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山東省濰坊市に坊子という区がある。
私は鉄道でこの駅(坊子)を通過したことがあるが、降りたことはない。
車窓から近づくまちを、過ぎ去るまちを、瞼に焼き付けただけだ。

私の恩師・井上隆一先生(物故)は戦時中にこのまちの駅長をされていた。

省都済南や青島とは比べようもない田舎町だったが、大きな炭鉱をかかえていた。
当時このまちには日本軍の大部隊が駐屯しており、更には満鉄(南満州鉄道)の姉妹会社として、北支一帯には華北交通という鉄道があって、坊子駅は当時、山東省のなかでも済南・青島に次ぐ主要駅だったらしい。
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先生が翻訳された「鉄道遊撃隊」の背景は、山東省における抗日戦。
この小説は後に映画化され、又数年前にはリメイクされたものがCCTVで流れた。
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当時日本軍傘下にあった鉄道の駅長、そんな先生の実体験からくる想いは翻訳にあたってどのようであっただろうか・・・
鉄道遊撃隊;
by officemei | 2008-02-19 06:09 | ■山東
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可能是夜晚
可能是音響流曳出的藍調
可能是窗外明滅的燈火
讓我又將思緒飄向遠方
滿平衡的
白天的愉悅心情搭配夜間的傷感
就像月亮的陰晴
生活有了調劑
寶貝・・・


by officemei | 2008-02-18 20:50 | ■上海
団扇(うちわ)の歴史は古く、紀元前には中国で用いられていたらしい。
そのうちわが7世紀頃日本に伝わり、やがて扇子が誕生する。

扇子は8世紀頃に日本で発明され、その後、北宋の頃に中国に伝わったそうだ。
中国人も日本人もあまり知らない話。
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マージャン・・・
我々世代の男は、高校か大学時代には必ずやった。
徹マンもしょっちゅうだった。
社会に出ても、同僚や上司と打つことが多かった。
謂わば一種社交の場でもあった。
息子は二十歳になるが、マージャンを知らない。
今の時代では、マージャンをやらない若者が殆どだそうだが・・・

この写真は中国の子供たちが遊びとしてマージャンをやってるシーン。
さすが中国。マージャンを打つ後継者はちゃんと育成されている・・・
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そのマージャンの発祥の地が寧波だということをつい最近知った。
寧波の「天一閣」に麻將陳列館というのがある。
清の咸豐年間、寧波の人、陳魚門が作り上げた。
マージャン用語には当時の寧波方言や航海に関連する言葉が色濃く残っているらしい。
そもそも、マージャンは麻雀と謂うが、寧波の方言では麻將と読むらしい。
雀(que)を將(jiang)と読む。
遣唐使船や勘合貿易、更には倭寇など、寧波は古来より日本との関わりが深く、日本にマージャンが渡来し今日に至るまで、マージャンを麻雀と書くのは寧波方言がそのまま根付いて残ったのだそうだ。
逆に中国では、マージャンを発音そのままに麻將(majiang)と謂うようになった。
日本の麻雀(majiang)のルーツは寧波にあった・・・

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風靡世界的中國麻將文化起源於寧波,它最早產生於中國古代博戲,直至清代咸豐年間才由寧波人陳魚門整理並定下規則和打法。

天一閣中的麻將陳列館以麻將的發展史為線索,借助天一閣豐富的藏書資料和文物藏品,考證了陳魚門先生的生平、中國博戲的發展史、麻將的產生演變史,並從寧波的方言、航海術語等方面佐證了麻將與寧波千絲萬縷的聯繫。

陳列館院內有一銅像群,坐在中間那位就是傳說中麻將的發明者寧波人陳魚門。
銅像中一左一右各坐著一個英國人和一個日本人,儼然就是「三缺一」。
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麻將由寧波人陳魚門發明,麻將術語無不與寧波文化有關。
由「馬吊」發展到「麻雀」,而「麻將」是「麻雀」的寧波方言;和牌的「和」念「hu」,也是寧波音;「嵌擋」,「朋(碰)」等都和寧波方言有關。
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另外,寧波航海業發達,麻將中的術語也與航海有關:「索」象徵船的纜索和魚網;「筒」象徵船上的盛水桶;「萬」象徵船家對財富的渴望;「風」則為出海最為敏感的風等等。


e0094583_4491579.gif学界关于麻将起源于宁波的观点,旁证之一是麻将本作“麻雀”,而宁波话麻雀正读作“麻将”。

这是很有意思、很有说服力的证据。雀读作将,如同脚读作将,宁波话瘸子叫拐将、吃剩的菜肴叫碗将、水缸底下的残余物叫水缸将、挑剩的东西叫拣落将、北仑有个地名叫中岭将,“将”都是“脚”的音变。

这说明麻雀叫麻将,既是宁波话的特色,又合乎方言音变之理。
同時麻將在日本被稱為麻雀牌, 寧波(明州)古代是和日本通商的重要口岸,因此才保留了麻雀的字意,也進一步佐證了麻將起源於寧波。
by officemei | 2008-02-18 04:55 | ■浙江
浙江省の風景は何となく日本に似ているように思える。
遣唐使・勘合貿易・朱印船の目指した港・寧波から、奉化・紹興・杭州といったまちを歩いてみてそう感じた。
風景ばかりではない。人の顔相も似ている。
私はどこへ行っても「あんたどこの出身?」と聞かれ、「どこか当ててみてよ」と言えば、殆どが「浙江省辺り」と当て推量される。
日本人はポリネシア系か半島系か、さもなくば中国江南系なので、私のような顔つきはここ江南辺り(浙江省など)ならよく見るパターンの顔だ。

司馬遼太郎「この国のかたち」に“越と倭”に関する記載がある。
古代黄河文明圏、いわゆる中原の地では雑穀を食し、これに対し長江流域では稲作がおこなわれ、米を主食とする別系統の文化があった。
楚とよばれる非漢民族地帯で、その遥か源流は雲南にあり、その雲南の背後には、東南アジア・印度などの稲作地域が拡がっていた。したがってこの辺りは古代稲作文化圏の北限或いは東限の地と思われる。

春秋戦国(前770~前221)時代、楚は中原諸国を凌ぐ繁栄を迎える。
稲作により多くの人口を養うことができたのだろう。
長江下流においても水田が増え、やがて呉が勃興する。
ほぼ現在の江蘇省あたりで都を蘇州に置いた。
中原からみれば楚と同様に呉も蛮地で、男子はザンバラ髪で文身(いれずみ)をしていたらしい。
続いて呉の南、現在の浙江省あたりに越が興った。

楚、呉、越ともに、中原の言語とはちがい、古代タイ語系の語族だったとされる。
更に越より南、現在の江西省、福建省、広東省あたりには“百越”と呼ばれる雑多な稲作民族が暮らしていた。
「漢書」では交趾(現在のベトナム)から会稽までが百越の分布する所とあり、華南からインドシナ半島までが古代越人のテリトリーだったらしい。

越は会稽の恥を雪ぐで有名(臥薪嘗胆の故事)な越王勾践の死後、歴史の舞台からは消えていき、紀元前334年に楚に亡ぼされる。
越の滅亡後、その遺民たちが対馬海流に乗って九州に渡来し、古代日本に稲作をもたらしたのではないか、という想像は私にとって大きなロマンでもある。(越人だけが日本人の祖先ではないが)

「魏志倭人伝」に、男子は大小の区別なく、みな黥面文身(いれずみ)をし、好んで潜水し魚蛤を捕えると記載されているが、この記述は越人についての古い記述とそっくりで感動的ですらある、と司馬先生は記している。

越人の末裔である雲南省の少数民族と「魏志倭人伝」にある倭の風俗を見れば、この風俗の流れが、雲南から長江下流、さらに日本へと続いていたと思えば、感慨ひとしお・・・
我もおそらく越人の裔なり。

寧波プロモーションVIDEO;
動画はこちらへ
by officemei | 2008-02-12 19:32 | ■浙江
中国国家海洋局が発表した2007年のレポートによれば、河口の海水汚染が著しい状況を呈している。特に渤海は汚染度が高い。
高度成長における負の遺産、廃棄物や汚染物質の垂れ流し、数十年前の日本でも起きた問題、中国も同じ轍を踏む・・・
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今日は農暦(旧暦)1月5日。
正月(初一)から数えて5日目なので“初五”という。
又、俗にこの日は“破五”ともいわれる。

正月(春節)期間には様々な「きまり」「タブー」があるが、“初五”を過ぎると元に復す(解除)ので“破五”ともいわれる。

さて、北方では“初五”に餃子を食べる習慣があって、日本では毒餃子事件で大変な状況だが、今日はどこの家庭でも餃子が供される。
中にはコイン・棗・キャンディ等が入っていて幸運をつかむ意味がこめられている。

上海では“初五”に餃子を食べるような習慣は別にない、ようだ・・・
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いずれにしても、正月休みの商店も“初五”を過ぎれば店を開け、徐々に正月気分が抜けていく。

More
by officemei | 2008-02-11 05:21 | ■河北
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中国語のわかる方はどうぞ
2008上海春節特集;
by officemei | 2008-02-08 12:15 | ■上海
e0094583_1191872.jpg「スピリチュアル紀行・台湾」
東洋経済新報社出版 (2007/11)光瀬憲子著
この本について記しておきたい。

先日、著者からこの本をお贈りいただいた。
早速読ませていただいた感想。う~ん、大きく唸ってしまった。一気に読んだ。

この本には、占い・寺廟・座禅・気功といったまさにスピリチュアルなものから、故宮博物院の展示物・古書・茶芸・料理・音楽、更には温泉・渓谷・森・山・海・空・まち・人にいたるまで、著者が台湾で感じた“気”が溢れている。

文中にもあるが、“元気”という言葉の意味をあらためて教えられた。
この意味は生命力を表わす。
“気”とは何か?
目に見えず、触れることもできないエネルギー。
それは天地の間、万物に宿るもの。その“気”を感じれば人は蘇る。

と言えば、この本は何かしら精神的・宗教的な内容かというと、さにあらず。
更には観光ガイドブックでもなく、数多ある台湾紀行とも一線を画している。

何だろう。
    
著者は台湾に暮らし、台湾人と結婚し、子を成し、そして別れた。
台湾に骨を埋める覚悟をした著者が、台湾を「捨てた」。
そして数年後、台湾をすべて拒絶した著者は再びかの地を訪れ、頑なな心を開いていく。

おそらく著者の内面(深層)を確認する旅、その記録といった意味合いがあるからか。

この本の冒頭に以下のくだりがある。
台湾人は縁という言葉を好んで使う。どんな出会いにも理由があり、天に導かれた運命なのだ、という考え方だ。

“運気”。
まさに“気”を運んでくるという意。
台湾人の言う“気”は誰にでも存在するが、それに気づくかどうかは本人次第。
著者は台湾でそれを感じる。

この本は秀作だ。光瀬さん、ありがとう。

私は若い頃、中国語を専攻した。
まだまだ中国語がマイナーな時代。
大陸では文化大革命の真っ只中。

学生時代に初めて台湾を訪れた。
ある台湾人家庭に居候する。
以来、今日に至るまで30余年。
友情は続く。
“縁”が私を支えている。
台湾を愛する心の源だ。
この“縁”もまた“気”のひとつだと思う・・・
by officemei | 2008-02-08 06:00 | ■台灣
2008春節;
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在上海這個中國經濟活動最頻繁的國際性大都市,民眾平日就講究吃,一到農曆過年,家家戶戶準備豐盛的年菜,如意菜、元寶肉、金銀一品鍋紛紛上桌,盡情地享受傳統上海人吃的文化。

上海人重視吃年夜飯的含義,遠方遊子一定要趕回來,全家老小圍坐一起,邊吃邊喝,邊說邊笑,盡享天倫之樂。到子夜時,有人就往城隍廟爭燒頭香去了。

上海人講究吃是有名的,春節期間,吃更是上海人的重頭戲,辭舊迎新要從吃年夜飯開始。
這頓飯,自然是最豐盛、名堂也最多的,得要準備數日方好,為討口彩,菜餚名稱甚是好聽,百葉包肉稱之「如意卷」,黃豆芽叫「如意菜」、紅燒肉燒蛋叫「元寶肉」,蛋餃稱「金元寶」等等,都是一般人家的春節佳宴,家中排場大的,就燒「金銀一品鍋」,是以火腿、蹄膀和整只去殼雞蛋燒成。

初一早上,吃年糕,寓意年年高,或吃湯圓,象徵團團圓圓。
喝的茶裡加兩隻青橄欖,叫元寶茶。客人來拜年,招待以紅糖雞蛋,表示甜甜蜜蜜。
總之,一年辛苦下來,春節不免講究吃喝,但更期盼來年好運,吉祥如意,能過上安穩日子。

上海人一到臘月二十五,家家戶戶的主婦們就開始張羅過年年貨了,雞、鴨、魚、肉、南貨、北貨、果品、糕點、糖果、瓜子,在農曆年前都要購置齊全。

舊時每戶過年時還必然磨粉,包湯圓,還有些家庭喜歡團粉自製年糕。
現在大多主婦習慣買現成的粉回家,做年糕、包湯圓,所以一到年時,上海的水磨糯米粉總是最搶手商品。

一到過年,上海最熱鬧的就要屬城隍廟、土地廟、文廟了。
城隍廟的內園、萃秀堂、點春堂等處,每月初一和十五兩天開放,免費讓遊人觀賞。
因此,城隍廟豫園一帶吃的、用的、看的、玩的樣樣俱全,而過年逛城隍廟也成為上海的一個重要習俗。
by officemei | 2008-02-07 09:19 | ■上海