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■台北のひそかな愉しみ_e0094583_14435133.gif台北でマニアックな経験をしたい方へ 激賞! 

手に汗握る緊張の30分!
で、お楽しみ代は400台湾元です!

中山北路と民権東路の交差点、東南角に上海銀行ビル、東北角にスターバックスがあるが、そこを北へ向かって歩くと先ず山水閣ホテル、次にドラッグストアのWatsons屈臣氏があって、そこを右(つまり東)に曲がる。

ちょうど初めに説明した交差点から北へ一本目の筋だ。

するとすぐ前に煉瓦造りで相当年季が入った教会「真心堂」がある。

この辺りからは、すぐそこが表通りだというのに何か怪しげな雰囲気が漂っている、
というほどのこともないか。

教会を左に見てそのまま真っすぐ歩くと、道の右並びに足つぼ図を看板にした外見はごく普通のどこにでもあるまちの散髪屋といった風情の店がある。

そこが私の一押しの穴場で、同好の士はぜひこの際、意を決して探検してみてください。

看板には「東方理髪」と書いてあって、店内にはわずかに2人分の理髪スペースだけ。

如何にも怪しい。奥にいったい何があるのだろうか。

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実は、この店が耳かき極めて30年、耳掃除の専門店なのだ。
理髪・足つぼ・全身マッサージと一応メニューは揃ってはいるが、メインは「耳かき」なのだ。
私は一年に一回ペースで利用しているが、素晴らしい技によってびっくりするほどの耳くそが出てくること、圧巻、茫然自失。

30分というのは耳かきをしているといかにも長く感じる。
うとうと気分でというものじゃあない。早く終わらないか、我慢、緊張の連続だ。
痛みは感じないが、耳の穴を金属質の工具?で擦られるひりひり感を感じる。
耳くそというよりも、穴の内側にこびりついた薄い膜、実はこれが素人では取れない耳くそなのだが、そいつを細心の注意を払ってゆっくりとこそげ落とす、或いは引っ張り剥がす。
こそげ落とす場合は、ひりひり。
引っ張り剥がす場合は、耳の奥の奥まで引っ張られ、未経験の恐怖を覚える。
その結果、でかい耳くそを「ほら、こんな大きなのが出たよ」と示されると、理由のつかない充足感を味わえて、ああきっと出産ってこんな幸福感なのだろうか、と馬鹿みたいなことを思ったりもする。
確かに聴力が一段と良くなったようにも感じられて、気分一新、すっきりとするのだ。

ぜひ一度お試しあれ!

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# by officemei | 2005-11-05 23:51 | ■台灣
■台湾の行方_e0094583_13374237.gif戦後60周年にあたる今年(2005年)は、テレビでも報道特集やドキュメント、記念番組が流れていたが、中国メディアと比較すると日本のそれは概して低調だった。

日本においては既に「戦後は遠い過去」のこと、といった感がする。
だが中国ではそうはいかない。
現代中国のそもそもの出発点、背景は日本軍国主義の中国侵略からついに「勝利した」ところから始まる。
これを中国では「光復」と言う。

今年の春からずっとメディアを通して抗日戦争勝利60周年を祝う特集・記事・番組が多く、「戦後生まれ」の私ではあるが、中国を専門にしてきた日本人としては、両国の60年の歩みとその前の不幸な歴史を振り返る機会が多い。

10月になってからテレビ番組で台湾光復60周年記念番組が連日流れた。
私は上海に居て、その台湾特集に違和感を覚えつつも見続けた。
殆ど外省人かイデオロギーに関係を持つ人々の声で、本省人(台湾)や一般民衆の声を反映しているとは思えない編成だと感じた。

浅学にして8月15日の「光復」が何故10月の今なのかという疑問もあったが、今回台北に来てある雑誌を見て納得した。
ここにその記事を紹介し、台湾の「光復」、台湾の現状を考えてみたい。
今後5年間、2010年を迎えるまでに台湾政界は恐らく大きく変貌するであろう。
民進党が下野すれば益々中国協調路線に進み、一般民衆の現状維持姿勢は保てなくなるだろうし、統一に向けての大きなターニングポイントを迎えることとなろう。
それが好む好まざるにかかわらず趨勢となってくるに違いない。

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# by officemei | 2005-11-05 16:50 | ■台灣
台湾に行く当日はいつも午前3時頃に目が覚める。
7時に家を出れば十分間に合うのに、まるで小学生の遠足気分だ。
潜在意識の中で何かしら高揚するものがあるらしい。
学生時代、初めての海外経験が台湾だった。
もう30年余り前のことだ。
当時、小田実の影響を受けて、「行けば何とかなる」といった単純思考で訪れた。
中国語専攻の学生だったので、語学研修が大前提ではあったが、台湾に行って何をするかも決めずに、まあなんとかなるさ、といった本当に軽い乗りだった。

当時、中国は文革末期の極左時代で、国交回復後間もない頃とはいえ、一般人が自由に渡航できる状況にはなかった。
台湾は国連を脱退したが、その存在を示すためにも「自由中国」を内外に鼓吹し、張り詰めた空気が漲っていた。

1974年の数ヶ月、私は台北の葉さん宅に居候(ホームステイと言うよりも居候のほうがぴったりする)することとなった。
以来今日に至るまで、葉さん一家とはずっと関係を保っている。
当時、台湾師範大学国語教学中心に通い、古亭国小の聴講を受けたが、何よりも得がたい経験は一般家庭に居候したことだ。
数ヶ月とはいえ、語学力の向上には大いに役立った。
加えて台湾人の情を体感したのが、今以って私の心を熱くするところだろうか。
当時、私は台北で偶然にも葉さんと知り合い、居候した(食費も家賃もなにもかも受け取ってくれず、家族のように遇してくれた)。
そのような嘗てのあれこれが脳裏に渦巻き、私にとって台湾は、情緒的に「第二の故郷」といった位置付けにある。
だから毎度台湾行きの当日早朝は、高揚して熟睡できず今朝のような始末になってしまう。
では、そろそろ出かける準備に取り掛かろう。

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# by officemei | 2005-11-04 06:05 | ■台灣
嘗て大連外語学院で日本語を専攻した学生が、それぞれ日本の暮らしを体験し、やがて家庭をもち、子供ができ、今では大連で大いに活躍している。 

夫は役人から転進し、手広く対日関係事業を行なっており、妻は日本語の教育現場に身を置いて久しい。
以前から奥さんとは仕事を通じ面識があったが、今夜初めてご主人をご紹介いただいた。
40代半ばの風格ある紳士であった。
夫婦とも大変流暢な日本語を話される。
宴席を囲んでの歓談は日本語・中国語の多重放送を彷彿させた。
宴半ば、ご主人の指摘された言葉に深く感じることがあった。
それは、我々はある意味非常に似た境遇を有していることだ。
先ずご主人は日本語を専攻し、日本体験を持ち、大連市政府の外事畑で通訳などを担当され、退職後対日関連事業を手掛けておられる。
私は中国語を専攻し、卒業後北京大使館に身を置いた。
その後大学院を経て紆余曲折の末、今は通訳・翻訳・対中関連事業を手掛けている。
ご主人の日本観は客観的で的確だし、私の中国観も決して的を外れてはいない。
言葉に対する敏感さ、探究心は、外国語を専攻しその道で生きている者同士共通する感性をお互い感じた。
奥さんは満族だということは以前から知っていたが、今夜の歓談で祖父が満州国検察院長であったことを知った。
終戦後や、文革時期にはさぞや一家は苦労されたことだろう。
特に文革時期を(末期ではあるが)北京で体験した私には、察するに余りある、暗黒、非情、狂乱の時代だった。
そのような辛酸をなめた経歴を微塵も感じさせない気品と風格をもった女性だ。
それが家格というものだろうか。
# by officemei | 2005-10-24 00:08 | ■遼寧
福建省都・福州市は、市街地約250万、近郊を併せると約600万の人口を有する。
古くより榕樹が多く、「榕城」とも呼ばれる緑濃いまちだ。
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このまちは規模として適当なサイズにまとまっていて、南方特有の匂い(言葉で形容し難い)があり、私の好きなまちのひとつでもある。

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今回で九度目の訪問、仕事に追われて観光らしきものは一度もしていないが、福州を筆頭に、福清、アモイ等のまちにも、又神戸や姫路にも福建人の知人が多くいる。




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この地は華僑のふるさとと言われるほどに、古くから海外へ生活の場を求める人が多いが、私の故郷兵庫県も特に神戸を中心として福建出身華僑が多く、福建閥が存在する。
マレーシア・インドネシア・シンガポールの華人社会でも福建閥は大きな力を有しており、私にもシンガポールとペナンに福建を本貫(本籍)とする友人が何人もいる。

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そもそも元朝の頃の泉州(福建)は国際港で、イスラム世界の人たちも常住していた。
その盛況ぶりはマルコポーロの「東方見聞録」にも記載されている。
明朝の頃の鄭和も福建人で、大船団を率いて遥かアフリカやアラブの世界まで渡航しているが、その船団基地は福州にあった。「中国の大航海者 鄭和」(清水新書)を一読されたい。

福建人は海外移住者が一族縁者に必ずいるのが普通という環境なので、中国の他の地域の人たちと比べると、明らかに違った海外感を持ち、できれば海外で一旗挙げたい、といった山っ気も持っている。
そのことがいい目に出るか悪い目に出るかは、例えば・・・
成功者は莫大な資金を故郷に投じ、学校や病院などの建設資金を寄付し、地元に貢献する。
失敗者は闇の世界に身を落とし、違法行為を続けて当該国官憲に逮捕され犯罪者となる。
その中間の人たちは、ある者は堅実にその国に根を張って生きているし、ある者は闇の世界で生き続けている。
日本における「蛇頭」「密入国」「不法滞在者」「偽装結婚」「風俗営業摘発者」といった関連名称の中には相当数の福建人がいるのが現実だ。
その故か、福建人をとやかく言う日本人はかなり多いが、悪い奴はどこにもいるし、とりわけ福建がダーティなイメージを冠せられるのは間違っている。
むしろ、進取の気風に富んだ気質、と賞賛すべきかもしれない。
物事は純粋に一方だけを見ることはできない、清濁併せてその上で判断すべきだ。
福建はいい匂いのするまちだ。私はそれを良しとしたい。
# by officemei | 2005-10-21 20:02 | ■福建