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e0094583_22163181.jpg一家三代女性的爱情与婚姻的故事,先后经历了三十年代、五十年代和八十年代,以独特视角展现了二十世纪中国的历史变迁和女人的命运。

映画“茉莉花開”(邦名;ジャスミンの花開)は、祖母・母・娘という3世代の女性たちの生き様を描いた作品。

抗日戦争時代を生きる“茉”、文革時代を生きる“莉”、そして改革開放路線へとひた走る現在に生きる“花”。
3世代の女性が一途な愛へと走る・・・

舞台は1930年代の上海から始まる。
写真館の娘“茉”は映画スターの座につくが、妊娠した挙句、芸能界を追われ私生児を出産する。母は自殺・・・
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時は流れ、1950年代。
“茉”の娘“莉”は母に反抗し、工場で働く同窓生と結婚するが不妊症に悩み、孤児院から女の子を引き取り“花”と名づける。
だが情緒不安から精神に異常をきたし、夫は絶望し自殺、“莉”も自殺・・・
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そして、1980年代。祖母の“茉”に育てられた“花”も結婚し妊娠するが、夫の浮気がもとで離婚。祖母の死や出産を経て、力強く生き抜いていこうとする・・・
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私は“我的父親母親”(邦名;初恋のきた道)からずっと章子怡の作品を鑑賞してきたが、この映画ではむしろ“茉”の母役・陳冲の演技に注目した。
いかにも旧上海の中流階級婦人といった雰囲気と科白の上海語、しっくりした旗袍。
元々上海っ子で、アメリカの大学で映画製作を専攻し、監督業もこなす彼女の感性がぴったりこの役にはまっているように感じた。
映画“ラスト・エンペラー”で皇后役を演じた彼女よりも、この映画のほうが出来がいい。













by officemei | 2007-12-07 22:43 | ■上海
子供の頃、小学校の運動場や児童公園で「野外映画上映会」というのがあった。
「二十四の瞳」とか「路傍の石」を見たような記憶が微かに残っている。
もちろん白黒で、夏の夜、蚊取り線香、映写機の音・・・すべてがモノトーン。

今の若者には想像もつかないだろうが、町内会や学校主催で野外映画上映会があると皆うきうきしていた。半世紀近く前のお話。

さて、文革末期の中国でもこれと同じような「野外映画上映会」を見に行ったことがある。
当時では大衆の唯一の娯楽であったかもしれない。
貧しく不自由な境遇にあって、野外映画の大きなスクリーンに映し出される夢の世界に浸ることは何にも勝る喜びだったろう。

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2004年に公開された“夢影童年”(邦名;玲玲の電影日記)は、そんな野外映画の懐かしい記憶を呼び起こしてくれる。

多少ストーリーの設定に無理があるものの、テーマがしっかりしているので苦にはならない。映画をこよなく愛する家族の人生をノスタルジックに描いた秀作だ。

絶賛したいのは、主人公・毛小兵(子供の頃の名前)の小汚くて、いまどき見かけないほどの面構え。でも昔はこんなガキがいっぱいいた・・・

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by officemei | 2007-12-05 22:01 | ■北京
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映画「向日葵」のDVDを観賞、三回目。
日本では2006年に公開されている。
邦名は“胡同のひまわり”
中国激動の現代史を背景にした、父子の30年にわたる物語。
e0094583_23273558.jpg主人公・張向陽、1967年北京に出生。
向日葵(ひまわり)のような人生を息子に送らせたいと願った父が“向陽(シャンヤン)”と命名する。

この物語は1976年から始まる。
北京の胡同に暮らす母子のもとに6年ぶりに下放から父親が帰ってきた。
文化大革命の時期、知識人階級や官僚らが僻地で強制労働につかされたことを下放という。


母親は夫の帰還を喜ぶが、9歳のシャンヤンは、父の記憶も薄く馴染めない。
下放中の重労働で手を潰され、絵が描けなくなった画家の父は、夢を息子に託すべく絵を教え込もうとするが、遊び盛りのシャンヤンは抵抗し、厳しい父に反発する。

この1976年、私は北京に暮らしていた。
映画のシーンには、唐山地震発生時の北京の様子が描かれている。

夏だった。
胡同の四合院も多く倒壊した。
私の住んでいた建国門外斉家園外交人員公寓もひどく揺れた。
当時、北京在留邦人は数百人。
JALの特別救援機が来て、殆どの邦人は一時避難のために帰国する。
独身・単身赴任の大使館員数人が庭にテントを設営し居残った。
私もその中のひとり。

更に、シーンは毛沢東逝去、四人組打倒へと移る。
私は当時、いずれも北京にいて、その激動の歴史の真っ只中にあった。
この映画を見ていると当時のあれこれが生々しく脳裏に浮かんでくる。
この時代のこの場所(北京)にいた者として、万感胸に迫る・・・

映画のストーリーは更に続き、
1987年。大学受験間近のシャンヤン、19歳。恋、破局、父との絶縁。
1999年。新進現代画家となったシャンヤン、32歳。父子の確執、そして和解。
ラストシーンは向日葵(ひまわり)・・・

70年代の中国は、文革による苦難の社会だった。
政治的に辱められたり不公平が巷に満ち、基本的に皆貧しかった。

それが90年代末になると、社会は競って富裕を目指す。
貧富の差が顕著に現れてきた。
閉ざされた社会に外国の思想や文化がどっと押し寄せる。
若者はこぞってそれを受入れ、大きく変化していく。

親世代は時代背景や価値観の違いから、思想のみならず、この急激な社会的変化がなかなか受入れられない。

そんなこんなのストーリーはまさに中国の現代そのものだ。

更に言えば、「皆貧しかった時代」を知らない世代が主流となってきた。
日本も同じ・・・

翻って、
私は国交回復以前に中国語を学び始めた。
当時は中国に留学することなぞ、政治的信奉者以外はまずできなかった。
1972年国交回復、しかし中国は極左の時代、竹のカーテンにまだまだ閉ざされた国。
私にとって、中国で数年暮らす方法とは、北京に開設された日本大使館で働くこと、それが最善の選択肢だった。
そして1975年に夢は叶い赴任する。
それから今日に至るまで、長い年月を中国と係わってきた。

息子は今、上海に留学、中国語を専攻している。
私の叶わなかった留学の夢を彼は択んだ。
親として、いろいろと口喧しくなるのは期待度が大きいからだが、時代の違い、経験の違いからくる中国に対する思いが異なることに、いつも苛立ちを覚える。
違って当然のこととわかっていても、こと中国のことになると主観が入ってしまう。
同じものを択んだ父子はどうあるべきなのか・・・


1976年,中国发生了几件大事,毛主席逝世、“四人帮”被粉碎,这对于中国人来说意味着一个时代的结束。
很多在文革中受压迫、受迫害的人终于看到了希望。

1978年,邓小平开始了中国的改革开放,中国人的生活开始发生了变化。
从八十年代到九十年代末的二十年间,整个中国进入了全速发展时期。中国人的生活观念和生活形态都发生了巨大的改变,整个城市面貌也发生了翻天覆地的变化,人民生活水平确实得到了很大的提高。

但是在这种变化中也存在着大量的问题,外来文化的进入,让中国人盲目地摒弃了传统,中国人传统的一些生活方式开始瓦解,传统的文化开始没落,取而代之的是对西方社会盲目的崇拜,对现代化盲目的追求,对金钱贪婪的渴望,整个中国都处在一个新旧交替的过程中。

这部电影分为1976年、1987年、1999年三个部分,通过这部电影可以看到中国这三十年的变化。

这种变化我们不是简单地通过历史事件去展现,而是通过一个家庭的变化影射出时代的变化。
因为家庭是中国人最重要的社会基本组织,家庭关系也是社会中最基本的人际关系。
通过这种家庭关系的变化,我们可以看到中国人的生活观念发生了怎样的改变。

父子关系是很多家庭中最为紧张和微妙的一种关系。
影片通过塑造父亲和儿子,这两个非常有性格的角色,通过他们之间三十年的恩恩怨怨,带出了两代人在这三十年中的变化。

父亲代表着老一代的中国人,代表着经历过整个动荡年代的知识分子形象。
儿子则代表了改革开放以后成长起来的一批年轻人,一批处在新旧交替、对新生活充满渴望的年轻人。
家庭关系也是全世界人们共同关注的话题,父子关系是每一个人成长中都要去面对的问题。
by officemei | 2007-12-02 06:18 | ■北京
一個溫文爾雅的日本人很容易變成一個日本兵・・・
我從日本軍歌中聽出了民謠式的兒童歌曲的痕跡,其中有一種青春期的無法控制的瘋狂和理想,這種瘋狂如果被邪惡的力量所引導很容易做出意想不到的暴行・・・

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鬼子來了」観賞、これで3度目。
第二次世界大戦末期、日本占領下の中国を舞台に村人と日本兵との奇妙な絆と、やがて一転する狂気の結末を描いたこの映画は、中国人にも日本人にも賛否両論、評価が分かれるが、私は好きだ。
特に香川照之の迫真の演技に拍手したい。
一番感じ入ったのは村人の表情。

姜文監督、香川照之主演、2000年カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品。
日中友好35周年記念作品、「鳳凰 わが愛」が、今日11月3日、ようやく国内公開される。
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私は6元也のコピーDVDで観賞。
35年にわたる獄中の恋と友情の物語。
“鳳凰”の時代背景は1914年から1948年。
中国東北(旧満州)の僻地にあった刑務所が舞台。
満州事変・日中戦争・国共内戦と続く時代に、投獄生活を送る男女の運命を描く。
清新さには欠けるが、見ごたえのある内容。
中井貴一のセリフは吹き替えだが、肉声と錯覚するほどぴったりだった。
日中合作の映画はどういうわけかこれまで秀作がまったく無かったが、この映画は一見の価値有り。
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e0094583_00147.gif国交正常化35周年記念として、日中合作映画「夜の上海」が9月22日に日本で上映された(中国では6月26日に上映)。

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仕事で上海に来た日本人男性と中国人女性タクシー・ドライバーのふたりが、運命的に出会い、言葉の通じない中、心を通わせてゆく一夜を描いたロマンティックなラブ・ストーリー。
夜の上海の美しさを余すところ無く背景に取り入れて、ストーリーもさることながら、充分に夜上海を満喫できます。
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時を遡って、
国交正常化10周年を記念し1982年に公開された初の日中合作映画「未完の対局」(一盤没有下完的棋)は、日中戦争前後の数十年にわたる両国の二人の棋士の人生を描いた。
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私も多少の関わりをもった。
当時、上海ロケ中に、外灘にあった友誼商店で主演の三國連太郎氏と夫人のお買物にお付き合いしたこと、三田佳子さんと上海大厦のレストランで会食したこと等を思い出す。あれから25年、映画の背景や内容にも隔世の感あり・・・
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e0094583_10144251.jpg「蒼穹の昴」(浅田次郎著)
戊戌政変に至る、清朝末期の様相を背景にした大河巨編。

赤貧の春児は自ら男性器を切り取って宦官となり、やがて西太后唯一の側近となる。

紫禁城内での宦官の仕事・暮らしぶり。
その描写を目で追っていくと、内廷の朱色の壁が脳裏によみがえる・・・
夜、提灯に灯りを点し、こんな迷路のようなところを行き来するのはぞっとする。
魑魅魍魎の世界だ。

浅田次郎の中国モノは面白い・・・

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by officemei | 2007-06-21 06:10 | ■北京
e0094583_0424034.jpgテレサ・テンが逝って13年(13回忌)。
「テレサ・テン物語 私の家は山の向こう」がようやくドラマ化された。

このドラマは、台北・東京・香港・パリ・チェンマイで撮影が行なわれ、6月2日夜に日本の「テレビ朝日」系チャンネルと台湾の「緯来日本台」、シンガポールやマレイシア他、世界30カ国で同日放映される。
日本のドラマが、海外同日放映されるのは初めてのことだ。
更に言えば、香港でも、台湾でも、ましてや中国でもなく、日本が彼女の生涯をドラマ化したことは、どれだけの日本人が彼女の歌を愛していたか、の証明だ。
私もその一人・・・


e0094583_0475175.jpgテレサ・テンは歌手として台湾・香港・東南アジアで活躍した後、日本デビュー。
紆余曲折を経て、紅白歌合戦に三度出場。全日本有線放送大賞・日本有線大賞を3年連続で同時受賞。この記録は未だに破られていない。





“甜蜜蜜”“小城故事”“何日君再來”“我只在乎你”“空港”“償還”“愛人”・・・
以無數膾炙人口的暢銷曲、風靡全亞洲的台灣歌姬鄧麗君、離開我們已經十二年了。

e0094583_0485571.jpg為紀念至今仍令人難忘的鄧麗君、日本首度跨海重金拍攝、將鄧麗君的愛情・苦惱與榮耀、以及她多舛而傳奇的一生、完整呈現在你我面前。

出生雲林的鄧麗君、自幼接受歌唱訓練、憑藉她溫婉動聽的歌聲、嫻熟過人的技巧、再加上渾然天成的巨星魅力、18歲便風靡香港及東南亞、20歲更成功進軍日本、成為從台灣紅遍全亞洲的超級巨星!



鄧麗君以外國藝人的身分、在日本連續三年風光蟬連「全日本有線放送大賞」、「日本有線大賞」雙料冠軍、創下日本歌壇空前紀錄!

e0094583_0501347.jpg而鄧麗君的愛國形象更深植人心、不但為她贏得了“軍中情人”的美稱、柔美的歌聲更讓她成為中國同胞最愛的“小鄧”!

鄧麗君如日中天的歌唱事業、不知帶來多少欽羨的目光;
但愛情這條路、卻始終走的艱辛。一生都在追尋真愛的鄧麗君、最後以42歲正值黃金歲月之齡、悄悄離開了人世、留下無限的追思與感慨・・・

本劇改編自日本記者有田芳生的「我的家在山的那一邊 鄧麗君第十年的真相」、全劇不惜巨資走遍台北、香港、巴黎、清邁實地拍攝、更破天荒首次與海外同日播出、讓全亞洲再度感受鄧麗君永恆的風采!(緯来日本台)

テレサ・テン物語;
鄧麗君;
梅花;
by officemei | 2007-05-27 01:11 | ■台灣
映画、TV番組など、台湾で「旬の日本文化」を中国語で観賞する機会は非常に多い。
私は大の映画好きで、台湾・中国の主だった映画は現地の劇場で観賞したり、DVDやVCDを購入し余暇に観賞することを楽しみとしている。
同時に「日本もの」を字幕付きで観賞し、字幕翻訳の参考にもしている。
台湾で「字幕」に係わって早10年が経った。
ごく最近の日本映画(台湾劇場公開)をここにメモってみる。
■武士の一分
e0094583_1538509.jpg武士的一分
預告;
Official Site;
武士的「一分」在日文裡除了「一部分」外,指的是「自我」。也就是作為一個武士,所要承擔並遵循的責任、榮譽與價值觀。這些,就是所謂的「武士的一分」。
三村父母早年雙亡,但他年紀輕輕就擔任護衛要職,又是眾人傾羨的劍術高手,加上妻子加世溫柔美麗,真是沒什麼值得挑剔的地方。但一次為主公試毒,三村因吃到毒貝而失明,藩主給他豐富的獎賞,但三村幸福生活卻因此改變了。三村承受了巨大悲痛,儘管大家對他敬佩有加,但失明卻讓他對未來感到絕望與無助。不過,三村並不是泛泛之輩,處在黑暗中讓其他的感官敏銳了起來,靠著聽覺觸覺與嗅覺,他仍然能察知週遭變化。然而這才正是三村悲慘際運的開始,因為他竟察覺妻子和他過去的上司發生不可告人的關係…。

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by officemei | 2007-02-21 05:19 | ■台灣
日本、中国、香港、韓国の共同で製作された歴史超大作「墨攻」。
主演は、アジアが誇るスーパースター、劉徳華(アンディ・ラウ)。
歴史に忽然と現れ、消えた墨家の謎とその戦いを描く。
日本に先立ち中国、香港で公開され大ヒット。

e0094583_18155458.jpgさて見終っての感想。

この映画は、アジア各国共同制作によるグローバルな展開を興行的に可能にした。
数年前から、映画界では日本、中国、香港、韓国の俳優がそれぞれ別の国の映画で主演或いは共演するようになっていたが、構想・資本・スタッフ・キャストすべての映画作りにおいての共同制作がうまくいったのは、今回初のことだろう。
今後この流れは徐々に主流となっていくだろう。

舞台は中国春秋戦国の時代。ある意味、現代の国際情勢に相似する。離合集散、合従連衡。
そのような世情に「非戦」・「専守防衛」の意義もじんわりと心に残るが、はたして中国の観客はこの映画が日本で伝説的な人気を誇る同名のコミックを原作にしていることを、どれだけ認知しているだろうか。
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朝鮮日報より~
文化のウィン・ウィン
北京から南西方向に向かってバスで3時間を走った。一歩一歩を踏むたびに土のほこりが立ち込める。

劉徳華(アンディ・ラウ)、アン・ソンギが、2500年前の春秋戦国時代のどっしりとしたよろいを着て、相手を睨み合う。韓国、中国、日本、香港が共同投資した時代劇『墨攻(ぼくこう)』の撮影現場だ。

この映画は1600万ドル(およそ160億ウォン)の予算を、韓国のポラム映画社、香港のコムスタック社、日本のNDF、中国のファイブラザーズがちょうど4等分した。

4か国の俳優がスクリーンで共演するのはもちろん、演出と武術は香港、撮影・照明は日本、美術・現場のスタッフは中国が担当するといった徹底した「国際分業」の形で製作されている。
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4か国が手を組んだ理由はもちろん、経済的利益のためだ。

韓国側プロデューサーのポラム映画社のイ・ジュイク代表は、「制作費160億ウォンの大作を製作しながら、リスクを抑える一方、期待収益を最大化できる最善の手法」と述べた。

その結果、もたらされたものは「文化的ウィンウィン(Win-WIN)」だ。日本側の企画を務めた井関惺プロデューサーは、「アジアの才能に満ちた映画関係者が、力を結集する相乗効果の場」とし、「ある一国の排他的支配ではなく、文化融合(コンバージョンス)の典型」と述べた。

この映画はこちらから鑑賞できます;
来年2007年、香港が中国に返還されてまる10年が経過する。
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96年末から97年初にかけて、ニューイヤーを香港で過ごした。「歴史的な年」の香港を、子供たちの胸に刻ませようと連れて行ったが、親の思いは自己満足に終わる。

九龍公園で息子はボール遊び(サッカー)に興じ、娘は星光大道で拗ねてしまってずっと動かなかったり。10年を経て、娘は24歳・二児の母、息子は19歳・この秋から上海外国語大学に留学した。

あとから振り返ってみれば、10年の月日はあっという間だ。

そう考えてみると、青春時代に北京で過ごしたあの頃も30年余り前のことだが、いまだ記憶に鮮やかだ。とするならば、半世紀、一世紀といった時の流れもそんなに長いタームではないと感じる。

e0094583_18394775.jpg浅田次郎の「蒼穹の昴」は、清朝末期の混沌が描かれているが、当時の99年租借に関する文章が非常に味わい深いので、ちょっと長いが引用してみた。
これはけっして遠い昔の出来事ではなく、ついこの間のことなのだ・・・


~「蒼穹の昴」(浅田次郎著)からの引用~
五月の陽の光がマロニエの葉を透かして差し入るテラスで、駐北京公使サー・クロード・マクドナルドは、やがてやって来る賓客を待っていた。
長い外交官生活の中で、これほど気の進まぬ交渉事はなかった。(中略)

九龍半島全体の租借交渉の全権は、彼の手に委ねられていた。この歴史的な仕事を命ぜられた時から、サー・マクドナルドは過去半世紀にわたる香港の歴史について綿密に調べ上げた。大英帝国全権としての使命を完遂するため、というより、どこかに彼自身が納得のいく正義を発見したかったからである。

しかし、香港の英国植民地を一挙に十倍の359平方マイルに拡大するという事案の合理的な根拠は、歴史上のどこにも見出すことはできなかった。
この期に及んでも公使は、正義の不在について悩み続けていた。(中略)

またひとしきり溜息をついたあとで、サー・マクドナルドは木漏れ日を見上げながら、ロンドンの古い流行歌を口ずさんだ。
“You can go to HongKong for me・・・”
私のためなら香港にだって行ってくれるわよね・・・つまり、わずか半世紀前の香港は、そんな流行歌に唄われるほどの、地の崖の貧しい町であった。

花崗岩の山に囲まれた狭小な土地であり、要塞にも軍港にも適さず、支那大陸の南端の僻地で商業地にもなり得ない。当時の外相サー・パーマストンをして、「不毛の島」と呼ばしめたほどの土地なのだ。

ポルトガルのマカオ経営に対抗するために、イギリスは対岸の小さな港町を清国からもぎ取ったのである。

その名の通り、もとは美しい、平和な港であった。
広東や広西で産出する香木の産出港であったから、そう呼ばれていたという。
たしかに香港は、かつて沈香や白檀や伽羅を北に向けて船積みする辺境の小さな港にすぎなかった。

イギリスはまず、この港を通じて茶葉の輸入を始めた。しかしやがて、インド産の阿片をこの港に送り込むようになった。イギリス人がこよなく愛する紅茶と同量の阿片が、貿易均等という妙な理由で堂々と担ぎこまれ、たちまち清国全土を侵して行った。

その結果、起こるべくして起こったアヘン戦争の正当性が、清国側にあることは勿論である。しかし、正義が常に勝つとは限らない。

大人が子供を殴り倒すような戦ののち、イギリスは強圧的に香港の割譲を迫り、清国が躊躇する間にいち早く大軍をヴィクトリア・ピークの麓に押し上げた。ユニオン・ジャックを翻らせ、全く一方的に香港島の領有を宣言したのであった。

断固抗議をする清国に対し、イギリスはさらに広東、上海へと軍を進め、とうとう翌る1842年8月、南京条約を締結して香港の領有を確定した。
列強が中国に対し一貫してとり続けた「砲艦外交」の、絵に描いたような成果であった。

どう考えても、そこには正義のかけらすらない。阿片の押し売りをきっかけにして戦をしかけ、国土を奪い、のみならず戦火に追われた流民たちを苦力に仕立て上げて、ゴールド・ラッシュに沸くアメリカやオーストラリアに売り飛ばした。そしてこの人身売買を「猪仔貿易」と呼んで憚らなかった。

これは歴史に残る暴挙だと、サー・マクドナルドは思う。そこには正義も道徳も、宗教的理由すらもない。ただ植民地経営によって国を富まそうとする、非人道的な、利己的な野心のあるばかりだ。

そして今また、「正しい防衛と居留民保護」の目的で、香港を十倍に拡張する交渉が始まる。無敵東洋艦隊の砲門を日本との戦に敗れて丸裸になったその沿岸に並べて。(中略)

サー・マクドナルドは懐中時計を取り出して時を見た。
間もなく恭親王(プリンス・クン)の馬車が、あの怖ろしい時代錯誤の行列を組んでやって来ることだろう。そしてたぶん、その老いた貴公子は、傍若無人な条件におののき、困り果てる。
旧知の仲である恭親王に、こんな砲艦外交を自らの責務として強要することになろうとは考えてもいなかった。辛い。まことに辛い。

「お出迎えを、サー」
秘書官がシルク・ハットを差し出しながら促した。
バラの垣根のめぐる庭に号令が谺し、儀仗の衛兵の捧げ銃をする小気味よい音が聴こえた。

「展拡香港界址専條」の清国全権団が到着した。
香港の総督府から派遣された副使と秘書官とを伴って車寄に出る。軍官の随員たちがマクドナルドを囲むようにして衛門に正対する。威儀を正してシルク・ハット冠り直したとたん、公使はステッキを取り落とした。

「おい、これはどういうことだ・・・」

門前で儀仗を受けているのは、恭親王奕訢ではなかった。精悍なアラブ馬に跨り、二頭の騎馬を従えた高官は、李鴻章だ。

「どうなっているんだ。プリンス・クンはどうなされた。まさかあの、李総督が全権というわけではあるまいな」

公使は鼻めがねを外して目をこすった。秘書官はあんぐりと口を開けたまま、馬上で閲兵をする清朝の大礼服姿を見つめている。

「栄誉礼を受けているのですから、つまり、あの方が全権でしょう。」
「まずいぞ。おい、私はプレジデント・リーと交渉の席につくのか」

公使は取り乱した。国際的な評価によれば、李鴻章と恭親王では役者が何枚もちがう。天津総督時代の李の外交手腕は、各国外交官たちの間の伝説となっていた。彼だけは時代錯誤のマキャヴェリストではない。西洋を熟知し、鉄道と鉱山と強大な軍隊を持った、軍閥の領袖である。

「プレジデント・リーは引退したのではなかったのか」
「そのはず、ですが・・・」

マクドナルド公使はとっさに考えた。プレジデント・リーが清国全権なら、大英帝国側は北京駐在公使どころか、香港総督が全権でも釣り合わない。いや、本国から外務大臣首相を特命全権大使とした全権団がやって来なければ、会議が始まるはずはなかった。

「西太后か皇帝が来た方が、まだましだぞ」
「どういたします、公使」
若い秘書官は、閲兵をおえ蹄を鳴らして近付いてくる李鴻章の威風にすっかり怖気づいていた。

馬上の李鴻章は、帝国の最高官を示す九匹のうわばみを描いたシルクの大礼服を着ている。ビロードの冠には赤い珊瑚のボタンが輝き、大勲功を表す三眼の孔雀の羽が、まっしろな弁髪のうしろに揺れている。肩からさりげなく羽織った黄色い緞子のチョッキが、一代の皇帝のおそらく一枚しか下賜することのない貴い代物であることを、公使は知っていた。

その場で腰がくだけそうになる体をステッキで支えながら、公使は言った。
「どうします、だと? それは私の言うせりふだ。事前に何の連絡もなかったのかね」
「ありません。もし連絡が入ったところで、どうしようもないでしょう・・・うわあ、ごらん下さい公使。本物のプレジデント・リーですよ」
「そんなことは見ればわかる。もしネルソン提督でないとするなら、あれは正真正銘の李鴻章だ」

支那人としては珍しいぐらいの長身を馬上に凛と伸ばし、李鴻章は満面で微笑みながら車寄に轡を止めた。少しも年齢を感じさせぬ動作でひらりと馬から下りる。

「ごきげんよう、サー。お会いできて光栄です」
李鴻章はいきなり流暢な英語でそう言い、ピアニストのように痩せた大きな掌を、マクドナルドに向かって差し出した。
公使の胸は女王陛下の謁見を賜ったときと同じぐらいに高鳴った。

差し出された指先を軽く握ると、公使は迷わずに肩膝を地に折った。
「光栄です、閣下。プリンス・クンがお出ましになると聞き及んでおりましたので、いささか愕いております。これはいったい、どうしたことでしょうか」

李鴻章は思いがけずに強い力で、足元に跪いた公使の掌を握り返すと、ふいに笑顔を吹き消した。仮面を脱ぎ捨てたような厳しい表情に、英国人たちは慄え上がった。
「誰が来ようと、諸君らにとっては同じことではないか。東洋艦隊の砲門に、人間の見分けはつくまい」
誠実な外交官であるサー・マクドナルドは、そのままいつ卒倒してもふしぎではなかった。

「ジョークだよ、公使。恭殿下は体調がすぐれぬ。そこで私が急遽、代理全権に任命された。辞令をお見せしようかね」
「いえ、けっこうです、閣下。ともかく、中にお入り下さい」
イギリス全権団はまるで黒い羊の群れのように、李鴻章の後をうなだれてついて行った。

廊下を歩きながら、李鴻章は公館じゅうに響き渡るような大声で言った。
「ヴィクトリア女王はお待ちかねかな!」
公使は脂汗を拭った。返す言葉はない。

「そうか。ご病気とあらば仕方がない。かくいう私も、恭殿下の代理としてやって来たのだからな。それにしても、首相も閣僚も香港総督も全員ご病気とは、ロンドンではペストか天然痘でも流行しているのかね!」
「・・・李閣下」
と、マクドナルド公使はようやくの思いで、ほんの少しだけ抵抗した。

「閣下、英語はご不自由でございましょう。通辞もおりますから、どうかお国の言葉で」
「べつに不自由ではないよ。私にとっての英語は、香港の言葉よりも話しやすい。まったく南の方言は、同じ国とはいえ何が何だかさっぱりわからん。さっぱりな!」
「は?・・・そうなのですか」

李鴻章は鼻で嗤った。
「卿よ。君はジョークの通じぬ男だね。こういうとき、即座に切り返すユーモアがなければ、外交官としては失格だぞ」
李鴻章が花翎を翻して立ち止まると、羊の群れもみな停止した。草を喰むように俯いたシルク・ハットをひとつひとつ睨みつけて、李鴻章は罵った。
「どうした諸君。オクスフォードでは植民地経営学の講義はしても、ユーモアと皮肉は教えんのか!」
一声で、羊はみな石になった。(中略)

記者団がテラスを埋めつくすと、やがて会議は始まった。
サー・クロード・マクドナルド公使は緊張のあまり書類を棒読みにして、香港を十倍に拡張する事案の説明をした。

「卿よ。しっかりしたまえ。君のうしろには東洋艦隊がついている」
言い淀むたびに李鴻章の口からそんなことを言われれば、公使の咽はいよいよ引きつった。
「すなわちわが大英帝国は、当該地域の正しい防衛と居留民の保護のため・・・」
最も言いづらい部分を、公使はようやくの思いで口にした。

「ちょっと待てよ、公使」
はたして李鴻章は、黒繻子の袖を挙げて異を唱えた。
「卿の言う防衛とは、いったい誰に対しての防衛かね」

薄い白髭をたくわえた李の口元は笑っていた。それは、公使自身が最も怖れていた質問であった。答えを探しあぐねて、公使はしばらく沈黙した。

「言いたくないのなら、私から言おう」
李鴻章は膝を組みかえ、体をテラスに群がる外国人記者団に向けた。
「フランスの記者はおられるかね?」
「到!就在這児」
と、ル・モンド紙の記者が手を挙げた。
李鴻章は不器用で丁寧な河北語に微笑した。
「答えは英語でよろしい。さて、どうやら大英帝国は、君らの国が広州湾からやがて九龍半島を攻略するのではないかと、脅威に感じているらしい・・・合衆国の記者は?」
トーマス・バートンが「イエス・サー!」と先頭でペンを挙げた。
「やあ、トム。元気かね。君とはニコライ皇帝の戴冠式のとき以来になる。そろそろ頭を磨いて弁髪を結いたまえ。君には良く似合う」
「恐縮です、閣下」
誰も笑う者はいなかった。

「ところで、トム。先だってアメリカとスペインとの、フィリピン諸島の領有をめぐる戦争で、君のお国の海軍は九龍の根っこにあたる大鵬湾を根拠地としたね」
「はい、閣下。おっしゃる通りです」
「ヴィクトリア女王陛下は、そのことを危惧なさっておられるのだよ。つまり・・・イギリスの主張する防衛とは、フランスとアメリカに対するものだ。やれやれ、困ったものだな、ガキどもが他人の庭に勝手に入ってきて、喧嘩をしておる。言うにこと欠いて、それを家主に何とかしろと、要するにそういうことだな、これは」
李鴻章の英語は愕くほど正確だった。議場は静まり返った。

「ありのままに書きたまえ。李鴻章がそう言ったとな。私は諸君らのリベラリズムに大きく期待する」
フランス人記者が大声で同意を叫んだ。
「明白了!」

李鴻章は黙りこくるイギリス全権団を睥睨しながら続けた。
「私たちの家はこのところ少々貧乏をして、庭は荒れておる。塀もこわれてしまったから、君らがそこで遊ぶのは、許すとしよう。だが、勘ちがいをするな。ここは君らの家ではない。庭先はくれてやるのではなく、貸してやろう」

李鴻章の流暢な英語は、言い回しだけがひどく中国的だった。人々は言葉に秘められた意味をしばらく考えねばならなかった。
「それは閣下、割譲は許さぬ、という意味ですか」
マクドナルドは思いついた通りを訊ねた。
「さよう。君は鈍い男かと思ったが、案外クレヴァーだね。どうやらオクスフォードでは英語をちゃんと教えているらしい」
「租借という条件なら、よろしいのですか」
「不満か?」

マクドナルドは左右の副使の頭を集めて囁き合った。彼らの躊躇は身ぶり手ぶりからも明らかだった。
すると、李鴻章は突然、大きなあくびをした。

「つまらぬことで悩むな。私の立場というものも少しは考えてもらわねば困る」
公使たちはきょとんと顔を上げた。
「と、申されますと?」
「わからんかね。君らにとっては割譲を受けて英国領土とするのも、永久に租借するのも同じことだろう。家賃を払う気など毛頭なかろうし、返す気もないのだろうから。しかし、皇帝陛下に結果の報告をせねばならぬ私にとっては、大ちがいなのだよ。まさか女王にせがまれて領土をくれてやりましたとは言えまい」
イギリス人たちの溜息がひとつの声になった。

「それでよかろう。九龍半島には遠慮なくユニオン・ジャックを立てたまえ。それでアメリカもフランスも手出しはできまい。九龍の新界(ニューテリトリー)は君らのものだ。大英帝国はわが支那大陸において、点から面を所有する」
全権団は再び鳩首して意見を囁き合った。今度はそれぞれが肯いた。

「では閣下。永久租借という約定にご同意ねがえますか」
李鴻章は大仰に愕いたそぶりを見せて左右の随員を交互に見、それから声を立てて笑った。
「卿よ。まあ、現実にはそういうふうに解してもらってもいいのだがね。永久租借、という言葉は少しおかしいだろう。世界中が笑う」
「では、どのように。期限を明文化しなければ租借約款の意味をなしません」
「当然だ。しかし、永久という単位の数字はあるまい。そこで、だ・・・」

李鴻章は立ち上がった。その背丈の並はずれた高さに、人々はみな目をみはった。散策でもするように後ろ手を組み、仏頂面で椅子に座る副使たちの背後を歩きながら、プレジデント・リーは言った。

「わが国にはこうした場合、非常に便利な表現がある。それはこういうことだ。完全を百とする。百に届かぬ一歩は、九十九だ。すなわち九十九という数字は、わが国では永遠を意味する。しかも数字の九九と、永遠すなわち久久は同じ音を持つ。そしてこれを皇上に報告すれば、私は領土を奪われた責任を回避することもできる。租借は租借だからな。皇帝陛下も老臣たちも、暗黙のうちにみな私の立場を理解してくれるだろう。もちろん君らも議会から責められることはなかろう。まさかわが国が九十九年も持ちこたえるとは、誰ひとりとして考えはするまいからな。どうだね、名案だろう。そこで私は、この展拡香港界址専條の租借期限を、調印から数えて向こう九十九年間、すなわち西暦1997年6月末日とすることを提起する」
李鴻章の明晰さに対して、一斉に拍手と歓声が湧き起こった。

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テラスの最前列で、岡圭之介は熱心にメモをとりながら、隣のトーマス・バートンに囁いた。
「トム、すごいね。彼は外交の天才だ。いったいどうなることかと思ったが、これならたしかに八方丸く収まる。彼は中国人の大義名分とヨーロッパ人の合理性をともに満足させた」
トーマス・バートンはただひとり拍手もせず、メモもとらずに、人々の歓呼に応える李鴻章を見つめていた。

「どうしたんだよ、トム・・・」
正式調印を日取りの良い6月9日に決定すると、清国側の全権団はすみやかに退室した。紛糾すると思われた会議は、ものの15分で終わった。記者たちはインタビューをとるためにわれさきに玄関に向かって駆け出した。

「行こうよ、トム」
トーマス・バートンはテラスに根の生えたように動こうとしなかった。ただ黙って、拍手と喝采に送られて議場を後にする李鴻章の姿を見送っていた。
「たしかに、天才だ。いまプレジデント・リーの言ったことをただしく理解できた者は、ひとりもおるまい。たしかに、あの男は天才だ」
「どういうことだい」
トーマス・バートンは蝶ネクタイをくつろげながら、見てはならぬものを見てしまったように放心した顔を、岡に向けた。
「わからないか、ケイ。九十九年はたしかに永遠を意味する。世界中の誰にとっても、事実上の永遠だろう。だが、九十九年後の人々からみれば、今日という日はそれほど昔の話ではない」
「・・・よくわからないな」
「九十九年後に清国はあるまい。だが、政権はどこかに必ずある。支那という国土と支那人は必ず存在するんだ。そのときイギリスは大変な犠牲を払って香港を返還しなければなるまい。九十九年かかって肥やした香港のすべてを、その都市機能もろともに返さねばならないんだ」

岡圭之介は頭上にさざめくマロニエの葉叢を見上げた。木漏れ日が瞼を刺した。
「つまり、李鴻章が死んでも、条約は生き続けるんだな」
「そうだ。中国人は偉大だ。われわれが永遠だと信じて疑わぬ九十九年という時間も、プレジデント・リーにとっては、手帳に書いてある予定なんだ」
岡は、列強を庭先で遊んでいる子供にたとえた李鴻章の言葉を、ありありと思い出した。

西暦1997年・・・
そのときには、いまこの席に居合わせた人間たちの誰も生きてはいない。だが、九十九年という時間は確実に経過する。
香港が中国に返るその日、ユニオン・ジャックは総督府の屋根から降ろされ、李鴻章とサー・クロード・マクドナルドの取り交わしたセピア色の議定書は、彼らの子孫たちの手で反故にされる。
「5000年の歴史はだてじゃないね。やっぱり僕らは、庭先で遊んでいる子供かもしれない」
岡は降り注ぐ初夏の日差しを見上げて呟いた。
by officemei | 2006-12-10 00:10 | ■港澳