タグ:文芸作品など ( 118 ) タグの人気記事










[PR]
by officemei | 2013-05-15 10:18 | ◆親愛的
蔡琴を聴いていると心が落ち着きます。
私は彼女が台北から基龍まで通学していた頃に台北で暮らしていました。
その頃の台北の光景が鮮やかに目に浮かんできます。
彼女の存在も私が台湾を愛する要因の一つになっています。
今では私と同じように彼女の歌を聴き癒されている、中国の心ある人たちも増えました。
中年以上の年代ですが・・・


蔡琴「海上良宵香港演唱會」 .


以前掲載した「蔡琴の歌」;

蔡琴「不了情」;
[PR]
by officemei | 2013-05-09 06:08 | ■台灣
庄奴,1922年生于北京,毕业于北平中华新闻学院,为了抗战,他曾改名黄河。青年时代庄奴曾在重庆工作和生活过,1949年到台湾后,庄奴当过记者、编辑,演过话剧,但以音乐创作彰显盛名,尤以流行歌曲最为人津津乐道。著名歌星邓丽君演唱的《小城故事》、《垄上行》、《甜蜜蜜》、《又见炊烟》、《原乡人》以及费翔演唱的《冬天里的一把火》等脍炙人口的流行歌曲都是庄奴作的词。50多年来,庄奴写了3000多首歌词,成为中文流行乐坛的一个奇迹。​


[PR]
by officemei | 2013-04-30 22:08 | ■中国語
辛晓琪,台湾著名女歌手,出生于台中丰原。1986年发行专辑《寂寞之冬》出道,1992年加盟滚石唱片,李宗盛写下的《领悟》一曲,辛晓琪将这首歌诠释地淋漓尽致,辛晓琪因此声名大噪,1994年「领悟」专辑大卖50万张,成功跻身歌坛畅销歌手之列;陆续发行由黄国伦谱曲的「味道」亦成为让人传唱至今的经典歌曲,其出色的灵魂美声缔造多张畅销专辑,始有「疗伤歌后」之称。

[PR]
by officemei | 2013-04-30 14:32 | ■中国語
もしテレサがまだ生きていたら、1953年出生の彼女は今年60歳になっています。
父親は国軍(国民党軍)の軍人でした。共産党軍に敗れ、家族を引き連れ命からがら台湾に逃れてきた一家に誕生したのがテレサでした。
11歳の頃、台湾のラジオ局の黄梅調(伝統歌曲)歌唱コンテストに参加、最年少で1位に輝きました。14歳の頃に初めてのレコード『鳳陽花鼓』を録音、16歳で台湾初のテレビ連続ドラマの主題歌を歌い、テレサの歌声は台湾中で愛されていきます。
そして1970年代になると、香港や東南アジアで巡回公演を行い華人社会でスターの地位を築き、1974年には日本進出を果たします。
デビュー曲「今夜かしら明日かしら」は実はあまりヒットしませんでした。この失敗を、テレサは自分の日本語の発音が正確でないからだと考え、いっそう練習に励んだそうです。
そして2枚目の「空港」で日本レコード大賞新人賞を獲得します。
1979年、インドネシアのパスポートで日本に入国しようとしたことが問題となり日本での活動が一時頓挫します。
その後、再び日本で活動を始めたテレサは「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」と3曲連続して日本有線大賞、全日本有線放送大賞を受賞します。

80年代からは香港に移り住み、アジアの歌姫として揺るぎない地位を築いていきました。
やがてテレサのカセットテープは中国大陸にも持ち込まれ、海賊版が横行するようにもなります。愛や郷愁を歌うテレサの甘い歌声が、大陸の人々が失いかけていた「情」に響いたからでしょう。
しかし、テレサの歌は共産党によって「退廃的」とされて禁止されます。それでもひそかに聴かれ、「昼は老鄧(鄧小平)を聞き、夜は小鄧(テレサ・テン)を聴く」と揶揄されるほど大衆の絶大な支持を得ていきます。

順風満帆の歌手人生とはうらはらに、私生活では順調とは言えませんでした。18歳の頃にマレーシア華僑の実業家と知り合いますが、相手の病没で深い傷を残します。1981年、再びマレーシア華僑と恋に落ちましたが、「結婚したら芸能界とは一切の関係を絶つこと」を条件に突きつけられて、テレサは歌を選びました。
しかしそのことでうつ状態になったのでしょうか、80年代後期には芸能界から次第に遠のき、パリにひっそりと暮らします。

そして、1995年5月8日。
タイのチェンマイで喘息発作によって亡くなってから、早いものでもう18年も経ちました。
あの突然の死から、私も何度か墓参りに台湾に行きました。
私も閉塞された1975年当時の北京で、テレサの歌声をずっと聴いていた世代です。テレサの歌には言い尽くせない思い入れがあります。
今年の命日(5月8日)には金寶山に眠っている彼女に会いに行けるかどうか・・・

e0094583_2339918.jpg


2010年5月8日;
2008年9月25日

北京電視台"非常記憶"節目,紀念鄧麗君誕辰60週年;

2013.04.07紀錄台灣/鄧麗君42歲猝逝 佳人殞落美聲在 ;


ラブソング(甜蜜蜜)という映画。
中国大陸から夢を追って香港へやってきた男女のラブストーリー。二人ともテレサの歌が好きだという設定から始まります。
すれ違いを重ねた二人はニューヨークの街頭で、テレビに映るテレサ死去のニュースに足を止めたことによって再会を果たします。
1997年の香港返還を控え、人々が動揺していた折に「ラブソング」は中国人の漂泊を描き、テレサ・テンに特別な思い入れのある華人の心をとらえました。
その「ラブソング」の原題「甜蜜蜜」は元々テレサの持ち歌でした。

この映画は一見に値します!


華語ポップス初の取り組みとして世に出たアルバム「淡淡幽情」は、全曲を宋詞から採った秀作でした。実に文学的で味わいのある作品です。
中でも「但願人長久」は、蘇軾の名作「水調歌頭」は中国初の月周回衛星「嫦娥一号」で流れました。

鄧麗君 Teresa Teng 淡淡幽情 全12 首歌曲;

[PR]
by officemei | 2013-04-16 12:14 | ■台灣
「釣りバカ日誌」のあのスーさんがお亡くなりになりました、亨年90歳とのことです。
私には三国連太郎さんの思い出がひとつあります。
1982年の日中国交正常化10周年記念映画「未完の対局」、ロケで上海にいらっしゃったときに三国さんと奥様のお二人にお会いしました。
ご一緒に当時の上海友諠商店でショッピング、その折に日活映画「戦争と人間」で演じられた鴫田駒次郎のキャラクターについて、私が鮮烈に記憶に残っていることをお話しすると、三国さんはちょっとはにかんだようなあの風貌で答えてくださいました。
数々の出演作品を観てきましたが、あの時のあの表情が脳裡に焼き付いています。
三国さんを偲んで、合掌・・・ 

旧上海友誼商店にて、主演の三国連太郎氏と;

e0094583_12532571.jpg



大連にて、三国連太郎を思う;
五味川純平の「人間の条件」や「戦争と人間」を大学時代に連日徹夜して読み耽った。
その頃の学生は左傾するのが一種ブームでもあった。
特に「戦争と人間」は、当時翳りが見え出した日活がオールスター総出演で映画化した。日本が軍国化する時代を背景に、舞台は内地と半島・大陸に及び、壮大なストーリーの中で近代史を説き、且つ戦争とは、人間とは、を問いかける。

私は、日活映画「戦争と人間」のさまざまなシーンを今でも鮮やかに記憶している。
北大路欣也と佐久間良子のプラットホームでのわかれ、浅丘ルリ子と高橋英樹の激しい恋、裕次郎の外交官役や藤岡重慶の関東軍参謀、高橋悦史の傲慢な性格、地井武男の朝鮮パルチザン、栗原小巻の中国人役、そして三国連太郎の悪に徹し鬼気迫る演技。などなど・・・ほんとうに豪華なキャスティングだった。

私はその当時、三国連太郎氏に会ったことがある。その後10年ほどして「未完の対局」という映画のロケで上海に来られた時に数時間通訳をし、その折に「戦争と人間」撮影時の話をしたことがある。

私にとって「大連」は、なぜか叙情的なまちではなく、三国連太郎演ずる脂ぎった殺し屋とか、満州浪人が闊歩するイメージが抜けない。
血気盛んな頃に読んだり映画を体験した「戦争と人間」の世界がトラウマになっている。


[PR]
先ず、この動画をご覧ください。


台湾西南部のまち・嘉義。
このまちが今ちょっとした脚光を浴びています。
映画「KANO」が3月末にこのまちでクランクアップしたのです。

e0094583_1037519.jpg


「KANO」とは台湾がまだ日本だった頃の1931年、夏の甲子園で準優勝を果たした嘉義農林学校野球部の実話をベースにした映画です。
「KANO」は嘉義農林の略称「嘉農」(かのう)です。中国語の発音では「JIANONG」となりますが、敢えて当時の台湾人が呼んでいた日本語の嘉農(KANO)をタイトルとしています。
「嘉農」チームは日本人と原住民(いわゆる高砂族)と台湾人(漢民族)の混成チームでした。
当時、この決勝戦を観戦した菊池寛が、「僕はすっかり嘉農贔屓になった。異なる人種が同じ目的の為に努力する姿はなんとなく涙ぐましい感じを起こさせる。ただの勝ち負けではなく、嘉農は確かに歴史を作り出し、怖れることなく自ら挑戦していくという、本当の勝利を教えてくれた」と語ったそうです。
以下、映画のあらすじを「果子電影」の公式FBにアップされている、台湾映画「KANO」情報からご紹介しましょう。

1944年、第二次大戦中、日本軍が植民地台湾を経由して南洋へと進出する際に、「嘉義についたら、俺を呼んでくれ」とつぶやいた日本人がいた。
かつて「札幌商業野球部」キャプテンだった錠者博美は、甲子園球場で対戦して負けを喫した台湾の無名チーム「嘉義農林野球部」のことが忘れられないでいた。14年後、将校となった錠者は嘉義に行きたいと思い続ける。
1929年、日本の植民地時代の台湾に三つの民族(日本人、台湾人、台湾原住民)からなる嘉義農林学校野球部が誕生、初めは体を鍛えることだけが目的だったのが、近藤兵太郎というコーチを迎えてからは、甲子園進出を目標にスパルタ式訓練が行われ始めた。
のんびりしたチームだった嘉農野球部は、近藤の鬼のような特訓を1年間受けると、連敗続きの野球部員に勝利への強い意志と甲子園出場の夢を抱いて、ついに1931年、台湾で連勝を続け、日本人のみの常勝チームであった「台北商業」を打ち負かして、濁水渓から南部の学校で初めて台湾代表大会に優勝、台湾野球の歴史を塗り変えた。嘉南大圳の灌漑用水路の開通に沸く中、嘉農野球部は台湾の代表チームとして、日本への遠征へと赴く。
5万5千人の大観衆の前でプレイする甲子園は嘉義農林野球部員たちの夢であるだけでなく、近藤の夢でもあった。第一回戦は3対0で神奈川代表に勝利し、日本の野球界の注目を浴び、第二回戦では札幌商業とぶつかった。札幌商業投手の錠者は、嘉農の選手たちに次々と出塁を許し、嘉農は19対7で圧勝、第三回戦も10対2で小倉商業チームをくだした。
連戦で、嘉農のエース呉明捷は手の指の爪をはがす大怪我を負い、中京商野球部との決勝戦では、ボールを連発、焦り怒る近藤に呉は、この試合を自分の最後の試合と思って完投させてくれ、と頼む。呉の固い決意に感動した監督と仲間たちは一致団結して呉の願いをかなえようとする。
しかし、石灰を手の傷にまぶしての呉の奮闘も、相手チームの攻勢には抗しがたかった。その時、チームメイトたちが声をかける。「思い切り直球を投げろ。守備は俺たちに任せろ!」「俺たちは台湾の嘉義から来た仲間じゃないか!」球場の大観衆が驚いて見守る中、呉は歯をくいしばって一球一球と直球を投げ続ける。守りの選手たちは、一球また一球とキャッチするたびに、「いらっしゃいませ!」と叫び自分たちを奮い立たせた。その場に居合わせた全観衆を感動させると同時に、遠い台湾でラジオ放送を聴く台湾の人々を興奮させた。近藤の胸は、頼りなかったメンバーが不屈の闘士に成長した姿を目のあたりにして、感慨でいっぱいになる。
観客席からは札幌商業のエース錠者の叫び声が聞こえてくる。「おまえたちは戦場の英雄だ。嘉農は天下一だ」…







嘉義・・・
ずっと以前、そう1974年のことですが、私はこの嘉義農林の活躍を初めて知りました。
鈴木明の「誰も書かなかった台湾」という本を読んで嘉義農林の物語に感動したことを、今でも記憶しています。更には同年(1974年)に私は初めて台湾を訪れています。居候先の台北の葉さん宅からご実家のある嘉義に一度おじゃましたこともあります。その後、何度か訪れていますので嘉義は私にとって印象深いまちと言えるでしょう。

映画「KANO」は2014年旧正月(春節)公開予定だそうです。
日本からは永瀬正敏や大沢たかおなどが出演しています。乞うご期待・・・
[PR]
by officemei | 2013-04-10 10:40 | ■台灣
4月6日夜、宝塚歌劇団初の台湾公演が「国家戯劇院」(台北)で開幕しました。
東日本大震災で台湾から多大な支援が寄せられたことへの謝意と、2014年に100周年を迎える「宝塚」のアジア進出への幕開けだそうです。


代表日本文化的「寶塚歌劇團」,首次來台演出,說且團員特別感謝兩年前台灣民眾在311大地震,無私的支持和協助,這次會帶著感謝的心情在台灣演出。
有99年歷史的寶塚歌劇團,首度來台演出,受到熱烈迴響,12場公演的票都已經銷售一空!這次,寶塚帶來夢幻舞蹈、音樂劇、大型歌舞秀三種經典表演,豪華絢爛的舞台及表演方式,讓人目不轉睛。花瓣翩翩落下,落在地上,落在扇子上,落在華美的和服上,團員一轉身,一擺手,讓人沉浸在浪漫的氛圍,有99年歷史的寶塚歌劇團,結合歌舞戲劇,堪稱日本國寶。
團員清一色是未婚女性,而且像黑木瞳天海祐希,都是先在寶塚綻放光芒,才發光發熱,這次首度來台灣演出,精采絕倫,不只帶來日本風的夢幻舞蹈,大型歌舞秀寶塚之星,還把耳熟能詳怪盜楚留香,改編成炫目的音樂劇,用獨特的華麗風格,重新詮釋香帥的浪漫故事,寶塚的人氣,讓門票一開賣就銷售一空,炫爛的歌舞秀,也讓觀眾,沉浸在寶塚的動人魅力。


昨年(2012年)の台北記者会見の模様;





[PR]
by officemei | 2013-04-07 18:51 | ■台灣
山崎豊子の小説「大地の子」は中国残留孤児・陸一心の波乱万丈の半生を描いた秀作でした。
その後の1995年にNHKでドラマ化され上川隆也が演じました。彼のデビュー作でもあります。
中国語のセリフが大半を占めるこの作品に、彼は丸暗記で挑み、放送中から大きな注目を集めたそうです。
私は1975年から78年にかけて、北京大使館領事部の「戦後未帰還者帰国援助」業務に携わり、残留孤児の調査と連絡を行っていましたので、この「大地の子」には特別の思い入れがありました。
ドラマで主人公・陸一心の養父役を演じた朱旭の演技力と存在感は素晴らしかった・・・
普段、鋭角な響きのある中国語を聞かされている私にとって、この人の味わいある話し方は一服の清涼剤です。

[PR]



[PR]
by officemei | 2013-03-03 17:15 | ■上海