在日本虽然叫得凶,有美方帮着拉偏架,但它在气势上其实已经输了。因为它很抓狂,表现了内心的恐慌与惊惧,对航空公司同中方履行报备手续这样的细节也如此敏感。安倍越来越像当年的陈水扁,他们急于在一招一式上向内部证明自己没输。

中方操作防空识别区一开始虽有不熟练之处,但中国官方的表态前后一致,既不退让,也不说过头话,战略上显得气定神闲。这种态度大有可持续性,在中方的泰然和稳重面前,日本现在的表现真的有点像“跳梁小丑”
中国热爱和平并在和平环境中走向繁荣。中国现在已拥有保持和平的巨大资源,钓鱼岛海域和空域的动荡掀翻不了中国持久发展的大格局。中国能同日本耗下去,我们有这个自信,也有这个耐心。究竟如何同中国相处,让日本自己看着办吧

中国の威嚇(ヤカラ)第一幕;
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納豆には血栓を溶かす酵素が含まれています。私は1978年に静脈血栓になり、ワファリン(血液凝固阻止剤)を服用していました。
その後、納豆を極力食べるようにしていますが、我々世代以上の関西人は元々納豆を食べませんでしたね。近頃では関西人も多く食すようになりましたが。
台湾の臭豆腐の臭さには閉口しますが、納豆はあれほど臭くはありません。
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納豆是日本常見的傳統發酵食品,由黃豆通過納豆菌(枯草桿菌)發酵製成豆製品,具有黏性,不僅保有黃豆的營養價值、富含維生素K2、提高蛋白質的消化吸收率,更重要的是發酵過程產生了多種生理活性物質,具有溶解體內纖維蛋白及其他調節生理機能的保健作用。調查指出日本人食用納豆的歷史已超過一千年。

日台臭いもの対決;


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by officemei | 2013-11-29 16:07 | ■日本
レコードチャイナに掲載された記事です。
かわいい子には旅をさせよ、ということです。
特に海外に出れば、自ずと自分の国との比較をしてしまいますね。

2013年5月8日、2012年上半期、筆者は埼玉県上尾市に50数日間滞在した。この期間中、筆者は日本での生活を初めて体験し、日本の環境を肌で感じ、一般人と生活を送った。初めての日本生活で、筆者はさまざまなことに驚かされ、敬服させられた。中国環境報が伝えた。

◆騒音からの解放
一般的な2車線の道路で、自動車がクラクションを鳴らすのを1度も聞かず、自転車のベルの音を聞くこともめったになかった。地下鉄や新幹線の駅で並ぶ人たちは、ひそひそと小声で話をしていた。道路を走る車は、出動中のパトカー・救急車・消防車を除けばクラクションを鳴らすことはほぼなく、渋滞が発生してもクラクションを鳴らす人はいない。

日本では犬を飼う場合も、規則を守らなければならない。日本では子犬が適齢期に達すると関連部門で登録しなければならない。また、犬の無駄吠えをなくす訓練を行っている場所もある。このため日本ではやかましい犬の鳴き声を聞くことはめったにない。筆者は帰国前、隣人が犬を連れてマンションを出て行くのを見て初めて犬を飼っていたことに気づいた。彼らの犬は訓練により、吠えなくなっていたのだ。

◆日本の清潔さ
上尾市の道路を歩くと、清掃したばかりの道路を歩いているような感覚になる。公共の場では喫煙者がいなく、歩きタバコやタバコのポイ捨てをする人もいない。また、唾を吐いたり、ゴミをポイ捨てしたりする人もいない。道路にビニール袋や紙くずが飛んでくれば、誰かがこれを拾って捨てるだろう。

街中を歩くと目に入るのは、全く散らかっていないきれいな道路だ。車が通り過ぎても砂塵やほこりが舞い上がることはなく、雨の日でも道路上に水溜りがないため、泥水が飛び散ることはない。雨が止んだ後は、自動車も自転車もきれいな雨に流されてぴかぴかに光り輝いている。コンクリートミキサー車や工事用のトラックの積荷が、走行中にもれているところを見たことがない。工事現場に出入りする工事用車両はどれも普通の車と同じくらいきれいだ。

日本では、勝手に広告を張り付けたり、歩行者にビラを配ったりすることは禁じられており、壁などに張り付けられた広告や落書きを目にすることはない。広告は各家庭の郵便受けに入れられるのが一般的だ。それよりも多いのは、古代中国の商店が使用していた宣伝のぼりのようなもので、さまざまな色を使い、風にたなびく様子は面白い。

◆ゴミの分類
日本では、家庭から出るゴミの処理も規則正しく行われている。環境保護の関連部門と協会は毎年、35cm×45cmの1年間のカレンダーを各家庭に投函する。これは居住地のゴミ収集日のカレンダーだ。生ゴミ、紙くず、布切れ、金属、ガラスなどをビニール袋に入れ、既定の場所にゴミを出し、カラスにつつかれないようネットで覆う。専門のゴミ収集車が、定められた時間に出されたゴミを回収する。古い電池を捨てる場合は、さらに特別な要求があり、定められた場所の専用の収集箱に入れなければならない。

日本の各大型建築物や運動場などには、消防用・家庭用の雨水を集める場所がある。筆者のマンションの前には築10年ほどの7階建てのマンションがあったが、1階部分には汚水処理装置が設置されていた。そこではマンションの水を集中的に処理し、水洗トイレ用に再利用していた。すべての汚水は専門のパイプで汚水処理場に送り、処理後に河川に流される。

10数年前にマンション建設が許可された際に、各キッチンのシンクにフィルターを取り付けることが求められた。シンクには、直径約10cm・高さ10cmのフィルターが取り付けられており、1~2日に1度交換でき、利便性が高い。フィルターで集められたゴミは、フィルターと同時に指定された場所に捨てることができる。

◆どこも清潔で静かで調和的
筆者らは4月末に新宿御苑を訪れた。1906年に建設されたこの公園は、環境省から「国民公園」の称号を得た。私たちが到着したのは10時頃で、すでに大勢の観光客が集まっていた。列に並び入場券を購入する30分間、人々は秩序正しく列を作り、騒ぎ叫ぶ声は聞こえなかった。人々が話す様子はまるで恋人同士のようであり、他の人に聞かれることを恐れているかのようだった。

入場後、私たちは現地の習慣に従い、持参したビニールシートを敷いた。その上に荷物や上着を置きっ放しにしたまま、あちこちを見て回ることができた。筆者は連れ合いと、池・川・丘のある公園を鑑賞したが、どこも清潔で静かで調和的だった。人々は自覚してゴミの分別を行い、大人も子供もゴミを指定された場所の異なるゴミ箱に捨てた。ゴミ捨てでさえ、焦らず列を作り行われていた。

私たちが公園を出た時も、来場者の長い列ができていたが、秩序正しい様子だった。注意書きやスローガンはなく、先を争う割り込みもなかった。公園の外を走る自転車も軽々しくベルを鳴らさず、公園の静けさを破ることをためらっているかのようだった。(人民網日本語版)
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2013/1128;
自衛隊機も海上保安庁の航空機も、通常巡回ルートとして問題空域を飛行しています。事前に中国へ通告なんぞしていません。

2013/11/27;
米国防総省は、中国が東シナ海上空に設定した防空識別圏を認めず、中国の要求には応じないと言ってますよ。
米国は識別圏を飛行する際、中国に飛行計画を提出せず、無線周波数などを認識させることもしない。米軍機は中国が求める措置を一切取ることなく飛行すると強調しています。
さらには、米軍は日本などの同盟国との軍事行動も含め、行動を変更するつもりはない。われわれは常に自衛能力を保持していると警告しました。

更に、中国が防空識別圏に設定した東シナ海の空域を、26日に米軍戦略爆撃機が中国への事前通告なしに飛行したことも発表しています。
米国防総省は同域を国際空域とみなしており、米軍機はこれまで同様、中国に飛行計画を事前提出せずに飛行すると明言しています。

日本も26日、「日本の意思を示すために官民が協力することが重要だ」とし、航空各社に対して中国に対する飛行計画書の提出を撤回するよう要請し。乗客の安全確保を理由に中国に対して飛行計画書を提出していた航空各社も政府の要請を受けて提出しないことに決定しました。

そんななか、中国大手検索サイト(百度)で「もしもわが国が日本に核兵器を使用したら?」というアンケートが出現。
ネットユーザーの意見で比較的多かったのは、「世界中の国から非難される」「第三次世界大戦が起きる」「核戦争になって人類が滅びる」などの常識的な回答が多数を占めましたが、一方では、「世界各国からの敬慕を受ける」「中国は日本を取り戻すべきだ。日本は中国固有の領土なのだから!」という主張もありました。

環球時報のアンケート調査によれば、中国が防空識別圏を設置した原因について84.1%が「国際慣例に従い、本国の空域の安全を守るため」と回答したほか、「日米などの航空機による中国沿海への接近、偵察を防ぐため」との回答が70.2%、「日本の釣魚島空域における軍事的優位を打破するため」が67.2%に達したそうです。
今回の防空識別圏設置によって53.6%が「軍事的均衡が破れ、中国にとってより有利となる」と、39.5%が「日中間の空中、海上の軍事バランスが均整化され、情勢がより安定する」とそれぞれ回答したことを挙げ、両者を合わせて9割が釣魚島の情勢にとって有利と回答したそうです。
記事はさらに、中国国内の軍事専門家が「中国の市民が今回の措置に対して潜在的な賛同の意を示したことが明らかになった。その背景には大国としての自信、政府や軍に対する信頼がある」と今回のアンケート結果を分析したことを紹介しているそうです。
かつての日本が太平洋戦争に至った折の戦時高揚を彷彿とさせますね。
国際的に非難され、孤立して(北朝鮮とパキスタンと中国の三国同盟)、日米その他の連合軍に屈服し、中国の分割統治を経て新生中国が始まるならば、まるで日本の敗戦時と同じになるやもしれませんね。


2013/11/25
ステルス性能を備えた中国製無人航空機。名称は「利剣(Lijian)です。
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領空侵犯した無人機が警告に従わない場合、撃墜を含めた強制措置を取る方針を日本政府が固めたことについて、同措置が中国機に取られた場合、「一種の戦争行為であり、われわれは果断な措置で反撃する」と中国国防部が言ってます。反撃に伴う一切の結果は「始めた方が負う」と全面的に日本側の責任となることを指摘し、「中国軍が領土主権を守る固い意志と決心を軽く見るべきでない」と日本側を威嚇。
本日(11月26日)の中国軍機関紙、解放軍報によると、日米両国が中国の防空識別圏設定を強く批判したことについて「国家主権を守ろうとする中国軍の決意を見くびってはいけない」と警告する社説を掲載しました。
それによると、防空識別圏の設定にはどの国の許可もいらず「大国の顔色をうかがう必要はない」とのことです。

中国が東シナ海で防空識別圏を設置し、圏内を飛行する場合には、事前に飛行計画を中国外務省または航空当局に提出する義務を負い、中国国防部の指示に従わなければならないと言っています。この空域で監視を行う航空自衛隊や在日米軍にも、中国側からすればその要求を突き付けることになりますが、日米両国は今後も中国の一方的なこの防空識別圏を無視し、当然これまで通りの活動を続けるでしょう。
その場合、中国空軍が何らかのアクションを起こせば武力衝突に至るでしょうが、断固として対抗することを切に望みます。

中国国防部のスポークスマンは、まるで嘗ての日本軍の大本営発表を彷彿とさせますね。これぞ軍国主義ですね。天に向かって唾するとはこのことでしょうか。
四の五の言うなとか見くびるなとかの言葉は、まるでヤカラですね。国を代表する者が発すべき言葉ではありませんね。中国とはそんな国です。

今年8月公開の「光栄使命」というシューティングゲームがあります。
尖閣諸島で自衛隊員を狙撃していくという過激なものです。
このゲームはそもそも人民解放軍と民間企業が2011年に共同開発したもので、当初は兵士の教材用でしたが、ネットワークゲームとして公開されました
「釣魚島(尖閣諸島)を防衛せよ」というミッションで、プレイヤーが尖閣諸島に侵入し、次々と自衛隊員を狙撃するという内容です。狙撃された自衛隊員はうめき声を上げて倒れていきます。その都度、画面に旭日旗と隊員名が表示されます。
今年7月に上海で開かれたゲームショー「China Joy」でも試作版が披露されました。
軍が関わって製作されたということでも、中国が好戦的であることを証明しています。
日本の右傾、軍国主義復活断固阻止!と吠えている中国は、まさに言行不一致ですね。
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e0094583_1832438.jpg森詠の小説「日中世界大戦」は、なかなかに読みごたえがありました。
中国が最新空母艦隊を尖閣諸島、与那国、西表島、石垣島に派遣し、琉球諸島を軍事占領します。
これに対し日本は陸海空三軍を投入、中国と戦闘状態に入ります。
初戦の琉球諸島戦争で自衛隊に敗北した中国軍は第一空母打撃群を出撃させ、第二次琉球海戦が勃発します。対する自衛隊は第一列島線を封鎖し中国機動艦隊を迎撃、攻撃型空母二隻を建造し、空母連合艦隊を誕生させます
二隻の攻撃型空母を擁する日本連合艦隊は、ジブラルタル海峡を抜けアフリカ大陸沖を南下、喜望峰を廻って日本に回航。それを待ち受ける中国海軍は包囲網を作り迎撃。
この小説にはアセアン諸国と台湾が日本と共同して中国に対抗し、チベットやウイグルの人々とも連携して中国と戦う図式があります。
さて、日中の関係はどうなるのでしょうか?
中国語を専攻し、中国に長年にわたって居住・往来した私にとっては目が離せない状況ですが・・・


中华人民共和国东海防空识别区航空器识别规则公告;
一、位于中华人民共和国东海防空识别区(以下简称东海防空识别区)飞行的航空器,必须遵守本规则。
二、位于东海防空识别区飞行的航空器,必须提供以下识别方式:
(一)飞行计划识别。位于东海防空识别区飞行的航空器,应当向中华人民共和国外交部或民用航空局 通报飞行计划。
(二)无线电识别。位于东海防空识别区飞行的航空器,必须开启并保持双向无线电通信联系,及时准 确回答东海防空识别区管理机构或其授权单位的识别询问。
(三)应答机识别。位于东海防空识别区飞行的航空器,配有二次雷达应答机的应当全程开启。
(四)标志识别。位于东海防空识别区飞行的航空器,必须按照有关国际公约规定,明晰标示国籍和登 记识别标志。
三、位于东海防空识别区飞行的航空器,应当服从东海防空识别区管理机构或其授权单位的指令。对不配合识别或者拒不服从指令的航空器,中国武装力量将采取防御性紧急处置措施。
四、东海防空识别区管理机构是中华人民共和国国防部。
五、本规则由中华人民共和国国防部负责解释。
六、本规则自2013年11月23日10时起施行。

国防部新闻发言人杨宇军就日美关于我划设东海防空识别区有关表态
答记者问
新华社北京11月24日电 国防部新闻发言人杨宇军24日就日美关于我划设东海防空识别区有关表态答记者问。

有记者问,中国政府11月23日宣布划设东海防空识别区后,日方称不能接受该防空识别区覆盖钓鱼岛,已向中方提出交涉。请问对此有何评论?
杨宇军说,日方的言论是毫无道理的,中方对此完全不接受。中国国防部外事办公室23日晚已向日本驻华使馆武官处提出严正交涉。东海防空识别区公布后,我们已经通过多种方式阐明了中方在这一问题上的政策立场。我们重申,中方有关做法的目的是捍卫国家主权和领土领空安全,维护空中飞行秩序,是有效行使自卫权的必要措施,符合《联合国宪章》等国际法和国际惯例,是完全正当和无可非议的。日本早在上世纪60年代末就设立了防空识别区,日方无权对中国划设东海防空识别区说三道四。
杨宇军说,钓鱼岛是中国固有领土,中方维护钓鱼岛主权的决心和意志坚定不移。近年来,日方以进入本国防空识别区为由,频繁出动军机跟踪监视在东海上空正常训练、巡逻的中方飞机,严重妨碍飞越自由,极易引发安全事故和意外事件。日本官方还利用媒体恶意炒作中方的正常合法飞行,企图混淆视听,制造对抗情绪。事实证明,制造地区紧张局势的正是日本自己。
我们强烈要求日方停止一切损害中国领土主权的行为,停止发表误导国际舆论、制造地区紧张气氛的不负责任言论。

有记者问,东海防空识别区公布后,美国国防部等表示关切。请问中方对此有何评论?
杨宇军说,中国国防部外事办公室24日晚就美方有关错误言论向美驻华使馆武官处提出严正交涉。中国政府划设东海防空识别区,是完全正当和无可非议的。上世纪50年代以来,包括美国在内的20余个国家设立了防空识别区。美方现在对中方划设东海防空识别区提出指责甚至反对,这完全是没有道理的。
他说,钓鱼岛及其附属岛屿是中国固有领土。中方坚定捍卫钓鱼岛的领土主权。当前钓鱼岛局势完全是日方错误行径造成的。美方应在钓鱼岛主权问题上切实做到不选边站队,不再发表不当言论,不释放可能助长日本冒险性的错误信号。
杨宇军说,我们敦促美方切实尊重中国的国家安全,停止对中方划设东海防空识别区的正当行为说三道四,为亚太地区和平稳定做出实实在在的努力。

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紆余曲折を経て愈々Vanilla Airが東京=台北に就航します。
但し、現段階では関空=台北はありませんので非常に残念。
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日本最新的廉價航空(LCC)、全日空(ANA)旗下全資子公司「香草航空(Vanilla Air)」,正式宣布12月20日起開飛「台北-東京」!為慶祝即將進入台灣天空,香草航空也順勢發表令人心動的首航特價,台北飛東京台幣388元起(來回含稅最低新台幣1888元),12月4日下午2點發售!
12月20日開飛的「台北-東京」航線,每天一班,日本時間下午2點從東京成田機場起飛,台灣時間下午5點5分抵達桃園機場;回程下午5點50分從桃園機場起飛,日本時間晚上10點抵達東京。2014年1月29日後,增為每天兩班,除原有航班外,多了深夜10點20分從成田出發,台灣時間凌晨1點25分抵達桃園的紅眼航班,回程凌晨3點從桃機出發,日本時間早上7點10分抵達成田機場。
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日前已搶先販售「東京-台北」機票的香草航空,即將於12月4日下午2點,開賣12月20日至2014年3月29日出發的「台北-東京」機票,並以「388」的首賣特價(售至5日下午1點59分,共1000張,搶完為止),搶攻小資族、背包客荷包。

目前經營「台北-東京」航線的廉價航空,除了準備起飛的香草之外,還有新加坡航空的子公司、廉航品牌「酷航(Scoot)」,挾飛機大、座位多(現用777-200執飛)的優勢,前陣子以單程未稅888元的流血清倉價,震撼市場!放眼未來,兩家外籍廉航在東京航線將如何競爭互動?國籍廉航成立後是否加入戰局?機票價格如何變化?都是值得觀察的重點。
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by officemei | 2013-11-29 03:41 | ■台灣
蝶の羽にマーク(標識)をつけて放し、捕獲された場所から移動距離を確認、蝶の生態系を知ることができる、こういったことをやっている人たちが多くいることを初めて知りました。
いわゆる「渡り」の実態調査ですね、興味深く感じました。
アサギマダラは浅葱(薄い藍色)の羽をした蝶のことで、日本から東南アジア、インドに生息しているそうです。
11月17日の長崎新聞記事:
Wikipedia参照:
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台湾は蝶の生息地として非常に有名なところです。土産品として蝶の標本も売っていますね。
以下の動画は、その台湾の澎湖諸島に日本でマーキングした蝶がやってきたというニュースです。

這次第一次在台灣澎湖,發現青斑蝶的蹤跡,而且翅膀上還有日文,這群青斑蝶,遠從日本飛來台灣,飛最遠的一隻 還花了五十七天的時間,打破了青斑蝶的長途遷移的歷史紀錄。
深褐色的翅膀,點點斑蚊,這是不常在台灣發現的青斑蝶,被發現時翅膀上面還也有日文,原來這是日本長崎大學生物系教授,去年標放的青斑蝶,從日本飛來台灣過冬,教授還特別來台灣找標有他名字的青斑蝶。
分別從日本長崎、山口縣遠渡來台的青斑蝶,飛行了三十一天,飛最遠的一隻,從日本長野飛到澎湖,花了五十七天的時間,打破了青斑蝶的長途遷移的歷史紀錄。
這讓台灣的研究人員都很興奮。
研究人員就說,第一次在澎湖發現青斑蝶蹤跡,而且十一月就發現七隻日本青斑蝶,十分罕見。
不過,目前還不確定牠們會留多久,想親眼目睹青斑蝶風采的民眾,可要把握時間,到澎湖看看這群從日本飛來的稀客。

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by officemei | 2013-11-27 21:28 | ■台灣
Ⅳ.第二次世界大戦後の地位;
1. 戦後の領土処理
第二次世界大戦中の 1943(昭和18)年、英・米・華の3主要連合国は、「同盟国の目的 は…満州、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還することにある」との内容を含むカイロ宣言を発表した。日本も、1945(昭和20)年8月15日、ポツダム宣言を受諾し、9月2日降伏文書に署名したことにより、カイロ 宣言の方針を承認するところとなった。
以上の方針を受けて、1951年の日本国との平和条約(昭和27年条約第5 号。以下「対日平和条約」という。)には、終戦以前の日本の領土のうち、日本が放棄する地域と、日本に残される地域とが具体的に規定された。本稿に関連するところでは、第2条で、日本が台湾及び澎湖諸島を放棄すること、第3 条で、北緯29度以南の南西諸島等については、日本に主権が残されること、米国が国連に信託統治を提案するまでの間、米国が同地域及びその住民に対して、三権を行使できることなどが定められた。
Ⅳ.第二次世界大战后的地位
1.战后领土处理
第二次世界大战中的1943年(昭和18年),英美中发表“开罗宣言”,指出“同盟国之目的…满洲、台湾及澎湖列岛等日本国从清国盗取的所有地域须尽数返还中华民国”。日本也于1945年(昭和20年)8月15日接受“波茨坦公告”,并于9月2日在投降文书上签了字,表示对“开罗宣言”方针的承认。
基于以上方针,1951年签署的《对日和平条约》(昭和27年条约第5号)具体规定了日本投降之前的领土中哪些日本应该放弃哪些日本可以保留。与本文相关的是条约中的第二条“日本放弃台湾及澎湖列岛”以及第三条“日本保留北纬29度以南的西南诸岛主权,但在美国向联合国提出托管统治提案期间,美国对该区域及住民行使三权(立法、行政、司法)”。


2. 関係国の態度
対日平和条約において、尖閣諸島は、日本が放棄した地域と日本に主権が残され地域の、どちらに含められていたのであろうか。第二次世界大戦終了後の関係国の対応から考察する。
(1) 米国軍政府の立法措置
戦後、米国は、沖縄の占領を展開するに際し、旧沖縄県の範囲をそのまま引き継いでいる。例えば、1946年1月29日連合国最高司令官総司令部の「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」に対して、外務省が非公式にGHQに提出した「南西諸島観」の南西諸島一覧表には、赤尾嶼、黄尾嶼、北島、南島、魚釣島の島名を挙げて、尖閣諸島を沖縄県に含めていた。また、「群島政府組織法(米国軍政府布令第22号)」、琉球政府樹立の根拠法である「琉球政府章典(米国民政府布令第68号)」、奄美諸島の返還に伴い、米国統治下の琉球列島の地理的境界を再指定する「琉球列島の地理的境界(米 国民政府布告第27号)」は、琉球列島米国民政府、琉球政府等の管轄区域を緯度、経度で示しており、尖閣諸島をその区域内に含めていた。このように、米国は沖縄統治期間中、 尖閣諸島を一貫して沖縄の一部として扱った。
1972年の「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」(昭
和47年条約第2号。以下「沖縄返還協定」という。)においても、それは同様である。同協定の合意された議事録は、「同協定によって日本に返還される領域とは、対日平和条約第3条に基づき米国施政下にある領土であって、米国民政府布告第27号に指定される地域である」として、尖閣諸島を日本への返還領域に含めていた。
2.相关国家的态度
(1)美国军政府的立法措施
战后,美国对冲绳的占领,原原本本的继承了旧冲绳县的范围。比如,1946年1月29日联合国最高司令官总司令部的《若干の外郭地域を政治上行 政上日本から分離することに関する覚書(关于将若干外围地域在政治上行政上分离出日本的备忘录)》中,外务省非正式地向GHQ(驻日盟军总司令部)提出了题为《南西諸島観(西南诸岛观)》的西南诸岛一览表,其中将尖阁诸岛包含于冲绳县,并列举出了赤尾屿、黄尾屿、北岛、南岛、鱼钓岛等具体的岛名。此外,《群島政府組織法(美国軍政府布令第 22 号)》、树立琉球政府的基本法《琉球政府章典(美国民政府布令第68号)》、伴随奄美诸的返还而再次指定美国统治下的琉球列岛地理范围的《琉球列島の地理的境界(琉球列岛之地理境界)(美国民政府布告第27号)》都表示出了琉球列岛美国民政府、琉球政府所辖区域的经度纬度,尖阁诸岛都包含在其中。如此,在美国通知冲绳期间,尖阁诸岛一贯被作为冲绳的一部分。
1972年《琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(日本国与美国关于琉球诸岛及大东诸岛的协定)》(昭和47年条约第2号,一下简称《冲绳返还协定》)中也一样。协定中达成一致的议事录中记述“同協定によって日本に返還される領域とは、対日平和条約第 3 条に基づき米国施政下にある領土であって、米国民政府布告第 27 号に指定される地域で ある(根据该协定,返还给日本的领域为根据对日和平条约第三条美国施政下的领土并美国民政府布告第27条指定的地域)”,由此尖阁诸岛包含在了返还给日本的领域之中。


(2) 占領下の日本の実効支配
日本は、米国施政権下においても、琉球列島米国民政府あるいは琉球政府の行為という形で、以下のような実効的な支配を継続した。
【諸島の使用と徴税】 1951(昭和26)年、久場島と大正島に米海軍の爆撃演習海域が 設定され、久場島は特別演習地域に指定された。大正島は 1956(昭和31)年4月に演習地域に指定されたが、久場島は、古賀善次氏の私有地であったことから、米国民政府は、 1958(昭和33)年7月、琉球政府を代理人として、同氏との間に基本賃貸借契約を結び、賃借料を支払った。琉球政府は、これ以前から、古賀氏の所有する魚釣島他4島について固定資産税を徴収しており、新たに、久場島の賃借料から得られる収入についても、源泉徴収を行った。
【学術調査】 1950(昭和25)年から1971(昭和46)年までの間に、尖閣諸島において、 地質、資源、生物相に関する学術調査が計 10 回行われた。
【不法入域の取締り】 1968(昭和43)年、琉球政府法務局出入管理庁係官は、数十名の台湾人が南小島に上陸し、座礁した船舶の解体作業に従事していたのを発見した。係官は、これらの労務者が入域許可証等を持っていなかったため、退去を命令し、入域を希望する場合は、その許可証を取得するよう指導した。労務者は、いったん南小島から退去し、琉球列島高等弁務官の許可を得たのち、再び同島に上陸した。
【領域表示板、標柱の建立】 1970(昭和45)年、琉球政府は、魚釣島、北小島、南小 島、久場島及び大正島の5島に、琉球列島以外の居住者が高等弁務官の許可なくこれらの島嶼に入域することを禁じる領域表示板を建立した。また、これとは別に、1969(昭和44)年、石垣市が上記5島に地籍表示のための標柱を建立した。
(2)美国占领下时日本的实际支配
即使在美国的施政下,日本也通过琉球列岛美国民政府或琉球政府行为的形式对该岛延续了实效支配。
【诸岛的使用和征税】1951年(昭和26年),久场岛和大正岛被美国海军设为轰炸演习海域,且久场岛被指定为特别演习区域。大正岛也于1956年(昭和31年)4月被指定为演习区域。但是久场岛是古贺善次氏的私有地,于是美国政府于1958年(昭和33年)7月经琉球政府代理同古贺氏签署了基本租赁契约并支付了租借费用。琉球政府过去就对古贺氏所持有的鱼钓岛等其他四岛征收固定资产税,此番古贺氏又从久场岛的租借费用中获得了收入,于是又对古贺氏征收了所得税。
【学术调查】1950年(昭和25年)开始至1971年(昭和46年)间,日本在尖阁诸岛实施了共计10次的地质、资源、生态相关的学术调查。
【取缔非法入境】1968年(昭和43年),琉球政府法务局出入管理厅公务员发现数十名台湾人在南小岛上解体触礁的船舶。公务员以这些人员未取得入境许可证为由令其离境,并告知其若希望入境则需取得入境许可证。这些台湾人离开了南小岛,之后获得琉球列岛高级专员的许可再次登上南小岛继续作业。
【领域表示板、标柱的建立】1970年(昭和45年),琉球政府在鱼钓岛、北小岛、南小岛、久场岛及大正岛5岛之上设立了标有“琉球列岛以外的居住者未经高级专员许可不得进入岛屿”的领域表示板。此外另有,1969年(昭和44年),石垣市在上述5岛设立了表示土地边界和面积的标柱。


(3)中国の対応
中国は、ポツダム宣言が規定する台湾及び澎湖島の中国への返還を実現すべく、1945年8月29日に台湾省行政長官兼警備総司令を任命し、9月20日には台湾省行政長官公署組織条例を公布した。そして 10月25日に「受降典礼」なる正式の接収手続きを行って、台湾及び澎湖島を正式に自国領として回復した、とする。
しかし、中国は尖閣諸島について、1945年以降1970年まで、全く領有主張もせず、何
ら有効な抗議もしてこなかった。このことは、中国に返還された台湾及び澎湖島に、尖閣諸島が含まれていないことを、中国自身も認めていたことをうかがわせる。
よって、尖閣諸島は、対日平和条約第3条にいう日本に主権が残される地域に含まれ、沖縄返還協定に基づいて、米国から日本に返還されたと言えよう。
(3)中国的对应
中国为实现波茨坦公告规定的日本返还台湾及澎湖列岛予中国,于1945年8月29日任命台湾省行政长官兼警备总司令,并于9月20日公布了台湾省行政长官公署组织条例。10月25日“受降典礼”等正式的接收手续实施,台湾及澎湖列岛正式恢复为中国领。
但是,中国在1945年至1970年之间对尖阁诸岛的领有权没有任何主张,也没有进行任何有效抗议。据此可以看出中国自身也承认尖阁诸岛并未包含在返还给中国的台湾及澎湖列岛之中。
因此,尖阁诸岛是属于对日和平条约第三条中所述日本主权保留地域,美国基于冲绳返还协定将其返还给日本。


おわりに;
以上、尖閣諸島の領有権をめぐる主要な論点を整理した。この他、尖閣諸島の島名は中国語であり、それは同諸島が歴史的に中国領であったことの証拠である、という主張の妥当性などの論点があるが、領域の帰属を国際法的に判断する際の決定的要素とはみなされていないため、本稿では取り上げなかった。また、西太后が魚釣島を下賜した勅書という、信憑性が疑問視される資料など、紙面の制約上、言及に至らなかった問題もある。
尖閣諸島をめぐる最近の動きとしては、まず、1992年の中国のいわゆる「領海法」制定が挙げられよう。同法第2条は、尖閣諸島を中国の領土と明記した。2004年3月には、中国人の活動家が尖閣諸島に不法上陸し、日本の警察に逮捕され、強制送還されるという 事件が発生した。また、2005年2月、魚釣島の灯台を民間の所有者が放棄したため、日本政府がこれを国有化すると、中国政府は「違法で無効」とコメントした。さらに、近年、尖閣諸島近海の、両国の境界が未画定である区域で、中国がガス田開発を進めていることが、日中間の懸案となっている。
決定的期日以降の国家行為は、領域帰属の判断に影響を与えない以上、現実に尖閣諸島を支配している日本としては、法的には、今後とも実効支配を維持し、中国に対して日本の正当な権利を主張することになるであろう。
结语;
以上是对围绕尖阁诸岛领有权的主要论点的整理。此外,由于不构成判断领土归属的国际法的决定要素,诸如尖阁诸岛的岛名之中有中文因此证明该诸岛历史中属中国这样的主张本文未予以讨论。还有如慈禧太后将鱼钓岛赏赐给大臣的诏书这样真实性存在疑问的资料,限于篇幅,文本也未予以讨论。
围绕尖阁诸岛最近的动向,首先1992年中国指定了所谓《领海法》,该法第二条将尖阁诸岛明确定义为中国领土。2004年3月发生了中国保钓活动家非法登上尖阁诸岛被日本警察逮捕并强制遣返的事件。2005年2月,鱼钓岛的灯台因为民间所有者放弃而被日本政府国有化,中国政府表示该行为“非法并且无效”。此外,近年在尖阁诸岛近海,两国边界未划定的区域,中国开始油气田的开发,此成为日中间的悬案。
既然关键时间之后的国家行为并不影响对领域归属的判断,作为现实中正实际支配尖阁诸岛的日本,只要今后在法的层面上继续维持实效支配,就应能对中国主张自身正当的权利。


琉球特別自治区?
遅れてやって来た帝国主義
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by officemei | 2013-11-26 17:11
Ⅲ.日本への領土編入;
日本は、「尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895 年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとした。
他方、中国は、中日甲午戦争(日清戦争)を通じて、日本が尖閣諸島をかすめとり、さらに清朝政府に圧力をかけて、1895 年4月に馬関条約(下関条約)に調印させ、台湾とそのすべての付属島嶼及び澎湖列島を割譲させたと主張している。
以下では、日本が行った閣議決定に基づく尖閣諸島の領土編入の有効性、尖閣諸島の領土編入と日清戦争・下関条約との関係を検討する。
III.编入日本领土;
日本主张“尖阁诸岛是1885年以后政府通过冲绳县当局再三进行实地调查,慎重地确认该岛是无人岛并无清国支配痕迹之后,国务大臣会议于1895年1月14日通过在实地建立航标的决定而正式被编入日本的领土”。
另一方面,中国主张日本是通过中日甲午战争窃取了尖阁诸岛,且进一步向清朝政府施加压力,在1895年4月签署的马关条约上使其割让了台湾及其所有附属岛屿以及澎湖列岛。
以下将就日本基于国务大臣会议决定而进行的尖阁诸岛领土编入的有效性,尖阁诸岛的领土编入与甲午战争及马关条约的关系进行探讨。


1.領土編入の閣議決定
(1) 領有意思
日本が尖閣諸島に対して領有の意思を持ち始めたのは、1879(明治12)年の琉球処分の頃と思われる。この年に発行された『大日本全図』、及び同年発行の英文の『大日本全図』で、尖閣諸島は琉球諸島に含められている。これら2つの地図は、いずれも私人が作成し、内務省の版権免許を得て刊行された。
内務省地理局によって刊行されたものでは、1879(明治12)年の『大日本府県管轄図』が、尖閣諸島を琉球諸島の中に含め、1881(明治14)年の『大日本府県分割図』が、「沖縄県図」の中に、島の名は記さず、その形だけで、尖閣諸島を示している。内務省作成の地図において、尖閣諸島が日本の版図に含まれていることは、同諸島に対する日本の領有意思を示すものと言えよう。
1.领土编入的国务大臣会议決定
(1)领有意愿
日本对尖阁诸岛产生领有意愿始于1879年(明治12年)琉球处分的时候。这一年发型的《大日本全图》以及同年发行的英文版《大日本全图》中尖阁诸岛包含于琉球诸岛之中。这两张地图都是个人制作在获得了内务省的出版执照后得以发行。
内务省地理局制作发行的1879年(明治12年)的《大日本府县管辖图》中尖阁诸岛也被包含于琉球诸岛之中。该局1881年(明治14年)制作发行的《大日本府县分割图》中的“冲绳县图”里,尖阁诸岛被画了出来,但未标注名称。内务省制作的地图都将尖阁诸岛包含于日本的版图之中,这应当可以视作日本表达出了领有意愿。


(2) 国標設置に関する井上馨外務卿の見解
1885(明治 18)年、沖縄県令は、尖閣諸島の実地調査にあたり、国標建立について指揮を仰ぎたいとの上申書を山県有朋内務卿に提出した。内務卿は、これらの諸島が清国に属している証拠が見当たらず、沖縄県が所轄する宮古島や八重山島に接近した無人島嶼であるので、国標の建立は差し支えないとして、「無人島久米赤島他外二島ニ国標建立ノ件」 を太政官会議に提出するための上申案をまとめた。続いて同年10月9日には、井上馨外務卿と協議し、その意見を求めた。10月21日の外務卿の回答は次のような内容である。
これらの島嶼は、清国国境にも近い小島嶼である。また、清国はその島名もつけていて、清国の新聞に、我が政府が台湾付近の清国領の島嶼を占拠したなどの風説を掲載して、我が政府に猜疑を抱き、しきりに清国政府の注意を促す者もいる。ついては、「公然国標ヲ建設スル等ノ処置有之候テハ、清国ノ疑惑ヲ招キ候間、…(中略)…国標ヲ建テ開拓ニ着手スルハ、他日ノ機会ニ譲リ候方可然存候。」
この回答を受けた内務卿は、国標建設の件を太政官会議に上申するのを見送った。 上記の井上外務卿の見解は、尖閣諸島が清国に属することを認める趣旨であろうか。これについては、当時小国であった日本の、大国清に対する外交上の配慮であり、朝鮮問題及び琉球処分という重大問題が介在する中、このような小さな問題で、今清国と事を構えるのは得策ではないという、外務省としては当然の発想であると指摘されている。
(2)关于国标设置的井上磬外务卿的见解
1885年(明治18年),冲绳县令于尖阁诸岛实地调查之际,就建立国标一事请求指示而上书内务卿山县有朋。内务卿认为没有发现尖阁诸岛从属于清国的证据,且又是接近冲绳县所辖的宫古岛和八重山岛的无人岛,设立国标不会有影响,于是准备向太政官会议提出的“無人島久米赤島他外二島ニ国標建立ノ件(就于无人岛久米岛赤岛及另外两岛设立国标的提案)”,接着同年10月9日与井上磬外务卿协商,征求了意见。10月21日外务卿回答的内容如下:
这些岛屿离清国国境也近,且清国也给岛命了名。清国的报纸谣传我们政府已经占领了台湾附近清国领有的岛屿,清国里也有对我们政府抱有猜疑,屡次提醒清国政府注意的人。因此,“公然国標ヲ建 設スル等ノ処置有之候テハ、清国ノ疑惑ヲ招キ候間、…(中略)…国標ヲ建テ開拓ニ着手 スルハ、他日ノ機会ニ譲リ候方可然存候(公然建立国标等会招致清国的疑虑…(中略)…着手建立国标时期可日后另寻)”。
获得此回答的内务卿于是搁置了本要向太政官会议提出的国标建设议案。那上述的井上外务卿的见解是否就是承认尖阁诸岛是从属清国呢?关于此,有学者指出当时还是小国的日本正介入朝鲜问题和琉球处分这样重大问题之中,出于对当时的大国清国的外交上的考虑,不希望因为这样的小问题同时又跟清国产生误会纠纷,当时的外务省产生这样的想法可谓理所当然。


(3)国標設置許可の閣議決定
1885(明治18)年以降、古賀辰四郎氏が尖閣諸島に渡航し、鳥毛の採取や漁業に従事 していたが、他にも、尖閣諸島に渡航し、漁業その他を行う者が現れるようになった。そこで沖縄県知事は、水産業の取締りのため、1890(明治23)年1 月13 日に内務大臣宛に、無人島魚釣島ほか2 島を八重山島役所の所轄にしてほしいとの伺いを出し、さらに1893(明治 26)年11月26 日にも、内務、外務両大臣宛に同様の上申をした。しかし、政府 はいずれにも回答を示さなかった。また、1894(明治 27)年には、古賀氏が内務、農商務両大臣に尖閣諸島開拓の許可を願い出たが、認められなかった。
1894(明治27)年8 月1日、日清戦争が開戦し、その年末には勝敗がほぼ決定していた。そのような情勢下にあった12月27日、野村靖内務大臣は、1885(明治18)年当時とは事情が異なるとして、「久場島及び魚釣島へ所轄標杭建設の件」の閣議提出について、 陸奥宗光外務大臣の意見を求めた。翌 1895(明治28)年1月11日、外務大臣は、外務省としては別段異議がない旨回答した。
かくして本件は、1895(明治28)年1 月14 日の閣議に提出され、沖縄県知事の上申通 り、「久場島及び魚釣島」を同県所轄とし、標杭建設を許可する閣議決定がなされた。1月21日には、内務、外務両大臣連名で、沖縄県知事に上申中の標杭建設を聞き届けるとの指令を出した。
(3)许可设置国标的国务大臣会议决定
1885年(明治18年)以后,除了古贺辰四郎氏到尖阁诸岛进行鸟毛采集和渔业活动,其他到尖阁诸岛从事渔业等其他活动的人也纷纷出现。于是为了管理水产业,冲绳县知事于1890年(明治23年)1月13日向内务大臣提出了希望将无人岛鱼钓岛等其他两岛置于八重山岛官厅的管辖之下的请示。1893年(明治26年)11月26日冲绳县知事再次向内务、外务两大臣提出了同样的请示。但是政府都没有回应。此外,1894年(明治27年),古贺氏向内务、农商务两大臣提出了开拓尖阁诸岛的申请,也没有获准。
1894年(明治27年)8月1日,日清战争爆发,当年年末胜负基本已分。在这样的情势下,12月27日,野村靖内务大臣以现在同1885年的情形大相径庭为由,就向国务大臣会议提出“于久场岛及鱼钓岛建设所辖航标之议案”问陆奥宗光外务大臣咨询了意见。次年1895年(明治28年)1月11日,外务大臣回复称外务省没有特别异议。
这样该议案于1895年(明治28年)1月14日被提交至国务大臣会议并获得通过,如冲绳县知事请示的一样,“久场岛及鱼钓岛”成为冲绳县管辖区域,航标的建设得到许可。1月21日,内务、外务两大臣联名发出了允许冲绳县知事提出的航标建设的通知。


2.下関条約との関係
1895年4月17日、日清両政府は「日清両国講和条約」(明治28年5月13日勅令。以下「下関条約」という。)に調印した。下関条約第2 条は、「清国ハ左記ノ土地ノ主権並ニ該地方ニ在ル城塁、兵器製造所及官有物ヲ永遠日本国ニ割与ス」と規定し、「左記の土地」の一つに、「二台湾全島及其ノ附属諸島嶼」を挙げている。
尖閣諸島は、ここでいう台湾の付属島嶼として日本に割譲されたものであろうか。尖閣諸島が台湾の附属諸島嶼に含まれるのならば、日本は、第二次世界大戦後の領土処理の過程で、尖閣諸島を放棄したことになる。
2.与马关条约的关系
1895年4月17日,日清两政府达成“日清讲和条约”(即马关条约。一下俱称马关条约)。马关条约第二条规定“清国将下列土地之主权以及该地城垒、兵器制造所及国有物永久割让给日本”,“下列土地”之一包含“二 台湾全岛及其附属岛屿”条款。
尖阁诸岛是否是作为此处所述台湾的附属岛屿割让给日本的呢?若尖阁诸岛是台湾的附属岛屿,那日本应该在二战后领土处理的过程中放弃该岛。


(1)講和会議
講和条約締結に向けた談判中、清国は、日本からの台湾、澎湖諸島の割譲要求に対しては、強く反対の立場を主張していたが、尖閣諸島の地位については何ら問題にしなかった。 もし、清国が尖閣諸島を自国領と認識していたならば、台湾や澎湖諸島と同様、尖閣諸島 の割譲についても異を唱えていたのではないだろうか。この点、中国側の主張を支持する立場には、敗戦国である清国に、けし粒のような小島の領有権を、いちいち日本と交渉して確定するゆとりはなかったのであろう、との見解もある。しかし、これに対しては、国際法的な抗議は、戦争の勝敗とは無関係であり、戦争中でも、日清講和条約の交渉過程においても、また、その後でも、中国が同諸島を自国領土として認識していたならば、当 然に抗議その他何らかの措置をとるべきであった、と反論される。
(1)讲和会议
讲和条约缔结的谈判当中,清国虽强烈反对日本索取台湾、澎湖列岛的请求,但对尖阁诸岛的地位问题没有任何异议。若是清国认为尖阁诸岛是自己的领土,那应该同台湾和澎湖列岛一样对尖阁诸岛的提出异议。这一点,支持中国领有主张的井上磬(已故京都大学教授,毛派左翼,译者注)认为作为当时战败国的清国已经没有余地就一丁点儿大小的岛的领有权一个一个同日本交涉确定了。对于此,国际法上的抗议跟战争的胜败并无关系,战争中,日清讲和条约交涉的过程之中及其以后,只要中国认为该群岛是本国领土完全可以抗议或采取其他措施。


(2)「台湾受け渡しに関する公文」
また、下関条約第5 条に従い、1895年6月2日に「台湾受け渡しに関する公文」に署名する際、日本の水野弁理公使と清国の李経方全権委員との間で、台湾の附属諸島嶼の範囲について、次のようなやり取りがなされた。
李は、日本が後日、福建省付近に散在する島嶼を台湾附属島嶼と主張することを懸念し、台湾所属島嶼に含まれる島嶼の名を目録に挙げる必要はないかと尋ねた。水野は、島嶼名を列挙すれば、脱漏したものや、無名の島があった場合、日中いずれにも属さないことに なり不都合である。台湾の所属島嶼は海図や地図などにおいて公認されており、台湾と福建との間には澎湖列島の「横はり」があることから、日本政府が福建省付近の島嶼を台湾所属島嶼と主張することは決してない、と応答し、李も肯諾した。
これに関して、1895(明治28)年までに日本で発行された台湾に関する地図・海図の類は、例外なく台湾の範囲を彭佳嶼までとしていて、地図や海図で公認された台湾附属島嶼に尖閣諸島が含まれないことは、日清双方が認識していた。
以上のことから、尖閣諸島は、下関条約第2 条に基づき接受された「台湾及其ノ附属諸 島嶼」には、含まれていなかったと考えられる。
(2)「交接台湾文据」
依据马关条约第5条,1895年6月2日签署“交接台湾文据”之际,日本的水野遵办理公使(办理公使为职务名,人民日报论文写作“日本公使水野办理”实为大缪,译者注)同清国李经方全权位元之间就台湾附属岛屿的范围进行了如下的交涉。
李经方担心日后日本又将散落与福建省附近岛屿列为台湾附属岛屿并提出领有权请求,于是提出于是提出是否应该列出台湾所有附属岛屿的名录。水野回复说,如果将岛名逐一列举,难免会出现疏漏或涉及无名岛屿问题,如此一来该岛将不属于日、中任何一方,从而带来麻烦;有关台湾附属岛屿已有公认的海图及地图,而且在台湾和福建之间有澎湖列岛为“屏障”,日本政府决不会将福建省附近的岛屿视为台湾附属岛屿。于是李经方同意了。
关于此,1895年(明治28年)为止在日本发行的关于台湾的地图海图毫无例外将台湾的范围止于彭佳屿,地图海图所公认的台湾附属岛屿中也没有包含尖阁诸岛。这是日清双方达成共识的。
综上,尖阁诸岛并不包含于马关条约第二条中所述“台湾及其附属岛屿”。


3 .編入以降の実効的支配
ある地域の帰属決定に際して、国際法上、領域主権の継続的かつ平穏な行使が重視されることは、第Ⅰ章で述べた通りである。1895(明治28)年の領土編入以降、第二次世界大戦の終了まで、日本はいかに尖閣諸島を支配していたのであろうか。
1896(明治29)年に沖縄に郡制が施行されると、魚釣島と久場島は、まもなく八重山郡に編入され、南小島、北小島と共に国有地に指定された後、地番が設定された。同年9月、政府は、魚釣島、黄尾嶼、南小島、北小島を 30 年間無料で古賀辰四郎氏に貸与することとし、無料貸与期間終了後は、1年契約の有料貸与に改めた。1932(昭和7)年には、同諸島を古賀善次氏(古賀辰四郎氏の子息)に払い下げて、4島は同氏の私有地となった。 古賀氏は、同諸島でアホウ鳥の羽毛の採取、グァノ(海鳥糞)の採掘、その他水産加工等 に従事して、4島の払下げ以後は、毎年地租を収納した。古賀氏による同諸島の経営は、太平洋戦争直前まで続いた。
また、国の各機関や沖縄県がたびたび尖閣諸島の実地測量を行い、その成果は地図や海図に反映された。さらに、資源調査、地形調査、気象測候所設立のための下調査といった、各種調査を実施した。沖縄県の統計書や県勢要覧といった官庁文書には、同諸島に関する記述が見られるようになった。
以上のように、尖閣諸島に対する日本の統治権は、領土編入以降太平洋戦争終了まで、 一貫して及んでいた。その間、日本の主権行使について、どこの国からも一度たりとも抗議はなかった。
3.编入以后的实效支配
一旦决定某个地域的归属,如之前第一章所述,国际法上对持续并平稳地对其施行领域主权十分重视。那么从1895年(明治28年)领土编入到二战结束,日本是如何对尖阁诸岛进行支配的呢?
1896年(明治29年)冲绳开始施行郡制,鱼钓岛和久场岛随即被编入八重山郡,在与南小岛、北小岛一道被指定为国有地之后,各岛的土地编号得以落实。同年9月,日本政府将鱼钓岛、黄尾屿、南小岛、北小岛无偿租给古贺辰四郎氏,租期30年。30年免费租期期满之后改为每年更新契约的有偿出租。1932年(昭和7年),政府又将这些岛屿转让给古贺善次氏(古贺辰四郎的儿子)作为其私有地。古贺氏在岛上进行短尾信天翁羽毛和海鸟粪的采集并从事其他水产加工等活动。四岛转让之后,古贺氏每年收取地租。古贺氏一族经营这些岛屿一直持续到太平洋战争爆发前夜。
此外,日本国各部门以及冲绳县多次赴尖阁诸岛进行实地测量,实地测量的成果俱反映于地图与海图之中。实地测量之外还有资源调查、地形调查、为设立气象测量所而进行的调查等。得益于这些调查,冲绳县的统计书及县势要览等官方文书才能对该群岛进行记述。
如上所述,日本对尖阁诸岛实施的统治权从领土编入到太平洋战争终结是一贯的。在此期间,对于日本的钓鱼岛主权行使,没有任何国家提出异议抗议。

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by officemei | 2013-11-26 17:10
濱川今日子女史の「尖閣諸島の領有をめぐる論点(国立国会図書館 ISSUE BRIEF NUMBER 565 2007. 2.28.)」の翻訳です。
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はじめに;
尖閣諸島は、魚釣島(うおつりしま)、久場島(くばじま。別称、黄尾嶼(こうびしょ)など)、大正島(別称、久米赤島、赤尾嶼(せきびしょ)など)、北小島、南小島、飛瀬、沖の北岩、沖の南岩から成る現在は無人の島嶼群である。特に見るべき資源もないと思われていたが、1968(昭和 43)年の、国連アジア極東経済委員会(ECAFE)による学術調査の結果、東シナ海の大陸棚に豊富な石油資源が埋蔵されている可能性が指摘され、にわかに注目を集めるようになった。1970年代に入ると、中国は同諸島に対する領有権を主張し始めた。
本稿では、国際法上、領土の帰属がいかに決定されるかをふまえた上で、尖閣諸島の領有権をめぐる論点をまとめることにしたい。
前言;
尖阁诸岛是由鱼钓岛,久场岛(又名黄尾屿),大正岛(又名赤尾屿、久米赤岛),北小岛,南小岛,飞濑,冲北岩,冲南岩构成的当前无人居住的无人岛。这本是一个没有什么特别资源的地方,然而1968年联合国亚洲远东经济委员会(ECAFE)发表了学术调查,指出东海大陆架可能蕴含丰富的石油资源,于是此处突然成了各方瞩目的焦点。进入1970年代,中国开始提出领有权主张。本文立足于国际法上如何解决领土归属问题之上,整理并讨论围绕尖阁诸岛归属的相关争议。


Ⅰ.領土の帰属に関する国際法;
ある領域は、領域権原を有する国家に帰属する。領域権原とは、国家が特定の地域について、領域主権を有効に行使することができるような原因ないし根拠となる事実をいう。 国家が領域権原を取得する方式として、伝統的に、先占、添付、割譲、併合、征服、時効 が認められてきた。これらのうち、日本政府が尖閣諸島に対する領有権の根拠としているのは、先占である。
I 与领土归属相关的国际法;
判定某个领域的归属基于该国是否用有这个领域的(主观)权利(領域権原)。领域的(主观)权利是指可以说明一国在特定的地域得以以有效的形式行使领域主权的原因或者根据的事实。一国获取领域的(主观)权利的被认可的传统方式有先占,添付,割让,合并,征服以及时效。此间,日本政府对尖阁诸岛享有领有权的根据是先占。


1.先占の理論
先占とは、国家が、無主地、すなわちいずれの国家領域にも属していない地域を、領有意思をもって実効的に占有することをいう。
領有の意思は通常、当該地域を自国領土に編入することの宣言や、他国への通告によって表示される。しかし、通説によれば、宣言や通告は、領有意思を示すための絶対的な要件ではない。具体的な国家活動や関連事実から、その意思が推定されるからである。
実効的な占有とは、言い換えれば、領有の意思の存在を立証する具体的な国家活動である。今日では、土地の現実的使用や定住といった物理的占有までは必要とされず、支配権の確立という社会的占有で足りるとされている。
1. 先占的理论
先占是指,一国对无主地,即不从属于任何国家的地域,以领有的意愿,进行实际地占有。领有的意愿一般通过在将某地域编入本国领土之时的宣言或对他国的通告的方式来表达。但是,根据现代国际法中一般的说法,宣言及通告并非表达领有意愿的绝对必要条件。领有的意愿可以通过具体的国家活动以及关联事实进行推定。
实际占有,换言之,是可以证明存在领有意愿的具体的国家活动。今天,所谓占有并不需要如现实的使用及定住一样的物理上的占有,确立支配权这样的社会性的占有足以明确。


2.判例における権原維持の重視
伝統的理論上は、いったん領域権原を取得すれば、即座にその他すべての国への対抗力が発生する。したがって、特定の地域について、複数の国の権原が競合することはないはずである。
しかし、現実には、権原を取得したか否かの事実自体が不明確であるゆえに、紛争が発生することがある。そのような場合、各当事国は、それぞれ異なる証拠を用いて、自国が権原を取得したことを主張するので、一方が絶対的な権原を有し、他方はそれを有さないというような、伝統的理論に基づく全か無かの判断は難しい。
そこで、パルマス島事件常設仲裁裁判所判決(1928 年)では、先占、時効などの伝統 的領域権原に依拠せず、「領域主権の継続的かつ平穏な行使(the continuous and peaceful display of territorial sovereignty)は、権原として十分に有効である」として、いったん獲得された権原が維持されているか否かを帰属決定の判断要素とした。いずれの当事国が、より効果的に係争地域を支配してきたかが、相対的に判断されたと言うこともできよう。 このような法理は、パルマス島事件以降の領土紛争に関する判例でも踏襲された。なお、継続的な「現実の支配」に対する、他国、特に他方の係争国が与える承認や黙認は、その 平穏性を示すことから、極めて重要なものと評価される。
2.判例中对(主观)权利维持的重视
依据传统的理论,一国一旦取得领域(主观)权利,就立即产生对其他所有国家的对抗力(排他性)。因此,在特定的地域出现多个国家争执(主观)权利的局面不应该发生。
然现实之中,因为是否取得(主观)权利的事实本身不明确发生纷争的事情时有发生。遇到如此局面,各当事国需要拿出证据证明自身取得了(主观)权利,而诸如一方拥有绝对的(主观)权利而对方完全没有的基于传统理论的是非判断是比较困难的。
正因此,1928年帕尔马斯岛事件常设仲裁法庭的判决不依据片面的先占,时效等的传统(主观)权利主张,而将“领域主权的持续并且平稳的行使(the continuous and peaceful display of territorial sovereignty)”视为有效的(主观)权利,以是否将一时取得的权利维持下去作为判断归属的关键要素。可以说法庭当时对个当事国的哪一方更有效的对纷争地域进行了支配做出了权衡及客观判断。
帕尔马斯岛事件之后的与领土纷争有关的判例也沿袭了帕尔马斯岛事件判例中的法理。尤其是该判例中纷争当事国中一方对另一方持续且现实地支配的承认与默认可被视为另一方平稳地行使了领域主权的极为重要的证据,获得了极大关注。


3.決定的期日(critical date)
紛争が発生した、あるいは領域権原が確立した時点を、決定的期日(critical date)」という。国際法は、決定的期日以前の事実や国家行為のみに、証拠能力を認めている。決定的期日の認定方法は一様ではなく、最終的には裁判所の判断に委ねられる。当事国が異なる決定的期日を主張し、裁判所がこれを特に認定しなかったケースもある。
3.关键时间 (critical date)
发生纷争或者领域(主观)权利确立的时间点被称作关键时间(critical date)。国际法上只承认关键时间之前的事实及国家行为。关键时间的认定也不尽相同,最终委托法庭判断。也有当事国坚持提出的不同关键时间,但最终未获法庭认可的例子。

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Ⅱ.領土編入以前;
中国は、「はやくも明代に、これらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域のなかに含まれており、それは・・・中国の台湾の付属島嶼であった。中国と琉球とのこの地区における境界 線は、赤尾嶼と久米島とのあいだにある」と主張する。以下では、尖閣諸島が歴史的に中国の領土であったことの根拠とされる文献を挙げ、その妥当性を検討したい。
II.领土编入之前;
中国一直以来这样主张:“钓鱼岛明朝就已经包含于中国海上防卫区域,属于中国台湾的附属岛屿。中国与琉球的在这一区域的边界线是在赤尾屿与久米岛之间”。以下将列举用于阐释尖阁诸岛是中国领土的文献,并分析其妥当性。


1.「海上防衛区域」
1560 年代、華中・華南地方沿岸を中心に倭寇が猛威をふるい、明朝に対する重大な脅威となっていた。このため、海上防衛区域が設定されていたようであり、中国は、当該区域に尖閣諸島が含まれていたという。
その根拠としてよく挙げられるのが『籌海図編(ちゅうかいずへん)』(1562 年刊と推定)である。同書の巻一「沿海山沙図(えんかいさんさず)」福七、福八には、福建省羅源県・寧 徳県の沿海の島々が描かれ、それには、雞籠山、彭化山、釣魚嶼、化瓶山、黄毛山、橄欖 山、赤嶼など、尖閣諸島に連なる島嶼が含まれている、というのである。
しかし、同じ『籌海図編』でも、巻四の中の「福建沿海総図」には、尖閣諸島はおろか、台湾や基隆嶼、彭佳嶼すら描かれていない。『籌海図編』が編纂された時期、明は本土沿岸の防衛にも汲々とする有様で、その防衛力は澎湖島にさえ及んでいなかった。よって、「沿 海山沙図」に尖閣諸島が描かれた意図は、これらの島嶼が、倭寇が襲来する際の進路にあたり、本土防衛上注意すべき区域であることを示すにとどまる、との指摘がなされている。
1.“海上防卫区域”
1560年代,以华中华南地方沿岸为中心,倭寇活动猖獗,对明朝构成了极大的威胁。因此,中国设定了海上防卫区域,其中包含了尖阁诸岛。
作为这一说法的根据经常被拿出来的证据是《籌海图編》(推定1562年)。该书的卷一《沿海山沙图》福七,福八之中有画出福建省罗源县,宁德县沿海的岛屿,其中包含鸡笼山,彭化山,钓鱼屿,化瓶山,黄毛山,橄榄山和赤屿等与尖阁诸岛相连的岛屿。
可是,同样是在这本《籌海图編》的卷四之中的《福建沿海总图》里,不仅没有尖阁诸岛,连台湾,基隆屿,彭佳屿都没有画出。编撰《籌海图編》的年代,明朝一直专心与本土沿岸的防卫,但其防卫力却连澎湖岛都未达到。因此,《沿海山沙图》中画出尖阁诸岛的意图,有学者指出这是为了标注倭寇来袭时的路径,提示本土防卫时应该注意此区域。


2.「中国の台湾の付属島嶼」
(1)明代
次に、尖閣諸島は「中国の台湾の付属島嶼」であろうか。尖閣諸島が台湾の付属島嶼であるとの説は、『日本一鑑』(1556 年)の中の、魚釣島についての記述、「小東(台湾を指すとされる。)之小嶼也」が根拠の一つとなっている。しかし、当時の中国は、台湾を統治しておらず、統治の意思もなかった。例えば、明の正史である『明史』では、台湾は東蕃として「外国列伝」に入れられ、台湾北部の雞籠山 も「外国列伝」に含められている。仮に、尖閣諸島が台湾の付属島嶼であったとしても、台湾が中国の領土でなければ、同諸島が中国に属することの証明にはならない。これに加 えて、『日本一鑑』が著された時代、台湾に統一的な政府が存在していなかったことを鑑みれば、「小東之小嶼也」は、魚釣島が、政治的にではなく、地理的に台湾に付属するとの意味であったと考えられる。
2.“中国台湾的附属岛屿”
(1)明代
那么,尖阁诸岛是“中国台湾的附属岛屿”吗?尖阁诸岛是台湾附属岛屿的说法出自《日本一鑑》(1556年)之中对鱼钓岛的记述---“小東(指台湾)之小嶼也”。
可是,当时的中国,不仅没有实际统治台湾,连统治的意愿都没有。比如说,明的正史《明史》就把台湾当做东蕃放入了《外国列传》,连台湾北部的“鸡笼山”也被放入了《外国列传》。即使尖阁诸岛是台湾的附属岛屿,但若台湾不是中国的领土,就不能证明该诸岛属于中国。而且,《日本一鑑》成书的年代,鉴于台湾不存在一个统一的政府,“小东之小嶼也“并不能说命鱼钓岛政治上从属于台湾,而只是表明地理上依附台湾。


(2)清代
台湾は、1684年に中国の領土に編入された。このとき、尖閣諸島も台湾の付属島嶼として、清に組み込まれたのであろうか。
清朝政府が編集した『福建通志』(1684 年)、『重纂福建通志』(1838 年)を見ると、尖閣諸島が当時の福建省の行政範囲に含まれていなかったことは明らかなようである。いずれの通志においても、尖閣諸島に関する記述や地図上の描写は発見されない。
また、中国編入以降の台湾府志でも、台湾府の北端は雞籠嶼とされ、花瓶嶼、棉花嶼、彭佳嶼すら、台湾の行政範囲には含まれていない。とすれば、これら 3 島よりも、台湾から遠方に位置する尖閣諸島が、清朝統治下の台湾省の範囲に含められていなかったことは当然である、とされる。
(2)清代
台湾1684年被编入中国的领土,那时候尖阁诸岛被清朝算入台湾的附属岛屿的了吗?
清朝政府编辑的《福建通志》(1684年),《重纂福建通志》(1838年)清楚显示尖阁诸岛并未在当时的福建省行政范围之中,亦未见与尖阁诸岛相关的记述与地图上的绘注。
此外,台湾被中国编入之后的台湾府志之中说明台湾府的北端为鸡笼屿,连花瓶屿,棉花屿,彭佳屿都未被列入台湾的行政范围之内。如此,比花瓶屿,棉花屿,彭佳屿更要远离台湾的尖阁诸岛当然不应该属于清朝通知下的台湾省的范围。


(3) 林子平の『三国通覧図説』
江戸時代の経世家、林子平が著した『三国通覧図説』(1786(天明 6)年)の付図「琉球三省并三十六島之図」は、色刷りの地図である。ここで、九州などが緑色、琉球王国領は薄茶色であるのに対し、尖閣諸島が中国と同じ桜色で塗られていることが、尖閣諸島が 中国領であることを、日本人も認めていた証拠として挙げられることがある。
しかし、この地図は、台湾が正式に中国に編入されて以降に作成されたにもかかわらず、 台湾を中国とは異なる黄色に塗り、その大きさを沖縄本島の 3 分の1 に描くなど、不正確な点も多い。そもそも『三国通覧図説』は、林子平が私人の立場で書いたもので、日本の政府の意思を反映したものではない。このような理由から、同書を尖閣諸島が中国領であることの法的証拠として採用することはできない、といわれる。
(3)林子平的『三国通覧图説』
江户时代的经世家林子平所著《三国通览图说》(1786年)中的附有套色地图“琉球三省并三十六岛之图”,其中九州等为绿色,琉球王国为浅茶色,而尖阁诸岛跟中国一样被涂成粉色。据此有人认为连日本人都承认尖阁诸岛是中国领土。
然而,尽管制作该地图时台湾早就正式的被并入中国,但地图却把台湾涂成了和中国不一样的黄色,而且画出的台湾大小也只有冲绳本岛的三分之一大小,谬误甚多。本来,《三国通览图说》是林子平体现个人立场的著作,并不反映当时日本政府的立场。因此该书不应当成为尖阁诸岛是中国领土的法理上的证据。


3.琉球と中国との境界
(1) 『冊封使録』
1372 年から1879 年まで、琉球国と中国は、朝貢・冊封関係にあり、琉球と福州との間で、朝貢船、冊封船が往来していた。冊封使は帰国後、自らの見聞・体験等を通して、その航海の事情から一切の儀礼及び琉球国の国情等についても記録し、その使録とし、後世の封使等の指標に供するのを慣例とした。
中国と琉球との境界線は、赤尾嶼と久米島との間にあるという主張の根拠として、冊封使録の記述がしばしば援用される。
例えば、久米島について、『使琉球録』(1534年渡琉)では、「乃チ琉球ニ属スル者ナリ」、『中山伝信録』(1719年渡琉)では、「琉球西南方界上鎮山22」と述べられている。また『重編使琉球録』(1561年渡琉)には「赤嶼ハ琉球地方ヲ界スル山ナリ」、『使琉球雑録』(1683年渡琉)には、赤尾嶼と久米島との間にある「郊」の意味について「中外ノ界ナリ」 との説明もある。
しかし、これらの記述から明確に読み取れるのは、久米島が琉球に属することのみであり、赤尾嶼の帰属については何ら述べられていない。尖閣諸島は、福州と那覇のほぼ中間地点に位置し、航路目標として有用であったことなどから、冊封使は、尖閣諸島を中国の領土と意識して、久米島からは琉球領に属すると記述したのではなく、同諸島を航路の目標として記述したと解すべきであると反論される。
また、『使琉球雑録』の「郊」や「中外の界」とは、冊封船の航路を横切って流れる黒潮の存在や当時の海上信仰を考えれば、国の内外の堺という意味ではなく、水域あるいは海流の内外の意に解した方が、より妥当であるとの指摘もある。
3.琉球与中国的边界
(1)『册封使录』
1372年开始至1879年间,琉球国与中国有着朝贡与册封的关系,朝贡船与册封船往来于琉球与福州之间。册封使按惯例归国之后以自身的见闻体验的形式记录下从航海情形到各种礼数乃至琉球国的国情等的事情,以供以后的封使参考。
册封使录中的一些记述不时被用于支持中国与琉球之间的分界线在赤尾屿与久米岛之间的主张。
比如,关于久米岛的记述,《使琉球录》(1534年渡琉)中有“乃チ琉球ニ属スル者ナリ(此属琉球)”,《中山传信录》(1719年渡琉)中有“琉球西南方界上鎮山(镇山指镇守神灵之山)”。此外,《重编使琉球录》(1561年渡琉)中记述有“赤嶼ハ琉球地方ヲ界スル山ナリ(赤屿是与琉球地方分界的山)”,《使琉球杂录》(1683年渡琉)亦有表明赤尾屿和久米岛之间是“郊(边境)”的“中外ノ界ナリ(中外之界)”的记述。
然而,从这些记述中能够明确提炼出来的内容只有久米岛属于琉球,至于赤尾屿的归属却未见提及。尖阁诸岛几乎位于福州与那霸正中间位置,作为航路目标是有用的,因此也可以认为册封使并非是以尖阁诸岛是中国领土为前提记述了久米岛是属于琉球的内容,而是讲尖阁诸岛当做航标进行了记述。
此外,对于《使琉球杂录》中的“郊”和“中外之界”,也有学者从当时存在横穿册封船航路的黑潮以及当时的海上信仰的角度出发,认为那并非是国的内外边界的意思,而用作水域或海流的内外之意解释更为妥当。


(2) 琉球36島
中国は、1879年の琉球の帰属に関する日清交渉において、琉球国の版図、いわゆる琉球36島に尖閣諸島が含まれていないことを、日清双方が認めているという。
琉球36 島は、人居の地であることと、首里王庁への貢納義務を負っていることが条件であり、これらの条件を満たした島嶼のみが王府領と明記された。確かに、このような条件を満たしていない尖閣諸島は、琉球36島に含まれていなかった。しかし、同諸島が、明・清代の福建省、あるいは台湾省の行政範囲にも含まれていなかったのは、先述の通りであって、琉球36島に含まれていないことが、直ちに尖閣諸島の中国への帰属を意味するものではない。
(2)琉球36岛
中国方面认为,1879年就琉球归属而进行的日清交涉中日清双方都承认尖阁诸岛未包含于琉球国的版图即琉球36岛之中。
所谓琉球36岛是指满足了有人居住并负有向首里王厅进贡纳税义务的条件而被明确定义为属于琉球王府的岛屿。如此说来,不合上述条件的无人岛的尖阁诸岛确实不属于琉球36岛,但是又如前面所述,尖阁诸岛明清时代既不属于福建省,也未被包括于台湾的行政范围。尖阁诸岛不属于琉球36岛并不就简单意味着属于中国。

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